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2024年10月

2024年10月31日 (木)

「西湖畔に生きる」

 西という字は、音読みだと、サイかセイになる。どう使い分けたらよいか迷う。

 思いつくままあげると、セイ(漢音読み)は、西暦、西部劇、西岸、都の西北・・・。サイ(呉音読み)だと、西方浄土、西下、関西、印西、西遊記など。呉音読みは仏教用語に多い。西行も思いついた。

 中国にある西湖は迷う。セイコと読むのが、一般的である。

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西湖畔に生きる」をアートセンターセンターで観てきた。セイコとフリガナがふってある。

 西湖は杭州にある。大都市。むかし行ったことがある。西湖の畔は観光地となっており、多くの人でにぎわっている。上野の不忍池よりずっと大きいが、雰囲気は似ている。杭州はお茶の産地であるが、西湖あたりから茶畑まではバスで1時間ぐらいかかる。山間部。広い傾斜地に茶畑が広がっている。

 6月だったので茶摘みのシーズンは終わっていた。観光客は少なかったので、ゆっくり回ることができた。帰ろうとすると、駐車場には次々と観光バスがやってきた。その一団といっしょにならなくてよかつた。

 映画は、この茶畑で働くタイホアには息子のムーリエンがいる。夫は家を出て10年、行方知れずになっている。ムーリエンは化粧もせず清楚なイメージだが、突然、パーマ姿のきつい化粧をした女に変貌する。都会に出て、健康張り貼り薬を売る会社に勧誘されろ。そこでマルチ商法に手を染めることになる。

 マルチの勧誘シーンがすさまじい。マルチ商法ってのはこんな雰囲気なのかと驚かされる。熱狂の勧誘である。繰り返し繰り返し勧誘セミナーのシーンが映し出される。

 息子は、違法なインチキ商売だから母親に脱会せよと説得するのだが、聞く耳をもたない。といったストーリー。

 山水画のような茶畑や森の静謐な世界が広がる一方、湖畔ではむき出しの欲望が飛び交う世界が映し出される。

 自然と世相の対比が面白い。それ以上に、母親役のジアン・チンチンの演技が印象に残る。

 どうでもいいけど、西湖の読みは聖子を思い出せば、間違えない。

 

2024年10月29日 (火)

「八犬伝」

「八犬伝」を観てきた。それほど期待していたわけではなかったが、おもしろかった。

 滝沢馬琴役所広司)と葛飾北斎内野聖陽)の戯作談義というかおしゃべりを軸に、CGを駆使した「南総里見八犬伝」がダイジェストして描かれる。

 役所広司と内野聖陽の熟練した演技がみものだが、虚実の先にある世界がもうひとつのみどころとなる。

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  二人は鶴屋南北の芝居を観に行く。馬琴は芝居がそれほど好きではなかったが「四谷怪談」と「忠臣蔵」に引き付けられる。舞台を観た後、奈落にいく。そこで天井(舞台)から顔を出した南北と出会う。

 忠臣蔵は史実をもとにした物語である。四谷怪談はまったくの虚、フィクションである。しかし、実の裏に虚があり、実の向こうは虚となっている。虚とか実とか表面だけではわからない、そこがおもしろい。南北はそんなふうに自作を語る。(「四谷怪談」は怪談の奥底にある因果応報、輪廻といった思想があるのだが、ここでは触れない)

 なるほどと思う。南北をだれが演じているか暗くてわからない。エンドロールで立川談春とある。そうだったのか。たったワンシーンだが、この掛け合いが印象に残る。この映画いちばんの名シーンである。

 ということで、おすすめ。

  ところで、かつて八犬伝に登場する剣士の名を覚えていた。NHKの人形劇もときおり見ていた。犬塚信乃、犬飼現八・・・あとはすっかり忘れてしまった。

 しんゆり映画祭初日に役所広司さんのゲストトークがあった。残念なことに私は見ることはできなかったが、お客さんには楽しんでもらえたということだ。

2024年10月27日 (日)

