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2026年1月

2026年1月31日 (土)

搔痒記

 去年あたりから腰の周りがかゆくなった。それが背中に広がっていった。液状のムヒをぬってかゆみを抑えてきたのだが、治るようすはない。

 皮膚科に行ったら、皮膚が乾燥してかゆくなるのだと、ろくに患部を見ずに診断された。乾燥肌とは意外。正式な病名は「皮脂欠乏性湿疹」。ま、老人性カユカユ症ということだろう。塗り薬と保湿クリームを処方された。

 これが効かないのだ、ふたたび皮膚科に行ったら、別のステロイド入りの塗り薬を処方された。

 すこし効いたようだったが、もとに戻った。たいして効かない。藪医者め! この皮膚科には行かないことにした。

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 要はかゆみが止まればよい。薬局に行って、かゆみ止めを探した。塗薬はたくさんある。どれを選んでよいかわからない。しかも少量で結構高い。とりあえず、先だってテレビCMでみた新製品のメンソレータムかゆみ止めを買ってみた。メンソレなら安心感がある。

 朝と、風呂上りに塗ることにした。そこそこの効果はある。かゆみの程度も減った。夜中に目覚めるとかゆい。そんなときはめんどうなので液状ムヒを塗る。これでかゆみは治まる。

 治るまでにどのくらいかかるかわからない。乾燥肌は齢のせいだろう。保湿クリームを塗るせいだろうか、手の皮膚がスベスベになった。若返ったような気がする。若鮎のようなとまではいかないけど、手だけなら30代に見えるかもしれない。

 ついでのひとこと

 メンソレータムの製造元は近江兄弟社だったが、今はロート製薬になっている。

 近江兄弟社は、メンタームとして販売している。

2026年1月29日 (木)

「おくびょう鳥が歌うほうへ」

 寒い日が続いている。アメリカも大寒波だという。

 地球温暖化などどこかへ行ってしまったようだ。その分、反動で、今年の夏は猛暑、酷暑になるんじゃないかとの予感がする。

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  アートセンターで「おくびょう鳥の歌うほうへ」を観てきた。主演はシアーシャ・ローナン。「レディ・バード」や「わたしの若草物語」の演技が印象に残っている。

 ロンドンの大学院で生物学を学ぶロナは学業にも人間関係にもあれこれ悩んでいた。それを紛らわすため酒におぼれた。アルコール依存症。酒を断ち切ろうと治療もうけるが、うまくいかない。また酒を手にしてしまう。

 ロナは久しぶりに故郷のスコットランドの島に帰ってくる。そこでは父と母が暮らしているが、父は双極性障害を病んでおり、母は信仰に意識を向けていた。ロナにとって島は安らぎの場であるはずだったが、よみがえる過去に悩まされることになる。酒でのしくじり、恋人とのわかれ、父親の乱行などなど。

 風の音、波の響き、そしてカモメの鳴き声が聞こえてくる。この映画のテーマは自然のサウンドである。波の響きがたえず足元から伝わってくる。「アラン島」という映画を思い浮べた。アイルランドの島を描いたドキュメンタリー。波がうなる響きが主役のような映画だった。

 ストーリーはあってなきようなもの。ロナのこころに過去が蘇る。ロナはどのように再生していくのか。

タイトルの「おくびょう鳥」はロナが生態を調査するウズラクイナのことである。臆病でほとんど姿を見せることはない。たまに鳴き声を聞くことがある程度。

 ラストで、この鳴き声がかすかに聞こえる。お聞き逃しなきよう。

2026年1月27日 (火)

