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2024年5月

2024年5月31日 (金)

「青春」 ワン・ビン

 アートセンターでワン・ビン監督の「青春」を観てきた。

 ワン・ビンはドキュメンタリーの巨匠といわれている。いくつもの名作をてがけてきた。映画は観たいが、ちょっと難点がある。尺が長い。5時間を超すものもある。今回の「青春」は3時間35分。

 このくらい長いと問題は尿意である。出口近くの通路側の席を選んだ。もちろん水分摂取は控えて。

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 揚子江下流の工業地帯、子供服の縫製工場で働く若者たちの姿を描いている。電動ミシンのモーター音がダッダッダッとうるさいほど響く。ミシンの糸は切らず、次々と縫う。あとでたたむときに縫い糸をカットする。手際がよい。働き手は20前後の若い男女。みな、安徽省などからの出稼ぎである。

  給料は安い。しばしば賃上げを社長(縫製工場は小規模)に申し入れるが、すんなり賃金が上がるわけではない。寮生活や恋愛模様も描かれる。ワン・ビン初めての劇映画と聞いていたが、ドキュメンタリー映画といわれたら、そうかと思う。それほど日常が淡々と描かれている。

 ひたすらミシンに向かう。そのシーンが長い。モーター音がうるさいと感じたが、途中からはそれが日常だと馴れてしまう。日本の想田監督に「牡蠣工場」というドキュメンタリーがある。牡蠣を剥くシーンが延々と続く。あれを思い出した。船酔いのような気分になる。モーター音はマシンガンのようでもあるが、馴れると頭がしびれるようになる。心地よく響く。不思議なことだ。

 3時間半、途中でトイレに駆け込むことはなかった。モーターの響きが尿意を忘れさせた。映画に起承転結はない。ワン・ビン流の描き方はこうである。

  そして、たぶん、今も、ミシンは音を立てて回っているだろう。

 

2024年5月29日 (水)

『歳月』

 目が悪くなったことは何度も書いた。映画の字幕も読みづらくなった。適当に読んでいる。困ったことだが、そのぶん、英語のヒアリング能力が上達したようだと、うそぶいている。

 細かい字の本は読まないようにしている。活字の大きい本がよい。さらにわかりやすいものがよい。

スタジオジブリのプロデューサー鈴木敏夫さんの『歳月』を読んだ。これは目に優しい。交遊録。軽いエッセイというかコラム集で、内容も易しくて優しい。

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 短いコラムだが、人物を的確に短い文章で描写している。

 たとえば、スティーブン・スピルバーク。ジブリ美術館に訪れた際、トトロぴょんぴょんが気に入って、その前に座り込んで動かなくなった。3時間も。

 ジブリパークが長久手につくられたきっかけも明らかにしている。ファンは当然知っているかもしれないけど、私は初めて知った。ヘェ、そうだったのか。鈴木敏夫さんは名古屋出身である。それと関係がある。

映画「君たちはどい生きるか」の前宣伝がチラシ一枚だったいきさつも。

 本の題は茨城のり子の詩集から採ったという。なるほどね。

 鈴木さんの人柄の良さが感じられる。穏やか。それが、ジブリがうまくいっていることと大いに関係がある。

 

2024年5月27日 (月)

「関心領域」

 イオンシネマで「関心領域」を観てきた。

 冒頭、不気味な不協和音が流れる。映像は穏やかで、川の畔でピクニックをするシーンとなる。家族らしい。家に帰ると、女は庭の草花の手入れをする、子供たちは庭のプールではしゃぐ。家は広くて片づいている。セントラルヒーティングの設備も整っている。裕福な家である。

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 隣は高い塀の施設である。ときどき叫び声が聞こえる。

 裕福な家庭の主がルドルフ・ヘスであることが明らかになる。ということは塀の向こう側がアウシュビッツ収容所だと観客は知ることになる。塀の中については映し出されないが、そこは地獄である。こちらの大きな家は天国といったところか。

