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2023年12月

2023年12月31日 (日)

ことしの終わりに  イマジン

 パソコンのカスタマズやソフトのインストールに手間取っている。思うようにいかない。暮れは暇なはずなのに・・・と、ぼやいている。

 外出した。ずっとパソコンでは目が疲れる。王禅寺まで出かけた。歩くと小一時間かかるのでバスにした。写真は王禅寺の本堂。映っている枯れ木は柿。日本で最初に見つかった甘柿である禅寺丸柿の原木である。ほんとうに原木かどうかはわからないけれど、ずっとそう言われているからそうなのだろう。

 訪れる人はほとんどいない。年末はそんなものだろう。

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 今年は戦争のニュースが多かった。ロシアのウクライナ侵攻は続き、パレスチナではイスラエルがハマス殲滅に躍起になっている。ガザ侵攻によりパレスチナの死者は2万人を超えた。7割は女性と子供という。

 なんとかならないものか。「イマジン」がむなしく響く。理想はそうなんだろうが、宗教だの民族だのがからむと厄介になる。

ジョン・レノンの「イマジン」は日本語の歌詞がつけにくい。「想像してごらん」 ではメロディに乗りにくい。意訳するしかない。忌野清志郎の訳詞がうまい。

 天国はない ただ空があるだけ

 国境もない ただ地球があるだけ

 みんながそう思えば簡単なことさ

 といった調子。単純明快でよい。後半、こんな歌詞がある。

 誰かを憎んでも 派閥をつくっても

 頭の上だけ ただ空があるだけ

 派閥である。今は、自民党の派閥を思わせる。

 ごちゃごちゃ言いたいこともあるけれど、やめておく。今年もまもなく終わる。

 それでは

 よいお年を! 

 

2023年12月29日 (金)

パソコン 壊れる!  そして「理想郷」

 暮れのお忙しい中うんぬんといった常套用語がある。言っちゃなんだが、わたしは忙しい思いをしたことがない。リタイアしてからもそうだし、現役時代もたいして忙しくもなかった。

 暇だと思っていたら、買ったばかりのパソコンがフリーズしてしまった。再起動をかけても作動しない。マウスも動かない。これで二度目。さっそく店に持ち込んだ。店員さんがあれこれ試してくれたがダメ。結局、修理に出すか新たなパソコンと交換するかとなった。

 修理する場合は時間がかかる。交換だと、カスタマイズして入れておいたファイルなどが消えてしまう。修理の場合でもデータが消える。ならば、交換が妥当か。メーカーの判断に任せると伝えておいたら、交換するとの連絡があった。

 あらたなパソコンとの交換は年始になるかと思っていたら、店舗在庫があるのですぐ交換できるとのことである。で、ふたたび店に出かけた。

 新品との交換になったが、カスタマイズが面倒。インストールしなければならないソフトもある。パスワードを忘れているものもある。

 年末は世間とは違って忙しくない。暇だ。ゆっくりできる。ところが今年は面倒な作業をすることになった。ブログの更新も遅れる。

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 パソコンばかりに集中するわけにはいかない。アートセンターに出かけて「理想郷」を観てきた。

 京国際映画祭でグランプリを受賞している映画だが、その割には観客はいつもより少ない。年末で忙しいのかもしれない。

 フランス人夫婦アンとワーヌとオルガは理想の暮らしを求めてスペインの片田舎に移住した。しかし村人とはうまく折り合えないでいる。村に風力発電の誘致計画が話が持ち上がるが、アントワーヌはこれに反対する。静かな暮らしが欲しい。補償金目当ての村人と対立することになる。とりわけ二人の男(兄弟)がアントワーヌに反対意見を撤回するよう強く迫るが、これを撥ねつける。それ以後、兄弟はアントワーヌの仕事に嫌がらせをするようになり、さらにエスカレートしていく。

