ささいな便利さの総和
司馬遼太郎は文明について次のように書いている。(『街道をゆく 台湾紀行』 p.20)
「文明とはなにか。
ささいな便利さの総和である」
毎朝、牛乳を飲む。私自身が乳牛を飼って、搾るわけではない。・・・・牛乳配達人は、軽四輪でやってくる。その車も、彼が手造りしたものではなく・・・配達の途中でゲリラにおそわれることはない、と続けている。
司馬さんには、いつも交易とか流通が頭にあった。兵站もそのひとつ。さまざまなつながり、情報の連鎖、交流ということである。現代風に表すなら、サプライチェーンである。つながることで便利さが生まれる。その総和が文明なのだと。
非文明はその逆、自給自足社会を連想すればよい。閉鎖された空間である。それなりの暮らしはできたとしても、進歩はない。
交流とか連鎖といったものが文明を進化させる。われわれは、それを当たり前のこととして享受してきたが、ほころびもある。たとえば人出不足。郵便配達は頻度を減らしている。バスの運行も路線がなくなったり運行数を減らしたりている。新聞も朝夕の配達に苦慮している。ラストワンマイルが脆弱になっている。
喫緊の問題は貿易障壁である。トランプ関税。輸出入に支障が生じている。サプライチェーンを強引に捻じ曲げようとしているのだが、これが物価高、貿易減、さらには世界的経済不況につながることをトランプ政権は理解していない。
ささいな便利さを踏みつけ蹴散らして、文明を停滞させようとしている。
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