文字は記憶力を衰えさせる

 ゴリラ研究の大家である山極寿一さんとシジュカラの鳴き声研究で注目を浴びている鈴木敏貴さんとの対談集『動物たちは何をしゃべっているのか?』を読んだ。

 シジュウカラは200以上のことば(鳴き声)を使い分けていて、複数の語を組み合わせる文法をまで使っている、といったことは以前少し触れたこともあるのでここではやめておく。別のことが思い浮かんだ。記憶力である。

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  瞬間的な記憶力はヒトよりゴリラの方が優れている。

 たぶんヒトはそれなりの記憶力をもっていたのだろうが、衰えてしまった。原因は、文字である。文字を発明したことによって記憶力を衰えさせてしまった。

 文字のない時代、漢字伝来以前は記憶力のすぐれたヒトはたくさんいた。古事記をまとめた稗田阿礼はすぐれた記憶力の持ち主といわれるが、当時、記憶力の優れた人はたくさんいたと思われる。アイヌは文字をもたなかったが、ユーカラを暗誦できる人はたくさんいた。文字がないから記憶に頼った。

 文字を手にすることで、記憶力はそれほど必要でなくなってしまった。で、衰えた、と考えられる。

現代風に言えば、外付けのハードディスクなのだ。クラウドでもよいのだが。そこに記憶を文字として仕舞っておいて、いつでも引き出せるようにしておけば、脳に記憶や知識をたくさん保存しておかなくてもよい。かつて記憶を司った脳のフィールドはそれほど大きくなくてもよくなった。

 従来型の知識や記憶は外付けのHDDにとっておく 前頭葉はちがった使い方をしてもよいということだ。

 と、書いて、別の考えが浮かんだ。年をとると、外付けHDDのどこに保存したのか忘れてしまうことが多くなる。動物が仕舞い込んだエサの場所を忘れてしまうことがある。あれと同じ。近ごろはそれを感じる。

 老いたトリは仲間に、エサの場所知らないかとしゃべりかけている(鳴き声を発している)こともあるのかもしれない。

2024年10月25日 (金)

「まる」

  荻上直子監督の「まる」を観てきた。萩上監督作品は「かもめ食堂」以来、たぶん全部観ている。

 世間とは少しずれ、時間がゆるく流れているものが多い。そこがユーモラスで魅力的。引き付けるものがある。

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「まる」は堂本剛が主演。沢田(堂本)は美術で身を立てたいと考えているが芽はでない。コンビニでアルバイトをしている。ある日、沢田が描いたマル(〇)だけの絵が評判を呼び、展覧会まで開かれるようになる。

 まるの絵は、禅の精神を表しているとか、宇宙だの平和を象徴していると評価されることもある。そうした現状を沢田は受け入れれられない。居心地がわるい。アパートの隣の住民からはうるさく付きまとわれたりもする。

 といった内容だが、事態がそれほど進展するわけではない。非現実の、ファンタジーと考えればよい。荻上監督の次回作がどうなるかわからないけど、たぶん観ることになる。「川っぺりムコリッタ」のような雰囲気の映画を期待している。

 

2024年10月23日 (水)

「室井慎次 敗れざる者」

踊る大捜査線」シリーズの続編というかスピンアウト作品。フジテレビが熱を入れて宣伝している。

 警察組織を変えると青島と交わした約束を果たせないまま室井管理官(柳葉俊郎)は警察庁を辞め、故郷山形に引き込む。二人の少年の里親として静かに暮らしている。住まいのリホームに精を出している。目と鼻の先で埋められた他殺体が発見される。これが発端だが、事件捜査にはスポットがあたらない。

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 こどもたちの話になる。もうひとり女の子が同居することになる。それぞれ、親が事件の加害者だったり被害者だったりして、心にキズを抱えている。本筋を離れているわけではないが、是枝監督風の世界になる。

 発端の遺棄死体の事件の方は進展しない。最後にちょろっと火事騒動があって、これが来月公開の「生き続ける者」に続くことになる。

 前編だとわかっていた、それでもそれなりの映画にしておいてもらいたいと思うのは期待しすぎか。中途半端な気分にさせられる。「ゴールデン・カムイ」は続きものだったけど、それなりに完結していたのを思い出す。

