少子多老社会 続き
先月末(3/30)、少子多老社会について書いた。その続き。
ちょっと前まで、多くの高齢者を少ない若者で支える社会になるというポスターをよく見かけた。今はなくなったと思っていたら、一人が二人の老人を支える社会になるとの掲示を見つけた。これって、ほんとにそうなの? 年寄りは肩身がせまくなる。若者は潜在的に年寄りいじめの気持ちを抱くのではないか。
人口構成だけをみれば勤労層が多くの高齢者を支えるように見えるが、高齢層は現役時代、自らの年金資金を積み立てていたわけだから、とやかく言われる筋合いはない。多額の積立金を役人や政治家がかつてにつかってしまったという側面がある。これを説明するのは面倒。過去の不作為や無責任行政を追及したところで、過ぎ去った日々に時代を戻すことはできない。
今後、さらに年金や健康保険の支払いは増えるが、それほど深刻なことではない。団塊の世代の一人としてしっかり言っておく。少子多老は大きな社会問題ではあるけれど、ちょっと耐えればなんともない。
10年たてば団塊の世代の半分はいなくなる。15年もすれば、90歳になるから、ほとんどがこの世にいない。団塊ジュニアもひかえているけれど、多老は解消する。その結果、年金支払いも医療費支出も激減する。財政負担も減る。
国民の所有資産は2000兆円を超えているという。とてつもない額だ。持っているのは一部の年寄り資産家である。この年寄りは、早晩、死ぬ。とすると、たくさんの相続税が国庫に入ることになる。国家財政はひっ迫しない。ちょっとの期間、我慢すればよい。
今と比べりゃ財政にゆとりができる。そのゆとり分は有効に使ってほしい。安易な防衛費だの国土強じん費用などには使ってはならない。
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