無料ブログはココログ

« 2025年4月 | トップページ | 2025年6月 »

2025年5月

2025年5月31日 (土)

うさぎはキリギリス

 地下鉄の座席に座っていたら隣の女性から声を掛けられた。

「同じ雑誌ですね」

 新潮社の「波」を読んでいた。隣の女性(私と同じぐらいの年齢)は「薄くてお出かけの際にはちょうどいいですね」と続けた。

 たしかに同じ「波」。「はちゃめちゃなエッセイが愉快で・・・」と答えると、すかさず「中村うさぎですね」との返事。「はい、キリギリスです」

「波」を読んでいる人なら、この会話、おわかりだろう。

250529165559771

 連載中の中村うさぎのエッセイ。タイトルは「老後破産の女王」。かつてのショッピングの女王は、ハチャメチャなバブル人生を送った。整形手術もハンパではなかった。そのあげくの大病。死にかけた。今は車いす生活を送っている。

 悔悛して清貧な暮らしを送っているかというと、そうはならない。健全な老後など、くそくらえと言わんばかりの意識と行動。キリギリスはどこまでもキリギリス。そういう日常を描いている。ひとごとだから、笑える。父親も登場する。ボケてる? 来月号が楽しみである。

 思い出したのが映画「サブスタンス」。若さを取り戻すことに執着する女性を描いている。度肝を抜くストーリーで、こっちも笑える。

 ついでのひとこと

 きのうのNHKラジオ「高橋源一郎の飛ぶ教室」で小川さやかの『チョンキンマンションのボスは知っている』を紹介していた。この本、当ブログでも触れたことがある。香港にいるタンザニア人のネットワークを描いたノンフィクションである。

 異国で生き延びていくため相互扶助のつながりを築いている。悲嘆せず明るく生きているタンザニア人の姿がすばらしい。優れた著作である。一読をお薦めする。

 ネットラジオ「らじるらじる」で一週間この番組を聴くことができる。まずは、こちらを。

2025年5月29日 (木)

議会制民主主義のゆらぎ

 東銀座まで遠出。御厨貢さんの講演会に行ってきた。

 戦後80年の政治を考えるというテーマ。自民党史をレヴューするわけだが、内容を簡潔に伝えるのは難しい。あれこれあって、今となっている。自民党は派閥では動かなくなっている(派閥はわずかしか残っていない)。議会制民主主義もゆらいでいる、ということだろう。

240909084454895

 講演後、コーヒーショップで政治状況を振り返ってみる。

 現在の政治状況は混沌としている。自民党の安定多数の時代より、動きがあって、面白い。

 少数与党というのはこういうものか。石破さんはいじけていた時代より踏ん張っている。ていねいであろうとしている。安倍菅岸田時代に比べ、きちんと説明しようとしている。法案を通すためには野党の協力を得なければならない。国民民主党の主張を受け入れようとしたが、それは先送りとなった。年金改正では立憲民主党と合意に至った。マスコミには出てこないが、裏では、調整役の議員や役人が駆けずりまわったと想像される。

 こうなると参議院選がどうなるか、動向が気になる。それよりもトランプ関税。揺れ動いている。米騒動もある。小泉劇場となっている。

 宇宙はゆらぎからビッグバンが起きた。ゆらぎの中身は違うけど、なにか新しいものが始まるような予感がする。

2025年5月27日 (火)

「無名の人生」

 銀座で飲み会があった。その前に時間があれば映画を観る。観たい映画とうまく上映時間が重なればよいが、そううまくはいかない。行ってみると、上映終了になっていたということもある。

 今回は「無名の人生」を観た。どんな映画かは知らないけど、アニメで、チラシのデザインもよい。これに決めた。

250521130949447

 アニメと言っても、なめらかな画像ではない。静止画に多少の動きをつけたような映像となっている。安あがり。内容がよければ、それでもよい。最初は違和感があったが10分程度で慣れた。

 無口な少年の生涯を描く、目立たぬ少年はアイドルグループのメンバーとなり、人気を博す。グループ名は、善六。なんだか古臭い。豆菓子か酒の銘柄のような・・・。この事務所はジャニーズを連想させる。スキャンダルがあり、社会現象と重ねて、グループの動向が映し出される。あるいは大地震があったり。2010年あたりから2015年、25年、35年、50年へと移り変わる。

