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2025年9月

2025年9月30日 (火)

 『普天を我が手に』

 大正天皇が崩御し、昭和となった。昭和元年はわずか7日間しかない。その7日間で生まれた4人の子が組み紐のようになって昭和が描かれる。

普天を我が手に』の第一部を読み終えた。二週間ほどかかった。なにせ600ページ近くある大作。目が悪くなったわが身としては一日50ページほどしか読めない。時間がかかる。

 作者は奥田英朗。群像小説が得意な著者だから、昭和の数々の出来事を巧みに絡ませて、激動の時代を生きた人々を描いていくものと期待させる。奥田英朗の作品では最初に読んだ『最悪』が忘れられない。すごい作家があらわれたものだと思った。25年ほど前のこと。以後、奥田作品はすべて読んでいる。

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 主人公は、陸軍の竹田少佐。財閥の御曹司だが、軍の方針には批判的だから軍内では疎んじられている。金沢のヤクザの領袖・矢野辰一。全国の侠客、つまり右翼の代表に祭り上げられる。雑誌「群青」の編集長・森村タキ。女性解放を主張し、官憲からは睨まれている。そして、大連のジャズ楽団を率いる五十嵐譲二。興行師としてのし上がっていくが、怪しげな取引に巻き込まれる。

 2・26事件や満州事変などのおなじみの昭和の歴史を俯瞰しながら、この4人の動向を描いている。第一部は英米との戦争突入までが描かれる。昭和元年生まれの子供たちはまだ幼い。が、父親や母親の薫陶を受け、自我を育てていく。この4人の接点はまだない。いずれ、4つの糸はより合わせていくものと思われる。

 昭和史を描いたノンフィクションーや小説はずいぶん読んできた。だから新鮮でない部分もあるとはいえ、4人とその家族をうまく絡ませることで、秀逸なエンターテイメントとしている。なにより読みやすい。奥田英朗の才能を感じさせる名作である。

9月下旬に第二部が刊行された。続けて読もうとも思うのだが、ほかに読む本、雑誌も手つかずになっている。観るつもりの映画も先延ばしにした。ちょっと我慢してそれをやっつけてからにしよう。

 

 

2025年9月28日 (日)

溶かす

 ギャンブルで負けることを、溶かすとか、とろかすと聞くようになった。

「一時間で8万円、とろかしたわ」など、金額が伴なって使われる。雪のように溶けてなくなるの意味である。ちょっと前までは聞かなかった。

 国語辞典を引いてみる。この意味は載っていない。新しい言葉や表現を積極的に採録している「三省堂国語辞典」にも載っていない。よく見たり耳にするので、次の改訂版ではたぶん採録されるだろう。

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 溶かしても溶かしても止められないのを、ギャンブル狂とか、ギャンブル中毒、ギャンブル依存症とかいう。きちがいもあるが、マスコミでは使用禁止用語なので表立っては使われない。略して、キチ。「釣りキチ」ぐらい。なぜか「釣りキチ」はそれほどいけないこととは響かない。「釣りばか」もそうだ。漫画のタイトルだから、淫しても世間的には許されるようだ。

 わたしは、活字中毒気味だった。外出しても何か読んでいないと不安になった。必ず雑誌とか文庫本を携行した。本を開かないことが多かったが・・・。

 齢老いて目が悪くなったこともあり、読書時間は減った。集中力が減じた。読んでも、あたまに入らない。とろけるのは記憶である。

2025年9月26日 (金)

「宝島」

 3時間11分。長い。尿意が気になる。もつかしら。そんな不安を抱いて大友啓史監督の「宝島」を観に行った。客足はよい。「国宝」を最初に観た時より客席は埋まっている。

 戦後の、占領下の沖縄が舞台である。1952年だったか、米軍基地の倉庫から物資を盗み出す少年グループがいた。盗品は安く売り、貧しい人にはただで配っていた、リーダーはオン(永山瑛太)。仲間は、弟のレイ(窪田正孝)、友人のグスク(妻夫木聡)、そして恋人のヤマコ(広瀬すず)。ある日、忍び込んだものの米兵に見つかってしまう。からくも逃げのびたが、オンは行方をくらましてしまう。

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 ここまでがプロローグ。以後、オンの行方を追いながら、三人が生きていく姿を描いている。グスクは警察官、ヤマコは教師となり、レイはヤクザ。ともに反米闘争に身を置く。

