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2024年4月

2024年4月29日 (月)

異芸競演お好み寄席 

 世間はゴールデンウィーク。観光地はさぞや賑わうだろうから、わざわざ出かける気にはならない。近場がいい。円安だのと気にすることもない。

新百合ヶ丘では、例年ゴールデンウィーク期間中、文化の街にふさわしく、芸能、芸術のイベントがいくつも開かれる。

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アルテリッカ演芸座」と称した寄席演芸を観に行った。落語、浪曲、講談、ものまね、活弁と盛りだくさんだった。「異芸競演」である。

 目玉は、101歳の曲師・玉川祐子と人間国宝・神田松鯉(浪曲)になる。

 裕子師匠は昨年も登場した。人気浪曲師である玉川太福の今回の演目は「男はつらいよ 第1作」。このところ、太福は「男はつらいよ」シリーズをうなっている。今回は、90分の映画をぎゅっと10分ぐらいに縮めているので、深いストーリーにはなっていない。ま、こんなものだろうが、聴きどころは裕子師匠の三味線。掛け声も若々しい。年齢を感じさせない。

 ものまねは江戸家まねき猫。動物ものまねだが、やったのはニワトリだけ。ニワトリだけで客席を引き付ける。大したものだ。まねき猫は三代目の猫八(お笑い三人組でおなじみ。若い人は知らないだろうが)の後添えの娘になる。ということは現在の猫八の叔母にあたる。

ニワトリのものまねのやり方を教わった。なるほどそうやればよいのかと思ったが。ひと前ではできない。

トリは、松鯉師匠。おなじみの義士外伝から「天野八頭司兵衛 雪江茶入れ」。以前聴いたことがある。外伝でも有名な噺らしい。いまさら言うこともないが、さすがの芸である。聴衆を引き付ける。

この寄席のプロヂュースは一玄亭米多朗。軽く「動物園」をやった。こまかなことは省く。今回の寄席、落語の影は薄かった。

2024年4月27日 (土)

「美と殺戮のすべて」

オピオイドという薬がある。知らなかった。

 オピオイドを扱った映画「美と殺戮のすべて」のチラシにはこうある。要約。

 ケシから抽出した成分やその化合物から生成された医療用鎮痛剤である。鎮痛効果のほか多幸感や抗不安作用がある。アメリカでは、1995年、オピオイド系の鎮痛剤「オキシコンチン」が発売された。常習性が低く、安全ということだったが、主に疼痛治療に大量に処方されるようになった。2000年頃から依存症や過剰摂取による中毒死が急増した。アメリカでは過去20年間に50万人以上が死亡している。

 オピオイドは、モルヒネの一種とみなしてよいのか。

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 ドキュメンタリー映画である。アートセンターで観てきた。主にサブカルチャーを撮ってきた写真家ナン・ゴールデンの活動を描いている。前半は主に彼女の写真が映し出される。ゲイとかパンクというジャンル。

 後半は、主にオキシコンチンを製造販売するパーデュー・ファーマ社への抗議活動となる。経営者であるサックラー家は莫大な利益をあげており、世界の美術館に多額の寄付をしていた。

 2018年、オキシコンチンに反対するゴールデンらのグループはメトロポリタン美術館を訪れ、鎮痛剤の空の容器を投げ込んで、サックラーからの寄付を受け取るな、との抗議活動を行った。

 映画は、ナン・ゴールデンの活動記録である。なぜ彼女がこの活動をリードしていったかが描かれる。

 製薬会社は当初、彼女らの活動を無視していた。薬害が明らかにされ、抗議活動が広がっていくと、いくつもの美術館は寄付を断るようになった。さらに、多くの訴訟も起こされており、集団訴訟については、会社は有罪を認め、多額の和解金を支払うことになった。

 ということである。数年前の話であるが、まったく「オピオイド薬害」を知らなかった。

 日本ではどうかというと、承認されている。きちんと管理され、販売されているということで薬害の報告はないそうだ。だから、知られていない。そのせいか、観客も少なかった。

 ひとことつけ加えると、「美と殺戮のすべて」というタイトルから、映画の内容は連想できない。

2024年4月25日 (木)