『普天を我が手に 第二部』

 第二部は、昭和生まれの4人が主人公となる。まだ十代である。

  日米が戦争状態になると、アメリカにいた竹田志郎は収容所に入れられる。捕虜交換船で帰国の予定だったがスパイ容疑で再び収容所に戻されてしまう。

 矢野四郎には任侠の血筋が流れている。素行は悪く、少年院に入れられる。そこを脱出して銅山ではたらくが、そこも脱走する。

 森村ノラは母親が収監されているのでひとり暮らし。闇米を買いに出かけたりしている。そんな中、喫茶店を任される。闇のコーヒー豆を手に入れ、店は繁盛する。

 五十嵐満は満州にいる。中学生だが映画俳優としても活躍する。新国家建設を目指す秘密組織に加わる。

 いずれも現状や軍部には怒りを抱いている。世相に迎合することはできないから、憲兵に目をつけられることになる。

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 こう書くとすらすら読んだように思われるかもしれないが、なかなかそうはいかない。読むスピードはおそい。目が疲れるから長時間の読書はムリ。読み終えるまでに、ひと月ほど、けっこう時間がかかった。

 四人は見知らぬ存在だったが、次第に接点ができていく。交流にまでは至らない。顔見知りになる程度である。

 第二部は昭和23年まで、つまり戦後3年ほどまでが描かれる。

 志郎はGHQの通訳として働く一方、東大法学部に通う。

 四郎は予科練生となり、特攻を志願するが、出撃直前で終戦となる。東京にもどり、矢野組を結成し、地回りの闇世界で頭角を現していく。

 ノラは教会で孤児院を運営するかたわら、GHQ民生局の秘書となる。

 満はソ連軍や八路軍に捕獲されるが、そこを脱出。香港経由で日本の土を踏む。得意のタップダンスの技で米軍キャンプにも潜り込む。そして芸能事務所を立ち上げる。

 彼らの心情や行動は都合の良いように感じる部分もあるけれど、死なせては物語がなりたたない。逃げ回り、窮地を脱する展開は面白い。続きを早く読みたくなる。奥田英朗の筆さばきのうまさを感じる。 

 ということで、二巻、読了。この間、読んでない雑誌もたまっている。しばらくはそっち。

2026年1月25日 (日)

最後のどんど焼き

 麻生区岡上のどんど焼きは三か所で行われる。今年最後は和光大学前の西町会のどんど焼きである。大学前の田んぼで行われるのだが、ここでのどんど焼きは今年で最後になる。田んぼの所有者が変わったので来年はどうなるかわからないのだ。ついでに言っておくと、この地では、どんど焼きではなく、セエノカミと呼んできた。

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 写真でもわかるように、小田急線の線路に沿っている。車窓からも眺めることができたが、それも今年で最後になる。

 乾燥して風もあったので、火の勢いはよく、たちまち焼けてしまった。あっけなかった。

 

2026年1月23日 (金)

「モンテ・クリスト伯」

 アートセンターで「モンテ・クリスト伯」を観てきた。2024年の新作。見ごたえがありそう。ただし。気になるのは上映時間、2時間58分の長尺。途中、尿意を催すのではないかと年寄りは心配する。

 おなじみのデュマの代表作。『巌窟王』としても知られているが、読んだことはない。

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 船乗りのエドモン・ダンテスは海難事故で若い女性を救う。それが認められたこともあり、船長に抜擢される。それをねたんだ連中の陰謀によって無実の罪で投獄されてしまう。離島の刑務所で厳しく寂しい日々を過ごすが、秘密裏に壁を壊した司祭と知り合う。そして司祭からテンプル騎士団が残した財宝のありかを打ち明けられる。司祭の死に紛れて脱獄、財宝の眠るモンテ・クリスト島に向かう。

 このあたりまで映画は快調に進む。投獄から14年後、エドモンドはモンテ・クリスト伯としてパリの社交界に現れる。

 結婚を約束していた婚約者のメルセデスは別の男と結婚し、子まで生していた。モンテは彼を陥れた検事ら三人への復讐に着手する。

「復讐するは我にあり」と聖書にあるが。我とは神のことで、人びとの復讐を認めないが、エドモンはみずから手を下そうとする。単に殺すのではなく、辱めたり無一文にさせたりしたのち、死に追いやるよう復讐を企てる。