 笑いは少ない。巡査がひょうきんに振る舞うが、浮いている。いらないキャラだ。

 組織の中で生きる人間ほど信念が必要だといったセリフがでてくるが、室井は信念がある故、そこから離れたわけだろうと突っ込みを入れたくなるが、まあ、どうでもいいか。

 11月、ひまがあれば続編を観てみよう。どんな決着をつけるのか、予想外の展開となるのか、気になると言えば気になる。

2024年10月21日 (月)

 遊雀・萬橘二人会

 鶴川落語に行ってきた。三遊亭遊雀三遊亭萬橘の二人会。この二人会はことしで4年目になる。

 二人は仲がよい、らしい。高座では相手をからかう。萬橘のチラシの写真(あごに手をあてた写真)、なにを気取ったポーズをしているのかと遊雀はわらう。さらに、あいつはいつも着物姿、高座ではそれほどでもないが、ふだんはだらしなく、裾を引きずりながら歩いている、貧乏浪人かと客席を笑わせる。

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 といったことはさておき、今回の演目

 萬橘  しの字嫌い

 遊雀  三方一両損

 遊雀  干物箱

 萬橘  甲府い

 いずれも古典噺。それには触れない。二人の持ち味についてひと言ふた言。

 遊雀の持ち味は軽さだろう。落語が楽しくてしようがないという気分にあふれている。落語は軽く、さらっと演じる。即興のギャグを多く織り込む。共演者との楽屋でのやりとりだったり、ひょいと思いだしたエピソードだったり。ここでしか聴けない即興ネタ。これが笑える。前に上がった演者のしゃべりをよく聴いている。これを噺に織り込む。うまいものだ。

 萬橘は反撃しないけど、途中であごに手をあてる仕草をして笑いをとる。ま、互いに楽しんでいる。客席にもその楽しさが伝わってくる。

 萬橘の落語のうまさについては何度も書いているから省く。とぼけた雰囲気に味わいがある。

 帰り、鶴川駅で電車を待つ萬橘師匠を見かけた。着物姿だった。ちょいと挨拶をして、着こなしを7チェックした。

 だらしなくはないけれど、ぱりっと着こなしているわけではない。胸元が少しはだけていた。きりりとしてないところが、萬橘らしい。芸風に似合っている。

 

2024年10月19日 (土)

「2度目のはなればなれ」

 マイケル・ケインが、これが最後の映画出演と表明している「2度目のはなればなれ」を観てきた。マイケル・ケインは現在92歳。立派な歳だ。引退にふさわしい映画だった。

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 実話をベースにしているという。バーナード(マイケル・ケイン)Dディ70周年の記念式典に出るため老人ホームを抜け出してフランス・ノルマンディーに向かう。ツアーは満席だったため一人で船に乗る。フラッシュバックのように戦闘シーンがよみがえる。

 無断で出かけたため、ホームは大騒ぎになる。妻のレネ(グレンダ・ジャクソン)は夫は必ず返ってくると信じているから静かに黙っているだけ。バーナードは同じ式典に向かう退役軍人と知り合い、ホテルの一緒の部屋に泊まる。そしてそれぞれを語り合う。

 上陸作戦中、仲間を死なせてしまったのを悔いている。その場面がくりかえし蘇る。「プライベート・ライアン」か「史上最大の作戦」のような戦闘シーンである。妻と出会った頃のこともなつかしい想い出として映し出される。この回想シーンが昔の名作映画を観ているようである。

 式典の座席は同泊した元軍人が用意していたが、それをパブにいた元ドイツ兵に譲る。自分はかつての仲間が眠る墓地に向かう。ざっとこんなストーリー。彼の動向はマスコミに知られることになる。行方知れずの老人がひとりでこんなところまで来ているとは・・・といった新聞紙面。大仰に「大脱走者」だと書く。