 マイナ保険証

 マイナ保険証の利用率は5パーセント程度で低迷が続いている。

 従来の保険証をマイナンバーカードに順次移管する、つまり廃止すると決めているのだが、このままでは予定通り移管できないかもしれない。政府は、とりわけ河野デジタル相は苛立っている。

 わたしは病院通いが多くなっている。病院でも薬局でもマイナカードを提示したことはない。保険証のまま。なぜ保険証のままかといえば、マイナカードは面倒なのだ。

 受付でマイナカードで認証しようとするシーンを見かける。うまくいかないことが多い。顔認証ができないので、もう一度やりなおすのだが、利用者は、保険証はありますからとそちらに切り替える。それで無事完了。たぶん、その利用者は二度とマイナカードを提示することはないだろう。 マイナ保険証とは面倒なものだと映る。現行の保険証(後期高齢者用)を取り出すだけだから、面倒ではない。これが現実。利用率が伸びない理由はよくわかる。

 これが、たとえばスマホをかざすだけでできるようになれば利用しようという気になる。どうするのかねえ、厚労省やデジタル庁は。

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 わたしがマイナカードを作ったのは8年前。これは早いほうだろう。利用期限は10年(5年ごとに更新手続きが必要)。あと2年で更新することになる。わたしはきちんと更新するつもりだが、世の中全体でスムーズに進むのかどうかは疑わしい。運転免許証でも更新手続きをしない、あるいは忘れてしまうという事例が多発するのではないかと思っている。

 混乱はまだまだ続く。

 写真は、近所で見かけたシャクナゲ。みごとに咲いている。サクラとちがって開花期間はながい。

2024年4月23日 (火)

「異人たち」

  山田太一の小説「異人たちとの夏」を映画化したイギリス映画「異人たち」を観てきた。

 大林宣彦が監督した映画が公開されたのは1988年。あれから30年以上経っている。いい映画だった。主人公は風間杜夫、父親役は片岡鶴太郎だった。

 今回の「異人たち」はアンドリュー・ヘイが監督をしている。どう脚色しているのか、興味がわく。

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 舞台はロンドン。アダムはひとり高層マンションで暮らす脚本家。12歳の時、両親を交通事故で亡くしている。同じマンション住まいのハリーが日本のウイスキーを持って、一緒に飲もうと彼の部屋を訪ねてくるが、いったんは断る。

 アダムはむかし両親と暮らしたころを懐かしく思い、郊外にある実家に出かける。そこで思いがけなく、生きていたころの両親と出会う。アダムを親しく歓迎してくれた。

 このあたりまでは原作にほぼ忠実だが、大きく違うのは、訪問者。訪ねてくるのは原作だと女性である。映画では名取裕子が演じていた。アダムはハリーと親密になっていく。つまり同性愛者ということになる。現代的と言えば現代的だが、ことさらLGBTを強調しているわけではないけれど、違和感がある。

 原作は、浅草の演芸場で父親に似た男をみつけ、その跡を追って住んでいるアパートを見つける。「異人たち」では細部は省略している。脚本家なのに仕事をしている様子は見受けられない。登場人物もきわめて少ない。世間との関係を絶っているようにも見受けられる。引きこもりの傾向があり、外に出るには勇気がいる。孤独感が漂う。ハリーとの関係はきわめてナチュラル。しかし両親にゲイであることを伝えると、激しく動揺する。ま、30年以上前なら、そうなんだろう。のちに息子の気持ちを受け入れることになるが。

 原作とはずいぶん違う。そこに戸惑う。父親(繰り返すが、映画では片岡鶴太郎が演じている)はいかにも日本的である。子煩悩で、キャッチボールをしようと誘ったりする。今半ですき焼きを食べるシーンを思い出す。

 映画が終わっても戸惑いが消えない。寂寥感が色濃い映画。ヘイ監督の意図もそのあたりにあるのか、

 映画の題名は、みんな異人、ストレンジャー・・・ひとりぼっち、みんな孤独なんだと語りかけている。

2024年4月21日 (日)

