臨死体験 もういいかい
ひさしぶりに友人とおしゃべりをした。病気の話題がはずむ。
友人はペースメーカーを入れている。脈拍がおかしくなって入院した。入院中、脈が止まったという。ふーっと気持ちよく意識が遠のいていった。白い着物の、ぼさぼさ髪の爺さんが現れて、あんた、まあええかね? と問いかけ、赤いボタンを押そうとした。それに対し「孫が小さい。もう少し待って欲しい」と答えると、すっと爺さんは消えたという。
死神か。おもしろいのは、そのことばがなぜか名古屋弁だったことだ。すこし古い名古屋弁なら、おみゃあさん、まあ、ええきゃね、となる。
この話をひとにしたら、私も同じだったとか、別の人もそんなことを言っていたとか、類似した事例がいくつも出てきたという。臨死状態で出没する死神は名古屋弁をしゃべる。赤いボタンを押そうとする。
落語の「死神」はローソクである。ローソクの火が消えたら命が尽きることになっている。ローソクの火は風が吹いて消えるとか、間違って吹き消すこともある。くしゃみでも消える。死神が吹き消す場合もある。さまざま。そこが面白いのだが、名古屋弁の死神は赤いボタンである。
幸い、私に臨死体験はない。いずれ死神は訪れるだろうが、そのときは、なんと言えばよいのだろうか。考えておこう。赤いボタンを奪ってしまうという手もある。
こんな妄想がでてくるのは、ま、暑いからだろうね。
百日紅は元気だ。
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