数独の作り方
新聞や雑誌のパズルの多くが「数独」になっている。コーヒーショップでも誰かしらが数独に取り組んでいる。かつてはクロスワードパズルが主流だったが、いまや数独の時代となっている。
いっとき数独に夢中になったことがある。暇つぶしには格好だ。しばらく続けていたが、止めてしまった。そんな時間があるなら本を読んでいた方がよいと気づいた。
でも、パズルとしてはよくできている。すべて数字が埋まった状態の完成図は美しい。タテヨコ1から9までの数字がひとつずつばらばらに並び、九つのボックスも1から9の数字で埋まっている。ビューティフルだ。
こういう数列があるのが不思議だし、それがいくつもある。いったいどのくらいの組み合わせがあるのだろうか。数学の得意の人ならたちまち計算してしまうのだろうが、アタシにはムリ。コンピュータならただちに正解にたどりつくにちがいない。
もうひとつ、数独はどうやってつくっているのだろうか。完成図からひとつずつ数字を抜き、確かめながらつくっているはずだが、それではかなり時間がかかってしまう。制作元の「ニコリ」は、コンピュータを駆使して短時間で作っているのだと推測する。
ネットで調べてみると「数独の作り方」が載っている。なるほど論理的な作り方をしているんだとわかる。
完成図に戻ると、数列を入れ替えても完成形ができる。たとえばヨコ1列目と2列目を逆にしても完成図は崩れない。3列目と入れ替えても同じである。
なるほどと感心する。利用者、夢中で解いている人は、作り手のことを考える暇はない。解けないといらだつ程度で、作り手のことを考えることはない。
ずっと前、クロスワードパズルに夢中になったことがある。しかも英語のクロスワードだ。初級レベルのものだが、日本語のものよりおもしろかった。それによって、ボキャブラリーが増えるかと言えば、そんなことはなかった。脳トレにもならない。ま、暇つぶしだった。
« 『鬼の筆』 | トップページ | 「哀れなるものたち」 »
「世事・世の中」カテゴリの記事
- 黒ニンニク(2024.08.25)
- 猫が小戯れて(2024.08.24)
- 新札を手にしてません。(2024.08.22)
- 臨死体験 もういいかい(2024.08.16)
- ナラ枯れ 北上(2024.08.12)
コメント