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2023年10月

2023年10月30日 (月)

「しんゆり映画祭」始まる

 しんゆり映画祭が始まり、二日たった。

 オープニングは「荒野に希望の灯をともす」。アフガニスタンでの医療活動や農業改革に尽力した中村哲さんを描いたドキュメンタリーである。チケット完売となった。幸先よい。

 中村哲さんの活動についてはよく知られているから。ここで改めて紹介することもない。谷津監督(撮影も)は、21年にわたって中村さんをフィルムに収めてきた。延べ1000時間という。上映後のトークで谷津さんは語っている。

 あらためてドキュメンタリーを観ると、その農業改革というか、潅漑用水路路づくりのすごさに驚かされる。砂漠を緑にかえる事業の大変さが伝わってくる。最初はほとんど手作業、江戸時代の河川工事を思わせる。

 取水口の工事はうまくいかなかったが、ふるさとの筑後川の山田堰にヒントを得て成功させたそうだ。

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 映画では紹介されていないことをいくつか。

 中村哲さんはオンとオフの切り替えがうまかったというか、はっきりしていた。作業中は眼光は鋭いリーダーであったが、オフとなるとヨレヨレのどこにでもいる気さくな爺さんだった。

 好きなマンガは「クレヨンしんちゃん」。ときどき本開いてはニヤニヤしていた。

 最近のアフガニスタン情勢について谷津監督は語った。

 治安はまったくといっていいほど安定している。爆発音は聞こえない。農業従事者は安心してしごとができると喜んでいる。

 日本ではタリバンによる男女差別、女性の就学制限などが伝えられているが、学校教育(男女別)はきちんと行われている。ただ先進国のような男女平等の教育となってはいない。それには時間がかかるだろう。じわりじわりとやるのが正解のように思うと谷津監督の談。

ついでのひとこと

 写真は映画祭の会場となる川崎市アートセンター前。並木は紅葉しているが、例年に比べるとバッチイというか美しい紅葉ではない。猛暑だったせいか。

2023年10月28日 (土)

『日没』

 岩波書店のPR誌「図書」10月号は、桐野夏生の『日没』について3人の文章を載せている。文庫本発売にちなんだ小さな特集である。

桐野夏生の『日没』は読んでなかったし、その本すら知らなかった。岩波は今回の文庫化を新聞広告でも大きく採り上げている。それほどの小説かどうかはわからないけど、その広告に乗せられて読んでみた。

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 マッツ夢井は風俗小説、エロ小説を書いてきた。その小説が政府は気に入らないようで、文化文芸倫理向上委員会から呼び出しを受け、療養所に収監されてしまう。不道徳だとする市民の告発があっての処置ということだ。逮捕ではない。逮捕なら裁判所で審議されるが、収監には法令はない。簡単な尋問があるていどで、もちろん弁護士も介在しない。世の中から失踪したような扱いを受ける。飯はまずい。野菜は萎れたブロッコリーだけ、人間扱いされない。

 収容所での暮らしが続く。理不尽である。逮捕なら逮捕状があり、容疑者の人権が守られるような手だてがあるが、ここではない。世間は、行方不明になったていどの情報があるだけでいずれ忘れ去られていくだろう。

 騒がれないうちに自由がゆっくり狭められ、気づいた時には身動きできないほど精神が縛られていく、そんな社会は恐ろしい。

 ディストピアを描いている。スターリン獄だってもうすこしまともな扱いを受けてシベリア送りになるのだろうが、出口なしである。転向するか自殺するか、都合が悪ければ殺されるか。収容所は崖があって飛び込むのはたやすい。

 読んでいて、息苦しくなった。ハッピーエンドはあるのか。もっと明るい小説が読みたくなる。

 桐野夏生の小説では最初に読んだ『顔に降りかかる雨』が印象に残っている。ずいぶん前だ。作者が女性とは読み終わるまでわからなかった。感性も文体も男っぽい。などと言うと、昨今の風潮、男女差別だと批判されるかもしれない。

2023年10月26日 (木)

「月」

 映画を観に渋谷にでかけた。外国人観光客であふれている。

 写真は、スクランブル交差点。ゴーカートの一団。渋谷界隈を走る。乗客はすべて外国人だった。繁華街はいいが住宅街も走るので騒々しい。住民から騒音苦情がでているとのニュースを見たことがある。ま、うるさいだろうな。

