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2025年8月

2025年8月31日 (日)

「大統領暗殺裁判 16日間の真実」

  韓国の朴大統領が暗殺されたのは1979年10月26日。それから間もない12月12日にクーデターが起き、全斗煥が表舞台に出ることになった。翌年には光州事件が発生する。韓国にとって、政治も軍事も社会も大混乱というか激動の時代であった。

 半世紀ほど前のことで、民主主義が根付かない野蛮な国だなあと思っていた。それからの躍進ぶりは驚異的でる。しかし、昨年末の非常戒厳には驚いた。わからない。

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 映画「大統領暗殺裁判 16日間の真実」を観てきた。朴大統領を暗殺した犯人は8人ほど。弁護士のチョン・インフ(チョ・ジョンソク)は、犯人の一人である情報部長の随行秘書員パク・テジュの弁護を引き受ける。

 彼はクーデターを仕掛けたわけではない、上司の突然の命令に従っただけと弁護する。なぜそこまで肩入れするのかよくわからないけど、とにかく弁護に驀進する。

 史実をベースにしたものであるけれど、冒頭のテロップでフィクションだと断っている。断りがなくても、チョンの行動は過剰な演出だろうなと想像できる。

 韓国の裁判制度、軍事裁判の制度はよくわからない。そういうものかと思うだけ。

 被告のパクは寡黙で虚無的。軍隊の秩序にしたがって拳銃を発射しただけで、それが死に値するなら受け入れるという態度を貫く。江戸時代の武士が切腹を覚悟したような雰囲気である。

 チョンの上司たちの言動も揺れ動く。チョンはその中をもがき、奔走する。全斗煥を思わせる捜査団長の動きが不気味である。チョンはそれに翻弄させられる。

 ということで、わからない部分もある。ある程度、予備知識があったほうが楽しめるかもしれない。

 それにしても。暑い。

2025年8月29日 (金)

「炎はつなぐ」

 和ろうそくの原料はハゼの実である。ハゼの実をつぶして温め液状にする。撚った灯芯草を棒に巻き付けて、それを液状のハゼの実に浸す。円筒形に整え、芯の棒を引き抜けばろうそくができあがる。

 我が家の仏壇の引き出しには和ろうそくがある。じっくりながめて知ったのだが、芯の部分の空洞は大きい。灯芯は結構太い。洋風のパラフィンでつくったろうそくとはずいぶん違う。

 ハゼの実の絞り滓は藍染めの際の燃料となる。おがくずよりも火持ちがよいから、藍染め業者には重宝がられている。

 映画「炎はつなぐ」をアートセンターで観てきた。和ろうそくなどの伝統職人たちの技を描いたドキュメンタリーである。

 撚られた灯芯は墨づくりにも使われる。ナタネ油を燃やす際の芯となる。油を燃やすとすすができる。それを膠と練り合わせて型に入れ、墨が作られる。

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 和紙を漉くシーンもある。金箔を作るというか保存するペーパーとして使われる。金箔を和紙の上に置き、さらに和紙を重ねて、ミルフィーユ状にする。それが金箔職人に渡される。仏壇をつくる職人は、薄めたウルシを接着剤にして金箔を張り付けていく。

 養蚕の現場も描かれる。わたしの祖父は養蚕もしていたので、桑の葉のやり方から葉を喰うむ音まで記憶に残っている。さらに横浜のシルク博物館には二度ほど見学に行ったことがあるから、そこそこ養蚕には詳しい。

 蚕は一匹二匹とは数えない。一頭二頭である。トリビアな知識として憶えておいてもよいが、ま、役には立たないね。

 映画では、真綿がどう使われるかを描いている。真綿が絹でできていることを知らない人が多い。いや、真綿を見たことがない人も多い。あれは一種の接着剤というか布団の綿などが動かないようするために用いられる。和ろうそくにも使われる。棒に巻き付けた灯芯草を固定するのに用いられる。それは知らなかった。

 ウルシを採取するシーンもある。ウルシの実はハゼの実と似ている。ハゼはウルシ科ウルシ属だから、似ていて当然である。

 現代人は完成品しか目にしない。どのような行程で作られているか、それを生業とする職人たちの姿は興味深い。手仕事は、あざやかで美しくもある。

 とはいえ、手間がかかる作業である。原料も少なくなっている。伝統工芸としてわずかに残されていくとしても、滅びていく世界である。

2025年8月27日 (水)