 愛称などで呼ばれて、ずっと無名と言われるような人生なのだが、「無口の人生」でもある。内容から連想すれば、そちらの方があっている。

 で、どうだったかというと、 いまひとつパンチがない。

2025年5月25日 (日)

 ささいな便利さの総和

 司馬遼太郎は文明について次のように書いている。(『街道をゆく 台湾紀行』 p.20)

 「文明とはなにか。

 ささいな便利さの総和である」

 毎朝、牛乳を飲む。私自身が乳牛を飼って、搾るわけではない。・・・・牛乳配達人は、軽四輪でやってくる。その車も、彼が手造りしたものではなく・・・配達の途中でゲリラにおそわれることはない、と続けている。

240823112525473_001_burst240823112525473

 司馬さんには、いつも交易とか流通が頭にあった。兵站もそのひとつ。さまざまなつながり、情報の連鎖、交流ということである。現代風に表すなら、サプライチェーンである。つながることで便利さが生まれる。その総和が文明なのだと。

 非文明はその逆、自給自足社会を連想すればよい。閉鎖された空間である。それなりの暮らしはできたとしても、進歩はない。

 交流とか連鎖といったものが文明を進化させる。われわれは、それを当たり前のこととして享受してきたが、ほころびもある。たとえば人出不足。郵便配達は頻度を減らしている。バスの運行も路線がなくなったり運行数を減らしたりている。新聞も朝夕の配達に苦慮している。ラストワンマイルが脆弱になっている。

 喫緊の問題は貿易障壁である。トランプ関税。輸出入に支障が生じている。サプライチェーンを強引に捻じ曲げようとしているのだが、これが物価高、貿易減、さらには世界的経済不況につながることをトランプ政権は理解していない。

 ささいな便利さを踏みつけ蹴散らして、文明を停滞させようとしている。

2025年5月23日 (金)

「サブスタンス」

  容色は年とともに衰える。肌の色艶もしだいに褪せていく。それが自然なのだが、それを受け入れられない人もいる。いつの時代もアンチエイジングが試みられた。

 「サブスタンス」は、若くありたいをテーマにした映画である。デミ・ムーアの体当たり演技が話題になっている。

250518170408418

 テレビのエアロビスク番組で人気を博してきたエリザベス(デミ・ムーア)は50ともなると衰えが目立ってきた。番組を下ろされることを耳にしたエリザベスは禁断の薬物(サブスタンス)を入手する。細胞を活性化させるというが、副作用があった。服用すると苦しくなり、背中が割れる。そこからあらたな生命が現れる。若いピチピチした女性である。エリザベスの分身であるスー(マーガレット・クアリー)はエリザベスに代わってエアロビスクのスターとなる。ただし薬の効果は一週間しかもたない。一週間ごとに二人は入れ替わることになる。しかし、スーは注射のルールをやぶってしまう。するとエリザベスの肌に異常が現れる。

 二人はバランスがとれているうちはよいが、それが一方に傾くともう一方は老化が現れるのだ。

 ここからが異常な展開となる。いわばホラー。私はホラー映画がすきじゃないけれど、身を乗り出して観ることになった。ナンジャ、こりゃ! まさかこんな展開となるとは思ってもみなかった。

 肌を切り開いたり、注射したりするシーンはヨルゴス・ランティモス監督の「哀れなるものたち」を連想させる。

 ということで、むりに若返りの手術などしないほうがいいですよという警告の映画であるけれど、よくもまあ、こんな奇想天外なストーリーを思いつくものだと感心した。

 こういうのが好きな人がいる。カルト映画になるかもしれない。

2025年5月21日 (水)

八起寄席 たけ平

「八起寄席」に行ってきた。今回のお目当ては林家たけ平

 たけ平を聴くのは久しぶりである。市馬落語集とかでよく見かけた。まだ50前だが、昭和歌謡にやたら詳しい。柳亭市馬とはお仲間である。もちろん歌もうまい。

 こぶ平(正蔵)の弟子だが、先代三平の血を色濃く引き継いでいる。

250318174522222

 今回の演者と演目

 三遊亭好青年  磯の鮑

 立川談修    一眼国

 ユリオカ超特Q 漫談 

 林家たけ平   茄子娘

 開口一番は立川談声だった。談四楼の弟子。以前、紹介した『七人の弟子』にも出てくるから、名前と経歴は知っていた。噺家になる前は、ナレーターとかボイストレーナーをしたとあって、声がいい。だから談声(ダンセイ)。なるほど美声である。