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 映画は、ユーロスペースで石井裕也監督の「」。宮沢りえが主演。よう子(宮沢りえ)は小説家だがスランプに陥っている。障害者施設で働き始める。同僚に作家志望の陽子(二階堂ふみ)、さとくん(磯村勇斗)がいる。

 施設は暗い。入所者は人間扱いされていない。暴力を振るわれている人もいる。さとくんはそうした現状に憤るが、その一方で入所者は生産性がない、生きている価値はないとの思いも募らせていく。

 相模原のやまゆり園での大量殺傷事件にヒントを得た小説を映画化したものだが、殺傷事件は背景である。よう子と夫(オダギリジョー)の夫婦愛がメインテーマである。オダギリジョーはダメ男を演じている。あいかわらずというか嵌まり役である。

 闇を描いている。こころの闇ではなく現実の闇。月は闇の中で輝く。タイトルの「月」は、闇の中で美しく輝く月を象徴しているのだろう。

 やまゆり事件を知っている観客は残酷なシーンを連想するが、映画はその部分を最小にしている。あくまで夫婦愛がメインなのだ。

 いい映画である。今年のベスト映画になるだろう。ベリーショートの宮沢えりは主演賞、助演賞は「福田村事件」の水道橋博士。そんなことを夜空に浮かぶ三日月のように思い浮かべた。

2023年10月24日 (火)

「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」

 スコセッシ監督の最新作「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」を観てきた。主演はデカプリオデ・ニーロ。大作である。上映時間が3時間40分。長すぎる! 途中休憩はないから、後半トイレを我慢するかションベンタイムを設けなければならない。年寄りは耐えられるか。気がかりだ。

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 今から100年ほど前のアメリカ、オクラホマ。ここで石油が見つかる。先住民(インディアン)の土地であり、先住民であるオセージ族はたちまち裕福になる。その石油利権に目を付けた白人たちがどっと押し寄せてくる。

 キングと呼ばれるウイリアム(デ・ニーロ)は牧畜で財をなしているが石油利権にもの関心を寄せている。そのもとに甥のアーネスト(デカプリオ)がやってくる。親子のような関係を築いていく。ウイリアムはオセージ族の女性モーリーと仲良くなり、結婚する。それと平行して連続殺人事件が起きる。モーリーの妹もなぞ背景の死を遂げる。石油利権との関係が疑われる。

 実話をもとにした映画だそうだ。単なる西部劇ではない。人種差別を背景にしたミステリーでもある。細部まできちんと描いた重厚な作品である。

 それにしても長い。3時間以上映画に集中するわけにはいかない。途中ダレるわけではないけど、人間関係の複雑さに戸惑う。

 さすがと思わせるのはカメラワークである。スコセッシ好み。狭い空間を、カメラを左右にふりながら全体を映し出していく。

 映画終了直前に、スコセッシ自身もちらりと登場する。ヒッチコックのように。

 さて、タイトルのフラワームーン、花の月とは高原に群生する花のことらしい。オクラハマの草原にいまも咲いているのだろうか。

 エンドロールになると何人ものひとが席をたった。映画が面白くなかったわけではない。みな、トイレだろう。アタシは場内が明るくなるまでガマンした。

 ついでのひとこと

 先住民(アメリカインディアン)はすべて居留地に追いやられたと思っていたが、そうでもなかった。オクラホマのオセージ族のような例もある。

 アフリカの黒人が奴隷として強制的に連れてこられたと歴史では学ぶが、全部が全部奴隷ではなかった。奴隷はでない自由な黒人も一定数いた。ご存じだっただろうか。その数がどのくらいだったか。忘れた。アメリカ史の教科書を読み直さなければ。

 

2023年10月22日 (日)

 味覚が変わった。

 ビールをそれほど旨いとおもわなくなった。なんとなく味が変わったような気がする。もちろんビール会社のせいではなく、こちらの舌のせいだろう。

 理由はわからない。歳のせいか。でも、飲まないわけではなく、毎日飲んでいる。量は減っただけ。

 塩味を強く感じるようになった。なにを食べてもしょっぱい。塩の固まりを食べているように感じることもある。とくに飲食店で出される料理がしょっぱい。こちらの好みはさておき、料理人の舌が麻痺しているんじゃないかと文句をつけたくなるときがある。

