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2024年3月

2024年3月30日 (土)

少子多老社会

 年間出生数が80万人を割り込んだ。

 戦後ベビーブームといわれた時代の出生数は250万人を上回っていた。後の団塊の世代である。それと比べると、3分の1にも充たない。官民あげて少子化対策を施しているが、効果は上がっていない。

 生産者年齢人口(15歳から64歳まで)は1995年をピークに減り続けている。実際の労働者数とは異なるけれど、働く、あるいは働ける人の数が減っているのは間違いない。総人口比では70%ぐらいだったものが、正確な数値ではないけれど60%を割り込んでいる。

 人手不足が深刻な社会問題となっているが、人口減、とりわけ生産者人口の減少が要因の一つである。

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 ちょっと話は跳ぶ。失われた10年とか20年とか30年とか言われてきたが、日本が停滞し、GDPも上がらなかった要因がここにある。生きのいい若者がいなけりゃ旺盛な消費活動は生まれない。政府や役所はこの見極めができなかった。頓珍漢な施策を展開したが、経済は低迷するばかりだった。アベノミクスがその代表だが、ここではアベノミクス批判には触れない。ばかばかしい施策(大した経済政策でもない)にしがみついていた連中がいたってことだけ記しておきたい。

 なにをすべきだったか。インフレターゲットなどではなく。金持ち高齢者にいかに金を使ってもらうかに知恵をしぼるべきだった。

 コロナ禍があったからもあるが、高齢者の消費活動は減じた。いまからでも遅くない。金持ち高齢者に、相続税を払うのは馬鹿らしい、生きているうちにパーッとつかってもらう、子や孫に美田を残すな、そういう策を国は積極的に展開すべきだ。

 まとまった資金をだせば、死ぬまで面倒を見ましょうという安心・福祉政策を打ち出したらどうだろうか(低所得層にはそれなりの策をとるのは当然として)

 団塊の世代の一人として、まだ、言いたいことはあるが、きょうはここまでにとどめておく。

2024年3月28日 (木)

『ユーカラおとめ』

 せんだって、朗読の歌の会「いのちかけて」について書いた(3/12参照)。三人の女性のうち、知里幸恵についての伝記小説『ユーカラおとめ』を読んだ。アイヌの彼女はアイヌの口承文芸である「ユーカラ」を日本語に翻訳した。「アイヌ神謡集」として出版された。その短い生涯を描いたものだ。

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 アイヌ語の研究で知られる金田一京助の手助けをするため上京し、京助の自宅に住むことになる。京助は研究熱心だが、人付き合いの機微には疎いところがある。アイヌ文化を尊重する一方で、平気で、差別表現である「土人」ということばを使ったりする。無神経である。京助の妻・静子は神経質で気分にむらがある。夫婦仲はよいとは言えない。

「ユーカラ」をローマ字で書きとめ、日本語に翻訳するのが幸恵の務めである。京助によく仕え、京助も彼女の能力を高く評価した。

 幸恵は心臓の病があったが、その命を削るようにその作業に集中した。アイヌの言葉や文化が和人(日本人)によって滅ぼされてならないというのが天命だと感じていたから全力を尽くしたといえる。

 中條百合子という時代の先端を行く女性がしばしば金田一宅を訪れる。のちの宮本百合子である。百合子は幸恵の立場を理解しつつも、上から目線というか、アイヌを低く見ているようなところがあった。幸恵は反撥する気持ちはあったが、強く抵抗はできなかった。

 本書では書かれていないが、19歳で命を落とすことになる。

 このごろ、アイヌをめぐっての文化伝承のイベントや出版物を目にするようになった。映画「ゴールデンカムイ」もその一つ。原作はコミック。コミックを読んだ人からすると中途半端な終わり方で、物足りない映画だったようだが、原作を読んでない私はそこそこ楽しめた。続編を期待している。

