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2024年1月

2024年1月30日 (火)

 数独の作り方

 新聞や雑誌のパズルの多くが「数独」になっている。コーヒーショップでも誰かしらが数独に取り組んでいる。かつてはクロスワードパズルが主流だったが、いまや数独の時代となっている。

 いっとき数独に夢中になったことがある。暇つぶしには格好だ。しばらく続けていたが、止めてしまった。そんな時間があるなら本を読んでいた方がよいと気づいた。

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 でも、パズルとしてはよくできている。すべて数字が埋まった状態の完成図は美しい。タテヨコ1から9までの数字がひとつずつばらばらに並び、九つのボックスも1から9の数字で埋まっている。ビューティフルだ。

 こういう数列があるのが不思議だし、それがいくつもある。いったいどのくらいの組み合わせがあるのだろうか。数学の得意の人ならたちまち計算してしまうのだろうが、アタシにはムリ。コンピュータならただちに正解にたどりつくにちがいない。

 もうひとつ、数独はどうやってつくっているのだろうか。完成図からひとつずつ数字を抜き、確かめながらつくっているはずだが、それではかなり時間がかかってしまう。制作元の「ニコリ」は、コンピュータを駆使して短時間で作っているのだと推測する。

 ネットで調べてみると「数独の作り方」が載っている。なるほど論理的な作り方をしているんだとわかる。

 完成図に戻ると、数列を入れ替えても完成形ができる。たとえばヨコ1列目と2列目を逆にしても完成図は崩れない。3列目と入れ替えても同じである。

 なるほどと感心する。利用者、夢中で解いている人は、作り手のことを考える暇はない。解けないといらだつ程度で、作り手のことを考えることはない。

 ずっと前、クロスワードパズルに夢中になったことがある。しかも英語のクロスワードだ。初級レベルのものだが、日本語のものよりおもしろかった。それによって、ボキャブラリーが増えるかと言えば、そんなことはなかった。脳トレにもならない。ま、暇つぶしだった。

 

2024年1月28日 (日)

『鬼の筆』

 日本を代表する映画脚本家と言えば、橋本忍と笠原和夫の二人を挙げたい。人によって好みはあろうが、五人を挙げろといえば二人は間違いなく入る。

『鬼の筆』はその橋本忍の評伝(春日太一がインタビューをまとめたもの)である。サブタイトルは「戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折」となっている。

「羅生門」「生きる」「七人の侍」と並べただけで、すごい脚本家なんだとわかる。

 橋本忍には『複眼の映像』という自叙伝がある。これを読んだのは20年近く前のことだ。おもしろかった。主要なところは何度も読み返した。

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 黒澤明監督の三作品は、小國英雄、黒澤明、橋本忍で書いている。それぞれの役割があった。黒澤と橋本がまず書く。小國はじっとしているだけ。できあがった原稿を小國が読み、疑問点をあげたり、いくつか指摘する。小國がダメ出しをすればただちに原稿を破り捨て、黒澤と橋本が書き直す。そんな関係だった。

 のちに、三人にだれがどこまで書いたかを問うと、それぞれ違う答えが返ってくる。記憶にズレがある。真相はわからない。「羅生門」の原作である芥川の「藪の中」と重なる。藪の中なのだ。このあたりは興味をそそる。 

 橋本忍はのちにプロダクションをつくる。「砂の器」「八甲田山」などを製作する。

 橋本作品で印象に残るのは回想シーンである。この回想がうまい。「生きる」では最初の方に通夜のシーンがある。ここで主人公の人となりや行動を明らかにしている。映画の全体像がわかってしまうのだが、観客を引きつけるうまい方法である。著者(春日)は回想シーンを入れることで、観る人を説得してしまう橋本の豪腕さを評価している。

砂の器」では、音楽会と父と子の旅と捜査会議を重ねて映し出す場面がある。主題歌「宿命」が流れる。コンサート、刑事たちの動き、父と子のシーンを重ねて映像にしている。ここが感動的なのだ。日本映画の中でもとりわけ傑出したシーンといえる。この部分を競輪のラスト一周、まくりだと、競輪狂でもある橋本は語っている。競輪ファンならよくわかる。

このシーンは「仁義なき戦い 頂上作戦」のラストに匹敵する。印象に残る。

 挫折についてもふれておかねばならない。「幻の湖」がずっこけたことだ。三時間の大作だが、内容がよくわからない。平坦で退屈。歴史的な不入りとなった。大いなる挫折であった。しかし、その後も、脚本を映画化している。