 立川好青年はときどきテレビなどでもとり上げられる。スエーデン出身。交換留学生で大学では落語研究会に所属した。その後、好楽に弟子入り。日本語は上手である。どんな芸を身に着けていくのか、注目である。

 たけ平は、マクラでギャグを連発する。会場の反応が薄いと客席にむかってのおしゃべりとなる。そのあたりは、先代三平の色を感じる。声もいい。

 演目は「茄子娘」。茄子の精であるかわいらしい娘が登場する。しっとりしたおとぎ話のような噺だが、それにもギャグを織り込んで一味違う爆笑系の噺としている。愉快な気分が漂う。会場も盛り上がった。

 しっかり笑わせてもらいました。

2025年5月19日 (月)

「リー・ミラー 彼女の瞳が映す世界」

  日比谷に出かけ、ケイト・ウィンスレット主演の「リー・ミラー」を観てきた。来月、しんゆりのアートセンターでもやるのだが、それまで待てない。早く観たい。その気持ちだけで出かけた。

 ケイト・ウィンスレットはメジャーな女優だが、それほどのファンではなかった。「女と男の観覧車」で見直した。長いセリフで感情を吐露するシーンがある。すばらしい演技だった。見逃せない女優となった。

250517120552508

 で、「リー・ミラー」、戦場カメラマンを描いた映画である。数年前、隻眼の女性カメラマンを描いた映画があった。「プライベート・ウォー」。戦場を撮った実在の人物である。迫力のある映像だった。リー・ミラーも実在人物で、第二次大戦前後の活動を描いている。

 晩年、若い記者のインタビューに答える形式で、彼女の報道カメラマン時代が映し出される。

 イギリス「ボーグ」誌の専属だったリーは戦場のノルマンディーに向かう。砲弾が炸裂する中を走り回って撮影する。手にするのはローライ・フレックス。解放されたパリにも行く。ナチスに協力した女性たちが坊主にされ。街中を引廻されるシーンも撮る。さらに戦後は行方不明者がたくさんいるドイツに行く。強制収容所跡も。さらにはヒットラーの家では、バスタブに入り、同僚に写真を撮らせる。

 フィルムはボーグに掲載された。掲載されなかったもの写真もある。リーは怒るが編集長は彼女の抗議を拒む。そのあたりの事情が明かされるのだが、よくわからなかった。もういちど観ればわかるかもしれないが。もう一度観てもわからないかもしれない。複雑なんだ。

 ウインスレットの演技が光る。戦場を駆ける女の強さを感じさせる。日本でこういう演技ができる女優は、見当たらない。

 しんゆりで、また観るかもしれない。

 

2025年5月17日 (土)

『井上ひさし外伝』

 井上ひさしは、孤児院時代から映画を手あたり次第観ていた。高校時代は1000本は観たという。教師の許しを得て午後は早退して映画館にむかった。好きな映画は何度も観た。私も映画好きだが、井上ひさしにはかなわない。すごい。

井上ひさし外伝 映画の夢を追って』(植田紗加栄著)は、映画の面から描いた評伝である。それにしても井上の映画偏愛ぶりはクレイジーである。しかし、それが血や肉となって、小説や脚本づくりにつながった。

250507104825798

 生涯ベストテンなどが紹介されている。邦画のトップは「七人の侍」。黒沢明監督作品が五作も入っている。「天国と地獄」「生きる」「姿三四郎」「わが青春に悔なし」。黒沢愛である。

 ベストテンの中には今村昌平が二作、「豚と戦艦」「盗まれた欲情」が入っている。黒沢と今村。これは悪くない。わたしの好みと一致する。

 洋画では「ミラノの奇蹟」がトップ。以下、「昼下がりの情事」「シェーン」「第十七捕虜収容所」「虹を掴む男」・・・・。ミュージカルが2本、「巴里のアメリカ人」「雨に歌えば」が入っている。

 1位の「ミラノの奇蹟」は、私は観ていない。

 あらすじが紹介されている。孤児院で育った主人公のトトは、原っぱに住む乞食老人の世話で土管バラックに住むことになる。トトは、その原っぱに廃材を集めた掘っ立て小屋の集落をつくる。そこに、思いがけず石油が噴き出す。すると地主が私兵を使って住民を追い出そうとする。そのとき、天からトトの育ての親だったロロッタばあさんの霊が現れ、軍勢を追い払ってしまう。居住地は守られるのだが・・・。このあともあれこれあってという展開。ファンタジーである。

