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2025年11月

2025年11月30日 (日)

「TOKYOタクシー」

 2年ほど前「パリタクシー」というフランス映画があった。パリに住むひとり暮らしの老女を介護施設に送り届けるという物語である。運転手は違反チケットで免停になることをおそれている。老女はストレートに施設に行くのではなく、想い出の場所を巡るよう依頼する。過去の出来事を語り始めると、運転手は、しだいに老女の話に耳を傾けるようになる。今では考えられないような過酷な人生だったことが明らかにされる。波乱万丈ある。深刻な話だが、映画は、それほど深刻には描かない。ユーモアをまじえ、サラリと過去を振り返っている。このあたりが好感をもたれた。映画はヒットした。

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 山田洋次監督がリメイクした。場所は東京に移し、「TOKYOタクシー」。リメイクにはそれなりの理由があったのだろうが、それは知らない。主演は、倍賞千恵子木村拓哉。トップスターである。

 リメイクというと、どこかに違和感を抱くものだが、それがない。うまくこなれた作品に仕立ている。90を過ぎても山田洋次の力量は衰えていない。

 東京、柴又から都内のあちこちをめぐって、葉山の施設までのタクシードライブ。倍賞のおしゃべりがいい。やむにやまれず罪を犯すのだが、さほどの重さを観客に感じさせない。古き良き時代の松竹映画の匂いが漂う。50過ぎたキムタクも大人っぽく、老女につきあう。細かなことはこれ以上書かない。

 突然、倍賞が歌う「星屑の町」が流れる。いいねえ。わたしはカラオケでこの曲を必ず歌う。選曲のセンスがよい。これだけで映画の好感度はあがる。

  両手をまわして 帰ろう 揺れながらぁ 涙の中を たったひとりで・・・

 あとあじがよい映画だ ほのぼのとした気分になる

 80代であることは間違いない老人がたくさん観に来ていた。車椅子の人もいた。老人には心地よい映画である、若い人が共感を抱くかどうかはわからない。「星屑の町」なんてのは知らないだろう。三橋美智也だ。

 そんなことはどうでもよい。とりわけ高齢者にはお薦め。シニア割引で観ることができる。

 

2025年11月28日 (金)

一之輔独演会

 もっともチケットがとれないとか、忙しいとか言われる噺家は春風亭一之輔である。「週刊文春」に隔週で日記風のコラムを連載している。それを読めば、忙しさがわかる。全国を飛び回り、ラジオに出たり、エッセイも書いたりしている。その合間にネタ下ろしもやる。当然、練習もしなくてはいけない。

 池袋演芸場から新宿末廣亭まで歩く。電車移動ではない。ブツブツいいながら浚う(おさらい)。移動時間が練習である。権太楼も池袋新宿は歩くと聞いたことがある。忙しい噺家は、スマホ歩きはしない。そういうものらしい。今週の「週刊文春」をお読みいただければ、それがわかる。立ち読みでよいから読んでみて。

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  一之輔独演会に行ってきた。夜席である。場所は麻生市民館。10分とかからないから夜でも大丈夫。懐中電灯を持って。

  千席がすべて埋まった。さすが人気の噺家。

  今回の演目

  一之輔   藪入り

  梅朝    ぐつぐつ

  一之輔   心眼

  一之輔は喉の具合が悪くなった。で、当日、助っ人を頼んだ。春風亭一花に断られた。次に春風亭梅朝に頼んだら、夜席ならオーケーという返事。梅朝は登戸だから改称急行ならひと駅である。午後は30人ほどの落語会に出てきたという。夜は千人の大ホールである。

 演目は「ぐつぐつ」。柳家小ゑんの新作落語である。新作と言ってもずいぶん前に作ったもので、小ゑんの代表作である。当人以外も演っている。おでんの具材を擬人化したもので、イカ天とかハンペンが言い争いをしたり愚直を言ったりする愉快な噺である。ぐつぐつとは、言うまでもないが、おでんの大鍋が煮立っている音のことである。