と、ここまで、書いたところで次の予定を思い出した。書き足したいことがあるが、やめておく。

 ついでのひとこと

 紙切りの林家正楽さんが亡くなった。紙切りといえばこの人だった。76歳。アタシよりずっと上かと思っていたら同い歳だった。

 正楽の名跡を継ぐのは林家二楽だろう。そんなに先ではない。

2024年1月26日 (金)

「ゴールデンカムイ」

 日本海側は大雪になった。関東南部は雪は降っていないけどひどく寒い。重ね着をし、カイロをポケットに入れて外出している。

 そんな折り、給湯設備がおかしくなった、床暖房が効かない。風呂も沸かせない。クゾッ! と叫びたいけど、震災に遭った人を思えばそれほどのことではない。

 北海道はどうか、などと思いながら「ゴールデンカムイ」を観てきた。原作はコミックということだが、もちろん読んではいない。アイヌを扱っているとのことで観ることにした。

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 二百三高地の激戦の場面から始まる。杉元(山崎賢人)は超人的活躍をして「不死身の杉元」と呼ばれるようになる。除隊後、杉元は北海道に渡って砂金採りをする。そこでアイヌから奪ったという金塊の話を聞く。強奪した犯人は網走刑務所にいて、隠した金塊の在処がわかる暗号を囚人たちの背中に彫って彼らを脱獄させたという。秋元はさっそく金塊探しを始める。途中でアイヌの少女アシリバ(山田杏奈)と出会い、一緒に脱獄犯が結集するという小樽に向かう。といったストーリー。

 金塊をねらう陸軍の中尉(玉木宏)が登場する。金塊を軍資金にして軍事政権樹立をたくらんでいる。これにからむのが土方歳三など箱館戦争を戦った連中。コミックだから荒唐無稽なのは承知、別に驚くほどのことではない。奇っ怪なのは杉元の敵役となる中尉である。頭蓋骨から脳汁が涙のように流れる異形で、杉元の前に立ちふさがる。

 アイヌの生活も背景に描かれる。カワウソ料理が出てくる。リスも食べる。逆に、アシリバは味噌をウンコだと嫌う。

 原作はさらに続いているとのこと。映画もシリーズ化されると思われるがわからない。ここまででも娯楽作として十分楽しめる。

 で、給湯器であるが、メンテナンス会社の人に来てもらった。面倒な個所の修理だったようだが、無事もとに戻った。今夜は安心して眠れる。

 

2024年1月24日 (水)

シネマ歌舞伎「唐茄子屋」

 銀座で飲み会があった。それまでに時間がある。銀座なら東劇に近い。シネマ歌舞伎を観ることにした。演目は「唐茄子屋」。落語ではおなじみの人情噺である。宮藤官九郎が脚色している。演出も。

 クドカンだからちょっと悲しい人情劇も滑稽な舞台となる。「不思議国之若旦那」というサブタイトルがついているようにファンタジーでもある。出演は、中村勘九郎七之助獅童など。荒川良々も出ている。

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 放蕩の末の勘当。吾妻橋から身投げをしようとする若旦那の徳。これを助けた叔父から唐茄子(カボチャ)の棒手振りをやるよう命じられる。荷売りなどできない若旦那だが、なんとか助けられ、かぼちゃ二つ残して売れる。とある貧乏長屋で弁当を広げるのだが、腹をへらした子供に弁当を与え、さらに母親に売り上げの金を渡してしまう。それを見つけた大家が溜めた家賃の代金だと財布を取り上げてしまう。悲嘆した母親は首をくくるのだが・・・。落語だと悲惨なストーリーとなるパターンもある(たとえば談志は人情と悲劇をミックスさせている)のだが、ここはクドカン、ユーモアあふれる喜劇仕立ての結末にしている。最後は、これまたおなじみの「大工調べ」に展開を変えている。

 「大工調べ」では早口でまくし立てるシーンがある。聴きどころである。ここをデュエットでやる。落語通には嬉しい筋立て。わかりやすい歌舞伎となっている。

 それにしても自由奔放である。どこまでが脚本どおりか、それともアドリブなのかわからない。亡くなった勘三郎はアドリブをふんだんに入れていたが、勘九郎や獅童もおなじようにアドリブ全開。客席とのやりとりも笑える。

 落語では「待ってました!」というかけ声が入ることがある。今回の舞台、「それほど、待たしてねえよ」と返すシーンがある。笑える。

2024年1月22日 (月)