 ヘス所長に転勤の辞令がでる。収容所を統括する部署への栄転である。ところが妻は喜ばない。ここでの平穏な暮らしを手放したくない。猛反対する。ヘスは仕方なく単身赴任することになる。

 収容所の中を描いた映画はたくさんあった。その外を描いたものはこれまでなかった。そこが新鮮、おもしろい。外にいる婦人にとって、塀の向こう側は無関心領域である。

 不気味な不協和音は静かに流れる。ときおり大音響となる。

  この映画からさまざまな連想がわく。不協和音が流れているが、ふだんは気づかない。耳をすませば聞こえてくるかもしれない。

 

2024年5月25日 (土)

『彼女たちの戦争』

 登戸研究所資料館主催の「女の子たち風船爆弾をつくる」というイベントが明治大学生田校舎あった。作家の小林エリカさんと山田朗さん(明治大学平和教育登戸研究所館長)の対談である。

 生田は新百合ヶ丘から近い。登戸研究所資料館にはこれまで何度か行っている。ドキュメンタリー映画「陸軍登戸研究所」も二度観ている。しんゆり映画祭でも昨年、地元映画として上映した。部外者にしては登戸研究所のことをよく知っているつもりだ。

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 小林エリカさんの著作では『彼女たちの戦争 嵐の中のささやきよ!』を読んでいる。戦争に翻弄された女たちを紹介したコンパクトな評伝集。28の章で構成されおり、第1章がマルゴーとアンネ・フランク姉妹、最後の章が風船爆弾をつくった少女たちとなっている。登戸研究所は風船爆弾開発にかかわっている。

 今回の対談は、動員により風船爆弾を組み立てた女学生たちの話である。「女の子たち風船爆弾をつくる」というのは小林さんの最新の小説(ノンフィクションノベル)のタイトルになっている。

 風船爆弾の風船部分は和紙とこんにゃく糊で作られている。動員された女学生たちは風船に組み立てた。場所は有楽町の東京宝塚劇場。なぜ宝塚劇場だったか、以前何かで読んだ記憶があるが、天井の高い建物だったから選ばれた。

 風船爆弾は気流に乗ってアメリカ大陸まで届いた。おもちゃのような風船だが、この爆弾で数名が犠牲になっている。

 対談は面白かった。ノンフィクションノベルにはいくつもの工夫が凝らされているようで、興味が増す。読みたくなる。『彼女たちの戦争』に紹介されていたアンナ・アフマートヴァの詩も読んでみたい。目が悪いのに、読みたい本が増えていく。

 

2024年5月23日 (木)

 「碁盤斬り」

碁盤斬り」と聞いて、ああ、あれねと、落語通ならわかる。「柳田格之進」である。

 落語の「柳田格之進」は30分ほどの噺。それを2時間ほどの映画にするなら、サイドストーリーを入れ込むなどの肉付けが要る。どんな工夫をしているのか興味がわく。イオンシネマで観てきた。

 主演は草薙剛。監督は白石和彌。好きな監督だ。

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 柳田格之進(草薙)は藩での内紛の責任をとって浪々の身となった。落語ではそのあたりのいきさつは省いている。囲碁が大好きで碁会所で大店の旦那(國村隼)と知り合う。こちらも大の碁好き。旦那の家に招かれて碁を打つようになる。ある日、番頭が集金した金を旦那に手渡すが、金のありかが不明となる。その場には格之進がいた。さては格之進が盗ったにちがいないと番頭は旦那にうったえるが、旦那は詮索するなと答える。番頭は納得せず、格之進の住まいに出向いて、金がなくなったことを伝える。暗に格之進が盗ったのではないかと問い。金が出てこなければ、奉行所に届けを出すと告げる。

 奉行所が絡むとやっかいなことになる。格之進は50両を用立てると答える。と、答えたものの金はない。仕方なく、娘を吉原に売ることにする。50両を工面した格之進は、もし金が出てきたら、番頭と旦那の首を斬ると宣告して金を渡す。