 感動的なんだろうが、涙を流すほどではない。そのあたりはほどよく演出されている。

 ただ、気になるのはタイトル。日本語の「2度目のはなればなれ」はそうなんだろうけど、わかりづらい。恋人(現在の妻)と戦争で引き裂かれ離ればなれとなったのが最初。2度目が今回、ということなんだろう。原題の「グレート・エスケーパー」は、たしかにそうなんだけど、ちょっと大げさ。

 しかし、まあ、老人には心地よい映画だ。老人ホームで映画をやるならこれだね。

 マイケル・ケインは引退したけれど、日本語字幕を担当したのは戸田奈津子さんは88歳。まだ現役でがんばっている。

 

2024年10月17日 (木)

一之輔独演会

 落語に出かける回数が減った。

 目が悪くなったので、夜の外出は避けるようにしている。暗くて鳥目状態になる。視野も狭くなり、とくに足下が見えない。近所ならどこに段差があるか分かっているので、転ぶようなことはないけれど、念のため懐中電灯を照らしながら慎重に歩くようにしている。

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 春風亭一之輔独演会に行ってきた。夜席である。会場までは五分ぐらい。勝手知ったる道である。

 一之輔は人気の噺家。「笑点」のメンバーとなってさらに知名度は上がっている。1000人収容できる大ホールは満席となった。

 マクラは「笑点」ネタではない。これがよい。「笑点」の裏話をすれば客受けはするけれど、安直。笑点芸人にはなっていない。

 大谷の話題。大谷の話ではなく、マスコミ批判。デコピンの始球式に大騒ぎなどするな。あんなの誰でもできる、と。

 今回の演目

 つる

 夢八

 うどん屋

 ふつうの落語ファンならおなじみの噺である。「つる」と「夢八」はずっと前、一之輔が真打になるかならないころ、聴いたことがある。あのころは月一ぐらい、一之輔の会に出かけていた。いずれも当時よりバージョンアップしている。より勢いがついてきた。あれこれ工夫しているのがわかる。立ちどまっていないところがよい。この工夫と言うかブラッシュアップが人気につながっている。トレーニングを怠らない大谷と似ている。

夢八」は首吊りの噺である。知らないうちに首吊り死体とともに夜をあかす。一種の怪談。首吊り男の演技が怖い。そこが見どころと言えば悪趣味になるが、一度見ておいた方がよい。おすすめだが、いつやるかはわからない。

うどん屋」は酔っぱらいの噺。「夢八」が夏向きならこちらは冬の噺。季節にはまだはやい。結婚式に行ってきたという酔っぱらい男が屋台のうどん屋にからむという噺。「替り目」とか酔っぱらいが登場する落語はいくつもある。それらの中でも「うどん屋」が酔っぱらいものの代表。小三治のを聴いたことがある。小三治バージョンにはしみじみさがある。これに対し一之輔バージョンは若さがある。ちょっと乱暴。それぞれ愉快である。オチは同じ。

 一之輔は「週刊文春」でコラムというか日記を隔週で載せている。これも笑える。おすすめ。

 

2024年10月15日 (火)

「ジョーカー フォリ・ア・ドゥ」

 コロナ前に「ジョーカー」が公開され、大ヒットとなった。その続編が「ジョーカー フォリ・ア・ドゥ」。あれからどうなるのか気になる。イオンシネマで観てきた。客は思ったほど多くない。「シビル・ウォー」ほどではない。

 前作から二年後という設定である。金融会社につとめるビジネスマンやテレビキャスターを殺害したジョーカーことアーサー(ホアキン・フェニックス)の裁判が始まる。アーサーはあばら骨が浮かぶほど痩せこけている。かつての面影はない。

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 裁判は、アーサーが多重人格者で精神異常をきたしているから無罪だというのが弁護側の主張である。精神科病院に収監されていたアーサーはリー(レディー・ガガ)という女性と出会う。ジョーカーファンのひとり。しだいに心を許していく。その一方で、アーサーはふてぶてしい反逆者のような一面は変わっていない。