どんど焼き 象潟

 川崎市麻生区では、17ヶ所でどんど焼きが行われた。地域情報紙に、実施場所と日時の一覧が載っていたから17ヶ所と分かった。この数、一地域では多いのではないか。

麻生区は平均寿命が男女とも日本一になった。どんど焼きと関連があるかどうかわからないが、どんど焼きができる場所があるってことと多少関連があるのかもしれない。これだけやると、消防団も忙しい。

 写真は、岡上の和光大学前の田圃でのもの。タイミングがよければ小田急線の電車からも見える。

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 話はかわって、能登の大地震。海岸線が4メートルほど隆起した個所がある。堤防が浮き上がっている。すごいエネルギーで盛り上がったことがわかる。

 隆起で思い出すのは秋田の象潟である。象潟は芭蕉の「奥の細道」に登場する。「象潟や雨に西施がねぶの花」と芭蕉は詠んだ。当時は、入り江にいくつもの小島が浮かぶ松島のような景勝地だった。後の大地震で2メートルほど隆起し、さらに土砂が流れ込んで現在の姿となった。

 何年か前、ここを訪れたことがある。芭蕉時代の面影はない。かつて入り江だったところは原っぱとなり。小島だったところは小高くなっているだけ。風光明媚とはいかない。

 船着き場だったところはそのまま残されており、芭蕉の句碑が建っている。

 能登の港はどうなるか。元に戻すことはできない。隆起した後の現在の地形で船着き場や堤防をつくるしかない。早い復旧と大きな余震がないことを祈るだけだ。

 

2024年1月20日 (土)

 文珍独演会

 桂文珍の独演会に行ってきた。二年ぶり。昨年はチケットを買っていたのだが、それを忘れて桂雀々のチケットを買ってしまった。どちらに行くか。妻に事情を話すと、文珍を聴きたいと言う。で、妻に文珍をやり、わたしは雀々を聴くことになった。その夜、妻に感想を訊くと、すごくおもしろかったとのこと。ふーん、やっぱりそうか。

 で、二年ぶりとなった。

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  今回の演目

 老婆の休日

 落語記念日

 星野屋

老婆の休日」は文珍お馴染みの噺。得意ネタである。初演から45年になるという。なんど聴いてもおもしろい。

  ギャグの一つを紹介しておくと・・・、 ある老婆。からだのどこを押しても痛い。肩を押しても腹を押しても痛い。ひとの肩を押しても痛い。この歳になり、ひとの痛みがわかるようになった。もうダメかと、病院に行くと、指の骨が折れているとの診断だった。

落語記念日」は新作。昨年の12月につくったばかりという。未来の話である。VRなどAIの技術が進んで落語が絶滅してしまった。落語を知らない世代に、扇子や手ぬぐいの使い方を説明するのだが、トンチンカンな展開となってしまう。これも笑わせるが、まだ発展途上にあるストーリーだとも言える。

星野屋」は古典噺。旦那がお妾さんに別れ話を持ち出す。これが心中しようということになるのだが、そこは海千山千の二人。ばかし合いとなる。

 いつ聴いても文珍はおもしろい。笑わせるツボを心得ている。それだけではない。サービス精神にあふれているというか、観客を大切にしている。さすが、大看板である。

 

2024年1月18日 (木)

「TILL ティル」

 アートセンターで「TILL」を観てきた。黒人差別を扱った映画。ナチスを扱った映画もそうだが、たくさんあると類型的になりやすいテーマとも言える。

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 1955年、ミシシッピ州マネーで起きた「エメット・ティル殺害事件」は有名らしいが、わたしは知らなかった。

 シカゴに住む14歳のエメット(愛称ボボ)はミシシッピ州の叔父の所にひとりで遊びにいくことになる。母親のメイミーは、人種差別の激しいところだから十分注意するよう言い聞かせて送り出す。

 エメットは食料品店で白人店員に口笛を吹いた。軽い気持ちであったが、これを知った白人の男二人はエメットを拉致し、暴行を加え殺してしまう。そして遺体を川に投げ捨てる。

 メイシーは嘆き悲しむが、敢然として事件に立ち向かう。葬儀で棺を開いて暴行された遺体をさらし、事件のむごさを世間に訴える。

 以上が前半。後半は捕まった二人の容疑者の裁判となる。犯行は明白のように思われたが、弁護人は、遺体がエメットかどうか疑わしい、女店員にニセの証言までさせて反証して裁判をコントロールしようとする。