 戦後の沖縄の混乱ぶりを迫力ある映像で映し出している。金をかけている。住民らも、つまりエキストラの数もハンパではない。反基地闘争、米兵の犯罪への抗議行動、とりわけゴザ騒動、そして本土復帰運動が描かれる。

 戦争が終わったからと言っても平和になったわけじゃないとグスクは叫ぶ。このセリフが、沖縄のこの時代を象徴している。

 という流れで、20年ぶりにレイが姿を現す。まあ、こうなるだろうとは予測できる。映画は多少類型的であると感じるけど、戦後の沖縄をうまく描いている。それと、やっぱり長い。途中、カットしてもよい部分があるんじゃないか。

 エンドマークで場内が明るくなると、一目散でトイレに駆け込んだ、映画の余韻に浸るような余裕はなかった。

 

2025年9月24日 (水)

八起寄席

 前回に続いて落語。「八起寄席」に行ってきた。グリーンホールが改装中なので相模原南市民ホールに場所を移している。ホールはグリーンホールより1.5倍ほど広い。写真は開演前、客は少ないようにみえるのはホールが広いこともある。開演後はもう少し客席は埋まったが・・・。演者に、人気の文菊とか兼好がいないせいもある。

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 今回の演者と演目

  三遊亭吉馬    がまの油

  瀧川鯉橋     かんしゃく

   江戸家まねき猫  動物ものまね

  柳家小平太    妾馬

  鯉橋が演じた「かんしゃく」は最近あまり演じられないのではないか。社長がどなり散らす(パワハラ)だけの噺だから時代には合わない。そのかんしゃくを笑いに誘うようにするのが演者の腕の見せどころとなる。実を言うと、ことしの6月、園太郎の「かんしゃく」を聴いたのを思い出した。あまり演じられないというのは誤り。そこそこ演じられているようだ。

 途中で、 けぶくともやがて寝やすき蚊遣りかな という川柳が出てくる。それで、園太郎の噺を思い出した。

 まねき猫は「お笑い三人組」の猫八の娘。現在の猫八は甥になる。声帯模写、動物の鳴き声が得意。以前、虫の鳴き声を聴いたことがある。今回は、ニワトリ、犬、猫、馬、鹿。笑いのとり方に工夫が感じられる。虫の鳴き声も聴きたかった。

 トリの小平太。たぶん「妾馬」がもっとも得意のネタではないか。この噺、「八五郎出世」ともいう。妹が大名の子(男の子)を生んだので、逢いに行く古典噺である。後半、酒を飲んでからの八五郎の振る舞いが見どころとなる。礼儀を乗り越え、殿様の朋友のようにふるまう。これが気に入られて、侍にとり上げられるというめでたい噺である。小平太は酔っぱらった八五郎をたっぷりおかしく演じた。

 トリにふさわしい噺というか小平太だった。

 

2025年9月22日 (月)

しんゆり寄席 駒治の鉄道噺

「しんゆり寄席」に行ってきた。久しぶり。他に予定が入っていることがあって、このところパスしていた。今回のゲストは古今亭駒治。こちらも久しぶり。鉄道オタクで、首都圏の私鉄が競いあうという新作鉄道落語が印象に残っている。

 ネタだしがあって、今回は初音家左橋が「唐茄子屋政談」を演ずる。

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  今回の演目

  一玄亭米多朗  たがや

  古今亭駒治   B席

  初音家左橋   唐茄子屋政談

 駒治はやはり鉄道ネタ。タイトルは「B席」。新幹線の横並び3席の真ん中、B席はだれも座りたがらない。他が空いてなければ座ることになる。盛岡まで行こうとした男は乗車すると5人組のおばちゃんが座席を向かい合わせにしてにぎやかに占領していた。そこに割り込むには度胸が要る。そんな噺である。ありそうでありえないばかばかしい噺に仕立てている。

 左橋さんの母親は健在、103歳になるという。元気だったが急におかしくなったので聖マリアンナ病院に救急車で運んだ。診断はくも膜下出血。高齢だが手術は成功した。今はリハビリ中とのことである。マクラでそんな話。

 左橋さんは新宿末廣亭の8月上席に出ていた。わたしはそれを聴いている(8/7当ブログ参照)。正蔵師匠との打ち上げがあったが、手術の直後だったから断念したとのことである。といったことはどうでもいいか。

 今回の演目「唐茄子屋政談」は大ネタである。人情噺。あらすじは、勘当になった若者が唐茄子(かぼちゃ)を売り歩くことになるという噺である。左橋さんは、ゆったりわかりやすく演じた。声もよい。ベテランの味である。

