『おやじはニーチェ』
谷川俊太郎さんが亡くなったのは11月13日。同じ日、高橋秀実さんも亡くなった。ちょうど『ことばの番人』を読んでいる途中だった。63歳とは早すぎる。谷川さんの92と比べるとずいぶん短命である。とぼけた味わいの文章は愉快だった。問題や疑問へのツッコミもみごとだった。
『ことばの番人』の前に出版された『おやじはニーチェ』を読んだ。「認知症の父と過ごした436日」とサブタイトルにあるように、認知症になった父親との日々を綴ったものである。
父親との会話は、漫才を見ているようである。ボケとツッコミ。話がかみ合わない。つっこめばさらっとかわされる。笑える。
ヒデミネさんの文章には哲学者のことばが多く引用されている。ハイデガー、アリストテレス、キルケゴール、ヘーゲル、ニーチェ・・・。その引用が妥当かどうかはともかくとして、介護の合間に哲学書を読みふけったそうだ。主に存在論。
父親がニーチェというのは、例の永劫回帰(永遠回帰)である。万物は永遠に回帰し、われわれ自身もそれとともに回帰する。父親の言動にそれを感じる。
誰もが歳をとるとほとんど認知症になる。ガンになる確率より高い。救いとなるのは、認知症の忘れるという症状はつらい過去も消しゴムで消し去っていくようなものという理解。そして平穏にあの世に行く。
介護する人にとっては大変なことだが、そう思えば大変さもいくぶんか和らぐ。歳をとると認知症になるのが正常なのだ。
父親は介護するヒデミネさんを、旦那と呼ぶようになる。ヒデミネではなく旦那。職人だった父親は認知症となり、そういう関係になったということか。興味深い。
もし私が認知症になったら妻を誰と思うのか、どう呼ぶのか、考えてみた。
妻の名前ではない。おばちゃん、奥さん、ばあさん、姐さん、姐御、母ちゃん、女王様・・・ しっくりこない。ま、どうでもいいことだけど。
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