 もうひとつ。東京新聞(夕刊)に連載中の「札幌誕生」は、ちょうどアイヌを描いている場面である。

2024年3月26日 (火)

ヤオコー進出

 写真は、イオン新百合ヶ丘店の駐車場から撮った建設現場。ここにヤオコー(スーパーマーケット)ができる。以前はフットサルのコートだった。

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 道路一本隔てて同じようなスーパーができるなんてのはあまり喜ばしいことではないけれど、イオンの新百合ヶ丘店はイオンでもトップクラスの繁盛店だから、ビジネスチャンスがあるとヤオコーの経営者は考えたのだろう。

 競合により価格が下がれば利用者としては歓迎だが、イオンとヤオコーではそうはならないような気がする。これが安売りで知られるオーケーとかロピアなら様相は違ってくるかもしれない。

 テレビでヤオコーを紹介する番組を以前見たことがある。生鮮品が充実している中堅のスーパーとのこと。特に、おはぎが大人気だそうだ。やすくてうまいからとぶように売れる。アタシは甘いものを食べないので、おはぎがどうのこうのと言ってもどうでもよい。一方、おはぎが楽しみという人もいる。

 工事は10月末で終わる。11月初旬にオープンする。それにそなえて、イオンももうひとつのスーパーであるオダキューOXもリニューアルしている。

 にぎやかになるのはよいが、道路はますます混む。いまでも休日は渋滞しているのに・・・。

2024年3月24日 (日)

鶴川落語 毒吐き二人会

 桃月庵白酒春風亭一之輔の二人会に行ってきた。チラシに今回で11回目とあるが、一回コロナで中止となっているので実質10回目となる。

 白酒が、寄席では「看板のピン」をやっているはずだとマクラで語っていた。バクチもの。世の話題が一平賭博で沸いているからね。

 林家やま彦の粗忽エピソード(3/8の当ブログ参照。やま彦は今や落語界ナンバーワンの粗忽キャラになっている)から「粗忽長屋」に入った。

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 今回の演目

 白酒  粗忽長屋

 一之輔 うどん屋

 一之輔 反対俥

 白酒  花見の仇討

 このところ寒い。ということで、一之輔は「うどん屋」。屋台のうどん屋に酔っぱらいがからむ噺である。小三治を踏襲している。

反対俥」には病弱な俥曵きとやたら元気な俥曵きが登場する。元気な男が俥を曳く場面は飛んだり跳ねたりで体力がいる。若くなくてはできない。一之輔の「反対俥」にはこの元気男は登場しない。客と俥曵きが入れ替わるというオチにしていた。なるほど、これなら高齢の噺家でもできる。

 チラシにはこれまでの二人の演目が載っている。すべて聴いているわけではないけれど、なにをやったかという記憶が薄い。それはともかくとして、同じ演目がないか探してみると「短命」が重なっていた。一之輔は二年連続で「百川」をやっていた。こういうチラシ、出してもらいたくないと愚痴を言っていたが、二年連続でも構わない。得意ネタだし、おもしろいからね。

 二人は、今や実力・人気ともトップクラスの噺家である。それを鶴川くんだりで聴けるのは愉快である。花粉は舞っているが気分は良い。

2024年3月22日 (金)

『香子 紫式部物語』

 NHK大河ドラマ「光る君へ」を妻が熱心にみている。大河ドラマなど見向きもせず、他局の「ポツンと一軒家」だったのに、今回は別ということか。わたしも付き合って、とぎれとぎれだが、ぼんやりみている。さして面白いとも思わないのだが。 

 箒木蓬生の『香子㊀ 紫式部物語』を読んだ。著者にはしては珍しい著作のようだが、そうともいえない。ペンネームはまさに源氏物語の帖からとったものだ。数年前に出した『ネガティブ・ケイパビリティ』の中でも源氏物語を採り上げている。源氏物語には、光る源氏の死を描いた帖が欠落しているといった内容だった。