 

 ようやく、秋らしくなった。朝は、クーラーの効きすぎたコーヒーショップよう。虫の声が聞こえる。

2025年9月20日 (土)

井上有一展

 銀座で飲み会があった。そのまえに渋谷に行き、松涛美術館で「井上有一展」を観てきた。

 井上有一さんには一度だけお目にかかったことがある。ずいぶん昔だ。亡くなったのは1985年だから、80年前後だと思う。

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 銀座の和光で、井上有一を囲む会のようなものがあり、知人に誘われた。ふつうの会合とは違っていた。ハイソな感じ。大岡正平岸田今日子があいさつした。有名人が来ていることに驚いた。最後にあいさつに立った井上有一が印象的であった。作務衣姿。職人かたぎの頑固くそオヤジ、といった雰囲気で、話の内容もくそ頑固だった。

 井上の書は、観る人を一瞬で圧倒する。墨がほとばしり、ドドッと迫ってくる。代表作は「」だろう。人が立って歩いているようにもみえる。

愚徹」という作品も心に残る。愚は押しつぶされている。踏みにじられてもぐっとこらえて愚に徹して生きる。そんな感情を表しているようにも見える。

 亡くなって40年。書は生きている。頑固くそオヤジは強烈である。

 

 

2025年9月18日 (木)

「リンダリンダリンダ」

 ブルーハーツの「リンダリンダ」が流行ったのはいつごろか、わからない。調べてみたら1987年。そんなに前か。軽快で元気な曲だった。今も耳にすることがある。

 アートセンターで、山下敦弘監督の「リンダリンダリンダ」を観てきた。リバイバル上映である。最初に上映されてから20年になる。当時、この映画を観ていない。仕事が忙しかったからということもあるが、酒を優先することが多かった。それはどうでもよい。ブルーハーツがずっと歌われ続けていたということだ。

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 映画のストーリーは単純。文化祭でバンドを組んだ4人の女子高生がリンダリンダなどブルーハーツの楽曲を演奏する話である。にわか仕立てのバンドで、徹夜したり、あれこれあったりして、舞台で歌うまでを描いている。よくある予定調和で、結末がわかる映画なんだけど、それが予想以上におもしろくて、引き込まれてしまう。よくできた映画だ。

 客席はいつもと違っていた。中高年の男性が多い。女性は思いがけず少ない。この映画のファンなのか、ブルーハーツのファンなのかわからない。

 そんなことはともかく、リンダリンダ リンダリンダリンダと歌い踊りたい気分になる。

 ついでのひとこと

 山下監督の作品をしらべてみた。多くは観てないけど、「リンダリンダリンダ」のあとに作った「天然コケッコー」がいちばん好き。

 ついでにしんゆり映画祭

 しんゆり映画祭のラインナップが発表された。詳しくはホームページをご覧いただきたい。大きな映画館ではやらないけど、印象に残る名作を上映する。

 そのひとつ、「ごはん」。さして話題にはなっていないが、あの「侍タイムスリッパー」の安田淳一監督の作品である。亡くなった父親の後を継ぎ、稲づくりに励む若い女性の姿を描いている。亡くなった福本清三(斬られ役で有名)が刀を鎌に変えて登場する。

 そのほかにも、ぜひ観ていただきたい映画がある。おいおい紹介していく。

2025年9月16日 (火)

 「明日はお立ちか」

 この夏、昭和20年の終戦の詔勅シーンが何度もテレビで映し出された。昭和天皇の、忍び難きを忍び耐えがたきを耐え、ってアレである。

 当時、よくわからなかった、もっと戦えと思ったという意見もあったようだが、ふつうに聞けば、戦争に負けた、ポツダム宣言を受諾したとわかったはずだ。

 ラジオは、詔勅に続いて、和田信賢アナウンサーがポツダム宣言を受諾するに至った経過などをていねいに説明した。それを聞けば誰でも負けたとわかったはずだが、その部分が、ニュースやドラマでは欠落してしまっている。今となっては、ほとんどの人がラジオ放送は詔勅のことばだけだったと思っている。

 このあたり、新聞やテレビはきちんと伝えるべきと思うが、そうはしていない。歴史の片隅に追いやられ、忘れ去られている。

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 出征兵士を送るシーンもみな似たり寄ったりである。歌うのは、勝ってくるぞと勇ましくとか、敵は幾万ありとても、である。まちがいではないが、それだけではない。