 エドモンドがパリにやってきてから、たくさんの人物が出てくる。こちらの集中力もなくなったころでもあり、ちょっと混乱する。もう一度、観ればすっきりするのだろうが、頭がついていかない。

 重厚で、見ごたえのある作品に仕上がっている。もういちど観るチャンスがあればよいのだが、アートセンターでは終映となってしまう。

 原作は間違いなく面白いだろう。でも、いまさら読む気力はない。

2026年1月21日 (水)

八起寄席 

「八起寄席」は新春顔合わせ。場所はグリーンホールではなく、南相模原市民館。こちらの方が収容人数は多い。4団体の幹事が高座にあがる。

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 最初に演者と演目を挙げておく。所属団体も。

 古今亭文菊(落語協会)   高砂や

 瀧川鯉橋(落語芸術協会)  二番煎じ

 立川談修(落語立川流)   転失気

 三遊亭兼好(圓楽一門会) 片棒

 演目はおなじみの古典噺。 評判のよいトリネタも複数入っている。新年だから、各演者、力も入っている。

 鯉橋の「二番煎じ」がよかった。火の用心と夜回りをする旦那衆が、寒いから番小屋で酒を飲み始める噺。ところが、夜回りの役人がやってきて、酒や鍋を隠すのにどたばたになる。冬に演じられる。落語にしては大人数が登場する。そのキャラをうまく際立させていた。情景が目に浮かぶ。うまいものである。

 トリの兼好もよかった。「片棒」は難しい噺である。木遣りがあり、手古舞いのお囃子がある。歌って、口三味線で太鼓をうち、笛を吹いたりしなければならない。踊りもある。熟練を要する。かなりのテクニックがないと客席を沸かせることはできない。兼好はいつもの陽気さで見事に演じた。たいしたものだ。場内、笑いと拍手で溢れる。

 文菊の張りのある声、談修の丁寧な語りもよかった。満足の落語会であった。

 ついでのひとこと

 談修の談志エピソードが面白かった。

 師匠の談志が喉頭にメスをいれたとき、一週間は声を出すことが禁じられた。手持ちのホワイトボードでの筆談。「昨日もらった籠盛りのフルーツはどうした?」と談志がボードに書いた。弟子の談修は、そのボードに「家に届けとました」と書く。すると、談志はまっかになって怒った。ボードをとりあげて「お前は、喋れるだろう」とすかさず書いて見せた。ごもっとも。談修はあわててあやまったそうだ。

 あはは、これにちかいことは、しばしばある。

2026年1月19日 (月)

桂文珍独演会

 桂文珍独演会に行ってきた。毎年麻生市民館で開催されるこの会は19年目になったという。来年で20回。長く続いてきた。1000人収容できる大ホールが満席になるから文珍人気は息が長い。上方落語では、80過ぎた文枝と77の文珍がずっとリードしている。

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 今回の演目

    AI・ルモンド

      仏馬

  百年目

AI・ルモンド」は新作。老人はスマホだのAIにはついていけない。それをマクラでおもしろおかしく語る。まあそのとおりである。チャットGPT(チャッピー)はその能力に驚くが、慇懃無礼なところがある、と。これはわたしも感じる。

 ホログラフのチャッピーがやってきて、あれこれ解説するのだが、食い違いが生じる。タイトルの、ルモンドの部分は、問答に聞こえる。それで、ルモンドにしたと語っていた。世界という意味ではない。チャッピー問答。古典噺「こんにゃく問答」のアナロジーである。

 トリの演目は「百年目」。大ネタである。使用人を厳しく育てている番頭さんが、隠れて花見にいく。芸者をあげての舟遊び。気を緩めて踊っていると、ばったり旦那とでくわしてしまう。万事休す。うなだれて店にもどるのだが、クビになると観念する。翌日、旦那から上に立つ者の心得、部下の育成を諭される。といったストーリーである。中間管理職の人たちには人気があると言う。ふーん、わたしはちょっと説教臭く感じるのだが。だから、その部分をこってりやるか、さらりとやるかで、噺の印象は違ってくる。文珍はさらり派である。