 以上は前半。後半はオルガが全面にでる展開となる。既存住民と移住者のありがちの対立を描いているが、それだけではない。もっと深い。夫婦愛にテーマは移っていく。

 これ以上書くとネタバレになるのでやめておく。冒頭に馬を倒すシーンがある。これが伏線でもある。おすすめの映画とだけ記しておく。

 さて、正月はというと、シネコンものは食指が動かない。若向き映画ばかりだ。

 むかしは「寅さん」シリーズのような定番の映画があったけど、今はない。「寅さん」で初笑い、の時代がなつかしい。

 

2023年12月26日 (火)

『仁義なきヤクザ映画史』

 ヤクザものは映画に欠かせなかった。1963年から72年まで、東映は235本の任侠映画を製作したという。隆盛を極めた。この頃がピークであった。

仁義なきヤクザ映画史 1910-2023(渡辺彰彦)を読んだ。映画史というからには時系列に書かれているかというとそうでもない。第一章と二章(全十八章)は最近の「すばらしき世界」「ヤクザと家族」「孤狼の血」といった映画である。ヤクザ映画というイメージから外れるものもある。

 映画は社会世相を反映する。暴対法ができて20年以上経つ。ふつうの市民感覚からすると暴対法の運用はちょっとやりすぎの感があるけれど、暴力団が弱体化していったのは事実である。

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 で、さかのぼると、ヤクザ映画は国定忠治や清水次郎長から始まっている。忠治ものは次第に廃れ、次郎長一家ものが盛んに作られるようになった。忠治に子分はいたものの最後は独りになる。次郎長ものは組という組織であって、大政・小政そして石松など発展性というか強い枝葉がある。映画にしやすかった。

 といっても、はぐれもの(一匹狼もの)が廃れたわけではない。独りがもてはやされる時代もくる。長谷川伸の世界がそれで「沓掛時次郎」などは何度も映画化されることになった。テレビでは「木枯らし紋次郎」が人気を博した。

 ヤクザ映画史を俯瞰すれば、個(弧)と組織の繰り返しである。観客は世相を反映するように、あるいは個人の好みで映画館にかけつけた。休日は、映画を観てからパチンコという行動パターンがあった。これは独身男。女性はどうしてたんだろう。

 実録ものがはやった時期がある。戦後の暴力団を描いたもので、実録を謳うからには暴力団幹部にインタビューしたり折り合いをつけたりする必要がある。そこから癒着や葛藤が生まれる。本書ではそのあたりをしっかり書き込んでいる。さらに、在日とか被差別といった人たちを巻き込んでいった経緯も興味深い。

 書き出すときりがない。在日とか被差別問題も取り上げたいがやめておく。本書には、小林旭、中島貞夫、加賀まりこをはじめ何人ものインタビューが載っている。これがおもしろい。

 それにしてもヤクザ映画は廃れた。暴力団の組長が組織を外れてラーメン屋をやるとか、しのぎはシラスの密漁とか、多くが窮地に追い込まれている。これが現状。これではスカッとしたヤクザ映画は生まれない。

 かつてヤクザ映画専門の映画館があった。新宿昭和館。今は、姿を変え、ミニシアターになっている。健さんはいない。

 ついでのひとこと

 27日と28日、BS12で「日本侠客伝」をやる。主演は健さん。

 

2023年12月24日 (日)

万福寺人参品評会

 今年も万福寺人参品評会が開かれた。今年で24回目になる。

 異常な猛暑のため、うまく育たなかったとか全滅だったという声を聞いていたので、出品は少ないと予想していたのだが、そこそこ集まった。昨年の7割ぐらいか。

 麻生区近辺ではむかしから、ごぼうのように長くて紅いニンジンが栽培されてきた。収穫まで手間がかかるということで栽培する農家が減り、絶滅状態にあった。これではいけないと有志が立ち上がり、専業農家のほか、家庭菜園とか学校の農園を中心に栽培されてきた。年末に品評会を開くことで認知度の向上や栽培の拡充を図ってきた。

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 品評会では、例年のように長く立派なニンジンが出品された。あの暑く長い日照りをしのいできたニンジンである。写真をしっかり見ていただきたい。葉っぱも立派である。

