無料ブログはココログ

« 2024年8月 | トップページ | 2024年10月 »

2024年9月

2024年9月30日 (月)

「しんゆり映画祭」は今年で30年

しんゆり映画祭」は今年で30年になる。多くのボランティアにより支えられてきた。

 30年を記念して、この地域にゆかりの深い、今村昌平監督、岡本喜八監督、実相寺昭雄監督の映画が上映される。プログラムはしんゆり映画祭のウェブサイトをご覧いただきたい。

Img_4453

 写真は新百合ヶ丘駅前のペディストリアンデッキに告知看板を設置したときのもの。近隣の人はこの看板がでると、ああ、今年も映画祭が始まるんだと理解する。

 ハイライトは何といっても役所広司さんがゲストトークに登場することだ。忙しいから無理だろうと思っていたが、オーケーの返事。ボランティアスタッフは大喜びした。チケットはもちろん完売することと思う。

 わたしのおすすめは「ブリング・ミンヨー・バック!」。日本の民謡を賑歌い演奏するグループ(民謡クルセイダーズ)の海外ツアーを追ったドキュメンタリーである。リズムは中南米のラテン調。11月3日には、実際に来場してのイベントがある。

 民謡クルセイダーズには熱狂的ファンがいる。遠くから駆けつける人もいるだろう。これもチケットは早々に売り切れるものと思われる。

 ということで、10月末から11月初めの土日祭日の川崎市アートセンターは賑やかになる。

 

2024年9月28日 (土)

「スオミの話をしよう」

 スオミと聞けば、まず、フィンランドを思い浮かべる。「スオミの話をしよう」ならフィンランドの国や暮らしのことだと思うが、映画は違う。女性の名前である。

 三谷幸喜脚本・監督だからナンセンスコメディである。クスクスわらって、アア、おもしろかったとなれば、それでよい。フィンランドとロシアの国境あたりの緊張はさしあたって関係ない。

240831143651343

 このスオミ(長澤まさみ)の5番目の夫・寒川のもとにスオミを誘拐したとの知らせがある。夫は前夫の刑事に捜査を依頼する。で、次々と前の夫が寒川家に集まる。犯人から3億円の身代金の要求があるが、逆探知はうまくいかない。といった具合で、どたばたのギャグが飛び交う展開となる。明らかになるのは、スオミがそれぞれの夫に対して違うキャラを演じてきたことだ。これがばかばかしい。中国人のようにふるまったり、アニメにキャラのようにかわいらしいギャルを演じていたり・・・まったく別人のよう。このあたりの長澤の演技がみどころ。つぎつぎと使い分けるあたりは、スオミ嬢ご変げ、といったところ。

 夏のくそ暑さは、ようやく去った。セミの声も絶えた。残るはだるさ。このだるさを吹き飛ばすにはばかばかしい映画もよい。

2024年9月26日 (木)

「ナミビアの砂漠」

 銀座で飲み会があった。せっかく都心に出かけるのだから、それだけではもったいない。映画を観た。日比谷のTOHOシネマズ。映画は「ナミビアの砂漠」。若い女性が主人公だということ以外ストーリーは知らない。

 240925122722970

 日本を脱出してナミビアの砂漠に行く、自分探しの旅。タイトルから連想したのだが、違っていた。

 カナは脱毛エステサロンで働いている。男と同棲中。もう一人の男とも付き合っている。そっちに乗り換え同棲するのだが、カナはイライラして怒りをぶつける。怒鳴りあい、大立ち回りとなる。仕掛けるのはいつもカナである。男は、もうムリと言って家を飛び出すのだが、つぎのシーンではもとに戻っている。そして、また、イライラした感情をサンドバック男にぶつける。夫婦げんかのようなゲームを繰り返している。

 カナのいらだちはおさまらない。精神科を受診したりするのだが・・・。といったことの繰り返しで映画は続く。途中から、こちらがイライラしてくる。出口なし。低予算映画であることにもちょっとイラつく。

 ナミビアの砂漠らしきシーンが出てくるのは、エンドロールである。砂漠の水飲み場。動物がやってきて水を飲む。ただそれだけ。

 なにかを象徴しているのだろう。動物たちは渇きを癒しに水飲み場にやってくる。カナも渇きを癒そうともがいているってことを暗示しているのか。

 それにしても、めんどくさい女やなあ。

 