 おもしろいから他の噺家もやる。小ゑん以外で何度か聴いたことがある。新・古典噺として生き残っていくのではないか。冬にはもってこいの噺である。

 一之輔は喉の調子を考えて、比較的おとなしい噺である。破天荒で、はじけるような噺ではない。これもよい。

心眼」は盲人の噺。身障者への配慮もあって、めくらなどという表現はつかわないようにしている。で、「景清」とか「心眼」、あんまが登場する噺は聴く機会が減っている。それほど気にすることもないのに。

 あんまの梅喜が目が開くよう薬師様にお百度詣りをする噺。願掛けのおかげで目が開く。で、あれこれあって、オチは「目明きってのは、面倒なものだ」となる。

 オチはいくつかあるが、基本はこれ。このオチは、気に入っている。もっとやればいいのにと思う。

 一之輔のやや静かな語り口もよかった。

 

2025年11月26日 (水)

「旅と日々」

 学生のころ読んでいた漫画雑誌は「ガロ」と「COM」。60年ほど前のことだ。「ガロ」は白土三平、つげ義春、「COM」は手塚治虫、石森章太郎、永島慎二などが印象に残っている。このあたりのことを書き出すと長くなるのでやめておく。ま、そういう漫画を読んできたということだ。

 つげ義春は、時代遅れというか世相と離れた独特の世界を描き、人気があった。その人気は長く続き、いまも話題になることがある。映画化もされている。映画になるようなストーリー展開があるわけではないが、なぜか映画になっている。それだけ不思議な、ひとを引き付ける魅力があるということだろう。

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 つげ義春の二つの漫画を原作とした「旅と日々」をアートセンターで観てきた。監督は三宅唱。前作は「夜明けのすべて」だった。わたしの好きな映画で、その前の「ケイコ 目をすませて」も優れた作品だった。ということで、「旅と日々」は見逃すわけにはいかない。

 ふたつの漫画だが、並列したとか、ミックスしたものではない。前半は「海辺の叙景」。旅先で知り合った二人の男女。ぼんやり話し合ったり、泳いだりする。それだけ。時間の流れは緩い。客席からいびきが聞こえた。ゆったりしているから眠くなるのは、わからないでもない。

 この短編映画が、たぶん大学の授業の一環として上映される。監督と脚本家が質問に答えるという設定になっている。後半は、脚本を書いた李(シム・ウギョン)の話となる。ここから「ほんやら洞のべんさん」が原作となる。これは読んでいるはずだが、あまり記憶はない。

 韓国人で女性の脚本家は旅に出る。旅先、たぶん奥只見のようなところの旅館は満室で泊まれない。さらに山奥の民宿のような旅館に泊まることになる。主がひとりいるだけ。客もひとり。そこで脚本を書こうとするのだが、筆は進まない。外は雪景色。浮世離れした世界で、主は夜、出かけていく。

 いずれの原作も、旅先での話である。条理では理解できない現象をみたり、日常では見かけない、不思議な人と出会ったりする。こういう映画はコメントしずらい。

 民家園で、五箇山の民家の囲炉裏の炎をみた。あの囲炉裏ばたと似ている。

2025年11月24日 (月)

久しぶりの民家園

 民家園(川崎市多摩区)に行ってきた。ひさしぶりである。

 前回行ったのは数年前、岡上の養蚕資料を展示するイベントがあり、それを観に行っただけ。古民家には立ち入らなかった。

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 さぞや紅葉が美しいとおもったのだが、目が悪くなったのを忘れていた。さほどのことはなかった。民家の中は照明がないとか暗かったりして、気をつかった。懐中電灯を持っていけばよかった。

  坂道の階段もひどくきつく感じた。体力、脚力は落ちた。ジムで鍛えているつもりだったが、維持することもできていない。無理はできないと、あらためて悟った。

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 休日なのでいくつものイベントがあった。写真は竹籠編みに取り組む参加者。その下は、五箇山の古民家の囲炉裏のようす。

