捨て鉢になるにはあまりにも・・・
自暴自棄になることを「捨て鉢になる」という。投げやり、破れかぶれと同類である。にっちもさっちもいかなくなってどうにでもなれというという気持ちを表す。
なぜ、鉢を捨てるのだろうかと、疑問が浮かんだ。調べてみると、いくつかいわれがある。
修行僧が托鉢につかう鉢を捨てることからきているという。厳しい修業をギブアップしてしまう。
もうひとつは、鉢は果つが変化したもの、やけっぱちのぱちと同じ。これに捨てるがついて、意味を強めた。
ふーん、そうかと半分納得するが、半分は腹に嵌まらない。
こんどは、チャットGPTに訊いてみる。
捨鉢(シャハチ ステバチ)。修行僧が食べ物も命への執着さえ捨て、もはや托鉢の鉢すら不要と覚悟する境地。
がけっぷちに立つ、究極の覚悟を意味している。こちらのほうが深い。説得力がある。
それが、やけっぱちになるまでには、かなりの飛躍があると思うが、そのあたりはよくわからない。
「すてばちになるには余りにも明るすぎる」という歌謡曲の一節を思い浮べる。タイトルは「銀座の雀」。森繁久彌や加藤登紀子が歌った。
この歌、捨て鉢になるなと歌う。「赤いネオンのあかりさえ 明日の望みにまたたくのさ」と。希望を持とう、ということだ。
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