チーズとかまぼこ

チーズとかまぼこ

 暗いレストランで食事をした。こういう店は好きじゃないが、ひとり我がままをいうわけにはいかない。

 前菜にゴルゴンゾーラがでた。これは好物。口に入れると触感がチーズではない。なんだこりゃと妻に問うと、キッシュという答えが返ってきた。中に入っているほうれん草をゴルゴンゾーラの青カビと間違えたのだ。まだら模様がそっくり。私の眼が悪くなっていることもある。だから、暗いレストランはいやだ。

 それで想いだした。母のエピソード。両親は戦時中に結婚した。山奥で食料事情は悪かった。披露宴の料理にかまぼこが出された。この時期、かまぼこが食べられるなんてと、口にすると、それは大根だった。大根を丸くかまぼこ状にカットして薄く食紅をつけた代用品というか模造品。見た目はかまぼこ。がっかりしたという。

 まるで落語の「長屋の花見」である。一升瓶の酒はお茶、かまぼこは大根。卵焼きはコウコウ。代用品で花見に出かける、あの噺。卵焼きを食べるとポリポリ音がする。

 ちかごろ、ゴルゴンゾーラとかミモレットを食べていない。円安で高くなったからねェ。口にするのは国産のカマンベールか切れてるチーズ。

 冷蔵庫をのぞくと、切れてるチーズが入っていた。

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2025年8月25日 (月)

「アイム・スティル・ヒア」

 南米の国の歴史はよく知らない。クーデターで独裁政権ができたり、アルゼンチンもチリも、その他の国も。その程度の知識しかない。

アイム・スティル・ヒア」を新宿武蔵野館で観てきた。ブラジル映画である。監督はウォルター・サレス。「モーターサイクル・ダイアリーズ」で知られている。

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1970年か71年、リオで静かに暮らしていた元国会議員のルーベンスは軍だか警察だかに連れ去られてしまう。妻のエウニセ(フェルナンダ・トーレス)も娘とともに拘束されてしまう。夫の交友関係をしらべるための拘束だった。当時、ブラジルは軍事政権下にあった。軍の抑圧は反体制勢力を一掃しようとしており、ルーベンスもそれに巻き込まれたようだ。エウニセは解放されたが、ルーベンスは行方不明のまま。

 エウニセは夫の行方を追い続けるが、わからない。さまざまな伝手をたよる。軍の圧力なのか、捜索は進まない。エウニセは土地を売って生計をたて、娘たち5人を気丈に育てる。

 映画は25年後にとぶ。夫が亡くなったことがわかるが、さらに真相を探る。晴れて、と言うのも変だが、死亡証明書が発行される。

 あとで知ったが、年老いたエウニセを演じているのは、フェルナンダ・トーレスの実母ということだ。セリフは無し。毅然とした表情で、エウニセのこれまでの精神をあらわしている。

 苦情をひとこと。後方の座席だったこともあり、字幕が読みづらかった。字幕は小さい。さらに白地の部分に白い字では読む気にもならない。ちょっと配慮してもらいたい。

 

2025年8月23日 (土)

「東京かわら版」から

落語家の本音』を読んでいる。まだ途中。

月刊雑誌「東京かわら版」に載ったインタビューを集めたものだ。。

「東京かわら版」とは、落語ファンのための情報誌である。「ピア」の演芸版。と書いてみても、もう「ピア」はないから、「ピア」といえばチケット販売サイトというイメージしかないないだろう。要はガイドブックである。

「かわら版」は新書より少し縦長。寄席やホールで何をやっているか、誰が出演しているかを並べたものである。出演者から引くこともできる。

 分厚くなった。むかしは靴ベラにできたとは一之輔の言。今は8ミリぐらいある。

 寄席のスケジュールのほか、噺家へのインタビューなどが載っている。それはそれで読みたいのだが、なにせ字が小さい。読みづらい。年寄りには無理。虫眼鏡がいる。買っても、読まないことがある。もったいない。だからよほどでないと買わなくなった。

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 写真の右側がそれ。たまたま本棚の隅にあったのが円丈特集の号。