2024年9月24日 (火)

「ソウルの春」

 1979年12月に韓国で起きた軍事クーデターを描いた映画である。韓国では大ヒットしたという。

 その年の10月には長期独裁を続けた朴大統領が暗殺された。政治的混乱というか対立の中でのクーデターであった。

240918172723570

 映画は事実をベースにしながらフィクションを交えている。クーデターの首謀者(のちの大統領)チョン・ドゥファンはチョン・ドゥグアンという名になっている。ファン・ジョミンが演じる。「工作 黒金星と呼ばれた男」の演技が印象に残る。名優である。

 映画は緊迫した場面が続く。登場人物が多くてよくわからない。そのうち、対立する人物となるのが首都警備司令官に任命されたイ・テシン(チョン・ウソン)であることがわかる。ハナ会(クーデターグループ)の諜報活動をしのぎながら、ソウルに鎮圧部隊を結集させようとする。

 歴史的事実を知っているから結末がどうなるかはわかっているが、ハラハラする。イ・テシンの英雄的活動を描く。

 途中、ファン・ジョミンが誰かに似ているのに気付いた。総理大臣だった菅さんだ。頭髪が少なくなっているあたりがそっくり。ちょっと笑った。

 最後に、チョン・ドゥグアンがひとり便所で高笑いするシーンがある。総裁選で小泉新次郎がどうなるかわからないが、もし総裁に選ばれたら後見者である菅さんは同じように高笑いするのだろうか。そんなシーンがひょいと浮かんだ。

 

2024年9月22日 (日)

『あなたの代わりに読みました』 

 書評家は大変な稼業だ。たくさんの本を読み、これぞという本(義理とか、本意でないイヤイヤの本もある)の紹介、批評を短い文章でまとめなければならない。労力の割には実りは少ない。それだけで生計をたてるのはむずかしい。ご苦労な仕事である。

 そんななか、活躍する二人の女性書評家がいる。斎藤美奈子豊崎由美。一目置いている。書評はまとも。といよりレベルが高い。その文章に釣られて読むと書評が的確であることがわかる。

 斎藤美奈子の『あなたの代わりに読みました』を読んだ。

240918061915756

 私は、目が悪くなった。右目だけでは新聞の活字が読めない。左目は緑内障で視野が半分欠けている。ロービジョンというのだそうだ。

 読むスピードも時間も減った。月2冊程度か。年間100冊ぐらい読んでいた時期もあったのだが・・・。そんな中で「アナカワ」を読んだ。サブタイトルに「政治から文学まで、意識高めの150冊」とある。

 週刊誌に連載されたもので、とりあげる書籍は軽く読めるものがほとんど。私が読んでいる本は10冊もない。少ない。

 読んだつもりになればよい。しれでも、読みたい本を10冊ほどメモをした。10年ぐらい前のものもある。いくつかは図書館にあるだろう。まず。チェックしてみよう。

2024年9月20日 (金)

「夜の外側」後編

  きのうの続き。「夜の外側」第四話は、赤い旅団のメンバーたち。誘拐には成功するが、身代金は手にしていない。メンバーには温度差がある。プロレタリア革命を謳いながら簡単に人を殺す、支援者から離反していくのではないかと穏健派は強硬策を疑う。モーロの処遇を巡って紛糾する。

 教皇側と接触するのだが、どのような手筈で接触したのかは不明。そのあたり、私がぼんやりしていたのかもしれない。

 第五話はモーロの妻を中心に描かれる。家族はマスコミから追われることになり、普通の暮らしができなくなっている。そんななかで、妻はモーロ救出に奔走する。政府要人と会い、全力を尽くすよう訴える。しかし、反応ははかばかしくない。彼女は落ち込むが、それにめげず救出を祈る。

240815172824255

 この映画、苦悩を描いたものだと気づく。モーロは死の恐怖と闘いながらわずかな希望を抱く。教皇も苦悩する。なんとか救出できないものかと。モーロの妻も同様である。

 そして第六話。目隠しをされた若い神父が赤い旅団に拘束されたモーロのもとに連れていかれる。生死を確認するとともにモーロからの告解を聴く。

 で、どうなるかであるが、ここからがよくわからない。放置された車の中でモーロが見つかる。生きている。そして家族ももとへ。無事救出されたかと思うのだが、繰り返すように車で亡くなったモーロが見つかる。えっ! とおどろく。生きていたのではなかったのか。生きて見つかったモーロは替え玉だったのか。ぼんやり見ていたので、このあたりの経過はわからない。キツネにつままれたような・・・。