 なぜ味覚が変わったか。理由はわからない。たんに体調の変化なのか、歳のせいなのか。妻にはもっと薄味で、醤油はかけなくていいと言っている。

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 これと反対なのが嗅覚。写真は数日前のもの。近所の保育園はキンモクセイの生け垣になっている。100メートルほどあって壮観。キンモクセイは9月末か10月初めに咲くが、ことしは遅い。今が満開。さぞや匂いがすごいと思われるかもしれないけど、さほどではない。

 今年のキンモクセイはそれほど匂わないとの声を聞く。そうかとおもったのだが、妻からアナタの鼻が利かなくなっただけよと言われた。そうか、そうかもしれない。花粉症で鼻の粘膜がおかしくなっている。それで匂いを感じなくなっている。

 嗅覚は鈍感になり、味覚は偏る。理由は加齢、歳のせいだろう。それで納得している。

 ビールより日本酒がいい。大吟醸をオンザロックで飲んでいる。それじゃ薄まってしまって旨くないとの見解もあろうが、ちょっと薄まる程度がよい。年寄りには。

 志ん生は晩年水で割った酒を飲んでいた。正しくは飲まされていた。家族がからだを心配しての配慮である。アタシは自主的に薄めている。

2023年10月20日 (金)

『夢ノ町本通り』

 いま、沢木耕太郎の新刊『夢ノ町本通り』をほぼ読み終えたところ。

 本通りはメインストリートではなく、ブックストリート。本にまつわるエッセイである。

 わたしはずっと沢木耕太郎を読んできた。50年以上前の「月刊エコノミスト」に連載ノンフィクションでその名を知った。誠実さと素直さというか、ほどよい緩いさが読んで心地よかった。文章はわかりやすい。ああ、いい書き手だなと感じていた。

 のちに同い歳であることを知った。1970年4月、沢木はたった一日で会社をやめた。こちらは、60半ばまで会社にしがみついた。彼我の差は広がっていった。

 そんなことはどうでもよい。もどって本書。写真は新潮社の雑誌「波」の表紙。本書を特集しているわけではないが、載せておく。

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 山本周五郎について多くのページを割いている。

 沢木は山本周五郎の短編集のアンソロジーを編んでいる。わたしはその文庫本を本屋で見かけたことがある。山本周五郎ならけっこう読んでいるので、この文庫本を手にすることはなかったが、沢木が山本周五郎の大ファンであることがわかった。

 たぶん本書に収められているのは、その文庫本の解説ではないかと思う。本書には初出一覧が載っていないからわからない。これは出版社として不親切である。それはともかくとして、かつて短編を読んでいるからといって、しっかり覚えてはいない。大半は忘れてしまっている。

 もういちど読み返したいものもある。沢木は、「松の花」に登場するやすを「一丁目一番地のひと」としている。一丁目一番地とは、中心であり、基本になる女性ということだ。

「松の花」は『日本婦道記』に納められている。いまどきの感覚からすれば古くさい、男女差別があるなどと批判されるような部分がある。が、これが歴史であり、そういう道徳律があることも知っておいたほうがよい。

 読みたいと思った本がある。『死のクレバス』。山岳ノンフィクションである。もしこの本を読まなかったら、『』を書くことはなかったと書いている。ふーん、そうなのか。生と死、そして選択といったものがテーマになっているらしい。

 

 

2023年10月18日 (水)

 帽子 目深にかぶる

 外出する際は帽子をかぶるようにしている。

 まぶしいからである。緑内障や白内障があると陽の光をまぶしく感じるという。そのとおりだが、なぜまぶしいのか理屈はわからない。とにかくまぶしい。レストランでは窓を背にして座るようにしている。

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 帽子はツバが長いのがよい。ベレー帽では役に立たない。いくつも帽子はもっている。いちばん高かったのは写真のそれ。シルバーレイククラブというブランドのもの。釣りをする人向きらしいが、アウトドア全般で、街中でかぶってもよい。かっこいいのだが、ちょっとものものしい。ふだんは使わない。冬場に使う。だから古びない。

