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2025年7月

2025年7月30日 (水)

 「木の上の軍隊」

 あれから80年、戦争が語られる。テレビは戦争特集をする。戦争映画も目につく。「この世界の片隅に」が8月にリバイバル上映される。

木の上の戦争」は沖縄戦の話。イオンシネマで観てきた。

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 井上ひさしの原案。遺作になった未完の小説だか脚本を舞台劇にし、そして映画化した。

  登場するのはほとんど二人。少尉の山下(堤真一)と新兵のセイジュン(山田祐貴)。沖縄戦のさなか、逃げまどい、ガジュマロの木の上に隠れる。かろうじて銃撃を免れる。水も食料もない。夜陰に紛れて残された食料を集めるが、飢えをしのぐほどではない。かき集めた食料は二人で等分する。セイジュンは島の事情には詳しい。ソテツの実には毒があるとか、セミは食えるとか。

 セミが食べられることは私にも記憶がある。クマゼミは食えるとか、夜尿症に効くとか、小学生のころ知った。沖縄では、セミはふつうに食べられていたようだ。ついでに言うと、イナゴも食える。串刺しを食べたことがある。どんな味だったか記憶にない。

 映画に戻ると、山下は叩き込まれた軍人精神を忠実に貫いている。一方セイジュンは土着の純朴な人間という設定で柔軟性がある。その対比は面白い。でも、類型的ともいえる。

 二人にとって戦争は終わっていない。島が米軍に占拠されたことはわかっている。占領軍のごみ捨て場を見つけ、夜陰にまぎれて、残飯をあさる。これで生き延びた。

 二年ほど続き、戦争が終わったことを知る。ようやく投降する。これは実話だそうだ。

 といったストーリー。長く戦争が終わったこともわからなかった。末端まで情報は届かなかった。なぜ届かなかったのかはわからないけど、そんなものかもしれない。ルバング島やグアム島の例もある。

 脚本は、二人のやりとりをうまく、的確に描いている。

 ガジュマルの木の上の暮らしは、子供のころ遊んだ秘密基地のよう。戦争とは関係ないけどそんなことを思い出した。

2025年7月28日 (月)

「カーテンコールの灯」

 このところ、ほのぼの系の映画を観ていない。「舟に乗って逝く」はほのぼの系なのだが、あまり感じなかった。「カーテンコールの灯」は、典型的なそれであった。アートセンターで観てきた。

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 建設作業員のダンは家族3人で暮らしているが、家では息が詰まるようなときもある。あるとき、見知らぬ女性から声を掛けられ演劇グループに誘われる。メンバーには高齢者が多い。彼らがやろうとしているのは「ロメオとジュリエット」だった。ジュリエット役は60歳の女性。逃げ出す理由もなく、手伝いを始め、セリフの練習もする。

 ところが、フィナーレの場面が気に入らない。なんで二人は死ななきゃならないのか、ダンは台本を変えるべきだと怒鳴り散らす。えっ、なんで? と思うが、これが伏線であって、ダンの家庭の事情が明らかになる。

 一年前、17歳の息子がロメオのように自殺していた。家庭がギクシャクしていたのだとわかる。これ以上書くとネタバレになるからやめておく。ひとつだけ付け加えると、ダンはロミオ役に抜擢されることになる。

 劇は現代風にアレンジされている。バックで「スタンド・バイ・ミー」が歌われたりする。インティマシー・コーディネーターを呼んでくれなどと笑いを誘う場面もあって、可笑しい。

 暑気払いにはいい。ほのぼのした気分になる。冷房が効きすぎということもない。

2025年7月26日 (土)

九段会館

 九段会館に出かけた。前回行ったときのことはよく憶えている。15年前、2010年の12月末。九段ホールで「市馬落語集」があった。落語と歌謡ショーである。初めて入った。まあ、なんと古い施設かと驚いた。椅子はリクライニングになるが古びた木製だった。これじゃ、大きな地震があったら、ぶっ壊れるぜと感じた。

 じっさい、それから三か月も経たぬうちに天井が崩落した。東日本大震災である。東京の被害は少なかったが、ここでは死者が出た。原因は老朽化につきる。

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 会館は取り壊され、あらたに高層ビルが建設されることになった。全面取り壊しに反対の声もあり、入り口、前面だけが昔の面影を残すように再建された。写真がそれ、樹木でちょっとわかりづらいが、一部だけ残された。歌舞伎座が前面だけ残され、高層ビルとなったが、それと同じである。