 といったことで、映画は終わるのだが、史実とフィクションを織り交ぜたものだとテロップが流れる。

 重厚にして奥深い。不明な部分もあるが、いい映画だ。映画のチラシに「長さを全く感じさせず、観る者に大きなカタルシスを与えるに違いない」とある。5時間40分、最後まで観たというカタルシスはあるものの、すっきりしないものが残る。もう一度みればわかるかもしれないが、さしあたっては観るつもりはない。

2024年9月19日 (木)

「夜の外側 イタリアを震撼させた55日間」

 マルコ・べロッキ監督の「夜の外側」の前編を観てきた。6時間近い大作。上映は2回に分けて行う。それでも3時間近くなる。尿意との戦いになるかもしれない。

240830165644481

 1978年の3月、キリスト教民主党の党首(元首相)のアルド・モーロが極左グループの「赤い旅団」に誘拐される。イタリアをゆるがす大事件となったが、わたしはそんな事件があったのを知らなかった。

 モーロは共産党との連立を模索していたが、賛否両論があり党内はもめていた。そんな折、議事堂に向かうモーロの車は赤い旅団のグループに襲撃され、モーロは誘拐されてしまう。ここまでが第一話。以下、前編は三話まで続く。

 第二話は内務大臣のコッシーガを中心に描かれる。コッシーガはモーロを師と仰ぐ人物で、モーロ救出に奔走する。ローマに警備の包囲網を作り、通信傍受センターを開設する。誘拐から14日後、モーロからの手紙が届く。

 第三話は、教皇パウロ6世が描かれる。教皇も救出策を考えていた。信者、国民に、モーロ救出を祈ろうと呼びかける。その一方で、寄付で集めた資金を身代金にしようとするが、強行派はこれに反対する。赤い旅団から教皇あてに手紙が届き、ひそかに救出交渉に乗りだす。

 ここまでが前編。一話ごとに主人公が違う。ということは4話以下も視点が違うことが予想される。

 印象に残るのは、教皇の苦悩ぶりである。すぐれぬ体調で知恵を絞る。教皇としての立場を崩さずに、モーロを救出するにはどうしたらよいかを画策する。

 重厚な映画である。この先が気になる。つまらなければ続編は観ないつもりだったが、そうはならない。後編のチケットを予約した。

2024年9月17日 (火)

「ボレロ 永遠の旋律」

 ラヴェルといえば、ボレロ。それ以上のことは知らない。たくさんの曲を書いたのだろうが、この一曲で名を残している。今でもよく演奏されているし、映画の挿入曲としてしばしば使われている。単純な旋律のくりかえしなのだが、人を引きつける。リズムも心に残る。

ボレロ 永遠の旋律」をアートセンターで観てきた。アートセンターは音楽ものの人気が高い。オペラ歌手だのクラシック音楽の映画はたいてい満員になる。新百合ヶ丘は音楽の街をうたい文句にしている。それにあわせて音楽好きが多いということだろう。今回の「ボレロ」はどうかと思っていたら、案の定、客席はほぼ埋まった。

240911101716673

 ラヴェルの半生を描いたものだ。100年ほど前。ラヴェルはバレエの曲を依頼されていたが、すこしも書けないでいた。スランプ。ラヴェルは過去をさまよう。大戦への参加、母のこと、恋人のことが浮かびあがり、苦悩する。それを突き抜けるように、簡単なメロディが浮かぶ。そしてそれを引き立たせるリズムが・・・。

 といったストーリーは映画にはよくある。パターン化された構成なんだが、この映画は、そこを丁寧に描いている。作曲のプロセスがみどころ。右手は鍵盤、左手はピアノの上部の板。指でリズムを刻む。ボレロは、打楽器の響きが心地よい。そのあたりの描き方がうまい。

 ところで、ボレロはただしく演奏すると17分になるのだそうだ。時間など意識したことがないけれど、一曲で17分は長い。しかも単純な旋律の繰り返しである。それがすばらしい演奏となる。単調でも観客を飽きさせない。演奏の最後の着地も優れている。

 最後まで聴きたい曲だ。17分だからそれほど時間を気にすることもない。

 

 

2024年9月15日 (日)