 いつもは野球帽である。やわらかいものにしている。たたんでバッグにいれられるものがよい。かといってヨレヨレのものではみすぼらしく見える。

 アタシの頭のサイズは小さい。ふつうの紳士用ではブカブカ。Sサイズだが、近所の

店ではMサイズしか置いてない。婦人用ならある。リボンがついていたり大仰な紫外線除けのツバがついていたりするので、男には似合わない。それでも二つ三つ婦人用の帽子を持っている。

 サンバイザーもいいのだが、安っぽいものが多い。賭博場のディーラーがかぶっているようなのがいいのだが、いまだかぶったことはない。

 たかが帽子なのだが、すこしだけこだわっている。政治家では麻生太郎がかぶっている。ソフト帽はあれよりずっと前からかぶっている。麻生さんよりアタシの方がかっこいい、と思っている。競うこともないが。

 帽子はアタシにとって陽の光を遮るためのひさしにすぎない。それはわかっているのだが、わずかばかりのこだわりがある。

 ひさしは漢字で書くと、庇。きず(疵)という字に似ている。

2023年10月16日 (月)

「ゆとりですがなにか」

ゆとりですがなにか INTERNATIONAL」を観てきた。脚本は宮藤官九郎。クドカンでなかったら観るつもりはなかった。

 ゆとり世代と名付けられた三十代後半のさえない男3人、酒蔵を営む坂間(岡田将生)、小学校教師の山路(松坂桃李)、中国帰りのフリーター道上(柳楽優弥)を中心にしたコメディである。

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 ストーリーを説明すると長くなるし、テキセツにまとめるのは難しい。要は、ゆとり世代の飲んだくれの話である。映画のセリフに「ハングオーバー」というヒット映画の話題が少しだけ出てくる。ハングオーバーとは二日酔いの意味。あの映画を下敷きにした、悪く言うとパクった物語である。あれも三人組のドタバタだった。主人公たちは居酒屋でしょっちゅう酔っぱらっているのだ。

 酒の受注があやうくなった酒造りの若旦那は苦境に陥るのだが、切実感はない。いずれなんとかなると思っている。教師は教室に外国からの子女がたくさん入ってきて戸惑うけれど、外国人労働者がたくさんいるのだから、さほど悩むようなことではない。ハングルだの簡体字だのいっぱい出てくる。日本はインターナショナルなんだ。街には外国人労働者や観光客があふれている。で、映画のタイトルにもINTERNATIONALが入っている。

 いまの世相を批判しているわけでも皮肉っているわけでもない。Z世代だの働き方改革だのSDGsだの今どきの流行語が出てくるが、それは上っつらだけのこと。どうでもよい。おもしろいから、ただ笑え、という映画である。

 タイトルは「ゆとりですがなにか、ハングオーバー」でもよかつた。

2023年10月14日 (土)

『救い難き人』

 在日二世のマンズは14のとき、母親を亡くす。父親が殺したのだ。しかし事件とはならず、病死として扱われた。マンスは母の骨を砕き、散骨をする。父親への恨みを押し殺し、先輩の井尻の助言により、父親が経営するパチンコチェーン働くことにする。無遅刻務欠勤。周りからも父親からも信頼されていく。

 目標は父親の会社を乗っ取ること。助言や支援もあり、地位を確かなものにしていく。後半は狂気の暴走というか、井尻も金目当てで復讐に加担し、地獄のような展開となる。

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 赤松利市の小説を読むのは久しぶりのような気もする。狂気もさらに膨らんでいる。救い難き人というタイトルから連想されるように、どうしようもない連中ばかりが登場するピカレスク・ロマンである。

 途中、ビッグモーターの息子のことが浮かんだ。除草剤のことばかりが報道され、創業者や息子(元社長)の動向についてはいっさい伝わってこない。いま、どうしているのか。なにを考えているのだろうか。

 店舗ごとに高い目標を定し、目標を達成すれば昇進と多額のボーナスを与えた。低業績なら降格、あるいは馘首する。社員の人格を無視した経営を行ってきたとマスコミは伝えている。これ、本書に登場する父親に似ている。息子のマンスも同様である。 『救い難き人』をなぞるようなことがビッグモーターでは起きていた。マンスは復讐だから会社がどうなろうと知ったことではない。