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 民家園のとなりには岡本太郎美術館がある。行くつもりだったが止めた。美術館への階段の上り下りを考えると、ためらう。大規模改修のため、来年3月で常設展示は3年ほど中断されるという。それまでに行っておいた方がよいのだが・・・。

2025年11月22日 (土)

幇間チャッピー

 チャットGPTはすごい勢いで広がっている、のだそうだ。年寄りの暮らしには関係ないけれど、仕事や学業の現場では欠かせないツールとなっているという。

 試してみた。さして尋ねることもないけれど、なかなかの優れモノであることがわかった。10年前、こんなものがあれば便利だと漠然と想像していたものが、スマホで実現することになった。若い人たちにとって手放せない存在になっているのは十分理解できる。

 そのチャットGPTを「チャッピー」と呼んでいるとのこと。流行語大賞にノミネートされた。チャッピーか。

 チャッピーといえば、「愛犬チャッピー」を思い浮べる。春風亭昇太の新作落語で、このチャッピーで昇太人気はぐんと上がった。わずか5分ぐらいの噺である。

 チャッピーという犬の視点で飼い主を描く。飼い主はチャッピーをネコかわいがりする。犬にとっては迷惑至極。昇太は大げさに、チャッピーの嘆きを語る。

 チャッピーは、小型の毛むくじゃらの犬を連想させる。かわいい座敷犬。シェパードとかブルドッグではない。

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 若い人は昇太の「愛犬チャッピー」を知らない。知らないけど、いや知らないから、チャットGPTに同じ愛称をつけた。

 チャットGPTにいくつかの質問をしてみた。これが優しいのだ。ホスピタリティを感じさせる。こちらをいらだたせることはない。批判的に答えることもない。世辞がうまい。

 誰かと似ている。幇間だ。たいこもち。幇間はノーと言うことはない。よいしょ、する。 ああ、そうか、チャットGPTが受け入れられる理由はここにあるんのだとにらんだ。

 チャットGPTを、幇間チャッピーと呼ぼう。

 写真は岡上の人道橋あたりで見かけたブタ。ご婦人が二頭のブタと散歩していた。このブタの愛称はなんだろうか。愛豚チャッピー。

2025年11月20日 (木)

「港のひかり」

 小学生の通学路の途中、ちょいと入ったところに、舘ひろしの実家・医院があった。舘はわたしの小学校の二年下の後輩である。ただそれだけのことで、それ以上の関係はない。

 舘ひろし主演の「港のあかり」を観てきた。監督は藤井道人だから、ちゃんとした映画に仕上がっていると思っていた。

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 元やくざの三浦(舘ひろし)は、今はひとり漁師をしている。ある日、白杖をつく少年・幸太と出会う。たちまち意気投合し、親子のような、あるいは年の離れた兄弟のような友情が芽生える。幸太の両親は交通事故で亡くなり、叔父のもとに引き取られていたが、虐待を受けていた。そこから脱出させるため、そして目の手術をさせるため、三浦はある行動に出る。

 と、ここまで書くと、ベタベタのヒューマンドラマのように思ってしまう。つまらない映画かと目を伏せるのだが、後半となると事態は急展開し、おもしろくなる。

 やくざ組織のうちわもめが中心に描かれる。かつてのライバル(椎名桔平)と対峙することになる。三浦を陰で兄貴と慕う男もいう。これをピエール瀧が演じる。端役であるけれど、久しぶりに見るピエールだからそれなりの存在感がある。

 それにしても、元やくざ、組織との対立、目の悪い身障者、匿名の支援、ムショ暮らし・・・といったパターンはベタである。むかしのB級ヤクザ映画である。

 ま、娯楽映画なんだから、それでよいとしておこう。

 舘ひろしは若い。演出もあるから、そうなるのだろうが、とても、後期高齢者とは思えない。

 

