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2024年12月

2024年12月30日 (月)

『源氏物語のこころ』

 ことしは紫式部の年だった。NHKの「光る君へ」が好評だったこともあり、『源氏物語』もひろく読まれた。といっても原本が読まれたわけではなく、現代語訳とか解説書である。

  十数年前にもブームがあった。『源氏物語』千年紀である。そのとき少しかじった。しっかり読んだわけではないけれど、柏木とか女三の宮のことを知った。

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 先だって箒木蓬生の『源氏物語のこころ』を読んだ。以前、当ブログで箒木の『香子』をとりあげた。全5巻。『源氏物語』」と紫式部を描いたもので、大河ドラマと設定は重なる。

 で、本書『源氏物語のこころ』。『源氏物語』には「こころ」が5000以上つかわれているそうだ。「心細さ」とか「心憂し」とか「心やすし」といった表現も含めて。そんなに多いのかと驚く。本居宣長は「もののあわれ」の文学と言ったが、「こころ」の文学と言ってもよいのかもしれない。

「こころ」の意味は幅広い。本書は、さまざまな「こころ」をとりあげ、用例の意味を解説している。現代文に訳したものしか読んでいない者にとっては驚きだが、翻訳の妙というか深さを感じる。

 登場する主な女君たちの心がどのようにとりあげられているかを解説した章がある。

  一人だけ記しておくと、紫の上。心はつぎのように使われている。「心細し」「心憂し」「心うつくしく」「心用い」「まめやかなる心ばえ」「すぐれたる心ざし」「心にくし」「二筋の心づかい」など。多岐にわたっている。深くて簡単には説明できない。

 ついでのひとこと

  先だって、NHKBSで「新・源氏物語」をやっていた。1961年、60年以上前の映画である。主演は市川雷蔵。桐壺妃と藤壺は寿美花代の二役。原作に忠実で、藤壺の出家、源氏の須磨への退去あたりまで描かれている。

 さらにひとこと

 源氏とは関係ない。石井英夫さんが亡くなった。産経新聞の一面コラム「産経抄」を長く書き続けた。35年にも及ぶ。名コラムニストだった。産経新聞は購読してなかったからいつも読んでいたわけではないけれど、折に触れ目を通した。

 耳かき一杯の毒を盛るのを心がけていたというが、毒ではなかった。産経だから右よりの論調を感じることもあったけれど、朝日の「天声人語」と読み比べればバランスが取れたし、そういう視点もあるのかと感心することも多かった。

 わが本棚にそのコラムを集めた『クロニクル産経抄25年』がある、上下巻で六法全書より分厚い。たまに開いて読んでいる。色褪せてはいない。

2024年12月28日 (土)

「チネチッタで会いましょう」

 チネチッタと聞けば、映画ファンは観なくっちゃとなる。ローマ郊外にある有名な撮影所である。数々の名作が生み出されてきた。

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 映画はこの撮影現場で始まる。著名な監督であるジョバンニのあらたな映画である。入れ込む監督の割には周りは冷ややか。主演女優が履いてきたミュールが気に入らない。この女優が演出に口をだす。プロデューサーは詐欺師だった。最高のパートナーと思っていた妻からは別れると言い出される。トラブルが続く。が、監督はめげない。

 ジョバンニの独りよがりの言動が可笑しい。しかしスタッフはなんとか監督の意に沿うよう手助けをする。うまく映画を取り終えることはできるのか。

 かなり荒っぽいつくりで観客を戸惑わせる。途中、スコセッシに電話をするとかのギャグが挿入される。映画愛にあふれていることはわかる。とりわけフェリーニ愛。設定にちかいのは「8 1/2」である。「甘い生活」のラストシーンも出てくる。

 撮影中の映画は、ハンガリー動乱の背景を描いている。フェリーニ映画を彷彿させるパレードのカットもある。

 監督はナンニ・モレッティ。「息子の部屋」が代表作だが、今回の映画は作風がかなり違う。喜劇タッチ。はちゃめちゃな部分もある。ウディ・アレンの作風に影響されたんじゃないかなとか、思ったりもする。

2024年12月26日 (木)

 地場野菜 万福寺にんじん

  セレサモス(農協)の直売所の前を通ったら、万福寺にんじんが並んでいた。一本買った。家に帰り、長さを測ってみたら85センチあった。

 川崎北西部ではひっそりと栽培されている。専業農家での栽培はわずかで、ほとんどが家庭菜園である。だから売りに出されるのは少ない。幻のにんじんとなっている。

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 先だって、万福寺にんじん品評会が開かれた。かつて盛んに栽培され、この地域の代表的な野菜だったが、絶滅状態にある。なんとか栽培を続けようと、普及に乗り出したグループが品評会を開き、伝統継承に努めてきた。

