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2024年11月

2024年11月30日 (土)

はずい

 ことばは省略される。

「お求めになりやすい」が「お求めやすい」になって久しい。言いにくいからそうなるのは理解できる。今では、むかしは「お求めになりやすい」だったことを知らない人がほとんどとなっている。

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むずい」が「むずかしい」の省略と知ったときは驚いた。むずがゆいの意味と思っていたら、これが「むずかしい」のこと。そりゃおかしい。幼児がつかうのはよいが、大人がつかうのは変。ところが若者は平気でこの「むずい」を使う。アホかと思うが、だれも文句をつけない。

 テレビで「はずい」を聞いた。話の前後で、これが「恥ずかしい」の意味だとわかった。私はついていけない。

 就活とか婚活とか終活はわかるとしても、「恥ずい」はなかろう。若い人に「恥ずい」をつかうかと訊いてみた。聞くことはあるとの返事。使うことはあるかと訊くと、つかうことはないとのこと。

「すがすがしい」が、いずれ「すがい」などと表現されるようになるかもしれない。でも、スガイではあまり清々しくないかもしれない。

 

2024年11月28日 (木)

「二つの季節しかない村」

急に寒くなった。ついせんだってまでは夏日が続いたのに、季節は秋を通り越して冬。四季がなくなりつつあるのか。

 アートセンターで「二つの季節しかない村」を観てきた。トルコ映画である。舞台はトルコ東部の片田舎。ほとんど雪景色。遠くにエルブールズ山脈が見える。美しい村である。

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 美術教師のサメットはこの村の学校に赴任して4年になる。なんとかこの村からは抜け出したいと思っている。時にいらだって声を荒らげることもあるが、生徒からは慕われている。持ち物検査で女生徒セヴィムが書いたラブレターが見つかる。セヴィムはそれを返してくれとサメットにうったえるが、返さない。セヴィムはサメットともう一人の教師から触られたと訴える。校長は保身の気持ちもあり地域の役所(教育委員会?)に報告する。しかし、ことをあらだてたくはない。事態は収まるが、噂は静かに広がる。こここまでが前半。

  後半は、同僚の英語教師スライの話となる。彼女は美人、しかし足を引きずっている。あとで義足であることがわかる。宗教対立とかクルド問題もあり、その騒動に巻き込まれた事故であった。彼女は活動的で、反政府の立場である。サメットは穏健派というか事なかれの立場。二人は議論を繰り返す。スライはサメットの態度を責め立てる。

  この議論は激しく長く続き、人生観のやりとりとなる。字幕を読むのに追われてなかなか意味がつかめない。考えがまとまらないが、ま、どうでもいいか。

  このあとあれこれあって、サメットは自分の狭量さを自覚することになる。これ以上は書かないでおく。ひとつだけ記すと、最後にセヴィムがふたたび登場する。

  それにしても長い映画だった。上映時間は3時間18分。そんなに長いとは思っていなかった。3時間過ぎたあたりで尿意が気になり、トイレに駆け込んだ。すっきりした。

  2時間近くに縮めてもいいんじゃないか。そのほうがすっきりした映画になったような気がする。

2024年11月26日 (火)

「本日公休」

  理髪店を描いた小説や映画は穏やかなものが多いように思う。

  理髪師はハサミや剃刀を手にしているが、客は喉を切られるなどとはまったく思っていない。無防備。ゆったりシートに身を沈め、極楽気分でいる。散髪がおわれば、さっぱりした気分で店を後にする。穏やかである。

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 台湾映画「本日公休」を観てきた。台中の街にある小さな理髪店が舞台。ほのぼのとした映画である。高齢女性のアールイがひとりで店を切り盛りしている。娘たちは独立し、台北などで暮らしている。店の客は常連ばかりである。後頭部にもう一つの顔があると語る。長年、髪を切ってきた職人の感慨である。

 長く店に来ていた医者が来ないので電話をしてみると病に臥せっているという。彼女は出かけていって髪を切ろう思い立つ。店には、本日公休という札を掲げて。おんぼろのボルボで出かけるのだが、ケータイ電話を忘れていったので、家族は連絡がとれなくなってしまう。といったストーリーである。