2025年11月18日 (火)

「八起寄席」

 相模原南市民ホールでの「八起寄席」に行ってきた。落語は今月二回目。このぐらいのペースがよい。月末、もう一回、予定している。

 今回の主任は文菊だが、トリはちがっていた。

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 演者と演目

 立川寸志   目黒のさんま

 古今亭文菊  風呂敷

 鏡味仙成   大神楽    

 立川志らら   壺算

 ポピュラーな演目ばかりで、大ネタはない。こういうこともある。大ネタを聴きに来たというわけではない。

 寸志はまもなく還暦。でも、まだ二つ目。入門が遅かったからだが、落語はうまい。わたしは好きだ。最強の二つ目である。うっかりしていると還暦二つ目ということになってしまう。ぜひ、60前に真打になってはもらいたいと思うが、短期間でも還暦二つ目で売るのもわるくない。演目はおなじみの「目黒のさんま」。寸志らしい工夫凝らしていた。

 文菊は文菊らしい。こういうバカバカしい噺をばからしく大仰に演じるのが文菊流。トリの志ららの「壺算」同様、だます・だまされるをこっけいに描く噺である。

 酒に酔って帰ってきた亭主が家にいた男を間男と勘違いしてしまう惧れがある。困った奥さんは、鳶の頭に頼んで、事態を収めてもらう。こんな風にやったのだと頭は、風呂敷で見えないようにして男を逃がす。亭主は、なるほどうまいもんだねえ、だまされた男の顔が見てみたいものだと笑うというのがオチとなる。

「壺算」も店主をだまして壺をうまく買う噺。騙された店主はすっきりしないけど、すっきりさせるために金を返してしまう。

 昨今の特殊詐欺とは違うけど、だますという行為には違いない。落語はたわいもないだましの笑える世界を描く。

 ついでのひとこと

 風邪を引いた。鼻水が垂れる。熱はないからたいしたことはない。インフルエンザではなさそう。それが咳き込むようになった。ちょっと苦しい。

 妻も似たような症状がでている。どっちが先に持ち込んだかは、わからない。

 

 

2025年11月16日 (日)

あの8月15日

 阿刀田高氏の『90歳、男のひとり暮らし』のなかに、姉の同級生が出てくるくだりがある。姉は東京女子大の学生。同級生の瀬戸内晴美(寂聴)さんと近藤富枝さんがときどき遊びに来ていた。ああ、そうか、近藤さんもいたのか。

 近藤富枝さんは、のちにNHKのアナウンサーを経て、ノンフィクション作家となる、アナウンサー時代、終戦の玉音放送に立ち会っている。

 以前にも書いたが、天皇のことばのあと、和田信賢アナウンサーは、ことばを繰り返し、ポツダム宣言を受託にいたった経緯を丁寧に説明した。「耐えがたきを耐え忍び難きを忍び・・・」だけではよくわからない。

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 近藤さんは『大本営発表のマイク』の中で和田アナのことを次のように書いている。

「敗戦は日本国民未曽有の出来ごと、その痛恨、悲哀、嘆きを一語、一語にこめながら、ていねいに、誠意をこめて、まるでたがねを打ちこむかのように、たしかめたしかめ語るアナウンサーの思いのただしさ、厳しさ、言葉の美しさに私は心で感嘆の声を挙げた」

 放送が終わると、和田アナは部屋に戻り、室長席に腰を下ろした。近藤さんはコップに水をついで運んだ。ありがとうと和田さんは言って。一気に飲み干した。

 そして、勤務を終えて局をでると、空から黒い切片が空から降ってくるのに気付いた。外務省や海軍省が機密書類を焼いていたのだ。空は薄墨色に染まっていた。

 新橋のガード下で張り紙を目にした。戦争継続を促す「いまこそ決起せよ」というアジビラだった。戦争を終わらせたくない軍人もいた。

 歴史の教科書には載らないような歴史のディーテイルがここにある。細部は隅においやられ、埋もれてしまうが、ここには忘れてはならない細部がある。

 岡上の古老から、この日のことを聞いたことがある。それについては別の機会に。

2025年11月14日 (金)