 ということで、いつものように無事終えることができた。

 暑さは大変だったが、いいこともある。麻生区ではナラ枯れが問題となっていたが、ことしはその声を聞かなかった。ナラ枯れを引き起こすキクイムシの活動がなかった(あるいは、にぶかった)ことによるものと思われる。虫も暑さに負けたわけだ。

 このまま死滅すればよいがそうはならない。涼しい場所を求めて北上するものと考えられる。これからは東北が要注意だ。

 

2023年12月22日 (金)

「アリラン・ラプソディ」

 アートセンターで「アリラン・ラプソディ」を観てきた。

 川崎南部にあるコリアンタウン(そう呼んでよいかはわからないけど、多くの在日の人たちが住んでいる)に暮らす在日一世のハルモ二(朝鮮語でおばあさんの意)たちを主人公にしたドキュメンタリーである。 サブタイトルは「海を越えたハルモニたち」。

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 戦時中、日本に連れてこられ働かされる。戦後は帰国するが、思うような暮らしができず、再び日本にやってくる。日本語も十分でない。皿洗いや清掃などの仕事をし、地べたを這うように生きてきた。といった人が多い。北か南かで運命は大きく変わる。差別を感じつつ、懸命に生きてきた。在日二世の金聖雄監督はハルモニたちにインタビューし、彼女らの日常・非日常を撮ってきた。

 ハルモニの楽しみは集会である。たわいもないおしゃべりが楽しい。休日の銭湯が開放され、そこが踊りや歌、習いごとの場になる。戦時中や戦後の苦難を語れば、涙となるが、カタルシスでもある。

 沖縄旅行で沖縄戦の遺跡を巡ったりもする。最後は「せんそうはいやだ」と安保法制に反対のデモ行進する姿を映している。

 川崎ではヘイトスピーチが起きていた。なぜここでヘイトスピーチが起きたのかよくわからない。ヘイト側の主張も私にはわからない。最近では下火になったようだが、今後どうなるのだろうか。

 この映画、上映館は少ない。来年2月は新宿のK'sシネマ上映される。以後、大阪でもかかるということだ。

2023年12月20日 (水)

 ジュニア映画制作ワークショップ

 しんゆり映画祭では、中学生による映画制作を支援してきた。

 夏休みを利用して映画制作(企画、脚本づくり、役割分担、撮影、録音、編集など)を行って30分程度の映画をつくる。映画祭のボランティアスタッフがそれを手伝うという内容である。 

 以前、佐藤忠男さんの著作『映画は子供たちをどう描いてきたか』を当コラムで取り上げたことがある。その中で、佐藤さんはこのジュニア映画制作についてかなりの紙面を割いて紹介している。できあがった映画のレベルの高さを高く評価していた。

 コロナがあり、資金不足もあって一時中断することになった。もう一度ジュニアを! という意見があがり、昨年は短いアニメに取り組んだ。そして、ことし、規模を縮小して劇映画に挑んだ。

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 先だって、その発表会がアートセンターで開かれた。映画制作のメーキングビデオと、中学生がつくった映画2本が上映された。

 上映時間は5分程度。時間も予算も少なかったので、短い映画となったのは致し方ない。でも、これで映画作りの基本は体験できる。

 上映後は彼らの感想。いろいろあったが、とりわけマイク担当の声が切実だった。マイクがカメラに写らないよう高くあげていなければならない。これで腕がしびれた。やってみないとわからない感想である。 

 映画づくりを通じて、チームワークとか役割分担の大切さを学んだのではないかと思われる。写真はメーキングビデオの一部である。

 しんゆり映画祭では、映画を上映するだけでなく、こんな活動もしている。

2023年12月18日 (月)

「正蔵・喬太郎ガチンコ二人会」

 鶴川落語、12月は林家正蔵柳家喬太郎二人会である。今回で11回となる。配られたリーフレットにこれまでの演目が載っている。全部は聴いていないが、もっとも印象に残っているには第2回(9年前)のものである。

 後半、正蔵が「松山鏡」をやった。これをしくじった。鏡を知らない男の噺なのだが、おもわず鏡としゃべってしまった。それに気づいた正蔵(観客も気づいた)は、「えっ、カガミと言っちゃいましたね」とそこからやり直したが、しどろもどろになってオチまで演じた。肩をおとして高座を降りる姿が可愛らしかった。