 それはともかくとして、『香子』(カオルコと読む)。紫式部の生涯と「源氏物語」各帖の執筆内容(現代語訳)を平行して描いたものだ。

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 大河ドラマでは「まひろ」となっているが、本書では「香子」としている。いずれも紫式部のことである。本名なのか幼名なのかわからないけど、同一の人物である。

夫をはやり病で亡くした香子は父の赴任地である越前に赴く(夫はまだ存命との説もある)。そこで「桐壷」の帖を書き始める。本書では半分ほど読み進めたあたりである。これを読んだ父は面白いと高く評価する。

「桐壺」に次ぐ二帖は「帚木」である。著者のペンネームはここからとったものであることは言うまでもない。この帖には、よく知られた「雨夜の品定め」がある。この部分の現代語訳にけっこう紙面を割いている。おもしろいからね。

 その中のエピソード。男がしつこく通ってくるけど、逢いたくない。で、ニンニクを食べたので逢うのはちょっと、と断る。笑える。

『香子』は全5冊になるそうだ。本書(第一巻)は「若紫」の帖まで。まだまだ先は長い。

 大河ドラマではまだ京にいる。源氏物語を書き始めるまで、まだ間がある。

 気になるのは、光る源氏の死をどう描くのか、あるいは描かないのかである。4巻か5巻あたりになる。

『源氏物語』はかなりの素養(万葉集など日本の古典とか漢籍の知識)がないと深く理解できない。『香子』はその手助けとなる。

2024年3月20日 (水)

八起寄席

 いい若手落語家を見つけた。春風亭朝枝。二つ目。春風亭一朝の弟子である。ということは一之輔の弟弟子になる。昨年「さがみはら若手落語家選手権」で優勝した。優勝すると近隣での落語会に出演できるという特典がある。で、「八起寄席」に出演することになった。

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 今回の演者と演目

 春風亭朝枝  のめる

 三遊亭兼好  千早ふる

 坂田美子   琵琶演奏

 桂小文治   七度狐

のめる」は「二人ぐせ」ともいう。「のめる」が口ぐせの男と「つまらん」が口ぐせの男二人が、そのくせを言ったら罰金という取り決めをする。何とか相手にそれを言わせようと仕掛けをするのだが・・・という古典噺である。

 一人の男は察しが悪い。その察しの悪さをたっぷりじっくり演じた。観客を少しじらす。ほどよくじらす。うまい。この朝枝、さらに腕をあげるような予感がする。注目だね。

 兼好はいつものように明るくテンポがよい。聴いていて心地よい。心地がよいから何度も聴きたくなる。

 落語会で琵琶演奏は珍しい。演目はもちろん「平家物語」。おなじみの出だしの祇園精舎と那須の与一の場面。寄席では三味線が当たり前だが、たまには琵琶も良い。

 小文治の「七度狐」は、狐に化かされる噺である。狐に石を投げつけた二人旅の男は化かされて、麦畑を川と思いこんだり、寺ではお化けと出会ったり。七倍返しを食らう。大仰にやった。狐にだまされるような噺は大仰にやるのがよい。

 八起寄席では、チケットの半券10枚集めると、手ぬぐいがもらえる。写真がそれ。前回と同じデザインのものだった。ということは、この落語会にはそこそこ出かけているということだ。

 引き出しには使われていない手ぬぐいがいくつもたまっている。ハンドタオルとしてバッグに入れているのだが、あまり使わない。だから、減らない。

 

2024年3月18日 (月)

「シェアの法則」

 俳優の小野武彦さんを見かけたことがある。近くの十二神社に初詣に出かけた折である。ああ、この近くに住んでおられるのだと理解した。

 その小野さんが初めて主演した映画「シェアの法則」をアートセンターで観てきた。

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 妻(宮崎美子)は自宅をシェアハウスとして活用している。夫の春山(小野武彦)は税理士の仕事を持っており、自宅をシェアハウスとするを面白く思っていない。妻が事故で入院することになり、しぶしぶシェアハウスの管理をする羽目になる。共同生活をするメンバーはそれぞれ問題を抱えている。不法就労が疑われる中国人の女性、キャバクラで働く子持ちの女、引きこもりの男、小さな劇団で俳優をしている青年、心に傷をもつOLなど。