 スピルバーグの「E・T」のラストはこの映画をヒントにしているんだそうだ。

 あらすじで推察するに、井上ひさしの生い立ちとも重なる。こういうのが好みなんだろう。

 その他、寅さん、渥美清にも紙面を割いているが、下積み時代、浅草で出会っているから当然のことである。

 私のベスト映画を紹介したいところだが、別の機会にする。ただし日本映画のベストワンは同じく「七人の侍」である。

 好きなシーンは、ラストの有名なセリフの場面ではなく、勘兵衛のこのセリフ。

この飯、おろそかには食わんぞ

 ついでのひとこと

 井上に「汚点(シミ)」という自伝的短編小説がある。弟や母と別れての孤児院生活を綴ったものだ。それを思い出した。ただし、この小説に映画は出てこない。

 

2025年5月15日 (木)

深川界隈 転倒

 久しぶりに深川に出かけた。何年振りか、いや20年ぐらいになる。

 友人との会食である。深川不動で待ち合わせ。昔は外観をながめるだけだったが、本堂に入ってみた。けっこう広い。護摩行の最中、厳粛な雰囲気が漂っていた。

250514145443107

 となりの富岡八幡宮。ここには伊能忠敬の像がある。忠敬は50歳を過ぎ、ここ深川に住まいを移し、天文学を学んだ。

 そうこうしているうちに、寺社などに興味のない奴は、そわそわしてくる。居酒屋に行こうと言う。

 居酒屋での話題は、転倒になった。今回、ひとりが欠席。転んで手をけがしたということだ。参加者の連れ合いが、最近転んで前歯を折るけがをした。午前中、前を歩く老人が転倒したのを思い出した。

 同世代の会合では、転んだといった話題になる。80近くになると、ガンよりも転倒が多い。足元がおぼつかなくなる。足の衰えもあるが、視野が狭くなっていることもある。緑内障もあるが、古くなった鏡の周辺部がくすんでくるように老人の視野も周辺部が欠ける。足元が見えなくなるのだ。わずかな段差も危険である。注意しなければならない。

250514151220431

 伊能忠敬は55歳を過ぎて日本全国を歩き始めた。転んだりはしなかったのだろうか。像を見ると、杖を手にしている。あれは杖ではなく、方位盤なのだが、杖としても使ったのだろう。確かなことは言えないが。

 私も混雑した場所では杖を使うようになった。膝の衰えもあるが目が悪くなったからだ。よくぶつかられる。杖で危険信号を発している。

 

2025年5月13日 (火)

「SING SING  シンシン」

  ニューヨークにあるシンシン刑務所を舞台にした映画である。刑務所ものといえば、「ショーシャンクの空に」などを思い浮かべる。厳格な看守、受刑者による暴力、そして脱獄など、刑務所ものでは定番のストーリーなのだが、この「シンシン」にはそうした場面はない。

 更生的要素が強い。この刑務所がそれを目的としているかどうかは知らない。車座になって話し合うシーンは精神医療のワークショップを思い浮かべる。

250425073912503

 演劇プログラムのチームが結成される。リーダー的存在のディヴァインG(コールマン・ドミンゴ)は冤罪で収監されている。彼がリードして取り組むのはシェークスピアの「ハムレット」である。セリフの読み合わせとか練習風景が映し出される。メンバー間のやりとりは早口で、こちらはついていけない。ま、ついていけなくても雰囲気はわかる。受刑者は演劇など素人だから、セリフはうまく言えない。それが少しずつ様になっていく。で、実際の公演となるのだが、そのシーンは描かれない。肝心と思われるシーンはカットされている。仮保釈を決める受刑者との面談もさらっと映し出されるだけである。

 つまり普通の刑務所映画とは違っている。あえてテーマをあげれば、更生とか精神の恢復である。

 ちょっと思い出したのが、何度も刑務所に入っていた男性の話。淋しくて、いちばん孤独を感じたのは、満期となり刑務所を出る際、誰も迎えに来てくれなかったときだった。印象に残っている。そうなんだろうな。

「シンシン」にも刑務所から出所するシーンがある。迎えがあったかどうか。それは映画を観て確かめていただきたい。

 

2025年5月11日 (日)

