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2025年4月

2025年4月29日 (火)

「教皇選挙」

  フランシスコ教皇の葬儀が執り行われた。来週には新しい教皇を選ぶ選挙となる。その選挙をコンクラーベという。中学のころ、コンクラーベという言葉を知った。決まるまで何度も投票を繰り返す。なかなか決まらない。だからコンクラーベ、根競べとなる。憶えやすい。

 昔はローマ法王だったが、今は教皇である。なぜそうなったのか、違いはよくわからない。

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 アートセンターで「教皇選挙」を観てきた。なんともタイムリーである。この映画、米アカデミー脚色賞を獲った。そのせいもあるのか、評判がよい。連日、満席かそれに近い入りになっている。今回もチケット完売となった。

 教皇が亡くなって、枢機卿によるコンクラーベとなる。保守派とリベラル派が対立し、さまざまな工作やデマが飛び交う。過去の性的スキャンダルがあばかれたりもする。このあたりは、よくあることでとりたてて新鮮さはない。

 俄然面白くなるのは、ラストの5分か10分ぐらい。えっ! と驚く。予想もしない事実が判明する。いや、驚くことはないかもしれない。冷静に考えれば、今日的というか、ありえないことではない。この展開を説明したいのだけど、言うわけにはいかない。言えば、映画の面白さは半減してしまう。観た人ならそう思うだろう。

 アカデミー脚色賞をとった映画は、総じて面白い。この映画がそうで、作品賞の「アノーラ」よりいい。

 ついでのひとこと

 せんだって観た『KODDO』。伏線の回収が上手いと書いた。ペットのヘビの扱いである。

 朝日の夕刊に監督インタビューが載っていた。あのヘビのシーンは、主演の女の子ルーを演じたローザ・ファン・レーウェンが脚本に反対したので、彼女の言うとおり書き直したという。へー、そうなのか。ローザは10歳。なかなかのセンスである。将来、いい脚本家にもなれる。

2025年4月27日 (日)

AAの集会 十二のステップ

マット・スカダー わが探偵人生』の続き。マットは、酒を辞めてからしばしばAAの集会に参加する。

  AAとはアルコホーリクス・アノニマスのこと。禁酒の相互支援集会である。アノニマスとあるから匿名の集会。ゆるい組織のようだが、厳密な段階がきめられている。

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『マット・スタガー わが探偵人生』に次のような記述がある。

禁酒のためのステップの第四ステップと第五ステップーーそれまでの人生を振り返り、自分の過ちを点検して認め、折り合いをつけるステップ・・・・」(p.338)

 注釈はないから、AAを知らない人にはなんのことだかわからない。わたしもそんなステップがあることを最近まで知らなかった。

  朝日新聞のPR誌「一冊の本」の島薗進さんの連載「痛みとケアのスピリチュアリティ」(2,3月号)で、十二のステップを解説している。

 簡単に説明すると、第一ステップは、アルコールに対し無力であることを自覚すること。第二ステップは、自分を超えた大きな存在が、私たちの心を健全にしてくれることを信じる。第三ステップは、私たちの意志を自分なりに理解し、神(大きな存在)の配慮ゆだねる決心をする。

 で、第四第五が、自分の過ちを点検、棚卸をして、神や自分自身、あるいは指導者に、ありのままさらけだす。

 と、以下、十二まで続く。厳格。すげえめんどくさそう。それぐらいの厳格なステップがないとアル中から立ち直ることはできないということだろう。

 ときおりではあるが、マットは真面目にAA集会に参加した。そしていくばくかの寄付をしてそこを立ち去る。

 AAはアルホリックに有効だそうだ。考えるに、まずはアル中であることを認め、自分の意志だけでは治らないことを自覚することが大切なんだろう。そして仲間がいることも。

 アルコール依存症で久里浜の病院に強制的に入院させられた知人がいる。退院後、AAの集会に参加したのだろうか。

2025年4月25日 (金)

「KIDDO キドー」

  都心に出たついでに、シネマカリテで、「 KIDDO キドー」を観てきた。

 シネマカリテは久しぶり、駅そばにある。小さな映画館で天井が低い。映写口の前で立ち上がるとスクリーンに影が映ってしまう。横に広いので座る場所は注意しなければならない。いい点は、前後の座席の間隔が広いことだ。通り抜けやすい。