 で、二人の愛情が芽生えていくというのかと思うのだが、ことは単純ではない。ミュージカルのように二人は歌う。アーサーはしゃがれた渋い声で、リーはのびのある艶やかな声で。題名は忘れてしまったが懐かしい曲も歌う。ジョーカーが異次元の陶酔の世界を夢想しているかというのか。ちょっと驚かされる。

ゴッサムシティは治安の悪い荒れ果てた街である。ジョーカーはゆがんだ社会に反抗する偶像にもなっているから、裁判は慎重に進められる。

 ミュージカルはファンタジーでもある。愉快な結末となるわけではないけれど、カタストロフにあふれている。

 それにしても、「ジョーカー」をミュージカルタッチにするとは、意外でもあるが、悪いわけではない。

2024年10月13日 (日)

映画祭、マルシェでチケット販売

 数日前、急に寒くなった。ケヤキは急いで葉を落としている。紅葉する間もない。

 こちらも、長袖のシャツ、薄いジャンパーを着て外出した。ハトがビルの片隅で首をすくめ、うずくまっている。鈴虫の音を聞いた。

 翌日は一転してもとに戻った。日向にいると汗がでる。

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 今年の夏は暑かった。去年も暑かったが、それ以上だった。暑さは地球温暖化という言葉でくくられてしまう。来年はどうなるか。たぶん今年以上になる。

 東京では今年、夏日は150日を越した。夏が半年近くになったということか。亜熱帯になったとの見解がある。そうかもしれない。

 十年後はどうなるか。クリスマスには、ティーシャツを着たサンタクロースがサーフボードに乗ってやってくるかもしれない。

 かもしれないを続けると、十年後にはシベリア産のコシヒカリを食べているかもしれない。

 しんゆり映画祭が今月末からアートセンターで始まる。昨日と今日、駅前でマルシェ(出店)がある。映画祭スタッフは、リーフレットを配ったり、上映作品のチケット販売もした。売れ行きはまあまあ。チケット完売したものもあれば、人気のないものもある。

 

2024年10月11日 (金)

「シビル・ウォー アメリカ最後の日」

  アメリカの分断が深刻になっていると言われる。共和党と民主党の対立だけではなく、貧富の格差、人種問題、移民・難民問題・・・・それらが複雑に絡みあって二極化が顕著になっている。

  映画「CIVIL WAR」は、アメリカが二つに分断され、南北戦争のような内戦となった。そんな近未来を描いている。

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 大統領の独裁に反対するカルフォルニアとテキサスが連邦から離脱し、その周辺州とも同盟を結んで政府軍と戦いを始める。戦況は反政府軍が有利となり、ワシントンに向け進軍する。

 女性の戦場カメラマンのリー(キリステン・ダンスト)らジャーナリスト4人は大統領にインタビューすべくワシントンに向かう。4人と書いたが、一人はまだ若い女性(ケイリー・スピーニー)、新米のカメラマンである。リーをあこがれている。

 戦争映画というよりロードムービーと言った方がよいか。見習いカメラマンの成長物語でもある。彼女が手にするのはニコンのフィルムカメラ。古臭いけどあじわいがある。

 死体が転がっていたりするが、ドンパチは少ない。ラストでようやく派手な市街戦の場面となる。それをニコンで激写する。

 司令官らしき人物は登場しない。国歌も星条旗よ永遠なれも流れない。打ち合いをする最前線の兵士たちばかりである。さらに、この手の映画には家族愛が描かれるものだが、それはない。人種差別も平気描いている。

 そのあたりに斬新さを感じる。ど派手なシーンはあるものの、ハリウッド映画の新しい方向というか傾向を感じる。

2024年10月 9日 (水)

「イナカ川柳」

 俳句ブームが続いている。川柳も人気がある。

「サラリーマン川柳」は勤め人の悲哀や自嘲を詠んで笑える。「シルバー川柳」も老人力というか、ほどよいボケ程度が好もしい。

「イナカ川柳」があることを知った。斎藤美奈子の著作で紹介している。図書館で借りて読んでみた。ただ川柳が並べてあるだけだから、活字は大きく、眼に優しい。

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 当然、田舎暮らしを笑うとか、自嘲したものがほとんど。過疎、老人ばかり、野生動物の出没、不便、独身男(嫁こない)、町興し、にぎわう病院・・・アルアルである。俳句なら凡人の句となるが、川柳は、その凡庸さを楽しむ。芸術性などどうでもよい。

