『左太夫伝』
佐々木譲の『左太夫伝』を読んだ。何度も書くが眼が悪くなったので読むスピードがおちた。読書時間も減った。眼が疲れるから一気には読めない。10日ほどかかった。
仙台藩士・玉虫左太夫が動乱の時代をどう駆け抜けたかを描いた伝記小説である。佐々木譲は警察ものが有名だが、時代ものを書くことも多くなった。
幕末の左太夫は学問で頭角をあらわし、藩校を経て江戸の昌平黌で学ぶ。やがて塾長となる。観察力と文章力に秀でていた。ペリー来航では開国交渉の詳細な記録を取る。その後、蝦夷地探索にも記録係として派遣される。
通商条約締結書の引き渡し団の一員としてアメリカに渡る。このアメリカ渡航が面白い。左太夫が粒さに観たのは、アメリカの文化であり社会である。儒教的な「礼」はないが「情」の国と映った。日本の厳格な身分制度とはかけ離れたフレンドリーな世界である。共和制のすぐれた点も学んだ。蒸気機関など先進的な文明にも感動した。帰国後、その渡米の記録は広く学問所などで読まれることになった。左太夫にとって絶頂期であった。
仙台藩に帰るが、ここからの人生は波乱に巻き込まれることになる。戊辰戦争が勃発する。仙台藩は反薩長の列藩同盟に加わり、左太夫は藩主の命をうけて奔走する。
新発田藩の動きが奇妙だった。西軍に寝返るおそれが感じられた。左太夫は新発田藩に出兵要請のため派遣された。
新発田藩の動向は、映画「11人の賊軍」で描かれている。タテマエは奥羽越列藩同盟を装うが、ウラでは西軍の進軍を許す策をとった。藩を戦禍から免れるためであったが、奥羽同盟からは裏切りと映った。この映画の面白いところはこのタテマエとホンネである。家老(阿部サダヲ)は、「仁義なき戦い」の山守組のオヤブン(金子信雄)を連想させる。
以後は、歴史のとおりである。著者は書き急ぐように晩年の左太夫を描く。
玉虫左太夫のことは知られていない。歴史に残るのはほとんどが勝者である。歴史の片隅で光り輝いている人物がいたってことを著者は訴えている。
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