 すこし戻って、チャッピーの話。

 文珍は80近くなっても最近の政治や世相まで目配りを怠りない。それをギャグにしてマクラで語る。これが愉快。チャッピーもやり玉にあげる。丁寧で親切。それを前面に押し出す。そこがちょっと、と感じるのはわたしも同様。

 優等生的なんだよね。たまには「ごちゃごちゃ言うんじゃねえよ!」ぐらいの捨てセリフがあってもよい。

 いちど、「それだけの情報では回答はできません。もう少し情報をください」との回答があった。ハイ、ワカリマシタ。落語からすこし逸れた。

 ついでのひとこと

 印象に残った時事ギャグ。大阪も同時選挙となる。維新は都構想を訴える。将棋に関係があると文珍さん。が成ってになる。そのこころは、になる。

 

2026年1月17日 (土)

「ペンギン・レッスン」

 終映ぎりぎりで「ペンギン・レッスン」を観てきた。

 今から50年前のアルゼンチンが舞台。社会情勢は混乱しており、軍事クーデターが勃発する。イギリス人のトム・ミッシェルはブエノスアイレスの中学で英語を教えることになる。混乱により、学校は一週間休みとなる。これ幸いとトムはウルグアイに旅行する。そこで知り合った女性と海岸を散歩すると、重油にまみれたペンギンを見つける。連れて帰って洗ってやると元気をとりもどした。海に帰そうとするが、ペンギンはトムから離れない。しかたなし、トムはペンギンを飼うことになる。

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 これが発端。ペンギンはトムだけでなく、掃除係の女性にも懐いていく。ファンタジー・フィクションかと思うが、これが実話をベースにしたものという。映画では当時の映像も映し出される。

 トムの教える生徒たちは学業に身が入らない状態。それでも、熱心に英詩を教えるのだが、うまくいかない。ペンギンを連れていくと生徒たちは次第に英語と向き合うようになる。このあたり、むかし観たロビン・ウイリアムス主演の「いまを生きる」を彷彿させる。

 単なるペットとの交流を描いたものではない。軍事政権は秘密警察により反政府の動きを警戒する。不審人物はたちまち拘束される。清掃係の孫娘も行方不明になったりする。警察に拘束されたようだ。トム自身も一日だけだが捕らえられる。そうした厳しい環境下でも。ペンギンは愛らしく動き回り、人々の気持ちをほぐしていく。

 チラシを見ただけの印象はほんわかしたアニマルセラピーものと思っていたが、そうではなかった。厳しい政治環境下の社会や人たちの姿を描いている。いい映画だ。

2026年1月15日 (木)

生田寄席 春風亭一朝

 生田寄席に行ってきた。今回は春風亭一朝独演会である。

 一朝といえば、江戸落語の名手として知られている。江戸っ子の気風、威勢が小気味よい。後期高齢者になったが、勢いは衰えていない。人気も60過ぎてから上がっていったような気がする。今回も、超満員になった。

 今回は、イッチョウケンメイはなかった。小さなトラブルがあって、そこの部分を飛ばした。

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  演目は、前半「三方一両損」 中入り後「紺屋高尾」。

三方一両損」は大岡越前もの。ケンカ早い男が登場する。もう一方は頑固者。両方とも江戸っ子気質。ケンカを始める。大きな声で言いあう。こういう噺は、一朝、得意のネタである。

 越前ものではよくできたストーリーで、オチもおもしろい。おおくは食わない、たった一膳。大岡越前の洒落である。

紺屋高尾」もおなじみの噺。後半、軽く済ませたような印象があった。

 膝が悪いとマクラで語っていたが、正座はできる。ただし、足を伸ばすと痛みがはしる。高座を降りるときはうまく立ち上がることができない。痛そうだった。

 高齢となるとどこかぐあいが悪くなる。一朝さんはヒザ。わたしは目。

 目をつぶって聴いていたのだが、隣の妻につつかれた。寝てねえのに。

 ついでのひとこと

 弟子の一花がNHK落語新人賞をとった。一花は忙しくなった。もうひとりの弟子・一之輔は引っ張りだこ。

 最近、ふたりとも遊んでくれないとぼやいて、客席を笑わせる。

2026年1月13日 (火)