 ビッグモーターの息子はアメリカでMBAの資格を得ている。そこからちっとも学んでいない。アメリカの経営学は社員重視を教える。経営の基本はそこにあると繰り返し強調する。しかし息子はそれを忘れ、父親の古くさい経営方針に従った。

 歪んだ能力主義は社員のやる気を奪い、法令違反に手を染めることになる。そうして組織は崩壊する。

 本から逸れた。戻すと。

 本書の筋書きは荒っぽい。暴力や狂気の暴走といえばそうなんだろうが、ちょっと首を傾げたくなる部分もある。

  しばしば「恨」ということばが登場する。韓国映画や文学にはしばしば登場する。恨は恨みであるがそれだけではない。悲哀、やり場のない哀しみ、満たされなかった憧れという意味が込められているのだそうだ。

 やり場のない哀しみか。日本人には理解できない。

2023年10月12日 (木)

AIは、ヒトのこころが読めない。

 藤井聡太が八冠を達成した。

 その夜、スマホで棋譜を追いかけていた。しろうとには形勢はわからない。永瀬が入玉の余地を残している分、優位なのかもしれないと思っていた。藤井としては王を追うと同時に入玉を阻止しなければならない。

 ここは5五銀が妥当な手だろうと思っていたら、藤井はその手を指した。わたしが思いつくような手だから好手かどうかはわからない。この段階でAⅠは永瀬の圧倒的優位を示していたということだ。すると永瀬は5三馬と王手をかけた。これが疑問。首を傾げた。AIも形勢逆転と判断したらしい。将棋には「王手は追う手」という格言がある。まさにそれ。王手が相手の王を逃がす手になってしまった。

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しかしそれはAIの判断である。ヒトにはわからない。AIは的確な形勢判断はできるとしても、ヒトの心は読めない。5五銀が永瀬の判断をくるわせる手になった。入玉できないのではないかという焦りが悪手を生んだと言える。

「ほら、ここで間違うと、アンタは詰みだよ。よーく考えて次の手を打ってね」と手をわたされると焦って間違う。わたしはよくそれで負けた。プロもそうなんだ。

 ということで八冠となった。すごいことだが、これを維持するのはこれまた難しい。現在、竜王戦も始まっている。これに負ければ7冠となる。年間、8回もタイトル戦があるわけだから、一年後、どうなっているかはわからない。

2023年10月11日 (水)

「アンダーカレント」

 失踪をテーマにした小説や映画は多い。あの映画もそうだったし、これもそうだと思いつく。今年だと「波紋」がある。

 失踪は、謎解きの要素があるから素材として扱いやすい。その一方で、多用すると安っぽくなる。ほら、難病ものがそうだ。いっときの韓流ドラマがそうだった。

 たまたま山本周五郎の短編集を読んでいた。「雨の山吹」。失踪ものだった。

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「アンダーカレント」を観てきた。監督は今泉力哉

 かなえ(真木よう子)は父親から引き継いだ銭湯を営んでいたが、夫(永山瑛太)が突然失踪してしまう。一時的に休業するが、再開すると、銭湯組合から紹介されたという堀(伊浦新)がやってきて住み込みで働くことになる。堀はスナフキンのようであり、ああ、これはいずれ去っていくかと思うと、そうでもない。かなえとのしがらみがあきらかになる。

 ゆったりしている。近頃の映画には珍しい。かなえと堀を描いた恋愛映画かというとそうでもない。ただゆるく日常が流れる。

 タイトルのアンダーカレントとは、水面とちがって水底では違う流れがある、こころの奥底では表面とはちがった感情が動いているといった意味になる。

 夫の失踪理由はわからない。かなえは探偵を雇う。探偵を演じるのはリリー・フランキー。胡散臭いが、仕事は丁寧である。夫がどうしているか、さらに失踪の理由に近づいていく。

 映画は長い。155分。ちょっとだれる。流れのゆるさもテーマのひとつだろうが、今の時代からするとじれったい。早送りするようにもうすこし短くしたら、もっといい映画になったのではないか。老人(わたし)はせっかちなのだ。

 かなえと堀など長回しの対話のシーンがいくつかある。これらのシーンがいい。印象に残る。

 ちかごろの映画はテンポが早すぎてついていけないと感じている人は多いと思う。そう感じる人にとくにお勧め。

 