 映画では、落語に登場しない手代(中川大志)が格之進宅に行くことになる。ここが違う。

 さらに吉原の女将も登場する。これが「文七元結」に出てくる佐野槌の女将とそっくり。なるほど「文七元結」のエピソードをくっつけることで人情噺に仕立てている。暮れまでは店には出さないが、返済できなければ年明けには店に出すと女将は言って金を出す。女将を演じるのは小泉今日子。ここまでが前半。

 囲碁のシーンが長い。すりきれた碁石が印象的。たぶん江戸時代の碁石はこんなんだったのだろう。

 後半には藩でのいざこざ(格之進は冤罪で藩を辞すことになったいきさつ)  が描かれる。敵であった侍(斎藤工)が登場する。この侍も碁が強い。格之進との対局となる。そして、ついに乱闘。この乱闘シーンがすさまじい。迫力がある。この映画のみどころのひとつであり、白石監督の本領発揮といった場面である。

 これ以上書くとネタバレになるのでやめておく。なるほど、うまい脚本にしていると思うが、ちょっと納得できない点もある。まあ、それは致命的なものではない。格之進の娘役の清原果耶がういういしい。

 肝心なことを書き忘れていた。落語のオやは碁盤斬りになるが、碁盤斬りをやらない噺家もいる。

 

2024年5月21日 (火)

「夜明けのすべて」

  職場にときどきヒステリックに声を荒らげる女性がいた。50年ほど前のことだ。当人に聞いてみると、生理が近づくとイライラが高じてしまうと語っていた。いまだとPMS(月経前症候群)という病名がついているが、当時は変な目で見られていた。

 そのPMSの女性を描いた「夜明けのすべて」をアートセンターで観てきた。監督は「ケイコ 目をすませて」の三宅唱

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 PMSの藤沢さん(上白石萌音)は病院に通いながら働いていたが、そこを辞め、プラネタリウムや顕微鏡を作っている会社に転職する。同僚の山添くん(松村北斗)は電車に乗れないなどパニック症候群を抱えていた。会社はふたりに温かかった。ゆったりした雰囲気がただよう明るい職場だった。だめ男を演じることが多い三石研とか渋川清彦が出てくると緩くなる。ぎすぎすした職場にはならない。

 で、なにかシリアスな事件が起きるかというと、起きない。ずっとホンワカである。二人は結ばれるかというと、そうでもない。未来はわからないが。やわらか雰囲気が漂っている。

 先だって観た「辰巳」とは大違いの映画だ。こっちのほうが断然おもしろい。お勧め。

2024年5月19日 (日)

扇遊・鯉昇二人会

  鶴川落語、今回は入船亭扇遊瀧川鯉昇の二人会。二人とも70を過ぎた。味わいあふれるベテラン噺家である。出身も同じ静岡県。熱海と浜松。所属団体は違うが、仲が良い。誰だったか忘れたが、二人で飲んでいるのを見かけたことがあると語っていた。

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 今回の演目

  鯉昇  千早ふる

  扇遊  不動坊

  扇遊  青菜

  鯉昇  お神酒徳利

  おなじみの古典噺である。ただし「お神酒徳利」をやる人は少なくなくなったように思うが、どうだろうか。

  長い噺である。暮れの大掃除、家宝のお神酒徳利の行方が分からなくなる。二番番頭が盗まれてはいけないと水瓶の底に隠していたのだ。ところが当の本人はそれを忘れていた。あとで気づくのだが、女房の入れ知恵で、ただちに見つけないようにする。そろばん占いで徳利のありかを告げる。とうぜんのことだが、、徳利は見つかる。主人は大喜びする。 

 二番番頭の占いは当たる、大したものだと評判になる。これを聞きつけた鴻池の支配人が、主の娘のためにぜひ大阪まで来てくれないか懇願する。で、大阪に向かうのだが、途中の神奈川宿で盗難事件を占うことになる。