  会話はユーモアがあってくすりと笑わせてくれる。台湾は中国本土から狙われている。政治的には厳しい面もあるけれど、さしあたっての日常はのんびりしている。

  床屋を舞台にした落語の「浮世床」も長閑なものだ。たわいもないおしゃべりが続く。

 ついでのひとこと

 桂雀々が亡くなった。享年64.頑丈そうだったが、あっけない。汗をかきながらのマシンガントークは逸品の芸だった。志らくがかつて、金を払ってでも聴きたい噺家は、市馬と雀々の二人だけだと語っていたことがある。プロからも評価されていた。

 

2024年11月24日 (日)

「SHOGUN 将軍」

 ことしのエミー賞でたくさんの賞をとった「SHOGUN 将軍」をイオンシネマでやっていた。この作品はネット配信されているが、スペクタクルものは大画面、大音響の映画館で観た方がよい。

 今回は第1話と2話。2時間長である。全10話とのことで、全部続けて観るのはしんどい。2話やって、「さて、これからがおもしろい。続きは来月」ぐらいがよいのだが、映画館でやってくれるかはわからない。

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太閤が亡くなり、世継ぎが成人するまでは5大老が支配する戦国の世という時代設定。太閤といっても秀吉を連想しないほうがよい。フィクションである。この5大老に対抗するのは伊豆を拠点とする虎永(真田広之)。

 伊豆に漂着したジョン(後の按針。イギリスの航海士)は虎永に助けられる。世界はポルトガルとスペインに二分されており、さらにカソリックとプロテスタントが対立するようになっていた。5大老の勢力は虎永を抹殺しようと襲いかかるが、按針の機転で助けられる。虎長と按針をとり持つのはポルトガル語に堪能な鞠子(アンナ・サワイ)。

 といったぐあい。相関図は複雑になるので、混乱する。しかし、虎長は窮地におちいったり、按針をたすけたりする設定だから、わかりやすいともいえる。

 ということで、これは長講の合戦物である。配信はディズニープラスだが、さしあたっては配信を観るつもりはない。映画館での上映を待っている。

 ついでのひとこと

 谷川俊太郎さんは月一で朝日新聞に詩を載せていた。17日のそれはちょっと変わっていた。いつもと少し違うように感じた。生と死のあわいをたゆたっているような・・・。タイトルは「感謝」だった。亡くなったのは13日。あわいのなかで浮かんだことばを綴ったものと考える。小さなおじいさんは亡くなるまでかっこよかった。亡くなってもかっこいい。

 

2024年11月22日 (金)

「国境ナイトクルージング」

 中国はコロナ禍が明けても遠い国になっている。

 ちょっとした観光旅行でもビザがいる。これがけっこう面倒らしい。行けないことはないけれど団体ツアーはない。スパイ法が強化され、これも旅行を躊躇させることになる。

 マスコミでは、経済の停滞が伝えられているが、GDPは堅調である。GDPの成長率が下がったと騒がれているけれど、日本に比べり立派なものだ。若者の就業率も低迷している。あきらめという寝そべり族の話題も聞く。どうなんだろうか。

 現代中国の若者を描いた「国境ナイトクルージング」を観てきた。シンガポールと中国の合作である。

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 場所は北朝鮮との国境近くの延吉。真冬。三人の若者が出会う。上海の大企業に勤めるエリート社員。なんとなく行き詰まりを感じている。旅行でこの街を訪れた。元フィギュアスケートの選手だった女性はバスツアーのガイドをしている。燃焼しきれなかった思いがある。もうひとりは叔母の料理店で働く男。学業をあきらめ、向上心を失っている。三人はディスコで遊んだり、酒を飲み、よっぱらってオダをあげている。延吉近くの長白山に出かける。この極寒の山行きのシーンがおもしろい。クマもでてくる。

 談笑するうちに、心のわだかまりってのが薄らいでいく。先行きの不安は幾分解消され、しっかり生きていこうという気持ちになる。

 朝鮮族が多く住まう土地である。ハングルが飛び交う。北京から離れているせいか、現代中国社会の息苦しさはそれほど感じられない。自由な雰囲気が感じられる。いい映画だ。

 ラストではアリランが流れる。

 ついでに言うと、中国映画にしては激しいベッドシーンがある。中国ではなくシンガポール映画とみるべきなのか、そのあたりはよくわからない。

 

2024年11月20日 (水)