 春山は妻と違って厳しく接する。彼ら彼女らの生き方が気に入らない。家賃の値上げも通告する。春山の息子は同性愛者で、これも受け入れることができないでいる。

 キャバクラで働く女性はサラ金に追いかけられていることがわかったり、不法滞在の女性はそれが露見してしまう。

 そうした混乱が続くうちに、春山は次第に頑なな心をゆるめていく。頑固おやじが変貌していくわけである。そんなストーリー。

 現代的な諸問題、LGPT、引きこもり、パワハラ被害、不法滞在、母子家庭・・・。てんこ盛りである。ちょっと詰め込みすぎの感があるが、ま、いいか。といったところであるが、事態は明るい方向に展開していく。

 上映後、小野武彦さんと、脚本を書き、出演もしている岩瀬顕子さんのトークがあった。小野さんは、ご近所だから、すぐ駆けつけることができる。上映中は連日トークがある。

2024年3月16日 (土)

「ダム・マネー」

 ウォール街とかマネーゲーム(株取引)を描いた映画はたくさんある。タイトルは忘れたけど(マネーゲーム」だったか、それに似たような題名だったような気がする)、あれはおもしろかった。

 リーマンショックの直前、サブプライムローンが問題になりかかる頃、おかしいと感じた男が逆張りをして結果として大儲けした、そんなストーリーである。サブプライムローンを買い支える投資家もいて、なかなか思うような結果は出ない。スリリングな内容だった。

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 アートセンターで「ダム・マネー ウォール街を狙え!」を観てきた。

 マネーゲームものである。2020年、コロナ禍の中、キース・ギルはボロ株と見なされていたゲームストップ社(ゲームソフトの小売りチェーン)の株式に5万ドルをつぎ込む。ネット配信で、この株は過小評価されていると訴えると、これに共鳴した多くの個人投資家が株を買った。この結果、株は高騰した。一方、この株の空売りをしていたヘッジファンド(大富豪たちの資金)は大損をすることになった。

 これが本筋。紆余曲折があってキースは窮地に陥ることになるが、さて・・・という映画である。

 ダムとはDUMB、ばかなとか つまらないという意味。空売りをする連中の資金がダムなのか、それとも、一般の小口投資家のなけなしの金をいうのかはわからない。

 映画はスピーディー。スカットする。

 マネーゲームものは観ていて面白い。しかし、それに巻き込まれるのは御免こうむる。

 

2024年3月14日 (木)

「ドッグマン」

 「ドッグマン」

 リュック・ベッソン監督の「DOGMAN ドッグマン」を観てきた。

  ポスターに「レオンの衝撃から30年」とあった。ベッソンはあれからいくつもの映画を撮ってきた。いい作品もあったが駄作も多かった。今回の「ドッグマン」、「レオン」の上をいく傑作である。そう思うが、他の人の評価も聴いてみたい。

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 マリリンモンロー風に女装して血を流した男が検問で引っかかる。荷台にはたくさんの犬を積んでいた。警察は連行するが対応に戸惑う。黒人女性の精神科医が呼ばれ、その男ダグラスを尋問することになる。

 彼は父親から虐待されていた。たくさんの犬がいる小屋に閉じこめられる。父親の暴力はすさまじい。ついには銃を発砲する。脊髄を損傷し、歩けなくなる。機会を見て犬とともに脱出する。仲間の犬に盗みをさせたりして金を稼ぎ、生き延びる。