 裁判結果はここでは書かない。

 メイシーを演じるダニエル・デッドワイラーの演技がすばらしい。子を思う気持ちが痛いように伝わってくる。

 黒人差別に地域差があったことは頭では知っていたが、あらためてこれほどかと知らされた。

2024年1月16日 (火)

寒さの中「八起寄席」

 昨夜は「八起寄席」に行ってきた。相模大野のグリーンホール。駅からは10分ほど歩く。風が冷たく寒かった。

 新春の八起寄席は、四派(落語協会、芸術協会、立川流、円楽一門)の幹事勢揃いとなる。

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 今回の演目

 談修  堀の内

 文菊  錦の袈裟 

 兼好  権助芝居

 鯉橋  転宅

 談修の「堀の内」が短めだったので時間がある。時間調整で文菊は長めの噺になった。ぶつぶつ言いながら。「錦の袈裟」は長い噺ではないけれど、たっぷり丁寧に演じたと言うべきか。いつもより声の調子がよい。声は会場に響きわたった。テンポがいいし、どなり声も心地よい。

 兼好もいつもように明るい。落語に登場する権助の職業は決まっている。飯炊きである。急きょ田舎芝居に出ることになるという噺で、当然、ドタバタ劇になる。

 今回のトリは鯉橋。「転宅」は間抜けな泥棒の噺である。最後に形態模写を演じた。羽織をひっくり返して着る。座布団を抱えれば、たちまち大黒様や恵比寿様。それらしくなる。片手を挙げ、指先に扇子を持てば鶴になる。なるほど、うまいものだ。

 ことしも落語がつづく。被災地は大変だろうが、笑いも要る。笑えるうちが花。今週末も大看板の独演会を予定している。

 と書いて、ブログを更新しようとしたら、夕方6時まではメンテナンスで更新できないという。

 ふーん、そうか。ま、大したことを書くわけではない。イライラもしない。今日も冷えるし、風がつよい。

 

2024年1月14日 (日)

ザ・ニュースペーパー

 きのう、雪がちらつく中、「ザ・ニュースペーパー」のライブに行ってきた。町田市民ホールは満席だった。

 人気のコント集団だが、知らない人が多い。テレビに出ないから知名度は低い。積極的にテレビに出ないわけではない。炎上を避けたいテレビ局側が敬遠しているからだ。それほどキツい風刺をしているわけではないんだけどね。

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 登場時間が長いのは現総理。岸田さんである。扮装があまり似ていないのは特徴がないからか。菅さんや頭に白い輪っかをのせた安倍さんはけっこう似ている。今回は、小泉さんは登場しなかった。定番の「ある高貴な家族」は、当然のことながらアップデートシされていた。

 トランプさんやバイデンさんも登場する。トランプはでたらめな話をし、バイデンはやたら転倒する。

 と、ここまで書いて、ザ・ニュースペーパーを見たことがない人には何のことやらわからない(チラシを見ればおよそのことは想像できる)。わからなくてよい。ただの社会風刺のコントである。たわいもないギャグであり、ネタはたちまち古くなっていく。

 会場を見渡すと年寄りが多い。落語会と同じ。土曜日の午後なんだから、もう少し若い人が来ていると思ったのに・・・。

 ザ・ニュースペーパーが結成されて35年になるという。私が初めてザ・ニュースペーパーを見たのは結成間もないころになる。そうか、あのころ私は若かったなどと、凡庸な想いが浮かんでくる。

 ザ・ニュースペーパーが昔と変わらないかというと、そうでもない。風刺の棘が丸くなった。もっと毒を含んだほうがよいように思うが、さて、常連の皆さんはどうお思いだろうか。

 毒が総身に回り、麻痺しちゃってるのかもしれない。こちらだけではなく、批判されるキックバック政治家のほうにもね。

2024年1月12日 (金)

「コンクリート・ユートピア」

 韓国映画「コンクリート・ユートピア」をイオンシネマで観てきた。上映予定はなかった。それが急遽上映することになった。理由は、アカデミー賞候補だからか。

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 地殻変動により大地震に見回れたソウル。倒壊を免れた高層マンションには家をなくした人が押し寄せてくる。それをかくまう住民もいるが、不法占拠だと嫌う住民もいる。自治組織は既存住民以外の居住を認めるかどうかの選挙を行う。結果は追い出すことになる。自治組織のリーダーに選ばれたヨンタク(イ・ビョンホン)は先頭にたって活動し、追い出しに成功する。以後も食料調達や治安維持につとめる。