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 広告にボニー&クライドを思わせるとあったので、観る気になった。冒頭、どでかいおんぼろのアメ車が登場する。アメリカ映画かと思ったが、そうではなかった。

 場所はオランダらしい。自称ハリウッドスターのカリーナは、養護施設で暮らす娘のルーのもとを訪れる。短パン姿の母親は子育てとは無縁のように映る。ルーは11歳。おばあさんの住むポーランドに行こうと娘を連れ出す。ぼろぼろのアメ車である。ちょっと出かけるだけと思っていたら大旅行。ルーは連れまわされることになる。

 二人はボニー&クライドを気取る。アメリカの大平原のような道を走る。音楽もカントリー風。金が少なくなると、ルーをそそのかして無銭飲食をする。あれこれトラブルが続く。ルーはペットの蛇と一緒だったが、途中で蛇は行方知れずになってしまう。

 はたして、二人は無事おばあちゃんに逢えるのだろうか。

 行方不明の蛇は行方不明のままなのか。ラストで見つかると予想していたら、はたしてその通りとなった。伏線の回収だな。常套手段である。でも、悪い感じはしない。

 結末は言わない。ほんわかする。ルーはちゃんと生きていくと予感させる。

 そうだ、KIDDOの意味だ。年下の人への親しい呼び名らしい。

2025年4月23日 (水)

草W

「草w」という表現をご存じだろうか。若い人は知っている。高齢者は知る人は少ない。

 多くはインターネット上で使われる。笑いの意味。

「新明解国国語辞典 第8版」には載っている。

{俗に}笑い。ネットなどの書き言葉で(笑)い=waraiの略としてWが用いられ、それを並べると草や芝のように見えることから

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 国語辞典に載っているとは知らなかった。同じく「三省堂国語辞典 第8版」にも載っている。こちらには「2010年ごろから」とある。かなり前から使われていたようだ。

 笑いを w とし。それをwwwとすると、草が生えているようにみえる。で、草にwをくっつけて「草w」 と表現するようになった。SNSを使わない人は何のことかわからないし、違和感を抱く。

 雑誌などの対談で、笑う表現を(笑)とすることが多い。これを「草w」 としたらどうなるのだろうか。最近、一例だけ見かけたが、例外だろう。でも、これからはどうなるかわからない。こういう表現は、SNS内にとどめて置いてもらいたい。

 ところで、草は植物以外で、民の意味で使われてきた。民草草莽などがそれ。名もなき民の群れを指す。

 

2025年4月21日 (月)

『マット・スカダー わが探偵人生』

 探偵小説の主人公と言えば、シャーロック・ホームズとかフィリップ・マーロウがまず浮かぶ。以下、サム・スペードとか人気の探偵は多いが、わたしのイチ推しはマット・スカダーである。

 最初に読んだのは『八百万の死にざま』。アル中の探偵もの。すさまじいアルコール中毒の様子に胸を揺さぶられた。作者はローレンス・ブロック。シリーズは長編で18冊になっているという。

 マット(マッシュー)はアルコールから脱出し、今ではエレインと静かに暮らしている。84歳になる。

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 昨年『マット・スカダー わが探偵人生』が出た。マッシューが自らの生い立ちを語るという構成になっている。父や母のこと。亡くなった弟のこと、学生時代のこと。マッシューファンなら知りたいことある。トリビアなことでも知識としておきたい。シャーロキアンと同じように。

 父親もアルコール依存症だった。地下鉄の連結部から転倒して亡くなった。本書の帯を引用すると。

「父と母、幼い弟の死、警官時代の相棒との逸話。はじめて犯罪者を射殺した日。復讐者との因縁。そして少女を死なせてしまったあの日――。記憶を探りながら諦観を交えて静かに語る最後のマット・スカダー。」

 本の紹介ならこれで十分だろう。制服の警官となり、私服の刑事に昇進する。結婚し二人の子をもうけたが、次第に家庭を顧みないようになった。そして、例の事件。犯人を射殺したが、はずれた弾の一つが石に跳ね返り、少女の眼を貫いた。即死だった。警察を辞め、しだいに酒におぼれるようになった。その辺りまでを振り返っている。