落語家の本音』は、繰り返すがそのインタビューを集めたもの。志ん生などの名人から、現在のベテラン噺家、そして人気者まで幅広い。およそ50年続く「かわら版」から厳選したものである。

 内容は深い。一貫して感じるのは、書に似ていることだ。前座から二つ目あたりは楷書の芸を学ぶ。二つ目から真打にかけてはそれが行書になる。自分が納得できるように変えていく。ベテランとなると草書になることもある。それは絵でもそうだ。ピカソは若いころは写実の絵をかいていた。基礎をしっかり学んだ。それが心象風景のようにデフォルメして抽象画になっていった。五街道雲助 春風亭一朝、柳家権太楼などからそれを強く感じる。

 名人芸はなんど聴いても飽きることはない。噺家によって味わいが違う。それで、何度も寄席やホールにでかけることになる。

 まだ読んでいる途中。一気に読むのはもったいないし、続けて読むと、くたびれる。

2025年8月21日 (木)

「冬冬の夏休み」

 暑い。お盆を過ぎても猛暑日となっている。外を歩くとすぐ汗が噴き出す。

 アートセンターで「冬冬の夏休み」を観てきた。監督はホウ・シャオシェン。台湾ニューシネマ時代を牽引してきた。40年ぐらい前の1984年の作品。ほとんど忘れてしまっている。

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 小学校を卒業した冬冬(トントン)は妹とともに祖父母の住む田舎に行く。母親は入院中だから長い休みをそこで過ごすことになる。近所のこどもたちと川で泳いだり楽しく遊ぶ。若い叔父がトラブルにまきこまれたり、祖父母の会話に聞き耳をたてたり、ひと夏の成長期でもある。妹が可愛い。川遊びの仲間に入れてもらえないので、腹いせで子供たちの服を川に流がしてしまったり。

 あらためて気づいたのは、音。小鳥、ニワトリ、カエル、セミ。風や雨の音。汽車、生活音も聞こえる。いかにも田舎を感じさせる。

 日本統治時代の匂いもある。冒頭は「仰げば尊し」の合唱。ラストは童謡の「赤とんぼ」が流れる。日本映画のような雰囲気がある。

2025年8月19日 (火)

郷田九段 1千勝達成

 昨日の朝日新聞(8/18)は、郷田真隆九段が公式戦1千勝を達成した特集記事を組んでいた。主に将棋を教えてくれた父親についての内容だった。

 郷田九段の父親ならよく知っている。わたしより10歳ぐらい上。親しくはなかったが、おしゃべりぐらいはした。将棋が強いことも知っていた。

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 ある日、行きつけのすし屋に行くと、郷田さんがひとりで呑んでいた。隣に座った。郷田さんの息子が奨励会にいることは、当時「将棋世界」を購読していたから知っていた。「まもなくプロですね」と声を掛けると、そこから息子の話が止まらなくなった。こっちは聞き役。息子がプロになって活躍することを楽しみにしていることがひしひしと伝わってきた。

 後に、郷田九段は順位戦A級で優勝し、名人位挑戦を決めた。その日、郷田さんは亡くなった。挑戦が決まったことを父に伝えることはできなかった。あと一日生き延びたらと思うが、ま、人の世はそういうものだ。

 郷田九段はこれからも活躍するだろうが、大きなタイトルをとることはない。将棋界は、藤井聡太(7冠)の一強時代にある。しばらくは続く。今、王位戦の最中だが、藤井王位の三連勝。タイトル保持は間違いなかろう。

 藤井7冠の一角を崩すのは今の棋士にはいない。藤井より年上の棋士では無理だろう。郷田九段の弟子、まだプロでもない若者がタイトルに挑戦するのをちょっと夢見ている。

2025年8月17日 (日)

『昭和的』

  昭和がブームということだ。懐かしさをともなって昭和歌謡が歌われる。

 が、違和感がある。昭和歌謡といえば、若い人が好きだと言うのは、松田聖子とかキャンデーズ、70年代以降の楽曲である。昭和は1926年に始まる。戦前、戦後復興期もあって、70年代は後半になる。1989年まで続いた。和暦なら昭和64年。神武以来最長の和暦だから、60数余年をひとくくりにするには無理がある。

