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2025年1月22日 (水)

「八起寄席」

 柳家権太楼が食道ガンの治療を受けていることを公表した。十数年前にも大病をした。ま、いい歳だからと括られてしまうが、はやく高座に復帰してもらいたい。

 TBSの落語研究会の高座を映した番組を正月三日間やっていた。そのビデオを観た。権太楼は「百年目」。圧巻の高座だった。

 相模大野に出かけて「八起寄席」を聴いてきた。新春は、4つの流派(協会)の幹事役が登場する。毎年、たのしみな落語会である。

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 今回の演者と演目

 瀧川鯉橋   蔵前駕籠  

 三遊亭兼好  雑俳

 古今亭文菊  鮑のし

 立川談修   紺屋高尾 

 鯉橋は軽く「蔵前駕籠」をやって、残り時間はお座敷芸。ものまね、形態模写である。羽織を裏返しに着て、手ぬぐい、扇子、座布団で、恵比寿や大黒のまね。めでたい芸である。最後は鶴。扇子をくちばしのように見せる。似ている。最後に鶴のひとこえ。上手いものだ。 

 いつも書いているから、兼好、文菊はとばして、トリの談修。「紺屋高尾」だった。紺屋の職人が花魁に惚れるというおなじみの噺。談修はいつものように細部まで丁寧に演じた。誠実でまじめ。噺家らしくないと言うと叱られるかもしれないけど、そういう持ち味である。

「紺屋高尾」と似たような噺に「幾代餅」がある。骨格は同じ。どうちがうのかよくわからない。一方は紺屋、もう一方は搗き米屋の職人。なれそめが異なる。花魁の年期があけるのは来年の3月。もう一方は3月15日と日にちまで細かい。深いところで根本的な違いがあるのかもしれないけど、しろうとにはわからない。どうでもいいけど、気になると言えば気になる。

 冒頭の権太楼、わたしより学年は一つ上。きょうの演者からすれば父親のような存在だ。

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