 色は濃く、香りも高く、食べて旨いのだが、栽培が面倒なのだ。収穫まで5ヶ月以上かかる。虫害(アゲハにやられる)もある。掘るのも大変、簡単に抜けない。手間がかかるのだ。甘みもあって(糖度計で計ってみると11度以上あるものもあった)旨いのだが、労力の割には高くは売れない。わたしが買ったにんじんは200円程度である。

 栽培でもっとも大切なのは土づくりである。品評会に長年参加してわかったことは農業とは土づくりということだ。このあたりを説明すると長くなるのでやめておく。農業従事者には常識だろうが・・・。

 ということで、わが家では、お節料理には万福寺にんじんがならぶ。

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2024年12月24日 (火)

合理的配慮とパスワード

 合理的配慮とは、事業者が障碍者へのバリアをなくすようできるだけ配慮することを指す。今年から義務化された。ことばとしてそれほど浸透していない。わかりにくい。  

  映画館とか劇場で車椅子席を用意するとか、手すりをつけたりすることがあげられる。たいていの映画館ではそうした配慮がなされている。

 わたしは目が悪くなった。視力が落ち、視野が狭くなった。視力を失ったわけではないけれど健常ではない。多くの階段で手すりが設けられている。これはよい。ただし段差が分かりづらい。上りはよいが、下りでは段差がわかりづらい。ヘリというか角の部分に着色するなりテープが貼ったりしてあればよいのだが、そうなっていない箇所がある。つまずき、転倒するおそれがある。ほんのわずかな段差も危ない。写真の階段はわかりやすい。

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 カード決済でパスワードを入力する場合がある。パスワードの数字入力がしにくい機器がある。画面を暗くしているからだ、パスワードが他人に見えないようにする配慮はわかるのだが、入力する当人が見づらいのではなんにもならない。

  目が悪いので画面を明るくしてくれと言うと、たいていはできないという返事である。やりかたがわからないとの返事もある。クレームをつけたいところであるが、それはやめて、画面に目を近づけて、場合によってはライトを当ててかろうじて数字を読みとって入力することになる。

  相手は目が正常だから私の行動を不審に思う。見えないものは見えないと言い張りたいところだけれど、ぐっと我慢する。明るくする設定になっているだろうが、そうしない。合理的配慮に欠ける。

 若いころなら、障碍者への配慮など考えもしなかったけど、自分がそうなってみると、世の中の冷たさがわかる。

 

2024年12月22日 (日)

「BACK TO BLACK エイミーのすべて」

 歌手の生涯(多くは栄光と挫折)を描いた映画はたくさんある。ことし観たものでは「リリー・マルレーン」がある。歌とともに歌手の浮き沈みを描くのはいい映画になる。観客の受けもよい。

「BACK TO BLACK」をアートセンターで観てきた。グラミー賞も受賞したエイミー・ワインハウスの生涯を描いたものだ。彼女の人生は27歳と短かった。

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 イギリス生まれのエイミーは歌手としてデビューするが、それほど人気とはならなかった。パブで知りあったブレイクと恋仲になる。順調に見えた恋だったが、ドラック常用者であったブレイクは昔の恋人のもとに去ってしまう。傷心のエイミーは酒におぼれるようになるが、家族や周りの援助もあり、ふたたび歌うようになる。

  ブレイクとの恋を歌った「バック・トゥ・ブラック」は大ヒットとなる。グラミー賞にも輝く。エイミーはブレイクと再会し、密かに結婚するのだが、ブレイクは暴力行為で逮捕されてしまう。パパラッチにつきまとわれたり、孤独を酒でまぎらせたり、拒食症にも・・・・。

  エイミーが歌う曲の歌詞には驚かされる。私生活を露わに表現している。

  映画に流れる曲や歌うシーンが印象的である。懐かしのヒット曲「フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン」とか「ボディ&ソウル」とか。観客には心地よい。

 音楽ファンにはお薦めだが、上映館は少ない。

 

2024年12月20日 (金)