 つづいて喬太郎は高座にあがった。マクラでこのしくじりをネタにするんじゃないかと思ったら、いきなり「寝床」に入った。店の旦那が下手な義太夫の会を開くのだが、だれも聴きたくないという噺である。みんな欠席の理由を次々とあげていく。ここで、喬太郎は「正蔵はどうした?」と訊く。アドリブである。「正蔵は高座をしくじって楽屋で立ち上がれなくなっています」と欠席の理由を述べる。会場は大爆笑となった。抜群の即興芸だ。感心した。記憶に残るに二人会となった。

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 で、今回の演目。

 正 蔵  鼓ヶ滝

 喬太郎  野ざらし

 喬太郎  えーとここは

 正 蔵  ねずみ

「えーとここは」以外はおなじみの古典噺。喬太郎の「えーとここは」は新作。タイトルは後で知った。会社員の部長と部下が商店街のカフェに入って、ここは元なんだっけというやりとりをする。わからない。オムライスの店じゃなかったと議論になる。ふわとろの卵のオムレツか、しっかりした卵焼きでくるんだオムレツか。言い合いとなる。つづいてこのカフェはそば屋ではなかったかと議論がとぶ。コシのあるソバか立ち食いソバか。ケンカ腰で言い合う。たたわいもない会話、昭和男と平成男の世代間対立をおもしろおかしく演じる。喬太郎独特のイルージョン落語である。笑いはいっぱい。にぎやかな噺であった。

 さて、二人とも60を過ぎた。からだもガタがきている。正座ができない。正蔵はお尻にマクラをかって座る。喬太郎は釈台、あぐらで座る。

 写真は今回のチラシであるが。ずいぶん昔の写真である。正蔵は短髪だから目立たないが、今は年齢相応の顔になっている。喬太郎は髪の毛は真っ白。大ベテランの風貌である。でも、声は若い。

噺家は声が命。その声で長く馬鹿噺を演じてもらいたい。

2023年12月16日 (土)

「市子」

 池袋で会合(飲み会)があった。時間があったので新宿で映画を観た。

寄席という手もあったが、うまく時間があわないので映画にした。テアトル新宿で、杉咲花主演の「市子」。写真はロビーの飾り付けの一部。いい写真だ。

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 市子は男(若葉竜也)と一緒に暮らしている。不満はない。ずっとこのままでいたいと思っていた。男はプロポーズし、婚姻届を取り出す。市子は翌日、家を飛び出し、行方不明となる。なぜいなくなったのか。男は探し始めるが手がかりはない。

 途中、ちょっとモタモタする。眠たくなるが、目が覚めるような事実が明らかにされる。えっと驚く。ネタバレになるからそれは言わないでおいたほうがよい。が、言わないと展開の説明がしづらい。でも、やっぱり言わないでいたほうがよい。それで失踪の理由がわかるし、今後の展開もある程度読めてしまうから。少しだけ言うと、現代の社会問題を浮き彫りにしている。市子は名前を偽っていた。

 男は友人たちのことばを手掛かりとして、市子の過去をさかのぼっていく。そして実の母親にまでたどりつく。

  しかし展開は複雑でよくわからない。理解できないことがいくつもある。こちらがぼんやり観ていたせいなのか、それとも脚本の欠陥なのか。伏線の回収をしっかりしているのだろうが、観客には届いていない。

 ところで、夜の飲み会は料理がよかった。刺身は分厚く、たっぷり。シメの鍋は薄味でよかった。酒は意識的に控えめにした。これもよかった。

 

2023年12月14日 (木)

「ほかげ」

 塚本晋也監督の「ほかげ」をアートセンターで観てきた。「野火」「斬、」に続く監督作品である。

 終戦直後を描いている。焼け残った居酒屋で暮らす女(趣里)のもとに戦争孤児がやってくる。盗みや闇市の手伝いをして生き延びているらしい。女の元で息子のように住み始める。が、諍いがあって家を飛び出す。少年は片腕が不自由な復員兵とともに旅に出かける。