 当時を知っている古老(岡上の宮野さん)は「明日はお立たちか」を歌っているのを見たことがあると言う。引用は「柿生文化」(令和6年12月)。

 小唄勝太郎が歌った。昭和17年。太平洋戦争のまっさなかに流行った。軍歌ではない。

 一番の歌詞

 明日はお立ちか お名残り惜しや

 大和おのこの 晴れの旅

 朝日を浴びて いでたつ君よ

 おがむこころで 送りたや

 勝太郎は芸者らしく色っぽく歌う。ちょっと愉快。歴史の片隅には、こういう息抜きのようなシーンもあった。この歌、戦後も歌われた。ラジオやテレビで聞いたことがある。ネットで聞くことができるのでぜひ聞いてみてほしい。

 

2025年9月14日 (日)

「入国審査」

  知人がビザがとれなくてアメリカ行きを断念した。この春先のことである。

 トランプ政権は、外国人の大学大学院の留学の道を狭めている。中国などからの留学生はアメリカ経済や科学振興に役立っていない、無駄な金が使われているというのだ。ケチくさい。こころが狭い。

 アートセンターで「入国審査」を観てきた。タイトル通りの内容である。

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 設定は、2019年、第一次トランプ政権の頃。スペインのバルセロナからニューヨークの入国しようとした二人の男女が空港で留め置かれた。二次審査室での尋問が始まった。エレナはグリーンカードの抽選で移民ビザを取得していた。ディエゴはパートナー(事実婚)。ベネズエラの出身だった。

 尋問はなぜアメリカにやってきたのかという問いからどんどんエスカレート、二人の関係からディエゴの最初の結婚のことまで根ほり葉ほり訊かれた。なぜそこまで私的なことをしゃべらなくてはならないかと二人は戸惑う。

 審査官は、ディエゴの入国理由を疑っているようであり、二人の仲を裂くような尋問もある。怒りがこみ上げるが我慢するしかない。

 緊迫したシーンが続く。いつ終わるのかと思いきや、唐突に終わる。といっても終わり方が悪いわけじゃない。どのように終わるか、それは観てのお楽しみ。

 上映時間は思いがけず短い、77分。出演者も少ない。低予算。わずか17日で撮影されたというから、にっかつロマンポルノ並みの映画製作である。

 

 

2025年9月12日 (金)

『追跡 公安捜査』

  大河原化工機事件は、知れば知るほどひどい捜査だった。ひとことで言えば、でっちあげ、警視庁公安部の暴走だった。

 なんでそこまでやらなければならなかったのか、途中で止められなかったのか、そこがよくわからない。社会秩序を守るという確固たる正義はなかった。ただ一部のメンバーが手柄をたてたかっただけのようにも思える。

 そもそも、あのスプレードライヤー(噴霧乾燥機)が生物化学兵器をつくれるようなハイテクな設備だったのか、首を傾げる。それを輸出規制の法令に引っかかると強引に起訴した。無理を承知で。

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追跡 公安捜査』は、その事件を調査した新聞記者の著作である、本書ではもうひとつ、警察庁長官狙撃事件も扱かっている。

 可謬主義という考えがある。俗っぽく意訳すると・・・

 どんな理論でも間違っている可能性がある。反対意見があれば、きちんと反証できるようにする。間違いとわかったら、その反論を受け入れなければならない。

 もっとくだけて言うと、誰もが間違う、間違いとわかれば直ちに訂正する。そういう謙虚さが大切なんだよね。

 おれたちは間違っていないか。たえず検証、たちどまって謙虚にわが身の行動を振り返る。権力をもつ組織ほど、謙虚さが必要なのだ。

 無謬主義が暴走した事件だった。公安組織の恐ろしさがむき出しになった。戦前の特高でもあるまいし。

 警察も検察も謝罪した。それで、無謬主義がただされればよいのだが・・・。

 怒ってばかりの文章になってしまった。ターゲットになった大河原化工機はたまったものではなかった。

 ひとつ記しておきたいことがある。事件の渦中、辞めた社員は一人もいなかった。トップ不在にもかかわらず業績を維持した。

2025年9月10日 (水)

「遠い山なみの光」

 カズオ・イシグロ原作、石川慶脚本・監督の「遠い山なみの光」をイオンシネマで観てきた。原作は読んでいない。

 1952年の長崎。戦争の爪痕がいまだ残っている。団地に住む悦子(広瀬すず)は佐知子(二階堂ふみ)と知り合う。幼い娘・万里子とバラックに住んでいる。悦子は妊娠中。佐知子はアメリカに行くことを夢見ている。