貸金庫にしまうもの

 三菱UFJ銀行の貸金庫で窃盗事件があった。女子行員の仕業で合い鍵をつかっての犯行だった。

 銀行の貸金庫を利用している。権利証とかいくつかの書類を入れている。めったに金庫を開けることはない。今回の事件では現金や金の延べ棒が盗られたというが、わたしの場合、宝石とか延べ棒の類は入れていない。もちろん現金も。それほどの金持ちではない。

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 貸金庫ルームへの入室は面倒で、利用カードと金庫の鍵がいる。さらに暗証番号も。盗むのは面倒と思うのだが、三菱UFJの場合、内部の犯行でチェック機能もできていなかったとのことだ。

 貸金庫を持っている理由は、もちろん盗難防止があるが、備忘の書き付けを入れておくためである。自宅の引き出しなどに入れておくと、どこにしまったかを忘れてしまうことがある。歳をとるとよくあることで、この対策である。

 めったに貸金庫に行くことはないと書いたが、貸金庫のカード、これは夫婦一枚ずつもっている。合い鍵は一つ。その合い鍵がどこにしまっているか、先だってまで妻しか知らなかった。正確にはわたしが忘れてしまっていたわけで。このたびの事件で合い鍵の場所を妻に訊いた。ボケ爺などとイヤミを言われるかとおもったが、そうでもなくちゃんと教えてくれた。

 あまり大きな声では言えないが、また、その場所を忘れて妻に訊くことになるかもしれない。

 で、鍵のありかを書いた備忘ノートを作る必要があるが、それを忘れてしまうおそれがある。できればそれを貸金庫にしまっておきたいのだが、こればかりはそうもいかない。

2024年12月18日 (水)

「正体」

 ようやく藤井道人監督の「正体」を観てきた。逃亡劇である。

 逃亡劇といえばテレビドラマの「逃亡者」を思い出す。ハリソン・フォード主演でリメイクされた。さらに古くはジョン・フォード監督の「逃亡者」がある。主演はヘンリー・フォンダ。あまり知られていないが名作である。

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 今回の映画。一家殺人事件の現場で逮捕された男は裁判で死刑となる。病気をよそおい救急車で搬送される途中で逃げ出す。そこからの逃亡。逃げる男・鏑木を演じるのは横浜流星だが、髪やひげを伸ばし眼鏡をかけているので、誰だかわからない。工事現場で目立たぬように働く。同僚にも優しく、信頼をえる。一方で警察の追及は狭まっていく。刑事(山田孝之)は執拗に捜査を進める。追い詰めるがすんでのところで取り逃がす。ついで、鏑木はフリーライターとなり編集者の信頼を得て、部屋に泊めてもらうようになる。そこにも刑事がやってくるが、警察は取り逃がしてしまう。さらには老人ホームの介護士として働く。ここでも周りの信頼を得る。その一方で、鏑木は一家殺人事件の目撃者を捜す。

 逃亡ものは、すんでのところですりぬけるところが見どころとなる。さらに収束。どのようなエンディングとなるのか。

 なぜ逃亡したか、刑事が問うシーンがある。その返答はよくわからない。「おれはやってない。目撃者をみつけ証言してもらいたい。それで逃げた」程度のセリフでよかったのではないか。

 あるいは、崖から川に身を投げて行方不明となる、つまり生死は不明となる。一方で真犯人が浮上するというエンディングなら続編ができるなどと思ったりもする。話題となった最近の冤罪事件も透けて見える。

 ところで・・・、ジョン・フォードの「逃亡者」の結末がどうだったか思い出せない。

 

 

2024年12月16日 (月)

 正蔵・喬太郎二人会

 鶴川寄席に行ってきた。林家正蔵柳家喬太郎の二人会。12月の恒例の落語会で、今回が11回目になる。二人とも62歳になった。

円熟の噺家であるが、ふつうに正座ができなくなっている。お尻に小さな枕のようなものを挟み、さらに喬太郎は尺台であぐら。ま、歳だから、しょうがないか。

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 今回の演目

 喬太郎  天野屋利兵衛

 正蔵   心眼

 正蔵   ぞろぞろ

 喬太郎  うどん屋

 「天野屋利兵衛」は忠臣蔵に登場する人物。赤穂浪士たちを金銭面で支えた。「天野屋利兵衛は男でござる」の名セリフで知られている。そのセリフをオチにした新作もの。軽い噺である。

心眼」は目が見えない人の噺。ちかごろはこの手の身障者もの、たとえば「景清」、をやらない傾向にある。微妙に避ける。べつに気にすることもないのに。正蔵はていねいに演じた。本寸法。