「八起寄席」

 ツワブキが咲き始めた。風が冷たい。冬がきたと実感する。

 マフラーをして相模大野に出かけた。八起寄席。

 今回のお目当ては三遊亭兼好である。

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 演目

 三遊亭好志朗  権助魚

 三遊亭兼好   天狗裁き

 ポンちゃん一座 腹話術

 古今亭志ん陽  お見立て

 好志朗は、まもなく50歳になるがまだ二つ目。入門が遅かった。芸歴がは浅いが、並の二つ目とは違って上手い。ことし、さがみはら若手落語家選手権で優勝している。抜擢で真打に昇進する可能性はあるかもしれないが、それも本人の精進次第。

 兼好さんはあいかわらず明るく軽妙。「天狗裁き」のようなばかばかしい噺は、お似合いである。

 トリの志ん陽。一回り太ったようにみえる。マクラで、帯をしてないのじゃないかと言われたと語っていた。たしかに、太い腹に隠れてときどき帯が見えなくなる。

「お見立て」の登場人物は、花魁と客、それをとりもつギュウ(牛太郎)。花魁の冷たいわがままと客のまじめな頑固さに振り回されるギュウの姿が描かれる。志ん陽は、ギュウの振り回されぶりをよりこっけいに演じていた。

 忘れてはいけない。腹話術。色ものの腹話術を聴くのはひさしぶり。おばあちゃん、赤ん坊、トランプの人形をつかっての腹話術である。子供向きの交通安全のそれとは違う。ギャグも大人向けの内容になっていた。なかなかの芸である。トランプ人形なら、政治風刺劇になる。トランプで笑わせてもらいたい。

 コロナのころは仕事も少なくたいへんだったそうだ。でも、芸は楽だった。マスクをしていたので口元を隠すことができた。そりゃ、そうだ。

 

2024年11月18日 (月)

競馬好き芸人の会

  柳亭市馬の持ちネタに「掛け取り」がある。天下一品の名人芸である。

  この「掛け取り」を弟子の柳亭市若がやるという。その心意気を評価したい。二つ目の市若が師匠の芸にどれほど迫れているか、出来具合を見てみたい。

 同じ二つ目、立川志らくの弟子の立川志らぴーとの二人会である。題して「競馬好き芸人の会」、そのまんま。競馬好きの会である。

 冒頭、二人は京都競馬の10レースを予想する。落語が終わるころ、ラジオの競馬実況放送を流すという仕掛けになっている。

 今回の演目

 市若    出来心

 志らぴー  親子酒

 志らぴー  悋気の火の玉

 市若    掛け取り

 中入り後の志らぴーの「悋気の火の玉」、マクラは幇間の話だったが、途中でやめてしまった。「幇間腹」をやるつもりが心変わりして、「悋気の火の玉」となった。客席の私は「幇間腹」を続けてとリクエストしたのだが、無視された。ふん。

掛け取り」は暮れの噺。掛け売りの金をもらいに来た商人たちの請求をうまくかわしてしまう。川柳が好きな掛け取り人は川柳でかわし、歌舞伎好きには歌舞伎で断り、三河万歳には三河万歳でというぐあいですりぬけてしまう。円生の得意芸で、それを市馬が引き継ぎ、さらに三橋美智也バージョンにして、大好評を博した。

 市若の「掛け取り」、師匠にはまだまだ及ばないけど、意気込みはよい。真打になるころには、師匠お墨付きになるのを期待している。

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 で、競馬の結果。うまいぐあいに発走直前に落語はおわった。実況の結果は、写真のとおりである(了解を得て撮影)。ま、そんなに当たるもんじゃない。

 ついでのひとこと

 柳家喬太郎がダウンしたことは先だって書いた。「週刊文春」連載の「川柳のらりくらり」は一週休んだだけで復活した。よかった。来月の喬太郎と正蔵の落語会のチケットを購入済み。元気な姿を見たい。膝も治っているとよいのだが。

 

2024年11月16日 (土)

『ことばの番人』

 校正、似たようなことばに校閲がある。どうちがうか。わたしは、活字となった文章と元の原稿を照らし合わせ、まちがいをただしたりする作業を校正、もうすこし幅広く原稿の内容までチェックする作業を校閲だと区別してきた。校閲には百科事典が要る。たとえば信長が安土城の天守で望遠鏡を覗いている描写があったら、それは間違いだと指摘する。本能寺の変は1582年、望遠鏡が発明されたのが1608年。信長は望遠鏡を手にすることはない。