「エメリア・ペレス」 もういちど

エミリア・ペレス」。もう一度観てきた。間をおかずに二度観るのは久しぶり。それだけ印象に残る映画だった。アカデミー賞をとった映画より、断然おもしろかった。

  初めて観るときはストーリーを追いかけることになるが、二度目は歌を楽しんだりする余裕がある、掛け合いで歌うシーンがよい。弁護士が医師に性転換手術を迫るときのデュエットがいい。「ジョーカー」の続編(サブタイトルは忘れた)は、デュエットのシーンが何度もあって、意外な感じがしたのだが、それを思い出した。ただし、「エメリア・ペレス」のデュエットのシーンの方が断然いい。「ジョーカー」の続編は失敗作だった。

250429181504788

 性転換、全身形成手術後、エメリア・ペレスは4年ぶりに家族と再会する。前回5年後と書いたが4年後の誤り。その変身ぶりは、妻も子もわからない。

 夫であり父親であることを名乗ることはできない。もどかしい。でも、明かすわけにはいかない。そのもどかしい思いをあらためて強く感じた。

再び書くが、息子を抱きしめると、パパと同じ匂いがすると言うシーンは印象的である。

 妻は夫がいないことの淋しさもあり、ボーイフレンドをつくり、再婚しようとする。これがエミリアは許せない。で、クロージングへと向かうのだが、この部分はカットしてもよいとちょっと感じたが、やはり映画のとおりでよいのかもしれない。人によって意見は違うだろうが・・・。

 さらに、もう一度観る機会はあるかもしれないが、先のこと。まずは、観た人と感想を語り合いたい。

2025年5月 9日 (金)

『人品』 藤沢周平の小説

 藤沢周平が亡くなって28年になる。そののち、いくつか評伝が出ており、1,2冊は読んだ。似たり寄ったりで面白くない。ファンとしてはものたりない。

  いくつも映画化された。山田洋次が監督したものはなかなかの出来で愉しめた。テレビドラマでは『用心棒日月抄』をベースにした「腕におぼえあり」がおもしろかった。主人王・又四郎より、仲間の細谷源太郎を演じた渡辺徹の演技が印象に残っている。はまり役だった。

250427115959798

 今年になり、後藤正治の『文品 藤沢周平への旅』が出た。並みの評伝なら読むつもりはないけど、後藤正治なら別だ。優れたノンフィクションライターである。文芸関係では茨木のり子の評伝を書いている。『清冽』。すぐれた作品だった。

 『文品』は評伝ではない。作品を、時代に沿って、少しの解説を加えて紹介したものである。

『橋ものがたり』とか『蝉しぐれ』はよく憶えているが、多くは記憶の奥底に沈んでしまっている。それを浮かび上がらせてくれる。ああ、そうだったよね、あの場面はよかったよねとか。まったく忘れてしまっている箇所もある。記憶とはそんなものだ。

 藤沢周平はちょっとした描写が上手い。たとえば、陽が射す場面。わずかな文章で、登場人物のこころの動きや、ストーリーの雰囲気を表している。

 著者の文章を引用する。

 ラストのこの箇所、なんど読んでも涙腺が緩んでしまう。「なだれこむ朝の光の中に・・・・」「踊るように日の光が・・・・」。いずれもお蝶の心模様を伝えている。藤沢は<>の描写に長けた作家だった。p.140

 言い忘れた。私は、鶴岡にある「藤沢周平記念館」に二度訪れている。

 ついでのひとこと

 初音家左橋が朝ドラ「チョッちゃん」に出ていたと語っていた。30年以上も前のことだ。再放送を観てみた。たしかに出ていた。当たり前だが、若い。名前は真打になる前の金原亭小駒。ちょい役である。

 

2025年5月 7日 (水)

雲助・左橋二人会

 一昨日に続いて「アルテリッカ演芸座」に行ってきた。五街道雲助初音家左橋の二人会。いずれも先代の金原亭馬生の弟子である。雲助は一昨年、人間国宝に認定されたのはご存じの通り。昨年のこの会で「淀五郎」を演じたのを思い出す。場内、水を打ったように静まり、聴き入っていたのを思い出す。