「映画とライブでジャズ大名」

 岡本喜八監督・生誕100年の記念イベントとして、「ジャズ大名」の上映とデキシージャズのライブ演奏会があった。

 しんゆり映画祭と川崎市市民ミュージアムの共催。会場は麻生市民館の大ホール。私もボランティアスタッフとして参加した。

240914151056653-1

「ジャズ大名」は40年近く前の映画だが、古臭くない。いま観ても笑える。幕末から明治、日本に漂流した黒人ミュージシャンのデキシージャズに魅了された大名が、佐幕だ倒幕だのといったことはそっちのけで、ついには大ジャムセッションを始めるといった奇想天外のストーリーである。

 ジャムセッションの場面では、ミッキー・カーチス、山下洋輔、タモリなども登場する。楽器は西洋楽器の他、琴、三味線,団扇太鼓、樽も加わる。

 映画のエンドマークにあわせるように主題歌を演奏しながらジャズバンドが登場する。「戸山喜雄とデキシーセインツ」。長くデキシーの活動を続けてきたグループである。ライブはなつかしい曲を演奏する。観客もノリがいい。手拍子、掛け声でライブを盛りあげる。

 休憩後は、映画出演者の本田博太郎岡本真美(岡本喜八の次女)、そして前田伸一郎(喜八プロのチーフプロデューサー)によるトーク。本田さんは岡本映画には6,7本出演している。最後には、岡本監督の扮装をして再登場。会場を盛り上げた。

 愉快な上映会になった。楽しんでもらえたと思う。わたしも満足した。

 しんゆり映画祭では、本祭として10月末から10数本の映画を上映する。岡本喜八監督作品では「大誘拐」を上映する。お近くの方はぜりお出かけいただきたい。

 

2024年9月13日 (金)

「エイリアン・ロムルス」

 最初の「エイリアン」を観たのは40年ぐらい前のこと。ジェットコースターのような恐怖感はさておいて、クルーのメンバー構成が印象に残っている。女性も黒人もいる。主人公の女性(シガニー・ウィーバー)はマッチョだった。この手のアクションものは男が中心になっていたが、「エイリアン」は違っていた。新鮮だった。いまでは当たり前になっているが、アファーマティブ・アクション(格差是正措置)を色濃く打ち出していた。以後、現実はともかくとしてハリウッド・コードとして定着している。

 最新作の「エイリアン ロムルス」をイオンシネマで観てきた。

240909081340813

 植民地となっている惑星は劣悪な労働環境となっている。新天地を求めて数人の若者がアンドロイドとともに今は使われなくなっている宇宙ステーションに移動(移植?)する。そこは廃墟だった。さらに凶暴なエイリアンが住み着いていた。

 といったことで、エイリアンとの戦いが始まるわけだが、詳細はよくわからな。ついていけない部分があるけれど、無視してよい。女性の体内に入り込み、あらたなDNAをもった生命体を生みだそうとしているらしい。

 人間はアフリカを植民地にした。しかし簡単には侵出できなかった。吸血ヒル、エボラ出血熱のような疫病、毒草、怪獣・・・。植民地化の歴史と重ねることができる。エイリアンをエボラに感染した獣と考えればよい。植民地化も経営も大変なのだ。

 といったアナロジーを想像しながら、ジェットコースターを楽しんだ。クルーメンバーの多くが犠牲となったが、いずれ(次回作)ではよみがえるのではないかと予感させる。それが悲劇っぽさを消している。勝手な解釈だが、そういう見方もある。

 

2024年9月11日 (水)

「ポライト・ソサエティ」

  新宿に出かけた。ついでに「ポライト・ソサエティ」を観てきた。上流社会の意味か。

 空手教室のシーンから始まる。イギリス映画だが、舞台はたぶんパキスタン。インドのようでもある。上流階級の家族。主人公のリアは高校生、将来はスタントガールになりたいと思っている。フォールギャルである。姉のリーナは絵がうまい、美術志望。その姉に恋人ができる。相手も金持ちらしいが、ちょっと怪しい。調べてみると、姉の子宮を狙っているらしい。

240904181804326

 音楽はロック調。パキスタンを感じさせない。突然、浅川マキの「ちっちゃな時から」が流れる。えっ、なんで? であるが、なつかしい。たぶん監督がこの曲が好きなんだろうと想像する。パンチがきいたいい歌だ。