 ここまでが前半。このあたりで終えてしまうパターンもあるが、鯉昇さんは最後まできちんと演じた。難しい噺だし、演じきるにはネルギーがいる。とくに頭がしっかりしていないとムリ。高齢になると避けたい噺である。鯉昇さんは、それを乗り越えて、さらっとやってしまう。大したものだ。たぶんきちんとさらっていたにちがいない。もちろんそれは見せない。

 10年ほど前か、鯉昇さんの「お神酒徳利」を聴いたことがある。それと変わらない。風貌もむかしと変わらない。ずっと老けて見える。が、頭脳は若い。私は陶然として聴いていた。

2024年5月17日 (金)

「辰巳」

 銀座で飲み会があった。その前に、いつものように映画。渋谷のユーロスペースで「辰巳」を観た。

 映画祭仲間の評判はよい。バイオレンス映画なのに女性からの評価も高い。ならば観ておかなくっちゃ。ユーロスペースはミニシアターとして評価は高い。でも、シートは古くなって座り心地はわるい。

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 小路紘史監督作品を観るのは初めて。いきなりの暴力。女が簡単に殺される。遺体の始末はそっちのけで、殺された女の妹・葵の感情にスポットをあてる。葵は暴力的である。これに辰巳という男が加わって、暴力はさらに続いていく。

  ざっとこんな設定なのだが、残酷なシーンが多い。こういう映画、好きじゃない。嫌いな映画だ。暴力の先に叙情性があるかというと、さほど感じられない。なぜこんな映画が評価されるのか、温厚な老人にはわからない。

 ふと、ある考えが浮かんだ。コリアン・バイオレンス・シネマを追随した映画ではないかと。最近はあまり観ていないのでなんともいえないが、韓国映画には暴力シーンが多い。暴力を残忍に描いてきた。たとえばキム・ギドク監督。映画の評価は高かったが、暴力も容赦なく描いた。コリアン・シネマはこの手の暴力を描いていた。「辰巳」はそのコリアン・スタイルを意識し、追随した。

 そんなことを考えながら、銀座に向かった。飲み会は愉快だったが、酒が進み、一人ぶっ倒れた。泥酔。殴られたわけではないが立ち上がれなかった。

2024年5月15日 (水)

「猿の惑星 キングダム」

 SF映画のシリーズものでは「猿の惑星」が好きだ。「スターウォーズ」よりも好んで観ている。設定がシンプルなところがいい。

猿の惑星 キングダム」を観てきた。シリーズ10作目になるという。配給会社の意向なのか宣伝はあまりやっていない。だから、「猿の惑星」の最新作を観たと言うと、「猿の惑星」なんてやっているのとの反応が多い。知らないんだ。

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  人工のウイルスによって猿(エイプ)が言語能力を発達させ、いまや惑星(地球)を支配するようになっている。人間は片隅に追いやられている。

ノア(エイプの若者)は険しい崖を登り卵(たぶんワシの)を獲ってくる。成人になるための通過儀礼らしい。ところが祭りを前にして、村は仮面をかぶった猿の軍団におそわれ、家族はちりぢりになってしまう。ノアは単独、家族の救出に向かう。少年エイプの成長ストーリーでもある。

 ノヴァという若い女性が登場する。漸くの人間登場。このノヴァが謎めいている。猿の軍団によってエイプとノヴァはとらえられ、猿の王国に連行される。よくわからない部分もあるが、荒唐無稽なのは承知の上。観客はスリリングなアクションシーンを楽しめばよい。

 ノヴァ以外の人間はわずかしか登場しない。猿のように原始的に暮らす人間もいれば、現代的というかコンピュータを駆使している人間もわずかだが、登場する。この手の映画は、対立する集団(人間と猿とか)が共生する道を探るってことがテーマになるのだが、そのあたりは希薄である。