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  関川夏央の『昭和的』を読んだ。居心地がよいというか、ソフトフォーカスのポートレートを眺めるような気分になる。著者は私より二つ下。イラストの南伸坊は同い歳。時代をを共有してきた。団塊の世代だ。

 タイトルの「昭和的」はぼんやりしている。内容は、昭和の人物評を並べた軽いエッセイである。とりあげられるのは山田風太郎とか畑中純(漫画家)とか渥美清とか無着成恭とか、エトセトラ。  

 プロ野球選手では、長嶋、王ではなく、村田兆治、門田博光。名選手だがメジャーではない。二人とも孤独死(村田は火災死)だった。村田兆治は引退後もすごかった。まさかりを振り下ろすような練習を欠かさなかった。50過ぎてもスピードボールを投げた。

 渥美清を描いた文章がいい。渥美寅さんの俳句がすばらしい。俳号は、風天。

 たいていのことは知っている。だから本書を読むと、懐かしさが広がる。同時代の共感がある。

 ついでのひとこと

 しばらくカラオケには行っていないけど、歌うのは昭和歌謡。持ち歌は、星屑の町とか怪傑ハリマオ。三橋美智也だ。街のサンドイッチマン、骨まで愛して なども。いかにも昭和だ。

 

2025年8月15日 (金)

「新、平家物語」

 アートセンターでは「市川雷蔵映画祭」をやっている。映画デビュー70周年記念ということだ。戦後の名優。数々の名作に出て,

若くして、40前に亡くなった。

 今回上映されるのは「炎上」「お譲吉三」「破戒」「斬る」「眠狂四郎無頼剣」など全10作品。かなり力を入れた企画だ。

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新、平家物語」を観た。敗戦から10年目、復興期の作品である。監督は名匠・溝口健二。プロローグを観れば大映としてもかなり力を入れた映画だとわかる。民衆、僧兵などのエキストラの数が半端ではない。金をかけている。

 原作の「平家物語」は群像歴史物語である。雷蔵は平清盛を演じている。清盛の父・忠盛と清盛を中心に描いている、忠盛は都の治安維持などで功績をあげ、出世して殿上人となる。それをさらに高めたのが清盛である。

 忠盛が殿上人となったのを妬んだ公卿らは忠盛を闇討ちしようとするが、それを察した忠盛は機転でそれをかわす。そのあたりが原作前半のハイライトなのだが、映画ではあっさりした演出で済ませている。ちょっともの足りない。

 映画は、清盛が独り立ちするまでを描いている。全三部作の最初の作品ということで、平家の盛隆から衰退はのちの作品になる。

 観客はかなりのお年の女性が目立った。往年のファンだろう。

 雷蔵が亡くなったのは1969年である。半世紀以上も前。色褪せてはいるが、デジタル版でその華麗な姿を観ることができる。

 ついでのひところ

 学生のころ、友人が京都の大映撮影所を見学に行った。偶然、市川雷蔵がいて、ちょっとおしゃべりできたと、嬉しそうに語ったことがあった。雷蔵は痩せていて手首などひどく細かったそうだ。映画では剣豪を演じることもあったが、それを感じさせなかった。

2025年8月13日 (水)

「ジュラシック・ワールド 復活の大地」

 九州北部あたりは線状降水帯の発生で豪雨となっている。熊本も。新幹線はストップし、空の便もダメということで帰省客は足止め状態。お盆の時期はできたら遠出はしない方がよいけれど、墓参りもあるし、そうも言ってられない。できれば、近場で楽しめれば、それがよい。

  近場なら、映画だろう。ただし、この時期、大人向きの映画は少ない。まして年寄り向きは僅かしかない。

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ジュラシック・ワールド」を観てきた。チケットを買おうとしたらほぼ満席。ロビーもいつも以上に混雑している。時間をずらそうかと思ったが、あとの予定とぶつかる。観にくいことを覚悟してチケットを買った。前から二列目のいちばん端っこの席。

 シリーズ何作目になるか知らない。すべては観てない。今回のは、以前のものとは違っていて面白いとの声も聞く。

 スカーレット・ヨハンセンによく似た女優さんが出ていると思ったら、当人だった。いつまでも美しい。斜めからでは見にくい。

 恐竜は長生きをする。心筋が強靭だからだ。製薬会社はその血液を採取して心臓病の新薬開発につなげようと、血液採取を企てる。製薬会社からの依頼により秘密のプロジェクトチームが恐竜が棲む熱帯地域に向かう。採取するのは、海龍、鳥龍、そして陸上のティラノザウルスの血液である。