 こうした生い立ちが描かれる。悲惨な少年期であった。精神科医も同じような痛みを抱えており、二人の過去現在が映し出される。

 ダグラスはドッグシェルターを営んでいたが、補助金が打ち切られる、キャバレーで働くことになる。女装して歌う。エディット・ピアフのモノマネ。これがすばらしい。「リリー・マルレーン」を歌う。デートリッヒの持ち歌だからデートリッヒのように歌う。ときにマリリン・モンローにもなる。冒頭の女装につながっている。

 あらすじはこのぐらいにしておく。化粧が乱れた姿やおいたちは「ジョーカー」連想させる。容赦ないタッチで描くが、ときに叙情的になるのはベッソン風である。

 ネタバレには踏み込まない。精神科医がなぜあなたはしゃべる気になったかと問うと、ダグラスは同じ痛みを抱えていると思ったからと返す。このあたりのやり取りが印象的。

 犬が活躍する映画である。ベッソンファンで犬好きな人にとっては、カルトムービーになるかもしれない。

 

2024年3月12日 (火)

 「いのちかけて」 朗読と歌

いのちかけて」と題する朗読と歌のイベントに行ってきた。会場はアートセンターの小劇場(ミニシアターの隣)。

 知里幸恵金子みすゞ金田千鶴の短歌や詩を曲にのせて歌うというコンサートである。内容を簡単に説明するのは難しい。三人の女性がどう生きてきたかを、華やかではなく静かな雰囲気で紹介する。麻生区を拠点とする「劇団わが町」と、長野県飯田周辺(金子千鶴の出身地)で活動する演劇集団「演劇辱」のメンバーが短歌や詩を歌った。

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 金子みすゞは知っているが、ほかの二人については知らなかった。三人は同世代である。明治35、6年に生まれ、昭和の初めごろ亡くなった。早い死であった。第一次大戦、スペイン風邪、関東大震災といった混乱があり、女性として生きにくい時代を生き、光輝いた。

 ここでも紹介されたのだが、金子みすゞに「大漁」という短い詩がある。浜では鰯の大漁でお祭り騒ぎとなっているが、海の中では鰯たちが弔いをしているという詩。多くの人が知っている。鰯の視点にハッとさせられる。こういう複眼的というか多面的な見方に驚かされる。哲学者が難しい言葉で表すような内容を短く易しく表現する感性に感心する。こうした視点は他の詩にもみられる。

 ということで、ほかの二人については知らないので、調べてみよう。読みたいというか読まなくっちゃという本が増えた。

2024年3月10日 (日)

しんゆり寄席 餃子問答

 餃子の消費量は浜松が全国一になった。宇都宮とトップを競ってきたが、そこに割り込んだのが宮崎。二年連続で宮崎がトップをとったが、昨年は浜松が巻き返した。三者は僅差、これからも三つどもえの競り合いとなる様相となっている。ま、低レベルのことで、どうでもいいトップ争いである。

  わが麻生区は平均年齢が男女とも全国一となった。これに比べりゃ餃子など小さな話である。

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 しんゆり寄席。今回のゲストは滝川鯉昇である。鯉昇師匠は浜松出身である。

  この寄席、演目はあらかじめ発表(ネタだし)されていて「蒟蒻問答」を演る。蒟蒻屋の噺であるが、鯉昇師匠は、改作して「餃子問答」にしている。前に、聴いたことがある。浜松出身だから餃子に変えた、のかもしれない。

 今回の演者と演目

 一玄亭米多朗  時そば(歳そば)

 初音音左橋   棒鱈

 瀧川鯉昇    蒟蒻問答(餃子問答)

 米多朗の「歳そば」は「時そば」の改作。「今 何時か?」を「娘は何歳か?」に変えている。子供には、江戸時代の時の刻み方がわからない。それを易しく年齢に変えたもの。鯉昇師匠が子供向きに「時そば」を「歳そば」に変えてやっていた。なるほどと思い、鯉昇師匠に頼んで「歳そば」をやることを了解してもらったという。