 15年前の「市場落語集」では、談志がゲスト出演した。落語は無理なようで、ジョーク(小噺)をいくつか披露した。それから一年もたたないうちに逝った。それにしても、登壇した時の拍手がすごかった。あれほどの歓迎の拍手はそれ以前もそれ以後も聞いたことがない。

 玄関部分が再現されたのだが、昔の面影を残すことを優先したため、バリアフリーという視点は欠落している。それに気づいたのは、こちらが歳をとったからだろう。

 ついでのひとこと

 この会館、名古屋市の公会堂に似ている。鶴舞公園の中にある公共施設。それを思い出した。なつかしい。

 よく出かけたものだ。といっても、60年以上も前のことだが。

2025年7月24日 (木)

 もういちど「国宝」

 映画「国宝」が大ヒットとなっている。封切り後、ひと月以上たつが、観客数は増えている。

 もういちど観てきたのだが、ウイークデーなのに客席はほぼ埋まっている。すごい。

 新規の観客なのか、リピーターがどれほどいるのかわからないけど。映画館に出かける人がふえるのはいいことだ。興行収入はどれほどになるのか。

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 歌舞伎役者の評価に「一声二顔三姿」がある。いくつかバリエーションはあるが、一顔であることは揺るがない。この映画でも、声の出し方を厳しく指導するシーンがある。「残る一つが今生の鐘の響きの聞き納め・・・」。死にに行く道ゆきの名セリフである。声の響きが肝心なのだ。

 もうひとつ、天満屋の段。縁側の下に隠れている徳兵衛に、お初は独りごとのようにつぶやく。徳さん、死ぬる覚悟はありやと問う。足先を伸ばすと徳兵衛はその足首を掴んで喉元につき付ける。心中を受け入れる有名なシーンである。映画ならそれをアップで見ることができる。

 といったことを、歌舞伎や文楽を知らない人に教えてやった。この映画を観るに、「曽根崎心中」を知らなくても不都合はない。が、予備知識があったほうがより理解しやすい。

 映画の後、コーヒーショップに入ると、「国宝」のパンフレットを眺める女性がいた。けっこう分厚い。わたしはパンフレットを買わない。総じてあれは字が小さくて読む気にならないからだ。

 一息ついて外に出ると、メガネが曇った。店内の冷房が効きすぎなんだ。

2025年7月22日 (火)

酷暑の八起寄席

 前回に続いて落語である。

 八起寄席の会場は相模大野のグリーンホールであったが、改装のため場所が変わった。相模原南市民ホール。ちょっと遠くなる。

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  写真はグリーンホールの手前にある高層ビル。かつて伊勢丹があった場所だ。まもなく出来上がる。どうなるかは知らない。外見からすると分譲マンションらしい。それはともかく、早くできあがってグリーンホールにまっすぐ行けるようになればよい。今は時間をかけて迂回している。

 市民ホールはここからさらに遠い。炎天下を10分ほど歩くので汗だくになる。

 今回の演者と演目

  林家あんこ  北斎の娘

  三遊亭兼好  悋気の火の玉

  神田あおい  (講談)渋沢栄一の備中の歩兵集め

  古今亭今輔  表札

  古典と新作、それに講談。バラエティーに富む落語会だった。

 「北斎の娘」は葛飾北斎の娘の噺。女性噺家は女性を主人公にした噺を演じることが多くなった。これも、あんこが創った新作である。余芸で「南京玉すだれ」をやった。

 兼好の芸はみごとという他はない。話芸の天才というと、そのたぐいの噺家は何人もいるけれど、面白い、笑えるとなるとトップスターである。おとぼけの表情がまたよい。

 トリの今輔は長めのマクラ。落研時代こと、テレビのクイズ番組にでたときのエピソード、これは以前聞いたことがある。演目の「表札」は昭和の創作噺という。先代の今輔がやっていたというが聴いたことはなかった。社会人になって結婚し、子供もいたが、まだ留年していると偽って、親から仕送りを受けていた男。それを知らない父親が訪ねてくるというので、隣の部屋の住民に頼み込んで部屋を変えてもらう(表札も変えて)というストーリーである。筋に無理があるような気がするが、ま、いいだろう。

