『文化の脱走兵』
学生のころ、50年以上まえのことだが、エセーニンの詩を読んでいた。なんども読みかえした。今も、その一部をそらんじることができる。
奈倉有里の『文化の脱走兵』の中にエセーニンにふれた部分があるとの新聞記事を目にした。いまどき、エセーニンを知る人はほとんどいない。わたしにはなつかしい。読んでみた。奥付を見ると、著者はゴーリキー文学大学卒、翻訳を多くしている。まだ40そこそこと若い。
ここ数年に書かれたもの。ウクライナ侵攻後のロシアへの想いなどを綴っている。声高に、反プーチン、反戦争を叫ぶことができない市民の様子である。
エセーニンについて書かれた部分は少ない。「脱走兵」というフレーズはエセーニンからの引用であるが、わたしは知らなかった。読んでいないか、読み過ごしたのか。
・・・僕は国でいちばんの脱走兵になった。
エセーニンは1916年に動員させられる。第一次大戦のさなか、ロシア革命のちょい前。衛生兵だった。鉄砲を撃つことはなかったようだ。二十歳そこそこの青年は揺れる社会の中を生きた。生き抜くことはなくわずかな詩を残して逝った。
本書では「源氏物語」に触れた章がある。ロシアでも出版されている。与謝野版から翻訳である。その翻訳者とのつながりが生まれたことを書いている。ロシアは遠い国になっているが、文学面でのつながりは強い。ロシア文学は広く長く、日本でも読み継がれてきた。
それにしても、特別軍事作戦。どれほどの戦死者がでているか、ロシア政府は発表していないのでわからない。何万ではきかないかもしれない。脱走兵はどれほどいるのか。兵役に就く前に脱出した若者は多かった。
ついでのひとこと
書棚に並ぶ『エセーニン詩集』を取り出した。開いてみると、字が細かい。読む気にならない。元の棚に戻した。死ぬまでにふたたび開くことはあるまい。もう読めない。捨てないけど。
さらにひとこと
奈倉有里さんは読売新聞の読書委員になった。どんな本を紹介してくれるのだろうか。
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