 左橋の「棒鱈」。酔っぱらいの噺であるが、数日前の「生田寄席」で入船亭扇遊を聴いたばかり。続けて同じ噺を聴くことは、ままあるけれど、それほどやられない噺を続けてということはめったにない。

 トリの瀧川鯉昇は先述したように「蒟蒻問答」の餃子バージョンである。マクラはいつものようにゆるい。とぼけた味が客席を和ませる。きちんと計算されたギャグをさりげなく織り込む。ありふれた古典噺も鯉昇師匠の手になると一味ちがってくる。うまいものだ。期待通り。

 けっこうな落語会でした。

 

2024年3月 8日 (金)

生田寄席 入船亭扇遊

 生田寄席(棕櫚亭)、今回は入船亭扇遊の独演会。三席たっぷりの熱演だった。

 開口一番は柳亭市若。生田寄席ではおなじみの二つ目である。マクラのネタは林家やま彦だった。やま彦は落語に登場する与太郎のようなキャラらしい。春風亭一之輔もマクラでやま彦のことをとりあげていたことがある(顔つきは、ジャガイモにシジミのような目が二つ)。天然の粗忽者らしい。ちょっとずれたエピソードにはこと欠かない。童顔で愛嬌があるから、ミスをしても、やま彦ならしょうがないかとなる。

 そのエピソードの一つ。師匠(林家彦いち)の家の隣で立ち小便をしたことがある。隣家は怒った。師匠はやま彦を伴い、ケーキを持って隣家に詫びに行った。ところが、実際に小便をしたのは向かいの家だった。落語の「粗忽の釘」のような実話。これからも楽しみなやま彦である。

 市若はそんなマクラからすんなり「堀之内」に入った。「堀之内」は粗忽な慌て者の噺である。

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 まだあるやま彦の粗忽エピソードはさておき、扇遊師匠の演目。

 天狗裁き

 棒鱈

 明烏

 70を過ぎたが、ますます元気である。声が大きく力強い。私より6つばかり若い。むかしは、私より歳をとっていると思っていたが、私が追い越してしまったような気がする。こちらがうんと老けてしまったからである。声が大きいと老けないのかな。

 丁寧に演じた。客席の盛り上がりもいいので、さらに熱演となり、二席の予定が、三席となった。「棒鱈」を付けたしたのだろう。

 たっぷり楽しめた。

 5月には扇遊・鯉昇二人会のチケットをとっている。たのしみだ。

2024年3月 6日 (水)

「その鼓動に耳をあてよ」

 東海テレビは「人生フルーツ」とか「ヤクザと憲法」などドキュメンタリー映画で高い評価を得ている。その最新作「その鼓動に耳をあてよ」をアートセンターで観てきた。緊急救命病院にスポットをあてたものである。

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 名古屋の港近くにある掖済会病院。患者を断らないことを旨としているER(緊急救命病院)である。24時間365日、緊急の患者が救急車でやってくる。コロナ禍でベッドは満員、医師もたりない。受け入れ先をようやく捜し当てた救急車もやってくる。病院は何とかやりくりをして患者に向き合う。事故で釘が刺さった人、鼻にドングリを詰まらせてしまったこども、路上で倒れたホームレス・・・。

 映画は研修医にスポットをあてる。二年間研修医として医療業務に就き、その後、内科や外科に進むか、そのまま緊急科に残るかの選択をする。緊急科医は専門医より下に見られてきた。忙しいし、専門知識や技能となると専門医にはかなわない。だから緊急医を選ぶ人は少なくなっている。しかし、ERに意気を感じ、続けようとする医師も確実にいる。

 この掖済会病院は、かつては普通の町医者だった。それが患者を断らないことで次第に患者は増え、病棟も大きくなっていった。名古屋南部ではなくてはならない病院となっているが、経営は厳しい。しかし、忙しさにかかわらず離職率は低いという。