「見はらし世代」

 映画は、家族の絆を描く。家族の崩壊を描く。そして、家族の再集結を描く。

 しっかりした絆もある。ほころびていくこともある。息苦しいこともある。さまざまである。理想の家族などない、あるとしたら・・・それは幻想かも知れない。

 家族を描くことは、けっこう難しい。ハリウッドの本流は、絆、あるいは断ち切られた絆を懸命につなげようとしている。そうでなく、家族などどうでもよいといった支流もある。

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見はらし世代」をアートセンターで観てきた。監督は団塚唯我。若手の演出家として注目されている。

 蓮は渋谷の花屋で働いている。胡蝶蘭を配達する折、疎遠となっていた父親を見かける。それを姉に伝えるが、さして関心を示さない。もう無縁と思っているようだ。

 父親はランドスケープデザイナー(施設と公園の設計者)として活躍している。蓮の母親、つまり父の妻の二回忌を機に、父は海外に行ってしまう。二人のきょうだいをほっぽり出して。6年ほどして帰国したが、きょうだいにそれを伝えることはなかった。

 宮下公園の再開発が背景に描かれている。しかしそれはひとつの都会の風景でしかない。

 親子がどう断ち切られた絆を撚り戻そうとするかを描いているように見えるが、そうでないかもしれない。それぞれの思いが違う。そのあたりはよくわからない。明確にしていない。たんたんと再開発される建物を描いている。騒音、車のエンジン音。ドアの閉館恩。足音。電話の呼び出し音・・・。

 タイトルの「見はらし世代」というのがわからない。高層ビルからの眺めか、陸橋の風景か。世代って、どの世代のこと? 蓮の世代? まさか父親ってことはなかろう。

 

 再開発された宮下公園のビルにはずっと行っていない。今どうなっているか、一度行ってみるか。

 開発される前、ここで年末に炊き出しがあった。ホームレスがたくさん集まっていた。あのホームレスは? 映画では公園から追い出されるホームレスを描いている。

2025年11月12日 (水)

『90歳、男のひとり暮らし』

 著者は阿刀田高。タイトルを知って、奥様は亡くなったのかと思った。かつて、奥様、阿刀田恵子さんの朗読を何度か聴いたことがある。巧みな朗読だった。

 本書の最後に、恵子さんが2年ほどの施設での暮らしの後、今年の5月に亡くなったと記されている。

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 男のひとり暮らしは女のそれより大変だと聞く。わたしは夫婦二人の暮らしだから、実感はわかない。妻は間違いなくわたしより長生きする、おそらく。男のひとり暮らしはないと楽観的に考えている。

 齢をとると寝付けないという。90歳の著者は、「源氏物語」の各巻を、桐壺、帚木、空蝉・・・と全五十四帖を思いうかべる。就眠儀式である。わたしも似たようなことをやっている。歌舞伎「三人吉三」の大川端の場、お譲吉三のせりふ、「月もおぼろに 白魚の 篝もかすむ春の空・・・」とか、「曽根崎心中」の「この世もなごり夜もなごり 死にに行く身をたとふれば・・・」とか。さして効果はないが。

 肩の力を抜いてシンプルに暮らす様子が描かれている。無理をせずだな。昨日できたことが今日はできない。嘆くなかれ。それが老い そういうものだ。達観である。

 老いのおそれの一つが病気である。

 奥歯が痛む。息切れがするようになった。呼吸器科をたずねると、心臓ではないかと診断され、循環器系に回された。狭心症と判明した。で、ステント手術を受けることになった。歯科医院に行っていたら心臓が疑われることはなかっただろう。手遅れになっていたかもしれない。 