250430114015236-1

 今回の演目

 雲助   代書屋

 左橋   試し酒

 左橋   粗忽の釘

 雲助   夜鷹そば屋

 NHKBSで「チョッちゃん」をやっている。再放送。30年以上前の朝ドラである。それに左橋はちょい役で出ていたとまくらで語る。飲み会があって、そのエピソード。古村比呂の父親役を演じた佐藤慶は酒癖が悪かった。しつこく絡む。頭にきた役所広司(こちらも出ていた)は佐藤慶を突き飛ばしたといったことなど。そこから、大酒のみの噺、「試し酒」に入った。  

 五升の酒を飲んだら褒美がもらえるということで大きなさかずきで飲み干してしまう。さかずきを傾けるしぐさが見どころである。左橋はじっくり演じた。さすがに上手い。

 雲助の「夜鷹そば屋」は初めて聴いた。ただし、この噺、「ラーメン屋」の蕎麦屋バージョンだと途中で気づいた。先代の古今亭今輔の「ラーメン屋」である。

 老夫婦がやる屋台に若い男がやってきてラーメン(雲助バージョンでは蕎麦)を注文する。三杯食べたところで、一銭もない。番屋に突き出してくれと言う。出頭するのはあとでもいいから屋台を家まで運んでくれと若者を家に誘う。子供のいない老夫婦は若者に、ちゃん、おっかさんと呼んでくれと頼む。ほんとうの息子のようだと夫婦は心地よくなる。といった人情噺である。ラーメン屋の時代設定は昭和。雲助の蕎麦屋は江戸時代にしている。

 先代の今輔は新作派で、お婆さんもので人気を博した。私は小学生のころから今輔落語が好きだった。実際に聴いたことはない。ラジオやテレビである。

 それはともかくとして、雲助師匠。ゆったり、さらりと演じた。名人芸なのだが、それを見せつけるようなことはしない。そこがいい。

2025年5月 5日 (月)

アルテリッカ演芸座 二つ目落語会

 この時期、新百合ヶ丘では、数々の芸術イベントが開催される。コンサート、芝居などに挟まれて落語もある。三席あるうち、二つのチケットを買った。そのひとつ「二つ目落語会」に行ってきた。川崎出身とか近辺に住む二つ目の会。地元ではおなじみの噺家が高座にあがる。

 注目は立川寸志。以前、談四楼の『七人の弟子』で紹介したことがある。60近いのにまだ二つ目。入門が44歳と遅かったからだ。その分、噺はうまい。並みの噺家ではない。還暦前には真打になるのは間違いない。

 柳家小はぜ。来春、真打昇進がきまった。本寸法の芸で、舞台袖で聴いていた小三治が「オレより上手い」とほめたのを思い出す。

250504133232595

 さて、今回の演者と演目

 柳亭市若   初天神

 立川寸志   三方一両損

 柳家小はぜ 人形買い

 桂笹丸    はじめてのはんこう

 立川うぃん  死に神

 市若はこの3月に「新婚さん いらっしゃい」に出た。わたしは見逃した。妻から出てたよと聞かされた。貧乏二つ目を強調する内容だったらしいが、当人は、太っているから、ひもじいわけではない。落語の方は確実にうまくなっている。今回の「初天神」、ストーリーにも工夫を凝らしている。市若得意の噺のひとつになっている。

 寸志は、ベテランのような味わいがある。今回の「三方一両損」のようなポピュラーな演目でも光るものがある。並みの真打よりうまい。

 小はぜもうまい。むかしからうまかった。芸が小さくまとまらないよう期待する。枠からはみだすような噺も聴いてみたい。演目の「人形買い」は長屋で赤ちゃんが誕生して、月番がみんなから集めたお金で祝いの人形を買いに行く噺。手持ちより安く買って、余った金でいっぱいやるという魂胆。さて、どうなるか。

 笹丸は先々月にも聴いている。声がいい。響きがすばらしい。声が命の噺家にはぴったりだ。成長が楽しみ。演目の「はじめてのはんこう」は自身がつくったもの。タイトルは「はじめてのおつかい」を模したものと思われる。初めて泥棒をする男の噺。

 トリはうぃん。5年前とくらべずいぶんうまくなった。落ち着きもでてきた。演目の「死神」、どんなオチを用意しているか、そこが楽しみでもある。師匠の志らくのオチに似せているが、さらに演出を加えている。ラストは、ライトを消し、場内を真っ暗にした。なるほどね。

 で、来年。「二つ目の会」はやるだろうが、小はぜは出演しないというかできない。ま、そうなる。

2025年5月 3日 (土)