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 名前も状況も最小限の情報しか明かされない。復員兵の名前がアキモトショウジだとのセリフがあるだけで、女も少年の名前もわからない。そういう映画かと思えば、ま、そういうことなのだろうと観客は納得するしかない。

 塚本監督は出演者をアップで撮る。セリフはない。無表情。なにを考えているのかわからない。ときに絶望的であったり、社会に背を向けているようにも見える。

 だから、いろいろな解釈ができる。戦禍。ひとことで言えば、戦争により傷ついた人々の戦後である。大人はともかくとして、子供はそこを乗り越えていかねばならない。監督は、最後に、少年の覚悟、たくましさを描くことで、希望の灯を見ている。少年の目つきが印象に残る。

 ということであるが、戦後の混乱期を描いた映画はいっぱいある。この映画もそのひとつ。従来のものを突き破るようなところがない。類型的というか凡庸に感じられる部分もある。だけど、もう一度繰り返す。少年の目つきがよい。

 ついでのひとこと

 今年を象徴する漢字に「税」が選ばれた。ちょっと意外。増減税の議論があったけど、実施されたわけではない。「」を挙げたい。今年は「旧」が目についた。(旧統一教会)、(旧ツイッター)などとかっこ付きで表現された。ジャニーズ事務所も旧になる。もう少しすれば、旧ビックモーターになるかもしれない。

2023年12月12日 (火)

「松浦の太鼓」 大高源吾

 先月、歌舞伎「マハーバーラタ戦記」を観たことについては記した。あれは歌舞伎座の昼の部であって、夜の部に「松浦の太鼓」が掛かっているのをチラシで知った。

 赤穂浪士ものである。大高源吾が登場する。講談で聴いたことがある。「忠臣蔵」では枝葉のことだろうが、歌舞伎にもなっていることは知らなかった。 

 討ち入りの前日、俳諧師の宝井棋角は両国橋で俳諧の仲間である大高源吾と出会う。源吾は笹売りに身をやつしていた。そこで句を交わす。

 棋角が「年の瀬や水の流れと人の身は」と記すと、源吾は「あした待たるるその宝船」と返す。有名な場面である。

 なんのことだか、分からない。ちょいと解説をすると、討ち入りの前日の13日は大掃除の日である。すす払いをする。笹売りは、翌日からは売り物を変え、新年用の宝船の絵を売ることになる。討ち入りについては口が裂けても言えないから、下句であいまいに返した。

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 ここから歌舞伎と講談は筋書きが違ってくる。歌舞伎バージョンでは、大名の松浦鎮信が登場する。棋角は句会が開かれる松浦邸を訪れる。松浦邸は両国の吉良屋敷の隣にある。松浦の殿様は、仇討ちを期待していたが、いっこうにやらない赤穂の連中にいらだっていた。棋角が、例の句を松浦侯に見せると、その意を察するという物語である。

 講談では、棋角と源吾が再会することにウエイトを置いている。討ち入りの直前、源吾は吉良邸の隣の屋敷を訪れ、いまから騒がしくなるが黙認してもらいたいと話す。その屋敷には其角がいて再び出会うといった展開となる。

 歌舞伎でも落語でも講談でも、義士ものは人気がある。なぜ人気なのか、それは義士ものが別れを描いているからだと神田愛山が語ったという。その話は伯山から聞いた。

 討ち入りをすれば、打ち首になるか切腹である。家族や友人にはもう会えない。討ち入りの前日か当日が別れの日となる。討ち入りについては口が裂けても言えない。ただ会って暇乞いをする。永久の別れとなるが、それは察するしかない。美しく映る。

 義士銘々伝の多くは別れを描いている。

 忠臣蔵は、本筋より枝葉である外伝(それぞれの義士の別れ)のほうが面白い。

 まもなく12月14日である。

2023年12月10日 (日)