 現在、手書きの原稿から印刷物にすることは少なくなった。ほとんどがインターネット経由で送られてきた原稿をそのまま使う。活版印刷時代にあった誤記、抜け字などは発生しない。旧来のような校正の範囲は狭くなっている。校正は校閲のなかに吸収されていったわけだが、校正ということばはひろく普及しているので、校正のなかに校閲も含まれるとすればよいとする見解もうまれる。要はどっちでもよいということだ。

 校正者(校閲者でもよい)は赤ペンを使って誤字などを正したりする。内容的におかしいと思われる部分(誤用と決めつけることはできない部分)はエンピツでコメントを書く。あとで消せるし、著者がそれでよいと判断するかもしれない。

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 高橋秀実の『ことばの番人』を読んだ、本書を読んでいる途中で著者・高橋秀実の訃報を知った。びっくりした、享年62.胃がんだという。凡庸な感想は書かないことにする。それにしても惜しい。とぼけた味わいのある文体は他では代えがたい。

『ことばの番人』は校正(校閲も含む)をテーマにしたノンフィクションである。以前、校正の本を当ブログで採りあげてきた。それとは視点がちがう。校正の達人たちを訪ねて話を聴く。校正の技法だけでなく、その奥にある思想まで踏み込む。

 著者は哲学者のことばを引用することが多い。プラトンとかウィトケンシュタイン。本居宣長や聖書からも。沼正三もある。沼正三はマゾヒズムの著作で知られている。沼は新潮社の校閲部に在籍していた。マゾヒズムと校正の関係まで言及している。

  校正だけでなく、漢字の成り立ちや日本国憲法にまで言及している。内容は深く、哲学的と言ってよい。著者の視点は愉快でもる。

 といったことは、おもしろいのだが、あらたな著作が読めなくなるのは残念至極。だが、まだ読んでいない本もある。認知症の父をえがいた『おやじはニーチェ』も読んでない。

 まだ高橋秀実を楽しめるということだ。

2024年11月14日 (木)

「ルート29」

 風変わりな映画を観た。「ルート29」。

「こちらあみ子」の森井勇佑監督の最新作である。「あみ子」は観てはいない。評判はよい。

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 題名は鳥取と兵庫を結ぶ国道29号線のこと。清掃の仕事をするのり子(綾瀬はるか)は病院に入院している患者から、姫路にいる娘のハルを連れてきてほしいと頼まれる。で、車で姫路に行って、ぶじハルをみつける。帰り道の道路はだれもいない。車も通っていない。道のまんなかに車がひっくり返っている。老人を助け出す。老人は何もしゃべらない。たったひとこと「カヌーに乗りたい」と言う。カヌーにのった老人はカヌー仲間らしい連中と去っていく。へんな映画だ。雰囲気が違う。棒読みのセリフも多い。

  大きな犬二匹を連れた赤い帽子の女と出会うが、この女に車を奪われてしまい、歩いていくことになる。

 緑が美しい。風と鳥の鳴き声以外は聞こえない。エンジン音もしない。なんだか異境に来たような雰囲気になる。のり子は姉が勤める小学校に立ち寄るって姉の家で泊まる。姉の心境を聞く。

 といったロードムービーである。見終わって不思議な気分になる。それほどいい映画ってわけではないけど、たまにはこういう映画も悪くない。

 ストップモーションの中で動き回ったり、なにかの映画評に童話のような幻想的な世界とあった。まあ、そうなんだろうが、わたしの想いはそこからはずれる。

  人の想いには不安つきまとう。その不安のもとはわからない。不安の先がどうなっていくのかもわからない。無意識の不安・・・。映画ではしばしば描かれる。冒頭、風変りと書いたが、中身はよくあるパターンである。

 こういう映画はさほど話題にはならない。客席はがらがらだった。 

 

2024年11月12日 (火)

『蛍の光』

 文芸評論家の縄田一男さんは時代小説を専門としている。褒める評論家である。けなすことはない。この人の手になると、どれもがというとおおげさになるが傑作になる。だから、多少眉唾で書評を読むことになる。それでも、的確な評だと思うことが多い。縄田さん自身が時代小説の大ファンだということがわかる。