取材と構想 塩田武士

 先週、塩田武士の講演会に東銀座まで行ってきた。

 テーマは「取材と構想」。塩田武士は人気の小説家である。いつくもの賞をとっているが、わたしが読んだのは『罪の声』だけ。グリコ・森永事件に着想を得た小説である。

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 今回の「取材と構想」はそのタイトルのとおり、事件や歴史的事実を調査・取材したり、インタビューする、それと同時にどう小説に組み立てていくか、その手の内を明かすものである。

 文献を厳密に調べたり、事件に関わりのある人物と面談したりするのは当然のことだろうが、塩田さんは元新聞記者だから、そのあたりは心得ている。

 構想は、作家によって違ってくるが、基本的な枠組みは変わらない。取材したものの取捨選択。配列、つまり起承転結をどうするかである。

 書き出しをどうするか、どのエピソードを持ってくるか。ミステリーなら伏線をしっかり敷き、それをどう回収するのか。映画の脚本と同じで、橋本忍を描いた『鬼の筆』と重なる。

 塩田さんの話には説得力があった。内容は省くが、なるほどと感心した。で、講演会のあと、ただちに本屋に飛び込んで、最新作『存在のすべてを』を買った。

 1991年、厚木と横浜で二つの児童誘拐事件が発生する。警察の動きがドキュメンタリータッチで描かれる。さらわれた一人は無事、もう一人は行方知れず。犯人は捕まらなかった。それが序章。

 それから30年後の2021年、当時捜査にあたった刑事の通夜の場面となる。新聞記者の門田は再び事件を掘り起こすことになる。

 設定は『罪の声』と似ている。あれは昔の30年ぐらい前のカセットテープを見つけるのが発端だった。

 おもしろい。昔なら二日もあれば読めただろうが、いまはそうはいかない。目が悪くなり、30分もすると、目がかすみ、まぶたに疲労感がひろがる。巻を措かずとはならない。ゆっくり読めばよい。で、まだ半分にも達していない。

 写実画家が登場する。写実画とは写真より精密な絵である。千葉にあるホキ美術館を思い出す。この小説にも出てくる。誘拐され行方不明だった児童が写実画家になっている。さて・・・

 本書が出てから半年が経っている。読んだ人もいるだろうし、これから読む人もいるだろう。読む途中だからいくら書いてもネタバレにはならないだろうが、こ令嬢書くのはやめておく。いくつか散りばめられた伏線がどのように回収されるのか、あるいは収束するのか、じっと目を閉じ、あれこれ夢想している。

 読み終えるのに、あと一週間はかかる。ゴールデンウィーク前には読み終えたい。

2024年4月19日 (金)

「コール・ジェーン」

 アメリカでは1973年に妊娠中絶は合法化された。ところが一昨年、連邦裁判所は中絶の可否は各州の判断に委ねるとの裁定を下した。トランプ政権時代に任命された判事が多数になったため、保守的というか守旧的な判断となった。この秋の大統領選、バイデン対トランプでは、争点のひとつになる。

 アートセンターで「コール・ジェーン 女性たちの秘密の電話」を観てきた。妊娠中絶の話である。

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 1968年、ジョイ(エリザベス・バンクス)は二人目の子を妊娠するが、心臓病があり、医師からは出産は危険と告げられる。ところが病院側は中絶手術を拒否する。どうしたらよいか。悩んだ末、ジョイはバス停の張り紙で中絶を請け負う団体「ジェーン」を知り、助けを求める。そこで、ぶじ中絶をするのだが、その団体(当然のことながら、非合法)から活動を手伝うよう促される。最初は拒んでいたが、次第にその活動にのめり込んでいく。中絶医は高い金(600ドル)を要求していた。中絶を望むがその金を払える女性は少ない。なんとか、低額できれば無慮でできないものかとジョイは考える。といったストーリーである。

  映画の後半はジェーンの活動が中心となる。団体のリーダーをシガニー・ウイバーが演じている。 彼女は力強い役柄が多い。

 中絶問題はさておき、60年代後半の雰囲気がよく出ている。自家用車もファッションも音楽も、時代をうまく映している。ラストあたりで、「アクエリアス」(ミュージカル、ヘアーのテーマ曲)がうっすらと静かに流れる。スローだから別の曲のように聞こえる。

