小笠原諸島
小笠原は遠い。東京からだと丸一日(24時間)かかる。飛行場はないから船で行くしかない。外国、たとえばアフリカとか南米に行くより遠い。
先だって、和光大学の岩本教授の小笠原についての話をうかがった。岩本先生は首都大学東京(当時)の客員研究員として2019年、父島に滞在した。専門分野はよくわからない。はばひろい。万福寺にんじんの会のお手伝いもしていただいている。
幕末から明治にかけても小笠原の所属はあいまいであった。もともとは無人島で、難破船が漂流してたどり着く島であった。ジョン万次郎がそうである。19世紀となりイギリスやアメリカの捕鯨船がやってきて諸島を測量している。イギリスは領有の銅板を残している。
どういう経過で小笠原が日本の固有の領土になったか、あまり話題になることはないけれど、歴史のスキマのようないきさつがある。
アメリカは捕鯨に力をそそいでいたが、油田の発見により捕鯨の相対的価値は低下した。小笠原への関心が薄れることになった。イギリスはインドや中国の抵抗運動もあり、香港統治に集中せざるを得なくなった。ロシアはクリミア戦争の敗北により、それどころではなくなった。フランスも二月革命後の混乱でアジアへの関心は薄れていた。
ちょっと飛ばして明治。
1976年、明治政府は各国に日本の統治を通告した。異議はだされず、小笠原は日本領として確定した。あっさりしたものだった。西欧のアジアへの帝国主義的圧力が一時的にせよ弱まった時期だったと言える。
島のアホウドリは日本にとって大切な輸出品となった。羽がアクセサリーとしてヨーロッパに大量に輸出された。ところが、乱獲によりアホウドリは絶滅してしまった。
わたしのあたまにあるのは、アホウドリの繁殖計画である。どうなっているかはよくわからない。また島には、唯一のほ乳類の固有種がいる。オガサワラオオコウモリである。一度、観てみたい。
飛行機が飛ぶようになったら行ってみたいが、いまのところは、ムリ。ま、NHKのドキュメンタリー番組を観るていど。 遠い島である。
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