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 新聞で『蛍の光 長州藩士維新血風録』(阿野冠)の書評を読んだ。傑作だと評価しているわけではないが、視点の面白さ、志をもった若者たちの心情に寄りそった作品だと評価している。

 長州五人組(長州ファイブ)を中心とした物語である。山尾庸三、伊藤俊輔(博文)の視点で描かれる。ふたりは、血気にはやる暗殺者だった。人を殺めたが、才気を生かし、英国留学生に選ばれる。支度金を吉原につぎ込んでしまったりするが、長州戦争の直前、国を脱出しイギリスに渡る。庸三は造船学などを学んだ。俊輔は長州危機の報を知り、急いで帰国する。渡航するあたりが本書の中ほどである。

 二人を苦しめたのは、かつて犯した人斬りである。若気の至りとはいえ人には言えぬ人生の汚点である。その心の重荷を抱えながら怒涛の時代を切り開き、維新の立役者となっていく。おもしろい小説である。

 タイトルの「蛍の光」はあのスコットランド民謡である。この歌を象徴的に挿入している。

2024年11月10日 (日)

「十一人の賊軍」

  白石和爾監督の「十一人の賊軍」を観てきた。

 脚本家の笠原和夫が残したシノプシス(あらすじ)をもとに脚本にしたという。脚本は映画会社の対応に腹を立てた笠原がみずからのシナリオを破り捨ててしまったので幻となっていた。残されたシノプシスをもとにシナリオにした。いわば、笠原和夫へのオマージュ作品なのだ。

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 時代は戊辰戦争。薩長連合軍は長岡から新発田に向かった。新発田藩は会津と同盟を組んでいたが、なんとか薩長軍をやり過ごしたいと考えていた。藩は揺れる。城下が戦乱に巻き込まれるのは何としても避けたい。このあたりの歴史はややこしい。罪人(山田孝之仲野太賀たち)を決死隊として戦わせることで薩長の進軍を遅らせようとした。

 映画は、壮絶な斬りあいシーンを描く。流れるテーマは、そそのかし裏切り。つまり「仁義なき戦い」の世界と同じなのだ。メンツを重視し、戦う姿をみせながら、首をすくめる。

 ほうろく玉を投げて爆発させるなど、アクションは迫力があるのだが、画面が暗い。夜のシーンが多いせいもある。もうすこし明るく撮ってもらいたかった。見えないのは、こちらの目が悪くなったこともあるかもしれない。

 といったことで、そそのかし、あげくは罪人たちを殺してしまうという仁義なき藩の政略を描いている。生き残るため、小国はこうするしかなかったという物語でもある。

 家老(阿部サダヲ)は長岡のようにならなかったことに満足するのである。

 

2024年11月 8日 (金)

生田寄席 今回は桂文治

 生田寄席(棕櫚亭)に行ってきた。

 今回は桂文治。大きな声でにぎやかに演じるのが芸風。弟子の桂空治との親子会となった。

 演目

 空治  寿限無

 文治  家見舞

 空治  時そば

 文治  お血脈

 いずれもおなじみの古典噺である。

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 弟子の空治は二つ目。芸歴は浅いが、堂々たる高座で、将来大物になる予感がする。師匠は愛嬌のあるじゃがいも顔だが、こちらはさわやかな二枚目。人気もでてくると思う。

 家見舞はバッチイ噺である。新築祝いに便器として使っていた水瓶を贈るというストーリー。そこに貯めた水で冷や奴を食うはめになる。

 文治師匠は京都が好きになり、出町柳にアパートを借りて時々出かけているという。京都はホテル代が高くなったので、宿泊費を考えると割安である。ところが仕事があるのでなかなか行けないという。直近では、広島での仕事が急に入った。柳家喬太郎、急病のため代演。ストレス性の胃炎とか。ちょっと心配。

 お血脈は長野の善光寺の噺だが、内容はずいぶん変えていた。最後は歌でおわる。渚ゆう子の「京都慕情」。往年の大ヒット曲である。

 あの人の姿なつかしい たそがれの河原町・・・あの人の言葉想い出す 夕焼けの高瀬川

 これをフルコーラスで歌う。客席からは手拍子。アハハ。オマエは昔昔亭桃太郎かとツッコミを入れたくなるようなオチだった。

2024年11月 6日 (水)