2024年4月17日 (水)

少子多老社会 続き

 先月末(3/30)、少子多老社会について書いた。その続き。

 ちょっと前まで、多くの高齢者を少ない若者で支える社会になるというポスターをよく見かけた。今はなくなったと思っていたら、一人が二人の老人を支える社会になるとの掲示を見つけた。これって、ほんとにそうなの? 年寄りは肩身がせまくなる。若者は潜在的に年寄りいじめの気持ちを抱くのではないか。

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 人口構成だけをみれば勤労層が多くの高齢者を支えるように見えるが、高齢層は現役時代、自らの年金資金を積み立てていたわけだから、とやかく言われる筋合いはない。多額の積立金を役人や政治家がかつてにつかってしまったという側面がある。これを説明するのは面倒。過去の不作為や無責任行政を追及したところで、過ぎ去った日々に時代を戻すことはできない。

 今後、さらに年金や健康保険の支払いは増えるが、それほど深刻なことではない。団塊の世代の一人としてしっかり言っておく。少子多老は大きな社会問題ではあるけれど、ちょっと耐えればなんともない。

 10年たてば団塊の世代の半分はいなくなる。15年もすれば、90歳になるから、ほとんどがこの世にいない。団塊ジュニアもひかえているけれど、多老は解消する。その結果、年金支払いも医療費支出も激減する。財政負担も減る。

 国民の所有資産は2000兆円を超えているという。とてつもない額だ。持っているのは一部の年寄り資産家である。この年寄りは、早晩、死ぬ。とすると、たくさんの相続税が国庫に入ることになる。国家財政はひっ迫しない。ちょっとの期間、我慢すればよい。

 今と比べりゃ財政にゆとりができる。そのゆとり分は有効に使ってほしい。安易な防衛費だの国土強じん費用などには使ってはならない。

2024年4月15日 (月)

「独立愚連隊西へ」

  アートセンターでは、岡本喜八生誕100周年特集として監督作品を月一で上映していることは以前書いた。岡本監督は生田(多摩区)にながくお住まいだった。川崎北部で撮影する映画も多く、地元の有名人でもあった。

 今回は「独立愚連隊西へ」を上映した。1960年、60年以上も前の作品である。佐藤允(マサル)、加山雄三などが出ている。

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 戦争映画、舞台は中国大陸。中国軍との戦いで大敗して連隊旗を失った。日本軍は本隊とは別の独立部隊をつくって、その連隊旗を取り戻そうとする物語である。

 戦争は悲惨なものである。愚かな人間の宿業でもある。連隊旗を取り戻すことにいかほどの意味があるのか。愚かな行為だが、それをまじめに懸命にやってしまうのが軍隊である。岡本監督はその愚かさをユーモアにくるんで戦争を描いている。

 激しい戦闘場面はない。爆弾は破裂するが、肉弾戦はない。戦死者わずか。中国軍(八路軍かもしれない)のリーダーはフランキー堺が演じているから、シリアスにはならない。ユーモアが流れている。敵は空に向けて銃を発射する。こちらも同様に空に向ける。戦った振りをする。つまり、そういうことで、反戦を描いている。

 岡本作品にはリズミカルな場面が多い。ミュージカルというほどではないが、歌が流れる。軍隊なら軍歌となるが、この映画では「燦く星座」が歌われる。

  おとこ純情の愛の星の色・・・思いこんだら命がけ おとこのこころ・・・きらめく金の星

  灰田勝彦の昭和(戦前)の名曲である。大ヒットしたが、知るのは年寄りだけだ。

 上映後にトークショーがあった。今回のゲストは、佐藤允の息子で映画監督の佐藤闘介さん。佐藤允が亡くなる2ヶ月ほど前のインタビューの映像も流された。トークショーを聴いた観客の中には、たくさんの岡本ファン、佐藤ファンがいるのがわかった。

 ついでに言うと、佐藤允は岡本監督の二軒先に住んでいた。ご近所だったのだ。公私とも、岡本組だった。

来月の上映は「青葉繁れる」とのこと。今のところ他の予定はない。観よう。

2024年4月13日 (土)