 途中、ヨットが転覆してしまい漂流する家族を救出する。クルージング中、海の恐竜に襲われたのだ。その家族とともに恐竜が棲息する島に向かう。

 恐竜は「ジョーズ」とか「エイリアン」を連想させる。恐竜はど迫力で人間を襲う。スリリングである。最初は隅っこで観にくかったが 途中からは、脳内の斜め補正機能がが効いたのかスクリーンにも慣れてきた。

 恐竜が出てくるシーンは恐ろしいが、恐竜同士が愛情を確かめ合うシーンもあってちょっと愉快になる。幼い恐竜も登場してほほ笑ましい。

 ということで、けっこう楽しめた。このシリーズでは、いちばんおもしろかった。

 

2025年8月11日 (月)

『啓蒙の海賊たち』

 マダガスカルについては乏しい知識しかない。バオバブの木とかワオキツネザルとか。アフリカの一部だからアフリカ東部から人がいたが、ボルネオやマレー半島、あるいはインドとの交流があった。

  デビット・グレーバー『啓蒙の海賊たち』を読んだ。グレーバーは突拍子もないような言説で知られる文化人類学者である。『万物の黎明』などで知られるが5年前59歳で亡くなっている。異才の学者である。

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 カリブ海にいた海賊というか、はみだし連中が、マダガスカルにたどり着き、拠点を置くようになった。海賊は財産を奪うだけの存在ではない。交易でも稼いだ。情報を伝え。文化や物資を他国にも伝えた。彼らは金をもらって、護衛とか海の道先案内もした。

 本書ではマガスカルの歴史に多くの紙面を割いているが、一読しただけではその歴史はよくわからない。サブタイトルは「あるいは実存したリバタリアの物語」。

 海賊は既存の封建社会から逃げ出した、あるいははみだした連中である。自由を志向した。けっこう民主的で、略奪品はメンバーに平等に分けあうとか、船長は船員の合意(選挙)で選ばれるとか。それが海賊組織を維持する英知でもあった。マダガスカルでは女性が商人として活躍した。

 啓蒙主義はイギリスに起こり、フランスなどに伝えられたとされている。グレーバーは、それって海賊たちがもたらした思想にルーツがあるとの見解を示す。ジョン・ロックに影響を与えた。ダニエル・デフォーやモンテスキューにもその影がうかがえる。

 マダガスカルはこれまでの世界史には登場しなかった。辺境である。そこにスポットをあてて論及しているところが面白い。まだ書きたいこともあるが、うまくまとまらない。

 ついでのひとこと

 本書を読みながら、「倭寇」が略奪者という側面だけではなく、交易、情報提供者という側面があったことを思い浮かべた。宮本常一の言う「世間師」でもあった。

 

2025年8月 9日 (土)

 なんとかファースト

 なんとかファーストということばが流行っている。

 かつては「レディファースト」ぐらいだったが、トランプさんが「アメリカファースト」を言い始めて以来、広がった。続いて、小池都知事は「都民ファーストの会」という地域政党を立ち上げた。

 参議院選では、参政党が「日本人ファースト」を訴えて躍進した。行き過ぎた移民の排除、不法滞在は許さないなどと主張した。参院選後はその主張は多少トーンダウンしているように見えるが、さて、どうなるか。差別主義、排他主義、分断を進めるようなら、それはやりすぎだろう。

 ヨーロッパでは、移民、難民の受け入れに反対の政党が躍進している。

 ファーストと叫んだわけではないが、ナチスドイツの主張はまさに「アーリア人ファースト」であった。ナチスはアーリア人の理想郷をつくろうとした。そこからユダヤ人、ロマ人、反ナチの人たちを蹴落とした。大量殺戮まで及んだことはご存じのとおりである。

 いまから50年ほど前に「アースファースト」の運動があった。ご存じの人は少ないだろう。アースは地球のこと。地球環境、気候変動への対処を訴えた。現在のグレタさんの活動につながる運動である。

