『方舟を燃やす』
角田光代の『方舟を燃やす』を読み終えた。
主人公ふたりの半生を描いている。1967年に生まれた飛馬は鳥取の公立高校を出て東京の私立大学に入る。そして都庁・区役所に勤める。もう一人の不三子は1967年当時は中学生。高校を卒業し製菓会社に勤める。やがて結婚、二人の子を設ける。
飛馬は小学生のときに母親を亡くしている。その死のきっかけをつくってしまったのではないかという重荷を背負っている。不三子は料理教室に通い、そこで玄米食とか無農薬低農薬野菜の信奉者になる。家族はその食事を受け入れない。面と向かって反対はしないが、弁当をだまって捨てている気配がある。不三子は自然食の延長で子に幼児用ワクチンを打つのを拒んでいた。
この物語のキーとなるのは、噂とかオカルトとか予言ブームである。コックリさん、ノストラダムスの大予言、口先女・・・。大きな事件が起きるとさまざまな偽情報がとびかう。多くの人はそれを信じないまでも懐疑的になったりする。飛馬も不三子もそうである。ふたりの暮らしが交互に描かれ、出会うことはない。終盤まで。
途中、気になったのは「方舟を燃やす」というタイトルである。方舟はなにを象徴しているのだろうか。ノアの方舟? ノアが方舟を燃やしてしまう? それとも神が燃やす? いや、主人公自身が燃やしてしまうのか? などと連想が広がる。
物語は、だれもが想像するような事件というか世相が描かれる。パンデミック、コロナ禍である。ずいぶん噂や偽情報が飛び交った。いまとなっては半分ぐらい忘れてしまっている。
物語は、移ろう世相の中を生きていく二人を描いている。
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