 「キネ旬」 山田太一特集

 山田太一は昨年11月に亡くなった。「キネマ旬報」4月号が追悼特集を組んでいる。書店でぱらぱらめくると、ドラマの常連であった小倉一郎(小倉蒼蛙)などのインタビューが載っている。おもしろそうなので買った。「キネ旬」を買うのは久しぶりだ。

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 キネ旬を買わなくなった理由は、活字がひどく小さくて読みづらいと感じるようになったからだ。年寄りは読まなくていい、目のいい人だけ読んでねという態度を感じた。内容は若向きではなく、むしろ高齢者を対象としたものなのに、多くの情報を詰め込もうとするあまり活字を小さくした。映画ファンには高齢者が多いのに・・・。配慮が足りない。

 活字は新聞ぐらいの大きさにすべきだろう。年寄り映画ファンは待ち望んでいる。

 目を凝らしながら追悼特集を読んだ。インタビューはドラマの常連であった小倉一郎のほか、中井貴一、柳沢慎吾。彼らが山田シナリオに傾倒し、信頼していたことがよくわかる。インタビュー記事として優れている。

 山田太一へのインタビューも再録している。これがまた素晴らしい。何カ所かにマーカーをひいた。 

 あらためて気づいたのだが、わたしはテレビドラマをそれほど観ていない。当時、家に帰るのが遅かった。仕事もあったが酒のつきあいだった。ビデオはなかったし、連続ものでもとびとびに観るだけだった。のちにDVDが出ても買わないし、ビデオショップにでかけることもなかった。それでも、ときどき観る山田ドラマはおもしろかった。

 今月下旬、イギリス映画「異人たち」が公開になる。山田太一原作の「異人たちとの夏」をリメイクしたもの。あれはいい映画だった。監督は大林宜彦。主演は風間杜夫、父親役は片岡鶴太郎だった。挿入曲の「私のお父さん」が印象に残る。

 

2024年4月11日 (木)

 スマホがおかしくなった。

 スマホの電池の減りが速くなり、反応もスローになった。買い換えて6、7年になる。寿命だろう。で、機種変した。先月中旬のことだ。

 それがひと月もたたないのに、おかしくなった。画面キーボードの設定画面が勝手にでてくる。別の画面に変えても、すぐに元の画面に戻ってしまう。さらに妙なアニメの広告が繰り返し表示されるようになった。

 ネットで調べると、同様な質問が出ている。その解決策(手順)を試してみたのだが、うまくいかない。トンチンカンな回答(解答?)で、役に立たない。

 ドコモショップに駆け込んだ。予約なしなのですごく待たされると思ったが、それほど混雑してなかったせいか、待ち時間は短かった。

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 若い係員が対応してくれた。新たにインストールしたアプリが邪魔をしているのではないかということだった。いくつかのアプリをアンインストールした。すると、画面キーボードの設定画面は表示されなくなった。妙な広告も止んだ。なんだ、簡単じゃないか。これで一件落着かとおもったら、キーボードがおかくなっていた。QWERTYで入力すると日本語変換ができないのだ。あれこれあったが、これも解決した。よかった。

 広告をシャットできるアプリを勧められた。有料、500円とのことだ。安いと一瞬思ったが、これが月額だった。年間で6000円。高いようにも感じるが、イライラしてストレスとなるようなことは極力避けたい。アプリを入れることにした。

 たしかに広告表示はなくなった。メールの合間に「広告を取得できませんでした」という表示がでる。広告をブロックしてますというメッセージなんだろうが、これも要らない。

 アナタのスマホにこの表示が出たら、特定のアプリが問題を引き起こしている可能性がある。最近入れたアプリをアンインストールするのがよい。特定はできないが、それが邪魔しているのだろう。さしあたっては、有料アプリを入れることはない。

 有料アプリはNHKに受信料を払っているようなものか。

2024年4月 9日 (火)

『中井久夫の人と仕事』

 精神科医が書くエッセイ(難しい専門書ではない)を多く読んできた。中井久夫もそのひとり。でも、一人に集中してというわけではないから、それほどは読んでいない。ぽつりぽつりとである。