 といったストーリー。政府や警察がどのような動きをしているのかわからないのでリアリティに欠ける部分もある。反面、行政の無能さやソウルの住宅事情を皮肉っているようにも思わせる。

 二度「埴生の宿」が静かに流れる。あばら屋だけども我が家にまさる家はない、といった歌詞。このマンションがどのようになろうとも我が家だとほのめかしている。埴生の意味を知らないとただのBGMになってしまうが・・・。

  瓦礫は、能登の震災を思わせる。ガザのようでもある。さらに自警団は関東大震災の朝鮮人虐殺事件にまで連想は広がる。

 

2024年1月10日 (水)

初春の「生田寄席」は馬石

 今年最初の落語は生田寄席。隅田川馬石の独演会である。生田寄席は今回で50回になるという。長く続いている。

 寒い日だったが、暖房をいつもより効かせているせいか快適だった。

 開口一番は地元在住の噺家、柳亭市若が務めた。

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 今回の演目

 市若  まんじゅう怖い

 馬石  あわび熨斗

 馬石  井戸の茶碗

 いずれもおなじみの古典噺だが、市若はオチを変えていた。自分の体型(去年よりさらに太った。歌武蔵より体重があるのではないか)を気にしたオチだった。

 馬石は、以前聴いたときと比べさらにパワーアップたような気がした。「あわび熨斗」はにぎやかだった。これほどにぎやかな「あわび熨斗」を聴いたことがない。「井戸の茶碗」も大きな声を張り上げて賑やかに演じた。力が入っていた。熱演。さぞや疲れたことだろう。

 ところで、この噺に出てくる井戸茶碗をご存じだろうか。朝鮮、李朝時代の陶器の名品。落語は知っていても実物をご覧になった方はほとんどいないのではないか。私は、実物を見たことがある。上野の東京国立博物館で見た。国宝の展示会があるというのでわざわざ出掛けた。もともと織田有楽斉が所有していたもので、どんぶり鉢のような大きな茶碗だった。どことなく萩焼きに似ていた。ふーん。よくはわからないけど、落語通の連中には自慢できる。写真も撮っておいたがどこかにいってしまった。

 結構な寄席だったが、市若の太りぐあいが気になった。

2024年1月 8日 (月)

七草粥 そして成人の日

 2024年が明けて、能登地方の大地震、羽田の事故。テレビを眺めるうちにたちまち一週間が過ぎてしまった。

  被災地ではインフラはいまだ回復していない。さぞや難儀な暮らしになっているかと思うが、こちらはなにもできない。物資が早く届き、とりあえずの生活ができることを祈るばかりだ。

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 昨日は七草だった。区役所の広場では毎年七草粥がふるまわれる。多くの人が集まる。私は別件もあって出掛けたが、並んでまでして食べる気はない。あれはさしてうまくない。飽食の時代で、舌が肥えてしまっている。むかしなら喜んで食べた。

写真を撮っただけ。七草も展示されている。家に帰って松飾りを降ろした。

 それにしても月日の経つのは早い。こちらはスローな暮らしなっているのに月日は勝手にすばやく過ぎていく。もう成人の日だ。むかしは15日だったのに・・・。

 例年、新成人(18歳でも20歳でもどちらでもよい)が騒ぐようになっている。派手な衣装のパフォーマンスが繰り広げられる。わるいことではない。

 世間様に迷惑をかけない程度に、騒げ! 踊れ!

 

2024年1月 6日 (土)

『悪逆』

 目が悪くなり、本を読むペースが落ちた。長時間の読書も目が疲れる。以前より時間はかけられない。長編小説は読むのをよそうと思うのだが、ついつい手を出してしまう。

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 黒川博行の『悪逆』は550ページを越す。ちょっと前なら1日100ページペースで読んだが、今はダメ。それでも10日ちょっとで読み終えることができるが、そうもいかない。外出などで読めない日もある。年末年始をまたいでようやく読み終えた。

 黒川作品は面白い。バディものが多い。今回は二人の刑事が主人公だが、犯人の動向も織り込んでいる。

 車のナンバーを巧妙に書き換えるところから始まる。犯人は周到に準備し、金持ち宅に侵入する。あらっぽい手段で金の延べ棒の在処を聞き出し、被害者を射殺する。現場に証拠品は残さず、防犯カメラのカードもたたき壊す。拳銃や衣類も見つからぬように捨てる。証拠品はない。