 おそれのもう一つはボケであるが、著者はなさそうである。

 著者の著作を思い浮かべながら読んだ。著作のタイトルはわかるが、内容となるとさっぱり浮かんでこない。ま、そんなものだろう。

2025年11月10日 (月)

「おーい!どんちゃん」

 映画祭の打ち上げがあった。盛り上がったのは、「お―い!どんちゃん」の話題。 映画祭最終日の上映後のトークに、沖田修一監督や俳優が駆けつけてくれた。

 この映画、赤ちゃんを預けられえた三人の若ものが子育てをするストーリーである。沖田監督が来てくれるかどうか危ぶまれていたが、わたしは「必ず来てくれる、沖田さんはこの映画祭が好きだから」と自信をもってしゃべっていた。そのとおりとなった。

 沖田監督の自主映画で、撮影は三年半ぐらいかかったという。赤ちゃんの「どんちゃん」は監督の実の子。子育て映画でもあり、幼児の成長記でもある。

 沖田映画は、どの映画もくすりとした笑いにあふれている。この静かなユーモアがたまらない。わたしは「南極料理人」以降、沖田映画のファンである。「どんちゃん」も三人のなにげないドジぶりが緩くて愉快なのだ。

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 写真はそのトークの様子。女性はどんちゃんを預けた女性である。5人も駆けつけてくれたのは、この映画に対する思い入れと、俳優たちの沖田監督への敬意、信頼からだろう。誰も沖田監督を、監督とは呼ばない。沖田さんである。この親しさが、沖田組を支えているのだろう。撮影が終わったらそれでおしまい、という関係ではない。

 愉快なトークで、われわれスタッフも一緒に楽しんだ。沖田監督の次回作がしんゆり映画祭で上映されることを願っている。

 つけくわえると、この映画、配信はない。DVDも出ていないはず。簡単に観ることはできない。小さな上映館を探すしかない。

2025年11月 8日 (土)

「盤上の向日葵」

 柚木裕子原作の「盤上の向日葵」をイオンシネマで観てきた。原作は読んでいない。

 山の伐採の折、白骨化した遺体が見つかるのが発端。遺体には将棋の駒がおかれていた。駒は名品で数が少ないものだった。それを手掛かりに捜査が始まる。

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 事件にかかわりがあるとされたのは、奨励会を経ずプロ棋士になった上条(坂口健太郎)。その生い立ちから将棋に関わっていく人生が明らかになっていく。父親からの虐待、養父のような男性から将棋を教わる。そして真剣師(かけ将棋)との出会い。

 真剣師・東明(渡辺謙)は小池重明を連想させる。破滅的な将棋指しだったが、ま、将棋ファンしか知らない存在である。

 画面が不鮮明だったのが気になった。映画館の設備のせいか。ひまわりも色あせている。刑事役など演技がぎこちない。うーん、ちょっとと思うが、渡辺謙や柄本明がでてくるとシーンが引き締まる。

 上条の出生の秘密が次第に明らかにされていく。ドラマティックではあるけれど、ちょっと大仰、やりすぎの感がある。

 将棋を指す指づかいが気になった。将棋指しはもっと華麗だ。人差し指と薬指で挟んで中指を添えて指す。ときにぴしゃりと。

「鬼殺し」という指し手が出てくるが、これは古臭い。将棋に夢中になった時期があるのでそこそこの知識はある。鬼殺しは易しい嵌め手である。プロは指さない。指せばAIの評価はぐんと下がるだろう。だから違和感がある。

  ちょっと悪口を書いたが、ひとつほめておきたい。エンドロールの桑田佳祐の歌がすばらしい。

2025年11月 6日 (木)