 いくつか並べてみる。

 長男と 余った野菜は いつもある

 ウインカー 左に出して 右に行く

 ばぁさんは 歩く田舎の 盗聴器

 結婚は しなくて良いから 孫を産め

 また来たぞ 脱サラしたての そば職人

 ラブホテル 潰れた後に ケアハウス

 青年が 一人もいない 青年団

 10年近く前に出た本だから、現在とは多少の差がある。外国人妻を詠んだものがあるが、今は、どうなっているのだろうか。

 コロナ禍があり、デフレが続いた。円安といより円弱で日本経済の立ち位置は変わった。

 朝日新聞の歌壇に田舎を詠んだ短歌を見つけた。

 コロナ禍が葬儀大きく変えゆけり田舎といえど家族葬のみ

 田舎に家族葬が進み、シカやクマが都市部に出没するようになった。田舎と都会の差は縮まっている。

 田舎に限界村落があり、都会に限界団地(マンション)がある。

2024年10月 7日 (月)

「リリー・マルレーン」

 第二次大戦中、ドイツを中心に多くの国でヒットした「リリー・マルレーン」。あれは、マレーネ・ディートリッヒが歌ったと思っていたのだが、そうではなかった。

 映画「リリー・マルレーン」をアートセンターで観てきた。1980年の作品。それを4Kデジタル版にしたもの。監督はライナー・ヴェルナー・ファスビンダー

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 歌手のヴィリー(ハンナ・シグラ)にはロベルトという音楽家の恋人がいた。スイスに帰国(入国)できなくて二人は離ればなれになってしまった。ドイツはナチスの統治下にあった。彼女はピアニストとともに酒場で歌う日々が続いた。「リリー・マルレーン」をレコードにしたが、さして話題にはならなかった。ところがベオグラードのラジオ放送局がこの歌を流すと、たちまち兵士たちの心をとらえた。ドイツ国内でも流され、大ヒット曲となった。厭戦気分を煽るなど放送禁止にされたが、勢いはそれを乗り越え、広く、敵国であるイギリスなどでも歌われることとなった。その間、ロベルトとも秘密裏に会うことはあったが、時代は二人の仲を引き裂いていく。

 彼女はステージに立ち続け、リリー・マルレーンを歌った。チラシの写真がそれ。このシーン、わたしの心には、美空ひばりが浮かんだ。

 リリー・マルレーン愛にあふれた映画である。とにかく、しょっちゅうリリー・マルレーンが流れる。歌だけでなくBGMとしても。

 スピルバーグの「プライベート・ライアン」でも効果的に使われていた。最近では、リュック・ベッソンの「ドッグマン」でも歌われるシーンがあった。

2024年10月 5日 (土)

「侍タイムスリッパー」

 映画好きの友人が「侍タイムスリッパー」を観て、おもしろかったと言っていた。その映画のことは知らなかった。なんでも、たった一館で上映されただけなのだが、SNSや口コミで話題となり、上映館が広がっていったということだ。ふーん、「カメラを止めるな!」か。いずれどこかで観ようとおもっていたら。新百合ヶ丘のイオンシネマでやることになった。タイミングがよい。

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 自主映画である。しかも時代劇。低予算で時代劇を撮るのは難しい。そこを乗り越え、多くの協力を得て作られたという。有名な役者はでていない。宣伝費もかけられない中での上映の広がりは大したものだ。すでに100館を越えているという。大ヒットといえる。

 幕末、会津の侍が薩摩の侍との斬り合いの最中、雷に打たれてしまう。気がついたときは京都の時代劇の撮影所。武士姿だから違和感はない。撮影中の映画のエキストラとなる。斬られ役である。この姿が堂に行っていて美しい。以後、斬られ役の役者となっていく。福本清三を思わせる。