 ご存じかと思うが、ご存じない人もいるから説明しておくと、猿はモンキーとエイプに分けられる。モンキーはニホンザル、エイプはゴリラとかチンパンジーのたぐい。エイプは類人猿と訳してよい。猿の惑星の原題はプラネット・オブ・ジ・エイプスである

シリーズ一作目での衝撃のラストシーンがなんといっても印象的だから、あれほどの驚きはない。とはいえ、現在の世界情勢と重ね合わせれば、面白さは増加する。

2024年5月13日 (月)

赤気有り

 北海道をはじめ珠洲などでもオーロラが観測された。ふだんは高緯度の地域でしか見ることができないが、太陽フレアと呼ばれる爆発が活発で、大きな磁場嵐が起きて、低緯度でもオーロラを観測することができた。

 日本では珍しいが、古い記録は残っている。藤原定家の『明月記』に「赤気」があったと記されている。以前、当ブログでも紹介したことがある(2020/03/25)。興味のある方はご覧いただきたい。

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 川崎では見ることができなかった。天気も悪かったし、ま、これは致し方ない。

 それより気になったのは天空の星。珠洲の夜空は星がいっぱいだった。都会ではあれほどの数は見えない。大気が汚れているせいもあるが、夜でも明るいから、星影は照明によって沈んでしまう。

 オーロラはともかくとして、照明のない山奥で、夜空を眺めてみたい。

 

2024年5月11日 (土)

運転免許を返納すると

 運転免許の返納について、次のような記事を見かけた。

「筑波大学の調査だと、免許を返納すると5年後に要介護になる確率が2.2倍ぐらいになるという。 絶対に免許を返納してはいけないという・・・」

 これって、ほんとだろうか。どのような根拠があるのか。ちょっと考えれば、怪しいことがわかる。

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 免許証を返納するのは、運転に自信がなくなったとか、家族からあぶないから止めるように言われた人だろう。それと年齢にもかかわらず運転に障りがない人と比較するのだから、おのずと違いがある。運転が怪しい人は老化がすすんでいる。要介護、認知症予備軍である。それと元気な人とを比較するのはどうかと思う。

 免許を返納すると頭を使わなくなり認知機能が衰えると思わせるのは明らかに誤りである。2.2倍などというもっともらしい数字をあげると、それらしくなる。信じてしまう人もいる。

 返納と運動機能の衰えは多少の関係があるかもしれないけど、返納することと機能低下とに因果関係はない

 こういう誤り、統計のウソをしばしば見かける。

2024年5月 9日 (木)

「あまろっく」

 久しぶりに新宿に出かけた。時間があったので映画を観た。

 新宿ピカデリーで「あまろっく」。新百合ヶ丘では上映していないし、上映予定もなさそう。ここで観るしかない。

 自動券売機でチケットが発券されない。サービス係の若い女性に声をかけたら、上の者を呼びますのでしばらくお待ちくださいとの返事。その間、ちゃんとカード決済をしたのかと訊いてくる。年寄り扱い。私の操作が間違っているのではないかとの態度がうかがえる。失礼なやつだ。しばらくして上の者が来た。これも若い女性である。券売機の後ろに回って操作すると、チケットが出てきた。単にチケットが引っかかっていただけ。アホな券売機だが、サービス係りの態度もよろしくなかった。

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 ここのシネコンは、いつも思うのだが、上映スクリーンに行くまで時間がかかる。入り口が狭い。エレベーターも少ない。

 待ちスペースは広いのだが、座る場所、イスは極端に少ない。壁際に申し訳程度に置いてあるだけ。写真がそれ。顧客本位になっていない。

 で、映画。主演は江口のりこ中条あやみ。わきを固めるのが笑福亭鶴瓶。江口のりこの素っ気ない演技が気に入っている。

 尼崎が舞台。だからアマロック。鉄工所を営む鶴瓶の娘が江口。江口がリストラされ実家にもどると、鶴瓶はずいぶん歳の離れた20歳の中条と再婚するという。この設定にはちょっと無理がある。鶴瓶はジョギングの途中、急死する。中条は子供を宿していた。鉄工所はたちいかなくなる・・・。