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 写真はタカサゴユリ。一週間ほど前に撮った。数年前まで、麻生区では盛んに咲いていたが、このところ。うんと減っている。元気がない。酷暑のせいか。ちょっと前までは居心地がよかったが、こう暑くては、いくら暑さに強い植物でも棲めなくなっている。

 

 

2025年8月 7日 (木)

 新宿末廣亭 昼席

 都心に出た。昼からは映画と思ったが、寄席にした。久しぶりに新宿末廣亭。昼席の主任は林家正蔵である。

 常設の寄席の入場料が上がったと新聞で知った。いくらになったのか。大人3500円。シニアは3200円。3時間以上楽しめる。昼夜入れ替えなしなら、実質6時間以上となる。割安だ。歌舞伎よりうんと安い。酷暑の中を歩き回るよりはうんと良い。

 私が入ったときはジャグリングが終わったところ。

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 落語中心に演者と演目

 柳亭左龍    二人ぐせ

 古今亭志ん輔  豊竹屋

 入船亭扇遊   一目上がり

 春風亭一朝   牛ほめ

 林家つる子   スライダー課長

 三遊亭吉窓   都々逸親子

 初音家左橋   酢豆腐 

 林家正蔵    鹿政談

 夏休みだから子供連れが多い。ということは廓噺はしない。ベテランの噺家がほとんど。おなじみの噺だから演目はわかる。つる子の新作をのぉいては。

 つる子の演目をあとでネットで調べた。「スライダー課長」らしい。女流の新作にしては女性が登場しない。課長は野球オンチ。部下の男が教えるのだが、話がかみ合わない。ピッチャーの投球をミットで受け止めるシーンがある。バシッとミットに収まる。その音を自分のお尻を叩いて表現する。なるほど、うまく音が出ている。つる子の工夫である。

 色物では、林家パー。余談芸談。80過ぎても元気である。「津軽海峡冬景色」のメロディで「サザエさん」を歌う。いつものネタである。ばかばかしいが、暑気払いにはいい。

 楽屋より高座のあたりの方が涼しいと何人もの演者が語っていた。入れ代わり立ち代わりだから楽屋は混雑している。

 昼席で腰を上げる。外に出ると、まだまだ暑い。この暑さはいつまで続くのか。

2025年8月 5日 (火)

「私たちが光と想うすべて」

 ムンバイはインドの西側にある大きな都市であるが、多くのことは知らない。かつてはボンベイと言った。最近のインドの発展ぶりはすさまじい。中国をしのぐ。ムンバイもさぞや大発展して近代的なビル群が建っていることだろう。その一方で、低所得層のスラムが広がっている。想像だが。

 ムンバイを舞台にした「私たちが光と想うすべて」を観てきた。カンヌでグランプリを受賞している。

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「光と想うすべて」という抒情的なタイトルがついているけど、映画の内容は伝わらない。観終わって、「ムンバイの女たち」とか「ムンバイの私たち」としたほうがよいのではないかと思った。

 看護師のプラバは同じ病院で働くアヌとアパートで暮らしている。プラバは見合い結婚したが、夫はドイツに出稼ぎに行き、音信不通になっている。若いアヌはひそかにムスリムの青年と交際している。低賃金だから豊かな暮らしとはならない。アヌは親から見合いするよう迫られている。

 映画は二人の暮らしを淡々と描いている。背景にあるのはムンバイの世情。雨のシーンが多い。雑踏では湿気がまとわりついてくる。夜になると街はネオンの光であふれる。遠くに電車の明かりが見える。古い建物は取り壊しとなり、プラバの同僚も立ち退きを迫られている。

 プラバのもとに差出人不明の高級炊飯器が送られてくる。ドイツ製。たぶん夫からではないかと思うがわからない。伏線か。

 後半、海岸の村が舞台となる。立ち退きを迫られている同僚の帰省にプラバたちも同行したのだ。ここからがよくわからない。幻想と思われるようなシーンが多くなる。ありえない、偶然と思われるシーンがある。現実なのか、それとも心象風景なのか。もう一度観てみないとわからない。

 これまで観てきたインド映画とは違う。ニューウエーブ。インド社会が変貌しつつあることと無縁ではなかろう。

2025年8月 3日 (日)

