「鮟鱇男」
冬は鍋である。我が家ではキムチ鍋が多かったが、今年は何度かアンコウ鍋になった。こっちの方がうまい。
アンコウは肝である。肝がキモ。以前はそのまま鍋に入れていたが、肝を摺ってスープに溶かし込ませるようにした。スープが俄然うまくなる。調理するのは妻であって、わたしはいっさい手出しをしない。妻がその方がうまくなるとの情報を聞きつけてきたからである。わたしがエラソーに言うことではない。
宇野鴻一郎に「鮟鱇男と月」という短編がある。新潮文庫の『アルマジロの手』のなかにある。宇野鴻一郎と言えばポルノ小説家となっているが、その手の小説を書く前は、民俗的というか伝奇的な小説を書いていた。本書もそのひとつ。後年のエロスにつながるような短編集である。
主人公は早食いで大食漢である男。色黒の顔に異様に大きい口がついている。まさに鮟鱇である。その男が女子社員と関係をもつ。女と楽しんでいたが、やがて次第に絡みとられていく。会社の金は女に持ち出されているようだが、とりたててことあげはしない。アンコウはほとんど棄てるところがない。顎と背中の骨を残してほとんど食べ尽くされる。同じようにこの男も女にしゃぶり尽くされていく。男はそれを不幸だとも不運だとも思わない。
堕ちていくのも快感なのだ。マゾヒズム。頽廃が至福なのだ。
ということはともかくとして、アンコウの身を食い、骨をしゃぶる。そして肝を溶かし込んだスープも雑炊にして食べる。冬はアンコウがよい。
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