「大誘拐」

  映画祭、掉尾は、岡本喜八監督の「大誘拐」だった。

「しんゆり映画祭」は今年で30周年となるが、その第一回、つまり30年前に上映された記念すべき作品である。岡本監督らしいユーモアにあふれた誘拐劇で、当時、大ヒットした。

 紀州一の大富豪の老婆(北林谷栄)が三人の若者に誘拐されるが、その身代金が少ないと、憤って100億円に引き上げ、誘拐犯をリードすることになる。誘拐劇の裏には奇想天外な思惑があった。

 岡本監督らしい反戦意識、国家に裏切られたという思いが色濃く浮かびあがる映画。痛快コメディアクションとなっている。

 むかし観たときは気づかなかったが、エキストラで影山民夫と山藤章二が出ている。へー。ちょっと笑ってしまった。

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 映画のあと、映画評論家の春日太一さんのトークがあった。春日さんの『鬼の筆』は、当ブログで採り上げたことがある。脚本家の橋本忍の評伝で、大宅壮一ノンフィクション賞に選ばれている。写真は春日さん。

 今回の映画祭、役所広司さんや柄本明さんのトークがあり、民謡ライブなどもあって、もりあがった。来場者には楽しんでもらえたと思う。

 ところで、ボランティアスタッフに女子高生がいる。高2。私の孫と同じ年。映画の選定から宣伝企画、当日の司会・運営まできちんと誠実にこなしてくれた。今回でいちおうボランティアは卒業。受験態勢に切り替えるという。大学生なったら、またボランティアとして活躍してくれるものと期待している。

2024年11月 4日 (月)

「ブリング・ミンヨー・バック!」

  しんゆり映画祭も終わりに近づいた。3日の「ブリング・ミンヨー・バック!」は盛り上がった。民謡クルセイダーズのライブがあったこともあり、多くのファンが駆けつけた。

 略して「民クル」は、日本民謡とサルサなどのラテン音楽を融合させたグループである。映画はその海外公演を追ったドキュメンタリー。

 ちょっと日本民謡について解説しておくと、ほとんどの歌詞は7・7・7・5の26文字で作られている。都都逸と同じ。俳句や短歌より、日本人にはこの26文字が染みついている。

 いくつか挙げると、

 ニシン来たかと カモメに問えば わたしゃ立つ鳥 波に聞け

 佐渡へ佐渡へと 草木もなびく 佐渡は居よいか 住みよいか

 草津よいとこ 一度はおいで お湯のなかにも 花が咲く

 郡上八幡 出ていくときは 雨も降らぬに 袖しぼる

 もちろん、そうでないものもあるけれど、26文字は聴いても、歌っても居心地が良い。

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 映画のあと、民クルのライブがあった、串本節、会津磐梯山、炭坑節など。手拍子、掛け声でも入って会場が一体となって盛り上がった。

 民クルのライブは満席になることが多いという。このノリなら人気沸騰となるのはわかる。

 ということで、今年の映画祭、民クルのライブのように盛り上がっている。

 

2024年11月 2日 (土)

しんゆり映画祭 残り3日間

「しんゆり映画祭」、今日も含め残り3日となった。

 ボランティアの一員として活動しているのだが、後期高齢者だからそれほどのことはできない。周りに迷惑をかけないよう、周りから気を遣われないよう、ふつうに振るまっている。

 昨日は小路紘史監督の「ケンとカズ」と「辰巳」を上映した。バイオレンス映画で、私はそれほど好きではないけれど、熱狂的なファンがいる。10回以上観たというお客さんもいた。

 上映後、小路監督、出演した遠藤雄弥さんらによるトークがあった。みな同世代。和気藹々とした雰囲気で、仲がよいのがわかった。監督も威張っていない。映画の暴力シーンからは想像できない。

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 写真はトーク後の撮影タイムで写したもの。

 終了後にサイン会があった。俳優の占部房子さんもサインを求める列に並んでいた。小路監督のファンらしい。

 で、一夜あけて、今日は「ウルトラマン」の上映がある。監督の実相寺昭雄さんは地元麻生区に長くお住まいだった。映画祭30周年記念イベントとして今回の企画となった。ゲストは映画評論家の樋口尚文さんと桜井浩子さん。アキコ隊員である。

 ちいさな映画祭にしては著名な俳優や監督が駆けつけてくれる。柄本明さんも今日午前中の「うなぎ」の会で登壇してくれた。私は観ることができなかった。

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