 この犯人をふたりの刑事が追う。手がかりがない。あらたに似たような事件が起きる。被害者に共通するのはまともに稼いだ金ではない。サラ金で不当に稼いだ金、マルチ商法、新興宗教。表に出せない現金や金の延べ棒を秘匿している。これを狙った犯行だった。

 盗ったのはインゴットのない金塊。 換金しなければならない。警察は、そこから犯人像を絞り込んでいく。偽ナンバーもNシステムによる解析から車を特定する。この追及プロセスがおもしろい。最新の捜査技術や紹介され、手抜かりはない。

 二人の刑事の会話は、黒川作品にしてはユーモアは抑え気味。そうしたわけはあるだろうが、ファンとしてはもっとハチャメチャであってもよいと思う。

 この手のものでは、犯人が逃げ切るのを期待することもある。本書もそうだ。

映画なら、逮捕寸前、あるいは逃亡寸前でエンドマークがでるものもある。映画「太陽がいっぱい」のラストのような・・・。と書いてはみたものの、若い人は「太陽がいっぱい」を知らない。

2024年1月 4日 (木)

「枯れ葉」ことし最初の映画

 新年早々、能登で大きな地震が起きた。震度7。大津波警報も出された。死者は少ないかと思っていたら、だんだん増えていく。停電が続き、道路も寸断されている。大変なこっちゃ。

 続く2日は、羽田で日航機と海保機が衝突した。日航機の乗客で死者はでなかったが、海保機では乗員5人が亡くなった。

 年末は、崩れたクリスマスケーキが配達されたと大きく報道されていたが、なんとも眠たい緩い記事だった。それに比べて今年は大災害で始まった。

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 今年最初の映画は、カウリスマキ監督の「枯れ葉」。アートセンターで観てきた。満席だった。

 男女の物語である。ふたりはカラオケバーで出会うが、名前も交わさないまま別れる。アンサはスーパーマーケットで働いていたが、賞味期限切れの食品を持ち帰ろうとしてクビになる。人も賞味期限切れの食品とおなじように捨てるのかと嫌味を言うが事態は変わらない。ホラッパは工事現場で働いているが、いつも酒が手放せない。それが見つかり、こちらも職を失う。ふたりは再び出会い、映画を観たりするが、相手の電話番号を書いた紙をなくして連絡がとれなくなる。すれ違いの関係となる。

 といった場面を緩いユーモアでスケッチのように描いている。カウリスマキ風である。

 ラジオから流れてくるのはロシアのウクライナ侵攻のニュース。今を描いているのだが、それがないと、古い60年代(日本なら昭和)のような雰囲気が漂っている。舞台となるヘルシンキは現在でもこんな感じなのか。

 冒頭、よく知っている曲が流れる。「枯れ葉」ではない。「竹田の子守歌」。この歌、フィンランドでも知られているのか。「枯れ葉」はエンドロールで流れる。シャンソン風ではなく、明るく歌っている。

 クスリと笑えるシーンがいくつもある。軽い。この軽さがいい。深刻であっても深刻さを感じさせない温もりがある。

2024年1月 2日 (火)

初詣は十二神社

 あけましておめでとうございます

 元旦、初詣に出掛けた。例年通り十二神社。この地域の守り神である。午前中だったので人出は少ない。

 鈴緒は柱に縛られ、鳴らすことはできない。新型コロナも5類になったのだから元に戻してもよいと思うのだが、そうはしていない。おみくじも同じ。ことしも売っていない。ちょっと寂しい。おみくじぐらいいいじゃないか。十二神社は、まだ5類以前の(なんだっけ? 2類だっけ)の空間となっている。

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 年末年始のテレビは特番が多い。テレビ東京は「孤独のグルメ」をずっと流している。中年男が町の食堂に行き、食べるだけの緩い番組。わるくはないけれどずっと見続けるような番組ではない。

NHKは年末に「ドキュメント72時間」のスペシャル番組をやっていた。この番組は気に入っている。三日間カメラを回す。集合住宅の集会場とか冬のコンビニエンスストアとか。そこに集まる人にインタビューする。市井の表情を映し出す。ビデオに撮っておいた。

 これか落語番組を観ようと家に帰ってテレビをつけると、能登半島で地震が起きたと報じている。大津波警報が出されている。こりゃ大変だ!

 春から大地震か。鎮まれ! と祈るしかない。

  おみくじを引かなかったが、世は大吉ではなさそうだ。

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