 帰りの道も暑かった。でも、クラクラするとか、熱中症になるほどではなかった。

 思い出したのが、兼好さんのマクラ。自公は過半数割れとなった。石破さんの顔つきが、獄門にさらされた首のようで怖いと語っていた。確かに、すごい形相だった。

2025年7月20日 (日)

棕櫚亭寄席 扇橋・市若

 しばらく落語会に行っていなかった。鯉昇・扇遊の二人会からひと月ちょっと。棕櫚亭の寄席に出かけた。他の行事で忙しかったことと、目が悪くなり夜席は敬遠したからである。今回は入船亭扇橋柳亭市若の会。

  先代の扇橋師匠(俳句の宗匠としても知られている)が亡くなったのは2015年。十代目をだれが継ぐかとおもっていたら、孫弟子の小辰が真打昇進とともに十代目を襲名することになった。2022年である。襲名するのに絶好のタイミングであった。小辰ならだれもが納得する。実力もある。

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今回の演目

 市若   二人ぐせ

 扇橋   鰻の幇間

 扇橋   いかけ屋

 市若   井戸の茶碗

 おなじみの古典噺である。

 扇橋の「鰻の幇間」は旦那に騙された悔しさを中居さんにぶつける。大仰に悔しがる。声はよく通る。どの噺家よりも激しくて、爆笑となった。これが扇橋の持ち味である。「いかけ屋」に登場するのは悪ガキどもだ。アブラゼミのようにうるさい。会場にガキどもの嬌声が響き渡る。のどを痛めるんじゃないかと思うほど。

 市若は「井戸の茶碗」をオーソドックスに演じた。後半、ちょいとあせったのか、登場人物の千代田卜斎と高木佐久左衛門を間違えた。怪訝な顔をすると、それに気づいてあわてて訂正した。ま、よくあること。笑って取り繕った。暑いからねえ。

 ついでのひとこと

 コニー・フランシスが亡くなった。19日の新聞朝刊には大々的な追悼記事が載るかと思っていたら、さっぱりだった。無視である。そりゃねえだろうと思うが、今やコニー・フランシスを知らない人が圧倒的に多くなったから、冷静に考えれば当然のことかもしれない。

 ボーイハント、可愛いベイビー、バケーション、カラーに口紅・・・、同時代であったことを幸せに思う。そうでしょ、中尾ミエさん。

2025年7月18日 (金)

聞き違い

 耳が遠くなったわけではないけれど、聞き違うことが多くなった。老化のひとつか。

 相手がシュウマイの話をしていると思ったら、新米だった。シュウマイシンマイ、似ているけど、むかしは聞き違うようなことはなかった。

 こんな聞き違いをスマホのメモ帳につけるようにしている。以前、拡声器が核兵器に聞こえたことを当ブログに書いたが、それ以降である。

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 マスタードがバスタオルに聞こえたことがある。字づらを追えばそれほど似てないけど。なぜかバスタオルに聞こえる。イントネーションが似ているからだろう。料理番組を見ていて、すりおろしたものが、じゃがいもなのか山いもなのか、わからないこともある。まぎらわしい。ま、漫才のネタになるかもしれない。

 こうした現象を、ことばに雲がかかっていると言う。齢とともに雲は濃くなっていく。

 もうひとつ。今朝、「御の字だ」を「おんなじだ」と聞き違えた。

 もう日常茶飯事である。

 

2025年7月16日 (水)

「舟に乗って逝く」

  このところ、中国映画を観ることが多くなった。先だっては、パンデミックがらみのものを観た。「舟に乗って逝く」はパンデミックとは関係ない。静かで地味な映画である。

 監督のチェン・シャオユー(陳小雨)はエドワード・ヤンが好きで、その先には小津安二郎がいるとチラシに書いてあった。

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 舞台は徳清。上海とか杭州にちかい水の町である。

 母親は元気で暮らしていたが脳にがんが見つかった。娘はアメリカ人の夫とともに上海で住んでいる。高度な治療ができるアメリカ行きを勧めたが、母はそれを断る。独身の弟もアメリカ行きには反対する。それぞれ思いが違う。あれころあるが、母は、徳清にとどまり。入院することになる。で、季節は流れるといったストーリー。つまり自然のままの人生に身をゆだねるわけである。

 波乱はない。徳清は先に書いたように水の町。運河でつながっている。自動車のない時代は唯一ともいうべき交通手段だった。蘇州とか紹興とかと同じである。

 舟でいく水の流れが美しい。風景を眺めているだけで心地よくなる映画である。

 テーマ曲は「むすんでひらいて」。童謡のそれだが、中国の歌詞は、舟で揺られてといった内容になっている。ゆっくり抒情的。スローバラードである。「むすんでひらいて」とは気づかないかもしれない。