「カメ止め」より丁寧に作られている。幕末の侍が現代にタイムスリップするのだから、ズレが生ずる。そこがクスリと笑わせる。途中、ちょっとダレるが、斬りあっていた薩摩の侍もタイムスリップしていて、映画に登場する。ここから立て直して、映画は締まっていく。

 監督の安田淳一は米作りをしながら農閑期に撮影をするという。半農半映の二刀流である。映画はとりわけ殺陣、立ち回りのシーンがよい。時代劇ファンでなくてもはたっぷり楽しめる。

 NHK朝ドラ「オードリー」が先月まで再放送されていた。撮影所の話である。「侍タイム」はその雰囲気と似ている。長嶋一茂が役者役で出ていたが、この映画の主演の山口馬木也は一茂と似ている。

 で、結論。というほどのことではないが、ラストの一瞬をお見逃しなく。

2024年10月 4日 (金)

CIVIL WAR

 映画「シビル・ウォー アメリカ最後の日」が封切られた。まだ観ていない。

 アメリカに内戦が勃発したという近未来の話である。国内の分断化が問題となっている現状をヒントにしたものと思われる。

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 civilとは、市民とか公共のという意味であるが、civil warとなると内戦を意味する。大文字でthe IVIL WARと表記すれば、アメリカの南北戦争を指す。

 スペインの内戦を、スペイン市民戦争と訳することが多いが、civilに引きずられて市民と表現する必要はない。スペイン内戦でよい。

 ついでにいうと、civil をどう翻訳するかは工夫がいる。たとえば civil engineering は、土木と訳するのが正しい。土木事業とか土木工学。公共のと意味合いである。

 話はちょっと飛ぶ。プーチンはウクライナ侵攻を、特別軍事作戦と名付けている。ウクライナとの戦争ではないと言いたいらしい。その根拠をさぐれば、汎スラブ主義、大ロシア主義に行きつく。あそこは元々ロシアの領土であって、それを取り戻すだけ。ロシアの領土内での戦いだから、いわば内戦、奪回軍事行動だと言い張っているのだ。

 その根拠は薄いが、プーチン以下汎スラブの信奉者はそう考えているらしい。内戦。civil war だから第三国はだ黙っとれ! というわけだろう。

 今、ウクライナは軍事的に劣勢であるようだが、ゆくえはわからない。停戦の兆しはない。戦争は長引くように思われる。

 

 

2024年10月 2日 (水)

「憐れみの3章」

 ヨルゴス・ランティモス監督の「哀れなるものたち」を観たのはこの春先である。奇怪な映画がった。妊娠して脳死状態にある女性から胎児を取り出し、脳に移植する。その女性の成長記。大胆な行動をとるようになり周りの男たちは翻弄される。おもしろかった。

 そのランティモス監督の最新作である。まともなストーリーでないことは想像できる。

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 三部仕立てになっている。実のところ、設定がよくわからないのだが、これがランティモスなんだと思い、展開を追うしかない。

  第2話が分かりやすい。海で遭難した妻が救出された警察官の話。ところが妻は別人のよう、だれかと入れ替わってしまっていると疑いはじめる。その恐怖が狂気となっていく。こまごま説明しても面白さは伝わらない。同じようなシーンが繰り返されたり、指を切り落とすといった残酷なシーンもある。観ているうちに、タランテーノの昔の映画を思い浮かべた。観客を惑わせるタランティーノタッチである。

 強欲にして残酷、深く考えているようで場当たり的な行動、そんな人間たちをユーモアを込めて描いている。

 ランティモスの監督作品に「聖なる鹿殺し」がある。7年ほど前の映画。日本ではそれほど評価されなかったが、あれは面白かった。ラストシーンがカフカの『変身』を連想させた。

 といった話を友人らにしたら、カフカの『変身』、読んだけど覚えていないとか最後まで読んでいないという反応だった。

 そうだろうな。ちゃんと読むとよい。あの本の面白さはラストにある。

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