 終戦間もない長崎が再現されている。路面電車が走り、カラーもセピアっぽい。美しい。小津や成瀬の映画を彷彿される。

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 それから30年後、悦子(吉田羊)はイギリスで暮らしている。次女のニキがやってきて、長崎時代の話を聞かせてほしいと言われる。で、長崎での思い出となる。

 あれこれあるのだが、細かなことを書くのは面倒。最後にどんでん返しというべきか記憶の歪みのような展開となる。悦子は嘘をついているのかもしれない。いや、ひょっとすると佐知子は架空なのかもしれない。混乱する。えっ、どうなってるの、と。

 そういえば不自然なシーンがあった。あれは伏線だったのか。いや、写真も残されているから一概に嘘とばかりはいえない。都合のいいように脚色されているだけなのか。万里子が子猫を飼っていた箱も悦子の部屋にある。古い写真もあるが、目が悪い私にはなにが写っているかわからない。

 もういちど観てみないとはっきりしたことは言えない。

 

2025年9月 8日 (月)

「ユニバーサル・ランゲージ」

 シネマカリテは新宿駅から一番近い場所にある。ではあるけれど、地下だから場所はわかりづらいし、映画館! という堂々たる雰囲気でもない。ミニシアターだからこんなものか。

  天井が低い。映写機の前を通ると、スクリーンに影が映ってしまう。で、最近は、映写機前は通れないようにしている。慣れないと、場内の移動に惑う。

 そのシネマカリテが来年早々休館になるという。ちょっと残念。ミニシアターの閉館が続いている。ここもである。地味な映画の上映が多いからだろう。ここでは「国宝」などはやらないからね。

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ユニバーサル・ランゲージ」を観てきた。写真は、入り口でもらったポストカード。映画はアニメではなく、実写。でも、映画の雰囲気をよく伝えている。

 ふしぎな映画だ。小学校でのフランス語の授業シーンがプロローグ。子供たちはイラン人らしい。教師がどなり散らしている。

 ペルシャ語とフランス語が公用語となっているカナダの都市が舞台。架空の町。遅刻した少年は七面鳥にメガネをとられてしまったと言い訳をする。

 軽い、奇妙なコントをつなげたような雰囲気。ツアーの集団は高速道路わきの墓地を訪れる。噴水は水が出ない。警備員は30秒しか立ち止まってはいけないと追い払う。ベンチには置き忘れたカバンが放置されている。ずっとそこにある、文化遺産だとの説明がある。そういうぼんやりした映像がつなぎあわされている。説明はない。

 最後に、メガネは少年のもとに戻ってくる。いちおう収束する。

 ファンタジー。いちいち説明することもない。解説も無用。

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 野外上映会

 しんゆり映画祭が運営する「野外上映会」が開催された。場所は岡上小学校校庭。岡上は川崎市の飛び地。田園風景が残る地域である。

台風でどうなるかと思っていたら、晴れ、校庭もすっかり乾いている。写真を見ていただくとわかるが、丸い月が出ている。

 上映前には、屋台や遊びのイベントもあり、地域住民には夏の終わりを楽しんでもらえた。こちらは校庭を歩き回り、疲れた。くたびれた。その分、ぐっすり眠れた。

 

2025年9月 6日 (土)

帽子をかぶって

 外出の際は帽子をかぶるようにしている。日の光がまぶしいから帽子は必携。いまは、メッシュの中折れ帽である。

 階段を登ろうとすると掃除中だった。通れない。ご苦労様ですと声をかけると道を開けてくれた。すれ違いさま、「素敵な帽子ですね」と掃除のおばちゃんから言われた。ちょっと笑って「ありがとう」と答えた。

 帽子を褒められた。「帽子がお似合いですね」と言われた方がうれしかったが、気分は悪くない。

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 映画館でチケットを買うとき、「一般ですか」と問われた。意外な問いかけ。どう見ても私はシニアだ。「80近いシニアです」と答えた。となりのスタッフが笑っていた。

 帽子を目深にかぶっていたから、年齢がわからなかったのだろう。額のしわも白髪も隠れる。

 スーパーのセルフレジでビールを買おうとすると20歳以上か未満かの画面に切り替わる。20歳以上の画面に触れると、「係員を呼びますのでしばらくお待ちください」との画面になる。レジの認知機能(AⅠ?)は年齢がわからないらしい。帽子のせいか。それで、レジをする際は帽子をとるようにしている。面倒なんだよね。

