憂き世 浮き世
『死生観を問う』の続き。
後半で「浮き世」いついて紙面を割いている。
現世を浮き世という。憂き世と表現することもある。ことばのなりたちからすると、憂き世の方が早い。国語辞典で確かめてみると、憂き世、つらい、はかない世といった意味で使われた。それが浮き世と表現されるようになった。憂きは後退し、享楽的でふわふわしたニュアンスが強くなる。江戸時代に顕著になるが、もっと前、西行(鎌倉時代)にも浮き世的な表現がある。
浮き世には憂き世の意味も含まれているから、どうのこうのと区別することもない。
ニヒリズムと似ている。ニヒリズムは虚無主義と訳されることは多いが、それはちょっと違うと考えてきた。ニヒリズムにはダークサイドとサニーサイドがある。
ダークは虚無でよいが、明るいニヒリズムもある。現世を俗世として受け入れ、明るくふるまう。ときに享楽的で達観したような部分もある。
本書のフォロー範囲はひろい。夏目漱石や長谷川伸にも言及しているが、ここではそれは省いて、わたしなりの想いを記しておく。
死後の救済や永遠の生命といった信仰は別にして、永遠とか、はるかかなたの世界を夢見ることで安らぎを感じるとか、幸せでありますようにと念じることで安らぎを憶える。それが、現代的な死生観ではないか。
本書では、浮き世を表現するものに「閑吟集」の「一期は夢よ ただ狂へ」を挙げている。その狂った先にある虚しさや哀しみをやわらげるものが要るのだろうと思う。
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