 ちっちゃな時から 浮気なお前で、いつもはらはらする おいらはピエロさ・・・

 (この歌、50年ぐらい前にヒットした。今聴いても新鮮だ。知らない人はぜひYOUTUBEで聴いてもらいたい。)

 リアは後ろ回し蹴りが得意。このあたりはカンフーだ、

 といったぐあいで、ハチャメチャなコメディ。けっこう楽しめる。

 登場するのはほとんど女性。女の世界 マッチョな女性も登場する。空中を回し蹴りで跳ぶシーン(空中後ろ回し蹴り)がビューティフルである。

 

2024年9月 9日 (月)

 赤坂スイング・オールスターズ

 暑さがぶり返した。たいして夏バテもせずやり過ごしたと思っていたのに、ほっとする間もない。汗で目が覚める。眠れない。

 赤坂にジャズを聴きにいった。「赤坂スイング・オールスターズ」。去年の今頃も聴いた。主としてスタンダードナンバーを演奏する。観客もオールドジャズファンばかり。私と同年輩がほとんど。寄席と変わらない。

240907134339756

「朝日のごとくさわやかに」「世界は日の出を待っている」「スターダスト」「魅せられしギター」「アンフォゲッタブル」・・・おなじみの懐かしい曲である。50年代、60年代、ラジオから流れていた。

 演者の一人、秋満義孝さんは今年95になった。スイングジャズピアノのトッププレイヤーとして活躍してきた。この歳になってもピアノを弾けるとは大したものだ。秋満ピアノを聴くと、こころ落ち着く。

 花岡詠二さんはクラリネットプレイヤーの第一人者。芸達者だが、口のほうも達者。ダジャレは健在。観客を笑わせる。

 これにギター、ベース、ドラムスが加わってのクインテットだが、いつもボーカルの鈴木史子さんが加わっての赤坂スイングオールスターズである。

 帰りは赤坂カサスでちょいといっぱい。いい暑気払いであったが、外はまだまだ暑い。

2024年9月 7日 (土)

「愛に乱暴」

  イオンシネマで「愛に乱暴」を観てきた。江口のりこ主演。江口ファンとしては見逃すわけにはいかない。

 ずいぶん売れっ子になった。むかしから、突き放したような演技やけだるい雰囲気が気に入っていた。一度だけ立ち話をしたことがある。それはどうでもよい。

240830165629937

 桃子(江口のりこ)は夫の実家の敷地内で暮らしているごくふつうの主婦。しかし夫(小泉幸太郎)との関係は倦怠期というか稀薄になっている。ノラ猫を捜したり、ごみ置き場を清掃したりする日々。夫から、つきあっている彼女がいると告白される。すでに子を宿しているという。これをきっかけに桃子の気持ちはゆがんでいく。居間の畳をあげ、買ってきたチェ-ンソーで床板を切り取る。ジェイソンを思い浮かべる。床下に秘密がありそうだ。家庭菜園でとれたスイカを女のもとに持っていくシーンも意味ありげ。といった展開で、桃子の行動はさらに異様になっていく。

  カメラは手持ち、桃子の背後から撮影する。桃子のいらだちというかやり場のない感情を映し出す。

  さわやかな映画ではない。すっきりしないけど、ラストはおだやかである。アイスキャンデーを食べるような清涼感が伝わってくる。

 ついでのひとこと

  と、書いてみたが、すっきりした文章になっていない。ネタバレを避けようとしているせいか。

 源氏物語のシーンが浮かんだ。スイカを持って女に会いに行くシーンは光源氏が妻を寝取った柏木と会って相手を非難する場面と重なる。設定は似ている。

 桃子は、過去と決別する。どう生きていくのだろうか・

 

2024年9月 5日 (木)

生田寄席 文菊

 今回の生田寄席は、古今亭文菊。人気の噺家である。いつもは常連客が多いが、新規の客(たぶん追っかけ)が多かった。そのため満席。屋外、ガラス窓越しの席まで用意することになった。

 茶坊主のように登場し、若旦那風の雰囲気、いつもながらの風情である。

240904151703615

 今回の演目

 あくび指南

 水屋の富

 いずれもおなじみの演目である。「あくび指南」はあくびの稽古をするという実にばかばかしい噺である。それをどの噺家よりも丁寧に、たっぷり演じた。だから、ばかばかしさが増す。笑える。