『ほんとうの会議 ネガティブ・ケイパビリティ実践法』

 ギャンブル依存の人は多い。軽度なら脱出できるが、深みにはまると逃げ出せなくなる。まず、負ける。負ければ貯金を下ろしたり借金をしたりする。それでも足りないとなると、家族の貯金や財布から金を抜く。子供の小遣いまで手を付ける。一気に取り戻せるとの甘い思いがある。さらにウソをついて借金。なんとしてでも賭け金を手に入れようとする。地獄である。ちかごろ話題のオンラインカジノ。あれにはギャンブル依存になるような仕掛けがされているとの説もある。無間地獄だな。

2504251728583072

 ギャンブル依存の治療には、オープン・ダイアローグが有効という。帚木蓬生の『ほんとうの会議』は、ギャンブル依存の治療を取りあげている。

 その手順が書いてある。12のステップ? どこかで聞いたような、あれと同じじゃないか。アルコール依存者たちの相互支援集会、AAである。 

 4/27の当ブログを読み返してもらいたい。AAはアルコホリックス・アノニマス。ギャンブル依存はGA、ギャンブラー・アノニマスである。手法はオープン・ダイアローグをベースにしている。患者同士の自由な話し合いである。AAもGAもおなじようなものと考えてよい。

 ネガティブ・ケイパビリティの考えが底辺にある。「性急に答えを求めず、不確実性に耐える能力」である。口で言うのは簡単だが、実践は簡単ではない。

 ひょいと思い出したのが、「べテルの家」である。あそこで行われていることが、ネガティブ・ケイパビリティではないか、と。

「べテルの家」とは北海道浦河にある精神障害を抱えた人たちの共同生活の場である。そこを描いた本に『治りませんように』がある。そのタイトルどおり、治らなくてもよい、ここにずっと居られればよい、症状に普通に耐えていけばよい。居住者はそんな思いでいる。統合失調症は治る精神の病気だが、完治までには時間がかかる。気長に日々を送ることが大切なのだ。

 タイトルにあるように後半で会議について記述している。最近の企業トラブルについても、ネガティブ・ケイパビリティの観点から論評している。

 まだ、紹介しきれていないが、とりあえず、ここまで。

2025年5月 1日 (木)

「花まんま」

 ゴールデンウィークの映画館は混雑する。ふだんはひっそりとしているが、ポップコーン売り場には長い行列ができている。けっこうなことだ。観るのは、たぶん「名探偵コナン」だろう。こちらは「花まんま」を観た。ガラガラだった。

 原作は朱川湊人の同名の小説。直木賞をとっている。多くの人が読んでいる。わたしは読んでいない。一種の、ファンタジーである。

250429105850630

 兄・俊樹(鈴木亮平)は、妹・フミ子(有村架純)の親代わりとして懸命に育ててきた。フミ子の結婚がきまり、安堵するのだが、フミ子からこれまで伏せていたことを打ち明けられる。フミ子に別人格の女性が住みついているというのだ。信じられないことだが、小学生のころ、親に黙って、一緒に彦根に出かけたことがあった。住み着いた女性の親の家だった。フミ子は兄に、その家族に弁当箱を手渡すよう頼む。弁当箱の中身は「花まんま」だった。ままごとの弁当、花で飾ってある。白いツツジはご飯、赤いツツジは梅干し、菜の花は卵焼きといった塩梅。両親は涙を流す。亡くなった娘が遊んでいた花の弁当だった。

 フミ子が生まれたとき、バスガイドの女性が亡くなった。同じ病院ですれちがっていた。その女性の記憶がフミ子に転移されたのだろう。

 兄はフミ子に、その家族と逢うことのないよう約束させる。妹に妙な記憶が入り込まないよう、危うい事態に陥らないようにしたのだ。

 懸命に働き、妹をひとりで育ててきた兄・鈴木亮平の演技はどことなく寅さん(渥美清)に似ていると気づいた。ラスト近くになると、ますます寅さん然としてくる。奮闘努力ね。令和の寅さん。

 さて、原作がどうなっているかわからないけど、ラストにむけて、伏線の回収をもれなくやっている。だから、ラストが結婚式となることは容易に想像できる。結婚式の場所を間違えることも、フミ子の記憶が薄れていくことも・・・。

 伏線の回収など考えず、もっと予想を超える展開にしてもよかったと思う。だって、ファンタジーなんだから。

« 2025年4月 | トップページ | 2025年6月 »