2025年7月14日 (月)

「季節はこのまま」

 2020年はとんでもない年だった。新型コロナウイルスが世界中に蔓延した。パンデミックである。感染防止のために都市が封鎖されたり、感染者は厳重に隔離されたり、国内外への移動は制限されたり、マスクが必須となったり・・・。ソーシャルディスタンスが叫ばれた。不要不急の外出など、今からすると、やりすぎのように感じられる。奇妙な治療法も出てきた。イソジンでうがいするとよいとか。

 ワクチンが登場したのは翌年である。救世主のように思われたが、効果となると疑問もあった。結局、何度も接種する羽目となった。

 5年たち、パンデミックパニックを描いた映画がいくつもつくられるようになった。フランスの「季節はこのまま」もそうである。

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 2020年、パンデミック下の大都会を逃れて、二人の兄弟が田舎の村に移り住むことになった。ポールは映画監督、その弟のエティエンヌは音楽ジャーナリスト。それぞれにパートナーがいる。田舎の暮らしは、それなりに心地よい。手料理に目覚めたりする。食材は手渡しではないけれど届けてくれる。ネットで不要なものを買ってしまうこともある。それも愉しみのうち。自然環境もよい。

 きょうだいは昔ばなしに花をさかせたりもするが、ケンカになることもある。それも、パンデミックが与えてくれたいい時間と思えばよい。この映画の良いところは、田舎の自然である。木々が美しい。緑があざやかである。心地よいのは、新型ウイルスと無縁でいられることだ。いつまでもそうかどうかはわからないけど。

 監督のアサイヤスは、日本びいきのようである。源氏物語とか枕草子が会話の中ででてくる。ポールが乗っているのはプリウスだし。

 ついでのひとこと

  思い出した。パンデミックのさなか、「新しい日常」ということばが出てきた。そうやって慰めようとしたが、日常ってことはないだろう。「新しい非日常」だろうがと吐き捨てた。

 あのころは、頭の中にもコロナウイルスが忍び入っていた。

 

2025年7月12日 (土)

痛みはどこから

 腰の痛みはいくぶん和らいだ。屈んだりするとイテテテとなる、靴下が履けない、などなどあるけれど、ひっくりかえるほどの痛みはなくなった。

 新聞に痛みということばがあると、すかさず反応する。先だっての毎日新聞に「慢性疼痛の陰にADHD」という記事(7/2)が載っていた。

 慢性的な強い痛みがあると、約4割にADHD(注意欠陥多動性障害)の症状がある。ADHDの薬を痛みのある患者に投与すると、痛みが緩和する、あるいは無くなるという例が多い。因果関係はともかくとして、ADHDと疼痛に相関性があると考えてもよいという内容だった。

  痛みが心因的なものからきているという話はよく聞く。胃痛などそうだ。心的ストレスが原因である。

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 それで思い出したのが夏樹静子さん。人気のミステリー作家。10年ほど前に亡くなったので、今は知らない人が多くなっているが、ミステリー小説はレベルが高く、愉しませてもらった。その夏樹さんは腰痛に悩まされた。いつくもの治療(整形外科から民間療法まで)をうけたが一向によくならなかった。ようやくたどりついた病院で、心因性のものと診断された。そこから心療内科による治療が始まった。ついには断食療法。これによりようやく腰痛は緩和されることになった。その辺りの事情は『椅子がこわい』」という著作で紹介されている。

 腰の痛みは心的ストレスからきていた。ベストセラー作家は忙しい。取材、執筆、締め切りに追われる日々。ストレスが高まって、からだを支えきれなくなっていた。支えの悲鳴が腰痛となってあらわれたのである。夏樹さん自身も信じられないような治療だが、ともかく腰痛は改善された。

 ひとことで断食療法というが、実は奥深い。ここではそれに触れない。詳細は別の機会にする。

 わたしの腰の痛みがどこからきているのかはよくわからない。筋肉や骨格の老化からと言われれば、ま、そのとおりだろう。

 断食はしない。今しばらくは、ムリせずゆっくり腰を動かすようにしよう。それで治る、と思う。

2025年7月10日 (木)