 粋な帽子と言えば、ハンフリー・ボガートを思い浮かべる。あらためてその姿をネットで見てみた。オレに似ている。似てなくもない。www

 

2025年9月 4日 (木)

生田寄席は兼好さん

 きょうは一転して気温は下がった。昨日までは酷暑が続いた。暑さにも飽きた。

セミもうんざりしたようで、鳴き声も雑になってきた。昨日、アブラゼミの鳴き声はやんだ。夏ももう終わりだろう。

 生田寄席に行ってきた。三遊亭兼好の独演会である。

 兼好は円楽一門会の若手リーダーである。もちろん人気も高い。今回の生田寄席、女性客でいっぱいになった。ほとんど兼好ファンということか。

 独演会ということだが、開口一番の柳亭市若は二席務めた。

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 今回の演目

 市若   まんじゅう怖い

 兼好   だくだく

 市若   団子坂奇談

 兼好   大山詣り

 市若の「団子坂奇談」は初めて聴いた。怪談である。怖い噺なのだが、オチはこっけい噺風。若い女が墓を暴いて死んだ赤ん坊の腕にかぶりつく。それを見ていた若い男は怖くて家に逃げ帰る。店の主人にそれを話すと、主人は答える。「なんだ、そんなことか。たいしたことじゃない。お前だって、親のすねをかじってるじゃないか」

 バリエーションはいくつかあるようだが、軽いオチにするのがこのネタのおもしろいところだろう。

 兼好の軽妙さはいまさら言うまでもない。とぼけたオチに引き入れるのがうまい。女性(ほとんど中年以上だが)の心をひきつける。

 円楽一門会は常設の寄席にでることは少ない。で、ファンはホール落語やミニ落語会を追っかけることになる。近くの席にいた女性は品川からだと語っていた。わざわざ遠出することもないのにと思うが、ファンはそういうものだろう。

 ところで、三遊亭円生とドラえもんは誕生日が一緒だそうだ。9月3日。ふーん、そうなのか。円生が亡くなったのも同じ9月3日。

2025年9月 2日 (火)

「五十歩百歩」

  棕櫚亭で開かれる落語会「五十歩百歩」に行ってきた。

 五十歩百歩とは、5人のユニットである。棕櫚亭で何回か開催されているが、聴くのは今回初めて。

 その5人と今回の演目を始めに書いておくと。

 春風一刀   からぬけ

 春風亭梅朝  だくだく

 柳家圭花   死神

 柳亭市若   三題噺(掃除屋)

 柳家小はぜ  木乃伊取り

 ぼんやり聞いていたので忘れてしまったが、この中の一人が華形家八百八を襲名するそうだ。圭花だったような気もするが、読売新聞のように誤報になるといけないから書かない。あとで確かめておく。

 もうひとりの襲名予定。小はぜが真打昇進する。ちょいと前、名前を変えるかどうか師匠と話し合うと語っていた。で、どうなったか。結果は不明。言わないところをみると、どうやら襲名は決まったようだ。名跡かもしれない。でも、まだ発表できないようだ。

 噺は市若を除いておなじみの古典噺。梅朝の「だくだく」はどろぼうが登場する。といっても泥棒の出番は少ない。ていねいに演じた。細部まできちんと話を組み立てていてよかった。

「死神」は、最後の下げの部分、ろうそくの火がどう消えるか、どう消すのかが楽しみである。くしゃみで消えるとか、風で消えるとか。自ら過って吹き消してしまうとか。圭花は談志スタイルで消した。死神が吹き消してしまうのだ。

 市若は三題噺をよくやっている。お客さんから3つのことばをもらって、短時間で物語にする。今回の3つは、麦わら帽子、せみ、一本勝負。これをハウスクリーニングをする話にした。題は「掃除屋」。できはよかった。後半をひとひねり加えれば、ちゃんとした新作になるんじゃないかな。腕をあげた。

 客席の反応もよく、いい落語会になった。

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 ところで、写真は棕櫚亭の玄関脇にあるコーヒーの焙煎機械、らしきもの。実はこれがコーヒー豆の自販機になっている。訊いてみると、これでコーヒー豆を買う人はほとんどいないとのことだった。オーナーの道楽だな。

 

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