 ま、どう考えても、ありえない設定である。鶴瓶のキャラはテレビで見るのと同じ。だから孫のような若い娘と結婚するなんて考えられない。ましてや、子をなすなんて。違和感はずっと残るが、ま、ゆるいコメディー。とやかく言うこともない。

 先月亡くなった佐川満男が鉄工所で働く男役で出ていた。これが遺作か。

 映画がおわり、外に出ると、雨。わずかだが、濡れた。

 

2024年5月 7日 (火)

『存在のすべてを』

 4月21日の「取材と構想」の続き。

塩田武士の『存在のすべてを』をようやく読み終えた。

 厚木と横浜で二つの児童誘拐事件が起きる。身代金要求に対応する警察の動きがドキュメンタリータッチでリアルに描かれる。厚木の児童は無事見つかった。もう一人は行方不明のまま。しかし3年後に何事もなく家に戻った。犯人は逮捕されなかった。 

 それから30年、当時取材していた新聞記者・門田は、元刑事の通夜に行く。そして再び事件を追うことになる。この記者が主人公かとおもったら、後半は画廊に勤める女性の視点で描かれるようになる。新進気鋭の写実画家が、誘拐されて行方不明となっていた児童だったことが週刊誌で報道される。

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「取材と構想」という視点を頭に入れながら読んだ。読者は、なぜ児童は3年間行方不明だったのか、犯人は誰なのか、などの疑問を抱きながら読み進める。誘拐された児童の家庭環境がしだいに明らかになっていく。そして3年間どうしていたのかも明らかになる。

日本の絵画界の実情、ヒエラルキー構造、画家と画廊(画商)の関係などについて丁寧に説明している。著者は写実画についてかなり突っ込んだ取材をしているのがわかる。*絵画界(画壇とかヒエラルキー)については黒川博行の小説でも読んだ記憶がある

写実画とは、写真より精密に書かれたスーパー・リアリズムの絵である。写実画を展示する千葉のホキ美術館(小説ではトキ美術館になっている)がちらりと紹介されている。

 この小説、犯人探しよりも、親と子、家族のありようがテーマになっている。だから犯人の行方については最低限しか触れられていない。それでよいと思う。

 ついでのひとこと

 黒川博行の『悪逆』が「吉川英治文学賞」につづいて「大人の推理小説賞」も受賞した。過払い金やカルト宗教で不当に稼いだワルを殺害して金を奪った犯人を追いかける刑事を描いたものだ。犯人は捕まりませんようにと願いながら読んだ。一級のミステリーである。こちらもおすすめ。

 

2024年5月 5日 (日)

風の谷幼稚園

 久しぶりに黒川あたり(川崎市の最北部)を歩いた。

 小田急多摩線の黒川駅の近く、川崎と町田の境界線が尾根道となっている。コロナ前はしばしば散歩したが、最近はまったくしていない。

 快晴で風もあり、心地よい。途中、富士山も見えた。すれ違う人も少ない。と、書いてはみたものの、コロナ前とは違う。風景ではなく、こちらの体力。でこぼこ道は歩きにくい。目が悪くなって、足下が見づらい。つまずかないよう足下を気にしていると景色が目に入らない。ぎこちなくのろのろ歩くことになる。まごうかたなき後期高齢者である。

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 桐光学園(野球やサッカーでおなじみ)の脇を通る。このまままっすぐ行くと川崎フロンターレの練習グラウンドにぶつかる。その手前で左に折れる。風の谷幼稚園がある。この地域では有名な幼稚園。敷地は広いが、平坦ではない。建物も坂というか崖に建っている。写真はその建物。