 探偵になってからの記述はほとんどない。

 といった内容。一気に読むにはもったいない。少しずつゆっくり読んだ。心に染みる表現にあふれている。

スタガーシリーズを一冊でも読んだことのある人は、ぜひ読んでもらいたい。まったく読んだことのない人にもお薦め。ここから過去のシリーズを手にしてもよい。

 書きたいことはまだあるけど、きょうはここでやめておく。

2025年4月19日 (土)

桂二葉独演会

 落語家は女性に向かない職業だと思っていた。

 理由の一つは声の質である。落語は会話形式で進む。ご隠居さんと八さんとか。声色は変えないことが基本。上下(カミシモ)のしぐさで、どちらを演じているかがわかる。ところが女性の声は高い。女性落語家に馴れていないこともあって、観客は戸惑う。 女性でも低い声を出せる落語家は聴きやすい。たとえば柳亭こみち。

 最近は女性の落語家が増えている。女に視点を置いた改作や新作を演じるなどして、声の質を乗り越えようとしている。もちろん低い声で勝負する女性もいる。

 ところが、そんなことはおかまいなく、堂々、甲高い声で古典噺を演じる落語家がでてきた。桂二葉。上方だが、ちかごろは江戸でも人気を博するようになっている。チケットが取れない落語家の一人となっている。

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桂二葉独演会」に行ってきた。会場はしんゆりのアートセンター。チケットは即完売した。

 今回の演目

 金明竹

 がまの油

 天神山

 「天神山」は上方の落語。江戸ではほとんど演じられない。この噺は鳴り物(三味線や太鼓)入りだからということもある。初めて聴いた。

 へんちきの源助というへそ曲がりの男が、墓場で酒盛りをする。石塔に酒をかけたりしていると、脇でしゃれこうべを見つける。家に持ち帰って供養すると、夜中に幽霊が現れ、礼を言い、押しかけ女房となる。それを知ったどうらんの安兵衛は天神様に行き、自分にも女房がくるのを祈る。江戸の古典噺「野ざらし」を彷彿させる。

 後半は、安兵衛は、天神様からの帰り、狐を捕まえた男からそれを買って逃がしてやる。するとその夜、女に化けた女狐がやってくる。 といったストーリーである。

 二葉はコボちゃん風のヘアスタイルで可愛いらしい。だけど、しゃべりは堂々としている。

 ものおじしない。「一之輔と勝負したる」と語って客席を笑わせる。さらりと言いのけて、ケロリとしている。関西風のこってりした雰囲気を感じさせない。そのあたりが魅力でもある。もちろん落語もうまい。

2025年4月17日 (木)

高輪ゲートウェイシティ

 都心に出かけたおり、高輪ゲートウェイ駅で途中下車した。駅前のビルが開業したとのことで見ておこうと思ったからである。

 駅改札を出たところが広場になっていて、高層ビルが三棟ならんでいる。商業・ビジネス施設とか宿泊施設になるということだ。恵比寿とか六本木にある施設のようなものなのだろう。広いスペースがあるから、いずれは隣の田町駅より賑わうことになるのではないか。

 気になるのは、街の広告。「新しい人たちの方へ」と書かれている。方はカタと読むのかホウと読むのかわからないけど、若い人に目が向いているのは確か。年寄りはイランと言わんばかりに響く。ま、それでもいいけど、このコピーの意味はよくわからない。国民民主党のような・・・よくわからん。

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 一角に、空飛ぶクルマが展示されていた。ドローン。水上モービルに羽をつけたようなデザイン。これで4人乗り。200キロぐらいの飛行距離とか。

 乗りたいかというと、それほど乗りたくない。怖い。新しい人はどうぞ乗っておくれ。

 帰りがけに、出店で、中田屋のキンツバを買った。金沢の銘菓。私は甘いものをほとんど食べないけど、このキンツバだけは別。好んで食べる。それほど甘くないのがよい。

2025年4月15日 (火)

白酒・一之輔毒吐き二人会

 鶴川落語会に行ってきた。桃月庵白酒春風亭一之輔の二人会。いずれも人気噺家だからチケットは即完売となった。ちょっと出遅れてしまい、かなり後ろの座席になった。でも、ポプリホールはどこからでも見やすいから問題はない。