「夏の砂の上」

 長崎は坂が多い。尾道に似ている。

長崎の暑い夏を背景にした「夏の砂の上」を観てきた。何かが欠けているというかしっくりしていない家族を描いている。監督は玉田真也。「そばかす」が印象に残っている。

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 治(オダギリジョー)は失業したが、積極的に職探しはしていない。妻の恵子(松たか子)とは別居中。たまたま夏用のパジャマを取りに帰ってきたとき、治の妹(満島ひかる)がやってきた。博多に新しい仕事を見つけたので、落ち着くまで娘の優子(高石あかり)の面倒をみてくれと言う。ここから治と優子の二人だけの暮らしが始まる。

夫婦には息子がいたが、一年前、水の事故で亡くなっている。仏壇の位牌はほこりをかぶったまま。

 このあたりのいきさつは、映画が始まって5分ほどでわかる。わかりやすい。

 治はなにごとにも消極的。職探しもそうだが、家事も中途半端。妻との関係もしかり。中途半端である。

 一方、優子というと、よくわからない。ぼんやりしたタイプ。高校生だが学校には行っていない。スーパーでバイトを始めるが、遅刻も多い。同じバイト仲間の大学生から目を付けられる。積極的なそぶりを見せることもあるが、避けるようなところもある。好意があるかどうかもわからない。

 恵子には男がいるようだが、治はどうこうすることはない。なりゆきにまかせている。 といったストーリー。

 長崎の夏は暑い。坂を上ったりすれば、思考は停止する。ひたすら汗をかくだけである。べっとりした感情。それを和らげるかのように面倒なことはそのままにしておく。治だけでなく、多くの登場人物がなりゆきまかせである。

 今の暑さにはふさわしい映画かもしれない。今宵は冷たいビールにありつければそれでよい。夏の坂の上から見る長崎が美しい。

 オダギリジョーはダメ男の役が多い。今回はダメではないけれど、積極性には欠ける役回りとなっている。好演。

 娘役の高石あかりは、秋から始まるNHK連続テレビ小説のヒロインになるとのこと。夏の終わりごろ、話題になる。

2025年7月 8日 (火)

「テルマがゆく!

 おばあちゃんが活躍するサスペンスもの、活劇というと、まず岡本喜八監督の「大誘拐」を思い浮かべる。海外ものでもいくつもあるが、題名が出てこない。とにかくその手の老婆が活躍する映画はいくつもある。

 アートセンターで「テルマがゆく!」を観てきた。サブタイトルに「93歳のやさしいリベンジ」とあるように93歳のおばあちゃんテルマの復讐劇である。

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 ひとり暮らしのテルマのもとに孫のダニエルから電話がかかってくる、事故を起こしてしまって逮捕された。このまま保釈されないと刑務所行きになってしまう。1万ドル必要と言う。あわてたテルマは指定場所(私書箱)に金を郵送してしまう。

 これがオレオレ詐欺だった。テルマはこの金を取り戻すべく行動を起こす。「ミッション・インポッシブル」のトム・クルーズのように。

 つまり、コメディである。友達の三輪電動スクーターに乗って街中を走る。チラシの写真はかっこよさそうに見えるが、それほどではない。あれこれあって、私書箱を探り、詐欺グループに近づく。ピストルをもって・・・

 登場人物の多くが老人である。ピストルがあっても激しいドンパチとはならない。ゆるい。テルマも冷酷ではない。詐欺師たちにもやさしい。そのあたりは映画でごらんいただきた。

 ついでのひとこと

 先月の「私の履歴書」(日経新聞)に、カズオ・イシグロの好きな日本映画が紹介されていた。好きなのは「修羅雪姫」、梶芽衣子がすばらしいとの回答。意外、おもしろい。タランティーノと同じ。

 

2025年7月 6日 (日)

「劇場版 それでも俺は、妻としたい」

 で、7月2日に書いた『それでも俺は、つまとしたい』の映画を観てきた。

  近くではやっていない。都心でもやっていない。ネットで調べると本厚木でやっていることがわかった。あつぎのえいがかんKIKI

 本厚木にミニシアターがあることは知っていたが、行ったことはない。場所はパスポートセンターの前のビル。そこならわかる。新宿に行くと同じぐらいである。

 3つスクリーンがある、シネコン風ミニシアターといったところか。しんゆりのアートセンターでやる映画と同系列のものが上映されている。

 映画館としては古そう。ロビーが広いのは良い。スクリーンの脇にはスピーカーがむき出しになっている。今時、こういう映画館はないのではないか。

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 劇場版はR指定なし。性的な部分は極力排除した家族コメディになっている。