 園児は緑の中で遊んだり学んだりする。昨年だったか、新聞沙汰になったことがある。何人もがハチに刺されたのだ。ここならありうる。

 園児たちを映した映画も作られている。タイトルは「時代遅れの最先端」。先月末、DVDが発売された。

 風の谷幼稚園の前をぬけるとお寺がある。常念寺。ここには、大川慶次郎の墓がある。競馬ファンならご存じだろう。

 ここまで来ると、栗平駅は近い。1時間ちょっとの散歩であるが、坂があり、でこぼこ道なので、ひどく疲れた。体力は年相応に衰えている。

2024年5月 3日 (金)

野良グッピー

 野良グッピーというネット記事を見つけた。

 道路わきの溝で大量のグッピーが生息しているという。沖縄でのことだ。水槽で飼われていたグッピーを側溝に捨てたらしい。グッピーは熱帯魚だけど死なずに生き延びている。側溝を網ですくうと何十匹も獲れる。温暖化のせいだろう。多摩川にもグッピーが生息していると聞いたことがある。

 温暖化はさておき、生息する魚を「野良グッピー」と表現するのに引っかかる。野良といえば野良ネコか野良イヌしか思い浮かばない。野良グッピーが普通の表現となれば、多摩川あたりで大量に舞う外来種のインコは野良インコとなる。千葉のキョンも野良キョンとなる。

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 国語辞典で「のら」を引いてみる。新明解国語辞典。意外なことに最初に出てくる語釈は、ノラ猫とかノラ犬の「のら」ではない。 

  定職が無く遊び暮らすだけで、社会的には歓迎されない状態(にある者)

 不逞の輩。こういう意味でつかうことはほとんどない。

 のらは野良と漢字をあてる。もともとは畑、野原を意味した。野良仕事、野良着といった形で使う。その「のら」がおなじ発音である不逞の意味の「のら」と重なった、そう考えてよいのか。不逞ののらは「どら」と置き換えることができる。どら息子、ね。

 野生化したグッピーを野良グッピーと表現するのには抵抗があったからちょっと調べてみただけのこと。外来種だといって騒ぎたてることはない。メダカを追いやっているとの話もあるが、さて、どうか。

 狸や鳥のエサとなるから増えすぎることもなかろう。

2024年5月 1日 (水)

雲助・左橋二人会

 連休の合間、眼科に行ってきた。眼底の検査をするので瞳孔を開く目薬をつける。これをやるとまぶしくなって視野がぼやける。活字が読みづらい。パソコンの文字も拡大して目を凝らさないと読めない。で、昨日、書くつもりのブログを日延べした。

 二日続けてアルテリッカ演芸座に行ってきた。

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 五街道雲助初音家左橋二人会。雲助は、昨年、人間国宝となった。左橋は川崎ではおなじみの本寸法の噺家である。二人とも先代金原亭馬生の弟子。

 今回の演目

 雲助  お菊の皿

 左橋  竹の水仙

 左橋  宮戸川

 雲助  淀五郎

 いずれもおなじみの噺である。

淀五郎」は歌舞伎ものである。塩冶判官役に抜擢された淀五郎だが、切腹の場面でしくじることになる。由良助役の座頭の團蔵は淀五郎に近づかない。なぜか。淀五郎の演技にダメ出しをしていたのだ。淀五郎はそれがわからない。苦悩する淀五郎はどうやって苦境を脱するのか、そんな噺である。

 歌舞伎ものを演じるにはかなりの技量がいる。声出しが肝心。それをうまくやれる噺家は少ない。柳亭市馬ほか数人しか思い浮かばない。もちろん雲助も入っている。

 雲助はたっぷりゆったり演じた。さすがの芸。人間国宝に値する。観客も引き込まれるように聴いていた。

 雲助の「淀五郎:」は以前聴いたことがある。今日の出来はそれよりうんとよかった。心地よい気分に浸った。

 眼の方は、今朝になってほぼ回復した。といっても、点眼前に戻っただけのことだが。

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