モグラたたき

 ゲームセンター(ゲーセン)にはさっぱり行っていない。

 かつて、しょっちゅう行っていたかというとそんなことはない。たまに、である。カーレースとか、クレーンゲームなど、ことごとくダメ。うまくいかない。太鼓たたきもからっきし。勝負になるとか、そこそこサマになるのは、モグラたたきぐらいである。

 あれは単純でよい。モグラの頭をおもいきりひったたく。我を忘れて夢中になれる。わずかな時間で息がはずむ。

 コノヤロー! バカ部長! クソー! とか声をだせば、それなりのストレス解消になる。

 新宿の街をあるいていたら、ゲーセンの看板をみつけた。写真がそれ。

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 感情解放区とある。感情が解放できるということか。それほどではなかろうが、ストレスを多少は解放できるのは間違いない。

 気になったのは現在のゲーセンにどんなゲームがあるかということ。ローテクのモグラたたきなどなくなってしまっているかもしれない。どうなんだろうか。

 

2026年1月11日 (日)

狛江寄席 市馬の芸

 新春最初の落語は狛江寄席。場所は狛江エコルマホール。狛江の駅前だから、冷たい風が吹いても寒いってことはない。

 最近、柳亭市馬を聴いていない。あの声を聴きたいけど、新百合ヶ丘界隈ではやっていないからお預け状態だ。小田急沿線の狛江でやるのを知って、あわててチケットを買った。座席は後方しか空いてないが、致し方ない。

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 友人から、12月の浅草演芸ホールの市馬がすごく楽しかったとメールがきた。歳の瀬の噺といえば「掛取り」である。借金取りを気持ちよく追い返そうと知恵をしぼる。もともとは軽妙な三河万歳で掛取りを帰してしまうオチとなるが、市馬はこれを三橋美智也バージョンにした。これが大受けした。のどが自慢の市馬が歌うのだから拍手喝采となる。何回か聴いたことがある。

 これを美空ひばりバージョンにした。今回が初めてかどうかはわからないけど、なるほど、ひばりか。初めて聴いた友人は感動した。8曲、メロディで歌った。もういちど聴きたくなって翌日も出かけたという。

 すごい。わたしも聴きたい。今年の暮は、市馬を追っかけてみよう。

 で、今回の狛江寄席の演者と演目

 柳家三三   看板のピン

 ロケット団   漫才

 柳亭市馬   妾馬

 三三はこのあたりでやるときは、マクラは小田急線ネタになる。いくつかの面白い小噺を長めにやってから「看板のピン」。おなじみの軽い噺である。客席を盛り上げるのが上手い。きょうは、荒川のほか、全部で4席の掛け持ちだそうだ。売れっ子は忙しい。

 ロケット団の漫才は名人級である。M-1グランプリ優勝の連中と比べてみてもこちらの方がはるかに上である。時事ネタが多い。大谷と大仁田を繰り返して勘違いするネタが面白かった。

 で、トリの市馬。初場所が始まるということで、のどならしは、呼び出しの声、そして相撲甚句。これだけで、客席は大歓声となる。

  演目は「妾馬」。「八五郎出世」とも呼ばれるめでたい噺である。よく演じられる噺だが、市馬がやると一味ちがう。王道を行く芸である。

 いいひとときだった。今年の暮れは「掛取り」を聴きに行こう。うまくそうなるかはわからないけど。

 ついでのひとこと

 新年のラジオ深夜便の「ミッドナイトトーク」を聴こうとしたら、出演の柳家さん喬が体調不良のため、代わりに柳家喬太郎が出演した。喬太郎なら文句はない。

 

2026年1月 9日 (金)