 中入り後は軽く「ぞろぞろ」。短かった。トリの喬太郎は長めのマクラだった。途中、小さな声で「正蔵師匠が早く上がったので・・・」、その分マクラを長めでと明かした。

   胃潰瘍で緊急入院した話。食事制限があり、お酒もしばらく断つことになった。今日は、少し早く鶴川に着いたので、箱根そばに立ち寄ったそうだ。喬太郎は立ち食いそばネタが多い。箱根そばといえばコロッケそば。つゆがコロッケに染みていくところがよいという。

  そうであるが、ここのコロッケはカレー風味である。これはあまり好きじゃないと意外な発言。カレー風味が旨いと思うのだが、そうじゃない、普通の白いコロッケがよいのだそうだ。そんなこと、今まで一言も言わなかったじゃないか。わたしは、メカブそば、コロッケ乗せをいつも食べていた。

  で、落語の方は、そばではなく、うどんの噺。酔っぱらいはうどん屋にからむ。このからみをばかばかしく演じるのが聴きどころとなる。寒い冬にふさわしい。

  家庭では、コロッケそばを食べることはない。あれはやはり立ち食いがよい。ネギ多めで。

 

2024年12月14日 (土)

『左太夫伝』

  佐々木譲の『左太夫伝』を読んだ。何度も書くが眼が悪くなったので読むスピードがおちた。読書時間も減った。眼が疲れるから一気には読めない。10日ほどかかった。

 仙台藩士・玉虫左太夫が動乱の時代をどう駆け抜けたかを描いた伝記小説である。佐々木譲は警察ものが有名だが、時代ものを書くことも多くなった。

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 幕末の左太夫は学問で頭角をあらわし、藩校を経て江戸の昌平黌で学ぶ。やがて塾長となる。観察力と文章力に秀でていた。ペリー来航では開国交渉の詳細な記録を取る。その後、蝦夷地探索にも記録係として派遣される。

 通商条約締結書の引き渡し団の一員としてアメリカに渡る。このアメリカ渡航が面白い。左太夫が粒さに観たのは、アメリカの文化であり社会である。儒教的な「礼」はないが「情」の国と映った。日本の厳格な身分制度とはかけ離れたフレンドリーな世界である。共和制のすぐれた点も学んだ。蒸気機関など先進的な文明にも感動した。帰国後、その渡米の記録は広く学問所などで読まれることになった。左太夫にとって絶頂期であった。

 仙台藩に帰るが、ここからの人生は波乱に巻き込まれることになる。戊辰戦争が勃発する。仙台藩は反薩長の列藩同盟に加わり、左太夫は藩主の命をうけて奔走する。

 新発田藩の動きが奇妙だった。西軍に寝返るおそれが感じられた。左太夫は新発田藩に出兵要請のため派遣された。

 新発田藩の動向は、映画「11人の賊軍」で描かれている。タテマエは奥羽越列藩同盟を装うが、ウラでは西軍の進軍を許す策をとった。藩を戦禍から免れるためであったが、奥羽同盟からは裏切りと映った。この映画の面白いところはこのタテマエとホンネである。家老(阿部サダヲ)は、「仁義なき戦い」の山守組のオヤブン(金子信雄)を連想させる。

 以後は、歴史のとおりである。著者は書き急ぐように晩年の左太夫を描く。

 玉虫左太夫のことは知られていない。歴史に残るのはほとんどが勝者である。歴史の片隅で光り輝いている人物がいたってことを著者は訴えている。

2024年12月12日 (木)

 ふとした病

 中山美穂が亡くなった。突然の死。死因は不慮の事故という。不慮って言われてもよくわからない。他殺でも自殺でも病死でもなかったってことなんだろう。

 で、浮かんだのは「ふとした病」。立川談志は、ふとした病という表現を気に入っていた。ふわっと静かにこの世から消える。なんだがよくわからないところがよい。談志自身もふと消えたかったのかもしれない。

 ちかごろは聞かなくなったことばにサドンデスがある。突然の死のことだが、スポール用語として使われてきた。

 ゴルフのプレーオフでの決着をそう呼んだ。サッカーでも延長戦の決着に使われた。ゴールが決まった瞬間、残り時間は考慮せずゲームセットとなる。Jリーグでは、いまはこの方式はとっていない。だから死語。