生田寄席 燕路の会

 生田寄席に行ってきた。今回は柳亭燕路独演会。

 開口一番に上がったのは柳亭ちょいと。まもなく前座(まだ見習い)である。柳亭こみちの弟子。ということは燕路の孫弟子になる。

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 今回の演目

  柳亭燕路  片棒

  柳亭市若  掛取り

  柳亭燕路  子は鎹

 大ネタがならんだ。こういう例は少ない。

 燕路は元気で明るい。声も大きく張りがある。賑やかな「片棒」は得意ネタなんだろう。この「片棒」、木遣りがあり、手古舞があり、お囃子があり、といったぐあいで、にぎやかである。それだけにかなりの技量がいる。声量もいる。歌がうまくなくてはできないネタである。それを軽快に、にこやかにやってしまう燕路はすごい。市若の師匠の柳亭市馬に次ぐぐらいと言ってよい。

 市若の「掛取り」も難しいネタである。大みそかの掛取りをうまく追い返す噺である。掛取りの好きな話題で持ち上げ、掛けを来年に延ばしてもらう。狂歌好き、芝居好き、ケンカ好きなど、ことば巧みに言いくるめる。

 市若の師匠・市馬の三橋美智也バージョンで大人気を博した。のど自慢の市馬ならではの改作である。

 市若は、この部分を競馬好きにして、工夫を凝らしている。この工夫はよいが、ちょっと早口が気になる。もっとゆっくり喋ればよいのに。

とくに、狂歌の部分は、ゆったりやったほうが、観客の心にとどく。

 貧乏をすれど我が家に風情あり 質の流れと借金の山

 山水やねえ。

2025年11月 4日 (火)

しんゆり映画祭

しんゆり映画祭」はぶじ終わった。

 ボランティアメンバーとして活躍したと言いたいところだが、実際はメンバーの足をひっぱらない程度だった。若い人たちが頑張ってくれた。パソコン能力は優れているし、気遣いもたいしたものだ。こちらはただ眺めているだけ。齢を感じる。そろそろ引退か。

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 ことし好評だった映画は「侍タイムスリッパー」、「二十四の瞳」、そして「悪い夏」。チケットは完売となった。「二十四の瞳」はほとんどが高齢者だった。80代も多かった。ふだん映画館にでかけることは少なくなった人が、懐かしさゆえに観にきてくれたのだろう。

ごはん」もほぼ満席だった。「侍タイムスリッパー」の安田淳一監督の作品。安田監督によるアフタートークが好評だった。苦労話も笑いに包まれた。

 トークの後、映画祭スタッフとの懇親会があった。9時スタートだったので、私はパスした。遅くまでは付き合えない。おおいに盛り上がったという。

 上映映画はボランティアスタッフの推薦したものが中心となる。どのような演出で上映するかもスタッフが決める。ゲストに誰に来てもらうか、事前の広報活動をどうするかなどである。詳細はホームページに紹介されている。

 とりあえず上映会は終わった。私の担当である記録班には、ビデオの編集や写真の整理などが残っている。まだ作業は続く。

 もう少し書きたいが今日はここまで。

2025年11月 2日 (日)

女の休日と平和

 アイスランドはジェンダー先進国と言われている。男女平等の評価では世界一ランクされている。なぜそうなったか。

 50年前にまでさかのぼる。詳しいいきさつは知らないけど、アイスランドの全女性の90パーセントが男女平等を訴え。仕事や家事をボイコットした。その結果、国は機能不全となった。女性の声を採りいれないと社会が回らないとなり、さまざまなジェンダー改革が始まった。

 それを描いたドキュメンタリー映画「女の休日」がつくられた。アートセンターでは12月下旬から公開される。これはぜひ観たい。

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 思い出すのは、ギリシャ喜劇、アリストパネスの「女の平和」である。戦争に明け暮れる男たちに、戦争をやめよと女たちが団結してセックスをしないと宣言したのだ。セックストライキ。で、我慢できなくなった男たちは和平に合意することになる。

 アイスランドの事例はこれと似ている。

 ところで、日本のジェンダー評価は世界で118位である。これは低すぎる。国会議員の割合などが評価項目となっている。低く評価されすぎのように思う。

 高市さんが女性で初めて首相となった。これで評価の順位はたぶん上がる。どのくらいになるのだろうか。

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