 ふたりともマクラは広末ネタ。広末ファンのようで毒は吐かない。尿検査、家宅捜査までして薬物は見つからなかったのだから、拘留を解くべきだが、それをしない。おかしい。たぶん、検察の連中は広末と一緒にいたいからにちがいない。

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 今回の演目

 一之輔   寄合酒

 白 酒    付き馬

 白 酒    転失気

 一之輔   子は鎹(子別れ)

 いずれもおなじみの古典噺。白酒の「転失気」はちょっと工夫していた。転失気が何かを訊いてこいというストーリーだが、ついでに「合コン」の意味を問うという内容になっている。これがばかばかしくて、笑える。

 一之輔は「子は鎹」を好きじゃないという。飲んだくれて妻子を追い出し、花魁と一緒に暮らすのだが、これも気に入らない。女は出ていってしまい、独り身となる。ふつうなら酒浸りは止まないはずだが、悔悛して酒を断ち、まともな大工になる。ありえない。禁酒は並大抵ではない。うそっぽい。「芝浜」も同じ。人情噺として安っぽいと一之輔は語っている。

 だから、やりたくない。でも、やる。なぜやるかはわからない。一之輔のへそ曲がり精神の表れなんだろう。一之輔は細部までみっちりやった。

 やりたくない噺でも、うまい。嫌いじゃないのではないか。聴き惚れた。

 

2025年4月13日 (日)

「HERE 時を越えて 」

 リチャード・ゼメギス監督、トム・ハンクスが主演なら観ておきたい。あの「ホレスト・ガンプ」のコンビである。

 ふつうの映画とは違う。実験映画か記録映画のよう。リビングの片隅にカメラをどんと置き、家族の様子を撮影する。ほとんどがそのシーン。恐竜が走りまわるとか、独立戦争のシーンも挿入されるのだが、それはつけたしのようなもの。家の歴史である。

 戦後、この家に住み始めた一家が描かれる。移り住んだ夫婦にリチャードが生まれる。このリチャード役がトム・ハンクス。青年から老人までを演じる。化粧扮装でそれらしく演じるのだが、声はトム・ハンクスだから見紛うことはない。いい声だ。

リ ビングは年を経るにつれ、ソファーが変わったり、ときにベッドが持ち込まれたりするが、カメラはそのまま。時代を映すのは、音楽。「夏の日の恋」、パーシー・フェースだ。ビートルズも。「オール・マイ・ラヴィング」。全体を通じて、音楽が印象的。エンドロールのサウンドもすばらしい。

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 時代は経ていくのだが、ファミリーツリーではなく、さまざまなエピソードがショートコント風に映し出される。思い出がミルフィーユのように積み重なっていく。家を売って転居する話も持ちあがるが、なんとなく受け継がれていく。

 ここ(HERE)、リビングの歴史を描いている。ちょっと窮屈な設定だから、おもしろくないという人もいるかもしれない。でも、こういう映画なのだと言うしかない。アメリカの中流ファミリーはこんな感じだった。

 

 最後に、リビングではなく、家の外観が俯瞰して映し出される。

2025年4月11日 (金)

「聖なるイチジクの種」

 2022年、テヘランで、ヒジャブをつけていないという理由で若い女性が警察に連行され、不審死をとげるという事件があった。若者を中心に激しい抗議デモが起き、市内は混乱した。そういえば、そんな事件があったなあと思い出すだけだが、「聖なるイチジクの種」はそのころを描いた映画である。

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 テヘランの司法当局で働くイマンは予備判事に昇進する。20年誠実に勤めてきたことが評価されたわけだが、勤務は厳しくなった。反政府運動が激しくなり、それにあわせて逮捕者が増えた。その取り調べや裁判が忙しく、家庭を顧みる余裕はなくなっていた。娘もデモに参加していた。

 イマンは、護身用の拳銃を持たされる。立場上、反体制の連中から襲撃される恐れがあるからだ。その拳銃がなくなってしまう。大失態である。ここまでが、前半。かなり長く感じる。

 家中探し回り、妻や娘たちの持ち物も探すが見つからない。妻や娘たちへの追及は執拗である。パターナリズム(父権主義)を露わにしていく。イマンはそれだけあせっている。拳銃喪失が露見すれば、職を失う恐れもある。