 わたしの父方の伯母はふとした病のように亡くなった。山仕事に出かけたところ、疲れたと言って切り株に座って休んでいた。しばらくして、伯母は切り株に座ったままで亡くなっていたという。むかしはそんな風に死ぬこともあった。

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 はなしはかわって、汐留で開催中のベル・エポック展に行ってきた。15日で終わりとなる。それほど混雑していなかった。一区画だけが写真撮影ができるようになっていた。別に撮らなくてもよかったが、せっかくなのでいくつか撮った。写真はそのひとつ。

 

2024年12月10日 (火)

「ゴンドラ」

 風変わりな映画を見た。「ゴンドラ」、ジョージアの映画である。

 チラシによると、実在のゴンドラで、ソ連時代に作られたものだそうだ。現在も稼働している。

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 ゴンドラの乗務員として働く二人の女性の物語。ゴンドラの乗客はほとんどいない。家畜や棺を乗せることもある。のんびりしたものである。

 退屈しのぎに相手のゴンドラに果物や花を投げ込んだり、ときにはゴンドラをデコレートさせる。眼下の村人たちもゴンドラに手を振る。車椅子の老人をゴンドラにぶら下げることもある。

 ファンタジーである。セリフもナレーションもない。したがって字幕もない。聞こえるのはゴンドラのモーター音、風のささやき、笑い声、そしてBGM。絵本を実写にしたような映画だと思えばよい。

 ジョージアはながくソ連の圧力のもとにあった。ソ連崩壊後もロシアの侵攻による南オセチアやアルハジアでの内戦があった。いまもつづいていて、ジョージア映画と言えば、内戦下を描いた物が多い。ところが「ゴンドラ」はそうした政治とか社会情勢はいっさい描かれない。

 絵本か漫画の世界である。ぼんやり観るがよい。

 

2024年12月 8日 (日)

有楽町のにぎわい

 有楽町に出かけた。高校時代のクラス会である。

 その前に、銀座の教文館に立ち寄った。この書店が気に入っている。落語関係の本をひろくそろえている。客が少ないこともよい。先だって亡くなった谷川俊太郎の書籍をコーナー展示していた。一冊買って会場に向かった。

 途中、人だかりというか行列ができている。ONITSUKA TIGERとある。人気のシューズショップ。へー、こんなに並ぶんだ。客は外国人が多い。人気ブランドになっているとは聞いていたが、そのほどがわかる。オニヅカではなくてオニツカね。

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 有楽町駅前も人だかりだった。別海町の物産展。別海には一度だけ行ったことがある。人口よりも牛の数が多いと聞いことがある。ホタテ焼きに行列ができていた。別海町は海にも面している。

 アナウンスは、ベツカイと発音していた。ベッカイじゃないのか。どっちがふつうなんだろうか。ベツカイは言いにくい。

 宝くじ売場にも行列ができていた。交番前の売場の行列はよくテレビでも放映される。駅前の方はそうでもないけれど、こちらも人が多い。どちらも有楽町である。どっちで買っても同じ。なかなか当たるものではない。

 で、高校時代のクラス会。年一回、名古屋と東京で行われる。名古屋はいつも10月末。昨年は他の行事があったので欠席したが、ことしは出席した。どちらも参加したのは私を含めて7人。バカ話ができて楽しい。この一年で2人が亡くなった。80近くなれば欠けるのは自然なことだろうが、友人が亡くなるのは寂しい。

 来年の日取りも決めて帰途についた。今日は冷えるとテレビが伝えていたが、それほどでもなかった。

 

 

2024年12月 6日 (金)

かかとで祈る

 寒くなると、かかとがひび割れるようになった。

 老化で肌に潤いを与える機能が衰えてきている。乾燥と寒さがそれを加速させてひび割れを生じさせる。放置すると裂け目が広がり痛みをともなう。血がにじんでくる。

 メンソレータムかニベアを擦り込む。指先で擦り込むのだが、塗りにくいところがある。両足のかかとをこすり合わせると、まんべんなく塗れる。

 かかとだけでなく足裏全体をこすり合わせれば、南無阿弥陀仏と祈っているようでもある。

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  金子光晴に「落下傘」という有名な詩がある。落下傘で降下するとき、足をこすり合わせで神に祈る。手が使えないからね。