 冒頭の字幕に、事実に基づくとある。笑える。そんなことは書かなくてもよい。

 設定は原作本と同じ。売れないシナリオライターは妻としたいが、なかなかやらせてもらえない。冷たくあしらわれる。正確には、足蹴にされるように突き放される。反逆できないのは稼ぎが悪いからである。つまり毒妻vsダメ夫。夫に勝ち目はない。

 原作との違いは、性的な部分は薄めていること。主演の風間俊介とMEGUMIがいいコンビで演技している。映画を観る前はミスキャストと思っていたが、そうでもなかった。息子の無邪気な演技もよい。

 ということで愉快なファミリー映画である。だからといって、親子で楽しめるわけではない。

 このKIKIを知ったので、新宿武蔵野館、新百合アートセンター、本厚木えいがかんKIKIがつながった。小田急ミニシアターの路線である。映画を観る機会がさらに増えそう。

2025年7月 4日 (金)

痛みは続くよ、いつまでか。

 腰の痛みは続いている。さらに強くなったわけでも、減じたわけでもない。ただ痛い。多少、痛点が移動した。左のほうに。これはどうしたことか。

 立ち上がるときに激痛が走る。前屈もダメ。杖をつきそろそろと歩く。よぼよぼ老人のようだ。

 セルフのコーヒーショップでコーヒーを注文すると、「お席まで、お持ちしましょうか」と店員から声を掛けられた。「いや、ありがとう。大丈夫です」と答える。まもなく寝たきりになるような姿と映っているかもしれない。いや、車椅子か。

 それにしても、痛みはいつまで続くのか。

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 朝、BSで連ドラを観ている。再放送の「チョッちゃん」。これが一時中断となった。参議院選への対処のためという。政見放送の枠をひろげるためかとおもったが、そうではなかった。チョッちゃんの夫役の世良公則が参議院選挙に出るからだそうだ。実際、立候補した。

 ふーん、そうなのか。アンタにぃーあげた・・・。 「世良公則とツイスト」というバンドだった。

 関係ないけど、わたしゃ、腰がわるくて、ツイストができない。

2025年7月 2日 (水)

『それでも俺は、妻としたい』

 足立紳の映画(脚本)は注目して観ている。

 3年ほど前、「雑魚どもよ、大志を抱け」という映画があった。岐阜県の田舎の少年たちを描いたものである。それほど話題とはならなかったが、おもしろい映画だった。相米監督の血筋をきちんと受け継いでいると感じた。同じころ、スピルバーグの自伝的映画「フェイブルマンズ」があった。あれと重なるような印象も受けた。

 そのあと足立紳はテレビドラマの「ブギウギ」の脚本を書いている。こちらは話題になった。

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 ことし、映画を作った。題名は「それでも俺は、妻としたい」。同名の小説を映画化したものという。原作があるのを知らなかった。図書館にあった。奥付を見ると令和元年の発刊。けっこう前なんだ。映画を観る前にこれを読んでみた。

 内容は、売れないシナリオライターの話。豪太の年収は50万円程度。妻子がいる。妻のチカは派遣社員としてコールセンターで働いている。一人息子は保育園児。豪太は保育園の送り迎えや家事をしている。主夫である。実生活をベースにしているようだ。

 妻の尻に敷かれている。セックスがしたくてもなかなかやらせてもらえない。懇願しても、「うっせいわ」などと冷たい返事が返ってくる。まれにシナリオの仕事が舞い込むが、これが妻を巻き込んでの騒動となる。ユーモア小説である。

 チカの突き放すような啖呵が心地よい。自分が言われたらアタマにくるが、小説の中でのこと。ヒトゴトなら笑える。

ぱらぱらめくって、啖呵をピックアツプすると・・・

 「うるせえ。負け犬が吠えるな。死にやがれ」 

 「えじゃねえよ、聞こえてんだろ」 

 「だからどもってんだろ。知らねえよ、そんなの。自分で考えろ・・・」

 映画の主演は風間俊平。妻役はMEGUMI。原作のイメージとは違うキャスティング。たぶん、映画のシナリオは原作とは違っているのだろう。原作本はソフトロマンポルノっぽい部分もある。映画では薄められているのだろう。

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