ゴシゴシ、シャカシャカ シャコシャコ

 歯を磨く音はどう表現したらよいか。

 口にくわえるだけで歯が磨ける自動歯磨きが発売さるたとの新聞記事があった。毎日新聞の見出しは「ロボが歯をゴシゴシ」とあった。ゴシゴシには違和感がある

 ゴシゴシでは強すぎる、タワシで磨いているようなイメージ。歯の表面や歯茎を痛めてしまうのではないか。マンガで、シャカシャカとしていたのを読んだことがある。こっちのほうがよい。

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 わたしはちょっと高い練り歯磨きを使っている。茶渋のような汚れがとれると、歯科衛生士に勧められて試供品をもらった。ブランド名はアパガード。ステイン(よごれ)がとれるような気がする。あらためてドラッグストアで買った。これが1000円以上する。練歯磨きにしては高すぎる。でも、汚れがとれるなら、それほど高いわけではない。しばらくしてピカピカになった。きれいになったと歯科衛生士にほめられた。

 ということで、後期高齢者とは思われないほどの若々しい歯になっている。健康面でほめられるのは口の中だけだ。

 朝夜、気持ちよく磨いているわけだから、音はシャカシャカだろう。他のオノマトペをさがしてみたら、シャコシャコがあった。こちらのほうがいいか。優しく磨いているような感じがする。少女が磨いているような・・・。

2026年1月 7日 (水)

パスワード入力ができない

 クレジットカード決済でパスワード入力を求められることがある。

 入力画面が暗くて数字が分かりづらい機種がある。見にくい。パスワードが覗き見されないようにする配慮だろうけど、要らない。目が悪くなった年寄りへの配慮が足りない。いじわるだ。

 画面を明るくしてくれと言うが、できないとかやり方がわからないとの返事がくる。やり方を知らないだけだろうが、困ったものだ。顔を近づけ、ときにスマホの明かりをかざして入力する。次回までに明るくしといてね、と言って立ち去る。次回はたぶん明るくして置いてくれるだろう。

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 バリアフリーだの合理的配慮だのと言われているが、実際はなかなか進んでいない。

 階段に手すりはあっても劇場内の階段には手すりはない。掴まり棒を設置しているところがある。これはありがたい。どこもそうすればよいのに。

 新しい施設でも、必ずしもバリアフリーになっていない。動線がわるい。表示が小さい。たとえばトイレがどこにあるか、デザイン優先で、申し訳程度の小さな表示になっている。視力が弱い人やシニアの視点が欠けている。

 先日、コーヒーショップに入ろうと開閉ボタンを押したのだが、開かない。なんども押してみたがドアは開かない。しばらくすると、中にいた女性から、どうしたんですかと声を掛けられた。事情を話すと、開いてますよとの答え。驚いた。目が曇っていたのでドアが閉まっていたと勘違いしたのだ。

 そのくらい私の眼はわるくなっている。メガネを変えようか、変えてもなあと思うが、とりあえず、老眼鏡を新調した。

 新年早々、眼科医に行った。年末に行ったばかり。めんどうだけど、仕方がない。

 きょうは七草。市民館前の広場では七草粥をふるまうイベントが開かれた。写真はそこに展示してあった七草。麻生区の野山では七草が採れる。自然が残っている。

 七草粥ははっきり言って不味い。味わうのは遠慮した。

 

 

2026年1月 5日 (月)

「世界一不運なお針子の人生最悪な1日」

 ことし最初の映画はフレディ・マクドナルド監督の「世界一不運なお針子の人生最悪の1日」。アートセンターで観てきた。

 この監督、まだ二十代。学生時代につくった短編がコーエン兄弟に評価され、この映画をつくることになった。もちろんコーエン監督ファンである。といったことをチラシで知った。

 コーエン映画が好きなら、そりゃ、ぜひ観てみたい。タイトルの「不運なお針子」から女性向きのけなげな女の子の物語を連想したら、たぶんそれは間違い、コーエン流のブラックなサスペンスに仕上がっているに違いない。もちろんユーモアも。以上が、観る前の予想。