2023年10月 9日 (月)

まもなく「しんゆり映画祭」

 三連休の7日と8日、新百合ヶ丘駅周辺ではいくつかのイベントが開催された。マルシェ(ぺディストリアンデッキに多くの店が出る)や麻生区民祭。たいへんなにぎわいだった。

「しんゆり映画祭」もこれに出展した。映画祭のリーフレットを配ったり、チケットを先行販売した。

 アタシは病みあがりだったので手伝いはせず、記録写真を撮る程度にとどめた。歳だしな。

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 映画祭は10月末から11月上旬にアートセンターで開かれる。地味な映画が多いが、掘り起こしの名作もあって、熱狂的なファンが押し掛ける。とりわけゲストトークのある映画は満席になる。

 昨年は、「名付けようのない踊り」には主演の田中泯さんの登壇もあって、トークショー(別会場で実施)にはあふれんばかりの人が集まった。

 ことしも「荒野に希望の火をともす」などにゲストトークを予定している。この映画はさん(アフガニスタンで活動した医師)を描いたドキュメンタリーで、社会学者の大澤真幸さんのゲスト出演が決まっている。その他の作品にも監督などを予定しているが、最終決定していないので予定とか出演交渉中としか言えない。

 地元ゆかりの作品として「陸軍登戸研究所」と「喜劇 駅前団地」を上映する。以前、映画祭でも上映したことがある。リバイバル上映になるので観客は少ないのではないと懸念する声もあったが、そんなことはなかった。前売りでは上位となっている。地元愛にあふれる人が来てくれる。

「喜劇 駅前団地」は60年前ぐらいの作品である。麻生区周辺で撮影された。都市化が進み、すっかり変わってしまっているが、当時と変わっていない場所もある。読売ランド前駅の踏切は昔のまま。その踏切を洗濯屋の坂本九が自転車で渡るのが冒頭のシーンがである。このあたりを知っている人にとってはちょっと感動ものである。

 ということで、ふだん映画を観ない人も楽しめる映画をラインアップしている。ぜひ、お出かけを!

KAWASAKIしんゆり映画祭 | ラインナップ (siff.jp)

2023年10月 7日 (土)

目薬がいっぱい

 硝子体(黄斑変性)の手術をして一週間経った。

 歪みはなくなったわけではないが、かなり減った。視力はわずかに回復した程度。医者が言ったとおりである。だんだんよくなるということだが、むかしのようになることはないだろう。

 予後は感染に気をつけなければならない。抗菌、抗アレルギーの目薬を点けている。これが面倒。朝3種類、昼2種類、夕3種類、寝る前2種類。さらにいつもの緑内障の目薬が加わる。朝2種類。夕3種類。ひとつ点けたら5分以上空けて差さなければならない。

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 それで、間違えることはないか問われる。間違えないようにしているが、思い通りにはいかない。差し忘れる、右目だけでなく左目にも差してしまう(術後の薬は手術をした右目だけでよい)、とくに夕は6種類もさすわけだから、どれかひとつ忘れたり、二度差すこともある。忘れたところでからだに障りがあるわけではないと、そう神経質にはならないようにしている。

 きちんと差すことが脳トレにもなるかといえばそんなことはない。せいぜい認知症のチェックになる程度か。

 たまにではあるが、メガネをしたままで差してしまうことがある。

2023年10月 5日 (木)

「BAD LANDS バッド ランズ」

 バッド ランズ」を観てきた。原作は黒川博行。黒川作品はバディものが多い。男同士で、掛け合い漫才のような会話が愉快である。

 今回の映画は、男同士ではなく、血のつながらない姉と弟という設定に変えている。オレオレ詐欺の受け子のリーダー・ネリ(安藤サクラ)と弟のジョー(山田涼介)のコンビ。

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 その上には元締がいて、詐欺グループは単なる集団ではなく組織として機能している。警察の追及は厳しくなっており、とりわけ金の受け取りは慎重な体勢を整えている。冒頭は捜査側と詐欺グループの側の動きは緊迫感あふれる映像になっている。大阪、西成あたりの猥雑感も見どころである。わたしはそのあたりに行ったことはない。一度、訪れてみたい。

