「松浦の太鼓」 大高源吾
先月、歌舞伎「マハーバーラタ戦記」を観たことについては記した。あれは歌舞伎座の昼の部であって、夜の部に「松浦の太鼓」が掛かっているのをチラシで知った。
赤穂浪士ものである。大高源吾が登場する。講談で聴いたことがある。「忠臣蔵」では枝葉のことだろうが、歌舞伎にもなっていることは知らなかった。
討ち入りの前日、俳諧師の宝井棋角は両国橋で俳諧の仲間である大高源吾と出会う。源吾は笹売りに身をやつしていた。そこで句を交わす。
棋角が「年の瀬や水の流れと人の身は」と記すと、源吾は「あした待たるるその宝船」と返す。有名な場面である。
なんのことだか、分からない。ちょいと解説をすると、討ち入りの前日の13日は大掃除の日である。すす払いをする。笹売りは、翌日からは売り物を変え、新年用の宝船の絵を売ることになる。討ち入りについては口が裂けても言えないから、下句であいまいに返した。
ここから歌舞伎と講談は筋書きが違ってくる。歌舞伎バージョンでは、大名の松浦鎮信が登場する。棋角は句会が開かれる松浦邸を訪れる。松浦邸は両国の吉良屋敷の隣にある。松浦の殿様は、仇討ちを期待していたが、いっこうにやらない赤穂の連中にいらだっていた。棋角が、例の句を松浦侯に見せると、その意を察するという物語である。
講談では、棋角と源吾が再会することにウエイトを置いている。討ち入りの直前、源吾は吉良邸の隣の屋敷を訪れ、いまから騒がしくなるが黙認してもらいたいと話す。その屋敷には其角がいて再び出会うといった展開となる。
歌舞伎でも落語でも講談でも、義士ものは人気がある。なぜ人気なのか、それは義士ものが別れを描いているからだと神田愛山が語ったという。その話は伯山から聞いた。
討ち入りをすれば、打ち首になるか切腹である。家族や友人にはもう会えない。討ち入りの前日か当日が別れの日となる。討ち入りについては口が裂けても言えない。ただ会って暇乞いをする。永久の別れとなるが、それは察するしかない。美しく映る。
義士銘々伝の多くは別れを描いている。
忠臣蔵は、本筋より枝葉である外伝(それぞれの義士の別れ)のほうが面白い。
まもなく12月14日である。
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