 最相葉月の『中井久夫の人と仕事』は、中井久夫の著作集(全11巻)の解説をあらためて一冊の本にしたものだ。中井久夫の生涯を描いたものともいえるし、思索をたどったものともいえる。中井久夫の業績を知るにふさわしい著作である。

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 中井久夫の文章を読むと、なんだかいいなあとか温もりのようなものを感じる。続けて集中して読むのはもったいないような気がして、ときどき読むようになった。途中で本を閉じることもある。それがぽつりぽつりである。

 精神科医の中沢は、優しい。患者の気持ちに沿って診療する。治療とも思えないような診察である。精神科医はそれでよい。無理に薬とか注射で治るような病ではない。うつだのといっても幅広い。患者によって治療法はさまざまであって、ウイルスに感染したといった病とは違う。うつは病気と考えない方がよいのかも知れない.

精神病治療に電気ショックを与えたりする治療がある。鉄格子のある病棟に閉じこめたり拘束服を着せたりすることもまだ行われている。中沢の考えはそれとはまったく異なる。

以前、当コラムで『治りませんように』を紹介したことがある。襟裳岬にちかい浦河町にある「べてるの家」を取材したものだ。べてるの家には統合失調症などの精神障害を患う人が共同で暮らしている。精神科医やソーシャルワーカー、家族らが彼らの支え、事業を営んでいる。ゆるい日常である。治ることにしがみつかず、適当に自分自身と折り合いをつけながら暮らしている。中井久夫の考えと似ている。

統合失調症は的確な治療法は患者によって違う、患者自身が考えながら治療を受けることが大切だと考えた方がよい。

 中井の治療法についてはさらに詳しく触れたいけど、やめておく。中井久夫の著作をぜひ読んでもらいたい。

 最後にひとつだけ引用。

中井は常々、「精神には自然回復力がある」といい、「本来統合失調症は、治りにくい病気ではなく、回復を妨害する要因が多い病気である」と語ってきた。

2024年4月 7日 (日)

明鏡止水

 ひさびさに明鏡止水なることばを耳にした。

 自民党の裏金問題で、世耕議員が離党勧告をうけ、すかさず離党届を出した。いまの心境を問われ、「明鏡止水」だと答えた。

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 なんとも古臭いことばだが国語辞典には載っている。「新明解国語辞典第八版」にはこうある。

 心の平静を乱す何ものも無い、落ち着いた静かな心境。〔不明朗なうわさが有る高官などが。世間に対して弁明する時などによく使われる〕

 よく使われるってことはないけれど、宇野さんが首相を辞める時も明鏡止水を使ったのを思い出す。心穏やかでないけれど(心の中ではいらだっているが)、平静を装う。 大人げないふるまいはできない。で、明鏡という表現になる。心境を察するに余りある。

 振り返って、わが身。明鏡止水の心境からは程遠い。うるさい音に囲まれ、雑念が次から次へと涌いてくる。邪念も。 

 国語辞典に「明鏡国語辞典」がある。こちらは、何の邪念もなくうんぬんと普通の語釈。それでいいのだが、ちょっとものたりない気がしないでもない。

2024年4月 5日 (金)

「12日の殺人」

  アートセンターで「12日の殺人」を観てきた。フランスのグルノーブルが舞台である。グルノーブルいえば 先だって観た「落下の解剖学」の舞台と同じ。あれは冬だったが、こちらは秋10月である。

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  深夜、若い女性がガソリンを浴びせられライターで火をつけられる。翌日、死体で発見される。警察は二人の刑事を中心に捜査にあたる。被害者の交友関係から何人もの男を取り調べるが、いずれも犯人とするような決定的な証拠はない。未解決となり、三年が経過する。

  捜査にあたっていた刑事は判事に呼び出され再捜査を促される。粘り強く調べなおし、被害者の墓参りをする男を拘束する。これで一見落着かと思われたが・・。

  思わせぶりな映画。自転車用のトラックを走るシーンが何度も映し出される。一般の道路ではなく自転車専用のトラック。オリの中でハムスターがホイールを回しているのに似ている。誰なのか。あとでわかるのだが、自転車に乗るのは刑事。何を意味しているのか。刑事の捜査が、汗をかきながらただ回っているだけということか。