 イマンは同僚に事情を打ち明ける。尋問のベテランが妻や娘たちの聞き取り調査を引き受けるが、拳銃はみつからない。さらに、イマンの住所がネットにさらされ、反体制から付け狙われる恐れが生じた。

 事態は思わぬ方向に転がっていく。これ以降は、ネタバレになるので書かないけど、ひとつだけ言うと、イマンの行動はさらに異常になっていく。

 監督はモハメド・ラスロフ。イランでは困難な立場に立たされている。この映画が反政府的であるとして懲役8年などの刑に処せられたが、ひそかに国外に脱出。ドイツで亡命生活を送っている。

 

2025年4月 9日 (水)

「野田版 鼠小僧」

 東銀座まで出かけてシネマ歌舞伎を観てきた。演目は「野田版 鼠小僧」。2003年、歌舞伎座で上演されたものだ。野田秀樹作・演出、主演は中村勘三郎である。

 勘三郎が亡くなったのは2012年。まだまだ元気だったころの舞台である。

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 金に目がない棺桶屋の三太は、兄の死を知る。遺産が手に入るはずだったが、そうはならなかった。そこで鼠小僧となって、というストーリー。三太と鼠を勘三郎が演じる。例によってアドリブを交えながら舞台を飛び回る。二時間近く出ずっぱりの熱演。ギャグもたっぷりで観客を笑わせる。声にも張りがある。この過酷なパフォーマンスが勘三郎の命を縮めたのではないかと思ってしまう。

 最後に、大岡越前まで登場してのお裁き。すねに傷もつ奉行という設定で、これも笑える。

 ということで、愉快な舞台だった。近くにいたおばさんが帰りがけに、大掛かりなドリフのライブのようだったと語っていた。なるほど、「8時だョ!全員集合」か。そういう観方もある。

 東劇ではいちおう10日までとなっているが、延長もあるとのこと。出かけてみてはいかがか。

2025年4月 7日 (月)

 めいわくかけてありがとう

 上野に出かけた。満開は過ぎ、散り桜か葉桜と思っていたが、そこそこ咲いている。人出は多い。他に行くところはないのかと思うほど多い。

 目的はサクラではない。花より団子。団子より酒。友人からの誘いである。車谷長吉の『癲狂院日乗』に登場する居酒屋。名は伏す。車谷は常連だった。友人もしばしば訪れていたとのこと。そこに行こうとの誘いだった。上野の隣、入谷にある。

 入谷と言えば前から訪ねてみたい寺がある。鬼子母神ではなく、法昌寺。ここにはたこ八郎の墓がある。

 たこ八郎と言っても知っているのは年配者になる。元ボクシング選手のコメディアン。奇怪な役が多かった。パンチドランカーで、酒浸りだった。海水浴で溺れて死んだ。1985年、40年前のことである。そうか、そんな昔だったのか。知らない人が多いはずだ。

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 で、法昌寺。お墓があるが、たこ地蔵もある。由利徹や赤塚不二夫らの呼びかけで地蔵様がつくられた。写真がそれ。見にくいが耳の一部が欠けている。生前、かじり取られていた。リアルに再現してある。前面には「めいわくかけてありがとう」の刻印。たこの座右の銘だったとか。

 そのあと、居酒屋に駆け込んだ。

 ついでのひとこと

 たこ八郎の演技で印象に残っているシーンがある。自転車をこいでいて、思い切りぶっ倒れる。ただそれだけ。転倒ぶりがみごとだった。そんなに真剣に倒れなくてもいいのに・・・。みな、笑った。

 バカな、愛すべきコメディアンだった。

2025年4月 5日 (土)

「エミリア・ペレス」

 最初の5分で引き込まれた。ミュージカル仕立て。いい映画だ。

エミリア・ペレス」。さほど話題になっていないようだが、私は引き込まれた。

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 有能な弁護士リタは、メキシコの麻薬王マニタスから、性転換したいので手伝ってほしいと頼まれる。報酬は200万ドル。リタは引きうける。伝手をたよって情報を入手し、性転換手術をコーディネートする。それから5年、ロンドンにいたリタはエミリア・ペレスという中年女性と知り合う。それが性転換したマニタスだった。まったく以前の面影はない。