「黒川の女たち」

 わたしの母親の実家は岐阜県白川町である。合掌造りで有名な飛騨白川村と間違えられるが、こちらは美濃白川である。

 飛騨川に沿ってJR高山線が走り、自然に囲まれたのどかな山間部にある。子供のころ 夏休みになると祖父母のもとに帰省した。帰省とは変だが、ふるさとのように思う。毎日、いとこたちと川遊びをした。楽しかった。

 白川町は開けた土地が少ない。林業、養蚕、茶の栽培などが主な生活の糧だった。豊かな地域ではなかった。人家が増え、道路は舗装されたが、山並みは今も変わっていない。

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 渋谷のユーロスペースで「黒川の女たち」を観てきた。

  黒川は白川町の一部の村落。飛騨川にそそぐ白川の上流にある。戦前、黒川の人たちが満蒙開拓団として満州に渡った。開拓とは名ばかりで、接収した畑を耕すだけだった。収穫は少なく、生活は黒川の時より過酷だった。さらに地獄のような日々が待っていた。終戦直前、日ソ中立条約を破棄してソビエト軍が侵入してきた。日本軍は開拓団を守らず、ひそかに南に移動していた。軍の上部は侵入を知っていたのだ。

 敗戦とともに現地の中国住民からの攻撃を受けることになった。開拓団は窮地に陥った。集団自決した開拓団もいた。

 この窮地を逃れようと黒川開拓団はソ連軍に助けを求めた。若い娘を差し出せば助けてやるとの話を持ち掛けられ、開拓団のリーダーたちはそれを了解した。接待という表現で十数人の未婚の女性を差し出すことになった。こうして、性を盾にして開拓団は命からがら帰国した。

 帰国後、彼女らを待っていたのは、差別、偏見、さげすみであった。多くは口を閉ざしたが、ロスケとやった女などの陰口もあった。しかし声を上げることはできなかった。

 きちんと言わなくてはならないと考える女性もいたが、隠しておきたい人もいるから声を上げれば迷惑をかけることになる。何十年を経て、ようやく満州での出来事を実名で語り始めた。

 この話を聞いたとき、モーパッサンの『脂肪の塊』を思い出した。あのエピソードと似ている。犠牲となったことが、賞賛とはならず、誹謗中傷に転化されてしまうのだ。

 わたしの母親は大正十四年生まれ。生贄として差し出された娘たちとほぼ同い年である。チラシにある写真は、当時の母親の写真と似ている。服装、髪型がそっくりなのだ。ひょっとして知り合いだったかもしれない。と思うと、この映画、ひとごとではない。

 この事件のいきさつを記した碑文がつくられたのは、70年以上たった2018年のことである。

 まだ書きたいことがあるが、これ以上はやめておく。

 

2025年8月 1日 (金)

『老人の美学』

 図書館の大活字本のコーナーで、筒井康隆の『老人の美学』を見つけた。ぱらぱらめくると、渡辺儀助が飛び込んできた。これは読んでおきたいと借りた。

 渡辺儀助とは映画「」の主人公である。原作も筒井康隆なのだが、本は読んでいない。おもしろい映画だった。独り住まいの儀助は、きちんと生活している。炊事洗濯はお手のもの。死ぬまでの生活設計はできている。それが錯乱する。敵が攻めてくるとおびえる。現実に妄想が侵入してきた。ま、ボケなんだろうが、その経過が興味深かった。

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『敵』は、60そこそこのときに書いたものだ。老いはまだ先のこと。いずれそうなるかと漠然とした思いがあったのだろう。現在90歳。妻ともども老人ホームで優雅に暮らしている。敵におびえることもなく。

 本書の「美学」とは、自負、矜持ぐらいの意味だろう。ちょっとプライドをもってということ。著者が言いたいことはまともである。突拍子もないことは書かれていない。

 感謝の気持ちを周りに伝えるとか、清潔であるとかが大切。よぼよぼ、ぼろぼろ、よれよれは避ける。でも、けっこう難しい。

 わたしが心がけるようになったのは、眉毛のカット。頭髪とは反比例してむだに伸びてきた。白くなるのはいたしかたないが、雑草のように垂れる。このままだと村山富市状態になってしまう。

 で、時々、ハサミで切るようにした。うまくきれいにはいかない。左右はそろわない。テキトー。わたしのおしゃれはこの程度である。美学とはほど遠い。

 美学はともかくとして、大活字本は読みやすい。これからも利用したい。

 

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