  すっきりしない。すっきりしない現実をテーマにしていると言われれば、そのとおりだが・・・。

  ネタバレに踏み込むのは避けるが、冒頭の字幕が伏線となっている。で、観客は腑に落ちないような感情を抱くことになる。

  でも、そういう映画があってもよいという感情も半分ある。

 ついでのひとこと

  小林製薬のテレビCMがピタリと止まった。ま、そうなるだろうな。続けていると非難が集中する。たくさんしていたから、一つ二つはわかるが、五つ上げろと言われると難しい。「命の母」も小林製薬である。ビミョーなネーミングだな。

  週刊誌では、小林製薬のトップを「猛毒会長」とか「強欲会長」と表している。

 前回の当ブログで、ドラゴンズを開幕3連敗と書いてしまった。間違い。ただしくは2連敗。その後、ジャイアンツに連勝。

2024年4月 3日 (水)

 浅草でちょい呑み

 ひさしぶりに浅草に出かけた。友人とちょい呑み。

 時間があったので待ち合わせ時間前に、今戸まで歩いてみた。浅草からは15分ぐらい。墨堤に出ると観光客は少なくなる。桜は一分咲きか三分咲き(ちなみに新百合ヶ丘はまだつぼみ)。花見には早いが、シートを広げているグループもいる。

 かつて、平成中村座があったが、今はない。写真は、今戸神社の絵馬。招き猫がデザインされている。ここは招き猫発祥の神社のひとつと言われている。

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 飲み会は雷門からちょっとはずれところの居酒屋。店先は屋台になっている。むかしは安かったが、けっこういい値段になっている。物価はそうじて上がっている。致し方ないか。

 神谷バーは休みだった。電気ブランを買おうとおもったのに。

 プロ野球が始まった。ひいきのドラゴンズは引き分けを挟んで3連敗。ことしも最下位かと思わせる最悪のスタートとなり、応援の気力を失わせる。ようやく昨日、ジャイアンツにサヨナラ勝ちした。ま、一分咲きといったところか。満開にはほど遠い。

 プロ野球よりメジャーに目がいく。オオタニさんはまだホームランが出ていない。こちらも一分咲きてある。

2024年4月 1日 (月)

「オッペンハイマー」

  今年度アカデミー賞をいくつも受賞した「オッペンハイマー」を観てきた。

 監督はクリストファー・ノーラン。ちょっと癖の強い、一筋縄では理解できないような映画をつくる監督というイメージが強い。

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 大学で教鞭をとる物理学者のオッペンハイマーは原爆製造を目指すマンハッタン計画に誘われ、そのプロジェクトのリーダーとなる。ニューメキシコの砂漠に巨大な研究所をつくり、多くの科学者を集めて開発に取りかかった。映画は時系列には描かれない。研究途上や過去、戦後のこと、あるいは家庭や愛人のことなど織り交ぜて、しかも短いカットで描かれる。スピーディーかつ、めまぐるしい。観ている方はついていくのにやっとだ。これがノーラン風。後半になり、やや、落ち着く。

 で、原爆実験に成功したのはご存じの通りで、オッペンハイマーは讃えられるのだが、映画はそれで終わらない。戦後、原爆開発の機密がソ連に漏れていたという疑惑が持ち上がり、オッペンハイマーもそれに巻き込まれる。研究員の中に共産党シンパがいて、機密を漏洩していたことが明らかになるのはずっと先のことであるが、水爆開発に反対したたこともあり、研究機構から閉め出される。そして、聴聞会の諮問を受けることになる。

 なぜ原発をヒロシマナガサキに落としたのか。すでにナチスドイツは滅び、日本も敗戦目前だったのに。敵対するソ連への対抗措置だったという見解が支配的になっている。といったことはさておき、映画的に観ると、原爆実験のプロセスが丁寧に描かれている。映像もよい。斬新。音響効果もすばらしい。単なる伝記映画ではない。

 映画を観るなら。多少の予備知識(Wikipedia程度)があった方がいいかもしれない。でも、前作「テネット」よりうんとわかりやすい。

 

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