水屋の富」は、天秤棒を担いで水を売ろ男の噺。なけなしの金をはたいて富くじを買ったところ一等が当たる。もらった800両は盗まれてはいけないと床下に隠すが、盗まれるんじゃないかと夜も眠れなくなる。金を取られる夢をみむだけで寝不足になってしまう。さて・・・。

 いくつものエピソードを織り込んで丁寧に演じる。声の響きもよい。江戸っ子らしい啖呵も心地よい。

 ばかばかしいお笑いがさらに可笑しくなる。大谷のホームランはスカッとさせてくれるが、文菊の噺はうっとおしい気分を解き放ってくれる。心のコリをほぐしてくれる。

 よいひとときだった。

 暑さも和らいだ。芭蕉の句が浮かんだ。

 あかあかと 日はつれなくも 秋の風

2024年9月 3日 (火)

「きみの色」

 ようやく秋らしくなってきた。アブラゼミの声は消え、ツクツクボウシが鳴く。ヒグラシがふさわしいのだが、なぜかこの辺りではヒグラシは聞かなくなった。

 山田尚子監督のアニメ、「きみの色」を観てきた。

240903095529827-1

 高校生が主人公。トツ子はちょっと変わっていて、人の個性が色に見える。緑とか赤とか美しい色とか。アニメの映像は、淡くて霧がかかっているよう。たいていのアニメは鮮やかな色調なのだが、「きみの色」は派手な色は抑え、落ち着いた色調となっている。

 トツ子は、学校を辞めてしまったクラスメイト・キミを捜す。キミは美しい色を放つ女の子だった。本屋で働いているとのことで、町中の本屋を巡り歩く。キミがギターの練習をしているのを見つける。もう一人、古書店で男子のルイと出会う。音楽好き。三人は意気投合してバンドを組むことになる。

 ミッション系の学校で校則は厳しいようにみえるが、教師は寛容で、クラスメイトも優しい。ルール違反をしても、とりたてて大事にはならない。そして、彼らは学園祭で演奏することになる。ただそれだけ。暴力も恋愛模様もない。ストーリーは単純である。

 監督も脚本も女性。前回観た「ラストマイル」と一緒。映画でも女性が大活躍する時代となっている。繊細さは女性の方が優れている。小説の世界では、すでに女性作家が優位となっている。

2024年9月 1日 (日)

「ラストマイル」

 久しぶりにスリリングな日本映画を観た。「ラストマイル」。

 巨大な宅配用の物流倉庫を舞台とするものだ。アマゾンの配送センターを思い浮かべればよい。宅配品が届け先の家庭で爆発する。爆発物が仕掛けられていた。犯行声明があった。12個に爆発物を仕掛けたとのメッセージ。折しもブラックフライデー。もっとも忙しい時期である。一つずつX線検査で確認しての出荷となるから、入庫も配送も大混乱となる。

240828101619234

 巨大配送センターを舞台とした映画はいくつもあった。低賃金で仕分けや配送を担う労働者を描いたもの。今回の「ラストマイル」も同様であるが、それと並行して爆発藩を追うサスペンスものとなっている。ちなみに配送者の収入は一個配達して150円。

 派手なアクションシーンはない。スタントをつかうような派手な爆破シーンもない。そのあたりは控えめである。

 脚本は野木亜紀子、監督は塚原あゆ子。いずれも女性。主人公のセンター長も女性、満島ひかり。アクション映画にしてはハードではない。まなざしは優しいし、細やか。

 センター長は倉庫を止めないように踏ん張る一方で、犯人探しの手がかりを探る。内部の犯行が疑われる。

 警察は、つまり男性群はほどよくバカに描かれる。ま、よくあるパターン。ラストまで緊迫した展開となる。脚本がうまい。楽しめた。

 この映画、かつてのテレビドラマの延長にあるという。観ていないし、まったく知らなかった。

 タイトルのラストマイルは、ラストワンマイルともいう。むかし耳にしたことがある。配送の最後は人の手になる。インターネットがどれほど発達しても、最後に届けるのは人力、ヒトになるといった意味で使われた。そうなのだが、いずれ、ドローンやロボットに変わっていくことになるかもしれない。

  しんゆりのイオンシネマにしては観客は多かった。大ヒット映画になるかもしれない。

 

« 2024年8月 | トップページ | 2024年10月 »