「ウォンカとチョコレート工場のはじまり」

「チャーリーとチョコレート工場」というロアルド・ダール原作のヒット映画があった。あれにつながるそれ以前の物語ということだが、ま、それは関係ないというか、別の話と思ってよい。子供向き。大人が観ておもしろいかどうかは個々の判断による。

  ティモシー・シャラメが主役を演じているので観る気になった。「君の名前で僕を呼んで」に出ていたあの美少年である。

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 金がないのにチョコレート店を開こうとするウォンカ(ティモシー)だが、やってきた町はチョコ組合の連中がはだかっていた。夢見ることを禁じられ、店はかずかずの妨害を受ける。それをくり抜けてといったストーリーはありきたり。とはいえ、ファンタジーというかミュージカル仕立てにしているので、楽しく観ることができる。メリー・ポピンズなどを連想させるシーンもある。

 チョコレートの魔法のような味がたっぷり感じられる映画だが、静かに流れているテーマは「夢」。

 すてきなことは夢から始まるといったセリフがある。

 街に出れば、宝くじ売場に行列ができている。年末ジャンボ。億などという金が当たっても使い道がないのでアタシは買わない。買うのは何かを夢見ているのだろう。

 宝くじはビンボー人にあたえた夢、というフレーズが浮かんだ。立川談志の金言に「努力は莫迦に与えた夢」がある。そのもじりである。

2023年12月 8日 (金)

血管年齢

 行きつけのスポーツジムで血管年齢を測定するというイベントをやっていた。

 やってみた。指先をセンサーにあてるだけ。結果は実年齢より6歳若い70歳との判定が出た。測定側のスタッフは、おめでとうございますとの拍手をしてくれた。しかし、それほどめでたいことか、疑わしい。

 70歳はもうかなりの老人である。ちょっと若いとの結果が出ただけのこと。もちろん検査結果が80歳だったらかなり落ち込むことになるが。

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 診断結果シートには、血管の弾力性はとてもよい状態ですと書かれている。浮かれてはいけない。同年の高齢者に比べてややよいというぐらいだろう。繰り返すが、70歳はまちがいなく年寄りである。いつ血管が破れたりヒビが入ってもおかしくない。

 もう一度書く。浮かれてはいけない。

 食生活には気をつけている。野菜は多くとる、抵糖質、酒は少な目・・・。

 黒ニンニクを食べている。妻がつくった黒ニンニク。毎日ひとかけら。これが健康によいかどうかはわからない。市販の黒ニンニクは高い。贅沢品である。高いから効くと半分信じて、口にしている。

2023年12月 6日 (水)

「キャロル・キング ホーム・アゲイン」

 キャロル・キングの50年前のライブを映したドキュメンタリーを観てきた。サブタイトルまで入れると「キャロル・キング ホーム・アゲイン ライブ・イン・セントラルパーク」。長ったらしいけど、内容はわかる。セントラルパークで開かれたフリーコンサートである。

 そのアルバム「タぺストリー/つづれおり」を改めて聴いてからアートセンターに出かけた。若い人は知らないだろうが、このアルバムは大ヒットした。

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彼女の凛とした歌いぶりは耳に残っている。なぜ今になってこの映画が作られたかは知らない。50周年記念ということか。

 作詞・作曲だけのつもりだったが、彼女が吹き込んだデモテープを聴いた音楽制作者がみずから歌うよう勧めたという。伸びやかな声は聴いて心地よい。知らない人はまずはユーチューブで聴いてもらいたい。

 わたしが、いちばん好きな曲は「君の友だち/You've Got A Friend」である。独り落ち込むようなときは目をとじて私のことを思い出して呼んでみて、いつだって駆けつけるよ、といった内容。

 これが法華経のお経「念彼観音力」の意味と同じだと、寺の行事でこの曲を演奏するお寺があると聞いたことがある。 

 仏事でこのお経をしばしば聞く。ネンピーカンノンリキーが繰り返される。印象に残るお経である。観音力を念じれば観音菩薩が現れ救ってくれるといった内容。A Friend が観音菩薩のことだと解釈すれば、なるほどぴったり重なる。