 緊迫感はあるのだが、なにかが足りない。ユーモアだ。せっかく黒川博行の世界なんだから、掛け合い漫才のようなやりとりがほしかった。多くの観客はそれを期待しているはずだ。

 唯一笑えるのは、天童よしみである。ギャンググループの親玉。「舐めたらアカン」というセリフがある。笑える。可笑しいけど、テンポが速いので笑うひまがないのはちょっと残念。

 ストーリーの方は、別の犯罪組織がからんで複雑になる。

 思いがけなく手にした3億円。これを実際に現金化するにはやっかいな手続きが要る。これを説明するのは難しい。ネリは現金を手にして敵から逃げきれるのか。スリリングである。

2023年10月 3日 (火)

遊雀・萬橘二人会

 鶴川落語に行ってきた。今回は、芸歴35年となる三遊亭遊雀と芸歴20年の三遊亭萬橘の二人会。関係ないけど、サザンンは45周年だそうだ。

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 遊雀はいつもにぎやかである。ゆとりも感じさせる。萬橘は今もっとも脂の乗った噺家で、同じ噺家仲間からの評価も高い。落語ファンの評価ではなく、噺家や玄人すじの評価が高いってことが重要なんだ。

 今回配られたパンフレットに二人のトークが載っている。萬橘は林家たけ平と演芸場を作ったんだそうだ。これはすごい。どの程度のものか知らないけれど落語にかける情熱を感じさせる。全力投球、全身噺家への道を突き進んでいるように感じる。

 今回の演目

 遊雀  蛙茶番

 魔橘  二十四孝

 萬橘  ろくろ首

 遊雀  たちきり

 いずれもおなじみの古典噺である。「蛙茶番」は爆笑系の噺。緋縮緬のふんどしをつけて舞台に上がるのだが、そのふんどしをつけ忘れてしまう。これを遊雀はふんだんにくすぐりを入れて演じる。熱演である。ばかばかしいほど可笑しい。

 萬橘の「二十四孝」は改作というか怪作。いつものように工夫を凝らして笑いをとる。

 前半で力を使い果たしたのか、中入り後はややペースダウン。「たちきり」は古典噺のなかでは、もっともしっとりした噺。人情ものというか悲恋もの。笑いはいっさいない。遊雀はこういう噺もできる。笑いの落差がすごい。

 いちばん前の席だったので、術後の目でもしっかり見えた。

 目が悪くなった身には最前列はありがたい。落語は耳だけでなく目で味わう芸である。

2023年10月 1日 (日)

硝子体(黄斑変性)の手術をした

 左目は緑内障で視野が半分欠けている。右目はそれほど欠けはないが、見にくくなった。右目だけでは新聞が読めないことに気づいた。しばらくすると右目だけだと直線がゆがむのを感じるようになった。さらにはっきり黄斑変性を思わせる症状がでてきた。

 眼底検査をすると、こまかな説明は省くが、網膜の黄斑部分を引っ張っている組織がおかしくなっていることが判明した、黄斑変性になるかもしれないので定期的に検査をするようにと言われていた。それがさらに進行したということだ。

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 手術をすることになった。専門的には硝子体手術と言う。

それほど難しい手術ではなさそうだ。ただし手術は急いだ方がよい。手術をしても劇的に改善するわけではない。ややよくなるか、これ以上進行しないようにする程度と考えてもらいたいとドクターは言う。そうなのか。さらに進行すると、手術も面倒になるんだそうだ。

 黄斑変性の眼で見ると、ひとの顔が歪んで見える。片目が異常に大きくなる。口は歪み、鼻の下が異様に長くなる。異形。なにかに似ている。あ、そうか、エゴン・シーレの絵である。酒仲間にその話をしたら誰もエゴン・シーレを知らなかった。教養のないやつらだ。有名な、ピカソほどではないけれど、オーストリアの画家だ。私の目の状態を説明するには都合がいいから、エゴン・シーレの絵画ぐらいチェックしておけと伝えた。

 手術は無事済んだ。術後は感染症に注意しなければならない。手術は日帰りでできるが、経過を確認するためせっせと通院しなければならない。術後は眼帯をしたままだから歩きにくい。洗顔はしばらくできない。やっかいだ。

 ひょいと気づいた。エゴン・シーレは黄斑変性ではなかったか。その片目で見た世界を描いたという仮説はどうだろうか。

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