 マニタスは、別れた妻や子供たちと同居したい、また手を貸してほしいと依頼される。マニタスの叔母(姉だっけ?)ということで、もとの家族と同居することになる。もちろん、見破られることはない。

 といった奇想天外なストーリーだが、すんなりと受け入れてしまうのは、展開の速さと、音楽である。掛け合いで歌うシーンがよい。

 子供に見破られないと書いたが、父親の残滓はある。パパと同じ匂いがすると息子はいう。父親であることを言い出せないもどかしさ、そのあたりが見どころでもある。

 トランスジェンダーの視点からこの映画を評価する声もあるが、さて、どうなんだろうか。エミリア役のカルラ・ソフィア・ガスコンの演技が光る。

 今年観た中では、まだ3か月しかたっていないけど、ベストワンだな。もう一度観たい。

 

2025年4月 3日 (木)

極楽だの不老長寿だの

 菊池寛に「極楽」という短編がある。こんなあらすじ。

 あの世に旅立ったおかんは、南無阿弥陀仏と唱えながら極楽浄土をめざす。無事極楽にたどりついて、先に亡くなった夫と再会する。そこは苦しみも痛みもない世界だった。夫との日々は平穏だったが、なにかものたりない。このままずっとここにいるのか、退屈さを感じるようになる。で、地獄はどうかと夫に問うと。ここより退屈はしないだろうと答えて黙ってしまう。夫と地獄の話をするときだけが退屈しのぎとなる。

 菊池寛は、世の皮肉さ、人間の至らなさ、弱さを描いたものがいくつもある。「忠直卿行状記」「入れ札」あるいは「藤十郎の恋」などが知られているが、この「極楽」も、意表をつく名作である。夏目漱石などよりおもしろい。気に入っている。

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 永遠の命を得た人を描いた物語がある。ジョナサン・スイフトの「ガリバー旅行記」の第二章にストラルドブルグという老いたまま死ぬこともできない人間が登場する。

 ガリバーは、上陸した島でストラルドブルグという不死の人間が住んでいると聞く。死ななければなんでもできると羨ましく思い、ぜひ会いたいと島の人に申し出るのだが、会わない方がよいと諭される。かれらは愚痴ばかりで、なにも前向きなことはしないと軽蔑されている。かれらに会ってみると、貪欲で嫉妬深い、若者は放蕩で、年寄りは惚けている。ガリバーは、思い描いた不老長寿とはほど遠いことを知ることになる。

 不老長寿というけれど、何の苦労もないあの世はつまらない。菊池寛もジョナサンも言いたいのだろう。

 ついでのひとこと

 ジョナサン・スイフトの著作に「奴婢訓」がある。数年前に改訂版が岩波文庫からでたけれど、さして話題にはならなかった。人間のずるさを皮肉った傑作である。愉快でクツクツと笑える。お薦め。

2025年4月 1日 (火)

「ミッキー17」

 なんども生まれ変わって生き続ける。そういう願いはあるかもしれないけど、その逆、生まれ変わらされてしまい、苦役を強要されるという設定の映画である。「ミッキー17」。監督は「半地下の家族」のボン・ジュノ。これは観ておきたい。

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 近未来、借金に追われるミッキーは新天地(新たな星)で働くことになる。これがブラックだった。エクスペンダブル(取り換え可能な労働者)として、氷の谷間で命がけの作業をする。死んだら新たな生命を吹き込まれ、つまりアップロードされ、レプリカントとしてよみがえる。またつらい作業につく。無間地獄である。今は17回になる。だから「ミッキー17」

 雪と氷の星には、先住の生命体がいた。アザラシのようなイモムシのような群れ。

 このあたりで、おおよそのストーリーが予想できる。コミックの世界。手塚治虫の漫画を連想する。ばかばかしいと思いつつも、展開を考える。宇宙船には絵にかいたような独裁者がいて、先住生命体を打ちのめすようミッキーらに命令する。

 思いがけないのは、ミッキー18号が登場することだ。なにかの間違い、インプットミスらしい。17号と18号では性格が異なる。一方はマイルドで、もう一方がハバネロといったところ。ひとりの女性を取り合ったりする。笑える。

 ネタバレになってはいけない、結末は書かないけど、アナタが予想したように収束する。笑うしかない。

 

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