 どこへたどりつくのかわからない。たよりない。この足の下にあるのは・・・わたしの祖国。ゆれる日の丸、「神様、どうぞ。まちがひなく、ふるさとの楽土につきますやうに」

 ユーモアもあっていい詩だ。

 ところで、ニベア。日本だけの商品かとおもっていたら、ヨーロッパでは至るところで売っている。ドラッグストアーだけでなく、高速道路の売店、どこでも売っている。インターナショナルな保湿クリームなのだ。ドイツのスキンケア会社が発祥らしい。

 かかとの方は、ニベアのおかげで、スベスベ。というのは大げさだが、ひび割れはいくぶん治まっている。

2024年12月 4日 (水)

「海の沈黙」

  倉本聰は89歳。年が明けると90歳。現在、ロードショーとなっている「海の沈黙」は最後の脚本と言われている。そうなるかどうかはわからない。

北の国から」が代表作とされているが、わたしのお好みは違う。「うちのホンカン」は楽しかった。大滝秀治の演技が抜群だった。「浮浪雲」も好きだった。いい加減なところが愉快だった。調べてみると、いずれも70年代の放映。半世紀前のこと。昭和だ。テレビドラマを観たという人は年寄りばかりとなっている。倉本作品は、むかしのものの方が笑えるものが多かった。

 このたびの「海の沈黙」。絵画の世界を描いている。

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 著名な画家・田村修三(石坂浩二)の展覧会が開かれた。田村はその一作品が贋作だと発言したから大騒動となる。誰が贋作を描いたかはわからなかったが、かつての画家仲間の津山竜二(本木雅弘)の名が浮かび上がる。当時、天才画家といわれたが、贋作を描いて生計を立てていた。竜二は姿を消した。以後の消息は不明だった。田村の妻(小泉今日子)はかつて竜二の恋人だった。

 そんな設定だが、竜二は入れ墨も描いていた。そのあたりに少し違和感がある。全身、入墨の女の死体がみつかる。あざとい。あざといのは悪くはないのだけれど、なぜ入れ墨でなければならないのかはよくわからない。

 ドラマチックはよいのだが、もうすこし、さらりと描けなかったものか。それが若松監督の趣向なんだろうが、さらりと、淡々と描いた方がいい。

 クスリと笑える場面がなかった。倉本流ユーモアを楽しみにしていたのだが。

 ついでのひとこと

 流行語大賞に「ふてほど」が選ばれた。初めて聞いた。テレビドラマ「不適切にもほどがある」の略語だそうだ。脚本は宮藤官九郎。クドカンである。

 ふてほど・・・私には、「ふてぶてしいにもほどがある」と聞こえる。

2024年12月 2日 (月)

『おやじはニーチェ』

 谷川俊太郎さんが亡くなったのは11月13日。同じ日、高橋秀実さんも亡くなった。ちょうど『ことばの番人』を読んでいる途中だった。63歳とは早すぎる。谷川さんの92と比べるとずいぶん短命である。とぼけた味わいの文章は愉快だった。問題や疑問へのツッコミもみごとだった。

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『ことばの番人』の前に出版された『おやじはニーチェ』を読んだ。「認知症の父と過ごした436日」とサブタイトルにあるように、認知症になった父親との日々を綴ったものである。

 父親との会話は、漫才を見ているようである。ボケとツッコミ。話がかみ合わない。つっこめばさらっとかわされる。笑える。

 ヒデミネさんの文章には哲学者のことばが多く引用されている。ハイデガー、アリストテレス、キルケゴール、ヘーゲル、ニーチェ・・・。その引用が妥当かどうかはともかくとして、介護の合間に哲学書を読みふけったそうだ。主に存在論。

 父親がニーチェというのは、例の永劫回帰(永遠回帰)である。万物は永遠に回帰し、われわれ自身もそれとともに回帰する。父親の言動にそれを感じる。

 誰もが歳をとるとほとんど認知症になる。ガンになる確率より高い。救いとなるのは、認知症の忘れるという症状はつらい過去も消しゴムで消し去っていくようなものという理解。そして平穏にあの世に行く。

 介護する人にとっては大変なことだが、そう思えば大変さもいくぶんか和らぐ。歳をとると認知症になるのが正常なのだ。

 父親は介護するヒデミネさんを、旦那と呼ぶようになる。ヒデミネではなく旦那。職人だった父親は認知症となり、そういう関係になったということか。興味深い。

 もし私が認知症になったら妻を誰と思うのか、どう呼ぶのか、考えてみた。

 妻の名前ではない。おばちゃん、奥さん、ばあさん、姐さん、姐御、母ちゃん、女王様・・・ しっくりこない。ま、どうでもいいことだけど。

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