 テレビ放送のドキュメンタリーと違ってナレーションはない。テロップも最小限にしぼっている。BGMもほとんどない。

 映画に集中できるのは映画館に限る テレビやネット配信では気が散ってしまう。音響もいい。

 ついでのひとこと

 久しぶりに漢和辞典を開いてみた。という字。読みはエキ。あまり目にしない漢字だ。意味は多きくふたつある。①わきのした ②たすける。この病院は②のほう。

2024年3月 4日 (月)

 岡本喜八 生誕100年

 かつて読売ランド近くに住んでいた。生田(多摩区)あたりまで散歩することがあった。そのとき映画監督の岡本喜八を見かけた。玄関先でなにやら作業をしていた。監督はここにお住まいかとわかった。

 ことしは岡本喜八の生誕100年にあたる。地元だからなにかイベントをと「しんゆり映画祭」でも企画しているが、川崎市アートセンターが先行して進めている。毎月一回、監督作品を上映する。2月は「江分利満氏の優雅な生活」だった。続いて今月は「」、4月は「独立愚連隊西へ」の上映が決まっている。8月はたぶん「日本のいちばん長い日」だろう。

 生誕100年にあわせて評伝『おかしゅうて、やがてかなしき』(前田啓介著・集英社新書)が出版された。サブタイトルは「映画監督・岡本喜八と戦中派の肖像」。読んでみた。

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 20歳ぐらいまでで総ページの半分を占めている。生まれたのは大正13年。21歳が終戦。軍隊生活は短いが強烈な戦争体験がある。戦地に赴いたわけではないが、仲間や同窓の半分ぐらいが亡くなった。なぜ死ななければならなかったのか、岡本喜八の思考の原点がそこにあると著者は考える。

 大正の後半に生まれて戦争というハードルを越えた男の数は極端に少ない。男と女の数を比べれば極端に差がある世代である。

 新書の後半は映画監督の時代である。どの作品にも戦中派の考えが伺えると著者は書く。「江分利満氏」の原作は山口瞳、主演は小林圭樹。大正後半の生まれ。互いに共感するところがある。

監督作品の半分も見ていないのだが、深く印象に残っている作品もいくつかある。たとえば「日本でいちばん長い日」とか「肉弾」。本書を読み、観た、観ていないにかかわらず多くの岡本作品を観たくなった。

 ついでのひとこと

 忘れてた。おふくろも生誕100年だった。

 

2024年3月 2日 (土)

いたって普通

 花粉が舞う。例年より多い。歳とともにそれほど症状が出なくなっていたのだが今年は違う。鼻水が出る。目がかゆい。夜、くしゃみが止まらなくなることがある。

 ちかごろはめったにマスクをしなくなったのだが、花粉対策でマスクをするようになった。これが鬱陶しい。

 ハッピーな話が舞い込んできた。大谷翔平の結婚。日本中が沸き返っている。マスコミが踊っているだけかもしれないけど、ま、たまには沸き返るのもよい。相手は、いたって普通の人とか。文春をはじめマスコミが相手を特定できないところも面白い。で、つぎは、藤井聡太か。たのしみだ。

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 実は、と言うほどではないけれど「サン・セバスチャンへ、ようこそ」をもう一度観てきた。ウディ・アレンの妄想から生まれた映画だ。浮き世離れしたところがよい。こちらも二度続けて観るなんて、浮世離れしているとあきれられている。

 映画の中で、時代を見据えた映画には評論家は甘くなるというセリフが出てくる。ウディ・アレンらしいセリフだ。LGBTもSDGsも、ウクライナも出てこない。心にあるのは昔の名作映画。昔がよかったとは言わないけれど、心に響くいい映画があった。もういちど書くが、夢に登場する「第七の封印」の死神とのチェスのシーンは笑えた。

 明日はひなまつりだが、特別な日ではない。いたって普通の日。

 ついでに。映画のセリフに、ミッショナリ・ポジションが出てきた。これはわかる。正常位のことだ。いたって普通の体位。

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