 コンサートの最後で歌うのはこの曲である。

 しみじみ聴く。読経のように。ネンピーカンノンリキー・・・。願いが届くかどうかはともかくとして。

2023年12月 4日 (月)

「ナポレオン」

 イオンシネマで「ナポレオン」を観てきた。この映画、新百合ヶ丘のイオンでは予定に入ってなかったようで、上映チラシはなかった。それが急きょの上映となった。

 これは観ておきたい。監督がリドリー・スコット。主演がホアキン・フェニックス。ジョーカー役で有名になった。

 ナポレオンがフランス軍のトップまで登りつめ、皇帝となる。数々の戦いを繰り広げるが、モスクワでは大敗。エルバ島に流されるが、そこを抜け出し、再び皇帝となる。しかしワーテルローでイギリス・プロイセン連合軍に破れ、退位することになる。セントヘレナ島に幽閉され、数年後、最期を迎える。

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 戦歴をながめれば戦国時代を駆け抜けた脅威の戦人(いくさびと)である。映画では、数々の戦いのうち、よく知られているロシア遠征、アウステルリッツの戦い、ワーテルローの戦いを描いている。といっても上映時間」は短い(半生を3時間に満たない尺に収めるのは難しい。大河ドラマぐらいの長さが要る)が、うまくまとめている。モスクワの炎上。アウステルリッツでは氷上から湖の中に落ちていく人や馬。ワーテルローでは亀甲の構えを思わせる歩兵の陣形。それぞれ戦い方の違いに興味を引かれる。

 戦歴の横串となるのがジョセフィーヌ(ヴァネット・カービー)との関係。ジョセフィーヌとの結婚生活は15年続いたが、子ができないことにより婚姻関係は解消させられる。それでもナポレオンのジョセフィーヌを想う気持ちは変わらない。戦場からもたくさんの恋文を送り続けた。

 非情ないくさびとと愛妻家の二つの顔を描いている。ふつう男のようにも思われるが、戦さとなれば狂暴になる。モスクワ遠征は40万人であったが帰還できたのは6万人にすぎない(この数字は正確かどうかはわからない。たくさんの犠牲者をだしたことにかわりはない)。

 ネタバレになるかもしれないが、映画の最後に、個別の戦いでの犠牲者の数が映し出される。すごい人数だ。ナポレオンの栄誉はこの犠牲者の数の上にある。

 映画を離れる。プーチンはウクライナ侵攻でどれほどの犠牲者をだしているのか、ふとそんなことが浮かんだ。監督の意図もそのあたりにある。

2023年12月 2日 (土)

 憂き世 浮き世

死生観を問う』の続き。

 後半で「浮き世」いついて紙面を割いている。

 現世を浮き世という。憂き世と表現することもある。ことばのなりたちからすると、憂き世の方が早い。国語辞典で確かめてみると、憂き世、つらい、はかない世といった意味で使われた。それが浮き世と表現されるようになった。憂きは後退し、享楽的でふわふわしたニュアンスが強くなる。江戸時代に顕著になるが、もっと前、西行(鎌倉時代)にも浮き世的な表現がある。

 浮き世には憂き世の意味も含まれているから、どうのこうのと区別することもない。

 ニヒリズムと似ている。ニヒリズムは虚無主義と訳されることは多いが、それはちょっと違うと考えてきた。ニヒリズムにはダークサイドとサニーサイドがある。

 ダークは虚無でよいが、明るいニヒリズムもある。現世を俗世として受け入れ、明るくふるまう。ときに享楽的で達観したような部分もある。

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 本書のフォロー範囲はひろい。夏目漱石や長谷川伸にも言及しているが、ここではそれは省いて、わたしなりの想いを記しておく。

死後の救済や永遠の生命といった信仰は別にして、永遠とか、はるかかなたの世界を夢見ることで安らぎを感じるとか、幸せでありますようにと念じることで安らぎを憶える。それが、現代的な死生観ではないか。

  本書では、浮き世を表現するものに「閑吟集」の「一期は夢よ ただ狂へ」を挙げている。その狂った先にある虚しさや哀しみをやわらげるものが要るのだろうと思う。

 

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