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 主人公のバーバラはスイスの田舎町でお針子をしている。店に戻る途中で、麻薬取引の現場に出遭う。売人たちは血まみれで倒れている。白い粉が入った紙袋と拳銃も転がっている。そして大金の入ったトランク。

 バーバラには三つの選択肢があった。金や拳銃を横取ってしまうか、警察に通報するか、それとも見て見ぬふりをするか。三つのチョイス。選択の物語である。

 それぞれの選択が描かれる。さて、どうなるか。

 お針子の裁縫箱には、糸や針、そしてハサミなどが入っている。これらの小道具が活躍する。登場人物はクセモノである。まともな人間は登場しない。このあたりがいかにもコーエン風である。ちょっと笑えるが、ユーモアはいまひとつ足りないような気もするが、ま、気にするほどのことはない。

 いびきをかく客がいた。期待した内容ではなかったんだろうな。

 繰り返すが、けなげな乙女の純情物語ではない。クライムサスペンス、コーエンタッチを楽しむ映画である。

 わたしの好みは、悪意をユーモアで包んだような映画や小説である。

2026年1月 3日 (土)

ドッペルと粗忽長屋

  落第(留年)することをドッペると言う。学生のころ、よく使った。いまどきの学生が使うかどうかはわからない。落ちる、下降するといった意味だと思ってきた。

 ここ数年、ドッペルゲンガーということばを聞くようになった。留年のドッペるとは関係あるのか。たぶん、その派生語だろうと理解した。ところが、意味を調べてみると違う、

自分と同じ姿形の人物を見ること。自己像幻視。また、同時の場所で目撃される同一人物。」と新明解国語辞典にある。全然違う。語源的にも違うようだが、よくわからない。

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  すこし考えてみた。ドッペルには二重という意味もある。落第なら二度同じ学年を繰り返すから二重。ああ、そうか、ドッペルとは英語だとダブルになる。ドッペルゲンガーは、自分自身に出会う、自分が幻覚的にあらわれることをいうのだから、二重、ダブルとなる。わたしは経験したことがないけど、そういう精神作用を言う。

  ここで、一転して落語のはなし。「粗忽長屋」という有名な噺がある。仲間から、お前の行き倒れの死体があるから引き取りに行けと言われる。わけがわからないけど、行ってみて、遺体を見ると確かに自分のようだ。遺体を抱き上げ、「確かにお前は俺だけど、抱いてる俺はいったい誰なんだろう」というのがオチ。ちょっとシュール。見事なオチである。

  そんなことを思い出した。これもドッペルゲンガーの一種じゃないかと、精神学者に訊いてみたい。どのように解説してくれるのだろうか。

2026年1月 1日 (木)

あけましておめでとうございます。

 元旦は初詣。近所の十二神社に出かけた。現在の場所に移転してどのくらいになるのか、ピカピカだった社殿も落ち着いた風合いになってきた。

 鈴緒は、正月は縛られて鳴らすことはできない。無粋だが、参拝者の回転を考えれば。こういう手もある。9時前だったので参拝客は少なかった。

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 賽銭を投げ入れ、昨年の無事を感謝する。目が悪くなり、老化は進むばかりだが、さしあたって足腰に問題はない。家族も元気だ。

 家では、録画した番組を観る。「ドキュメント72時間」の年末スペシャル。普通の人の暮らしぶりや生き方に少し感動する。この少しがよい。

今夜から3日間、「TBS落語研究会」がある。ビデオ予約した。明日から、少しずつ聴く。駅伝よりこっちだな。

 それと、もう一本。映画祭のボランティア仲間から、NHKEテレで映画「小学校~それは小さな社会~」をやるから観て! との連絡があった。知らない映画。これも予約録画した。

 ということで、この数日はビデオ三昧(というほどではないけれど)になる。コーヒーショップで読書もいいけれど、目が悪くなったので長い読書はムリ。ぼんやりするだけだけどね。

 

 

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