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2026年3月

2026年3月30日 (月)

滋賀・京都の旅

 三月末の滋賀・京都の旅といえば、目的は桜見物になる。そのつもりで出掛けたのだが、花見には早かった。

 近江八幡の八幡堀を写した写真がある、両岸は桜で満開。絶好の観光スポットである。賑わっていると思いきや観光客は少ない。堀巡りの遊覧船にはすんなり乗れたのだが、桜は全然。つぼみもまだ膨らんでいない。満開までは10日以上かかるのではないか。ま、目がわるい身としては、桜などすぐ飽きるから、どうということもない。料金はおとな1500円。こども1000円。犬にも金がかかる。1000円。抱っこできる子犬は無料とのこと。犬も乗船できるのなら、1000円は安いと思う愛犬家はいるだろう。

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その夜の晩飯は近江牛にした。うまかった。

 翌日は、石山寺に行った。電車でもそれほど時間はかからない。このあたりは近江八景と言われる景勝地である。石山寺は瀬田川が見下ろせる坂の上にある。ゆるやかな流れが心地よい。うすぐらくなって月が見えたらさぞやみごとだろう。

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 紫式部はここで「源氏物語」の構想を練ったとか、いくつかの巻を執筆したとかいわれている。

 満開の桜もあったが、ソメイヨシノはちらほら。まだ早い。観光客もそれほど押しかけてはいなかった。

 京都は観光客であふれている。観光スポットは避けて軽く散歩した程度で済ませた。

 志賀の都の山桜を詠んだ有名な歌がある。「平家物語」に出てくる。それについては改めて書くことにする。

 昨日、彦根の桜が開花したとテレビが伝えていた。

 

2026年3月29日 (日)

白酒独演会

 滋賀、京都に行ってきた。

 それを記す前に、前日の夜、桃月庵白酒独演会に行ってきたので、忘れないうちに書いておく。

  噺家によって笑いの質というかはじけ方が違う。ひたすら明るい三遊亭兼好のようなタイプもいるし、遠赤外線のようにほんわかした瀧川鯉昇のようなタイプもいる。

 白酒の場合はどうか。大胆にはしゃいでそれが客席の笑いを呼ぶタイプ。力強い。毒気というか悪口も込めて。今回は悪口 皮肉は控えめだった。花粉症の季節であっても、心地よかった。 

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 今回の演目

  代書屋

  笠碁

  花見の仇討ち

 いずれもおなじみの古典噺。「代書屋」は静かに演じられることが多い。代表は柳家権太楼。ところが、白酒となると俄然にぎやかになる。ばかばかしいほどはしゃいだ噺になる。「笠碁」もそうである。

 トリネタは何になるか、中入りに予測してみた。時節がら、花の噺になるか、たとえば「長屋の花見」とか。実際は、同じ花見でも「花見の仇討ち」だった。

 花見の余興として仇討ちの芝居をしようとしたのだが、それが手違いで本物の仇討ちと勘違いされてしまうというストーリー。

 これもばかばかしいギャグを入れて演じる。余興には「巡礼のきょうだい」が登場する。それを聞き違えて「十円ちょうだい」とダジャレにしてしまう。おやじギャグのたぐい。ふつうは笑い飛ばして忘れてしまうようなギャグなのだが、なぜか私の記憶に残ってしまった。

 といったことで、愉快な落語会だった。 旅のはなし、桜のことなどは明日。

 

 

2026年3月26日 (木)

「ブルームーン」

 スタンダードナンバー「ブルームーン」の作詞者を描いた映画である。

 作詞ロレンツ・ハート、作曲リチャード・ロジャースのコンビでは「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」などがあるが、作詞者がだれか知らなかった。それはともかく、題名からして往年の名曲がいっぱい流れる音楽映画かと思ったが、そうではなかった。

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 リチャード・ロジャースとオスカー・ハマーシュタインが組んだミュージカル「オクラホマ」の初演の夜を描いている。ロレンツはものミュージカルに関わっていない。ちょっと寂しいし、おもしろくない。ふたたびリチャードと組んで仕事がしたいと願っている。

 バーでバーテンダーやピアニストとおしゃべりをする。これがもう、ことばの嵐で、ロレンツは喋りまくる。演じているのはイーサン・ホーク。セリフはむちゃくちゃ多い。まじな話から猥談までしゃべりっぱなし。「スターダスト」などピアノの音はきこえるのだが、セリフ優先。そこに舞台を終えた連中が流れ込んでくる。そこでもおしゃべり。リチャードにもう一度コンビを組もうとうったえる。

 セットはバーだけの一幕芝居のよう。そして一夜の出来事だけ。音楽映画を期待していた人にとっては、ちょっと肩透かしをくらったような気分になる。

 イーサン・ホークは明石家さんまか古館伊知郎のように喋りまくる。悲哀を感じさせる演技が見もの。そういう映画であって音楽映画ではない。

2026年3月24日 (火)

ネガティブ・ケイパビリティ

 ネガティブ・ケイパビリティということばを見たり聞いたりすることが多くなった。そのことばを知ったのは、10年以上前、帚木蓬生の著作『ネガティブ・ケイパビリティ』によってである。興味深く、面白かったのだが、ひとに説明するのは難しい。

 定義すると、不確実さや曖昧さ、答えのない状況に耐え、柔軟に思考を深める能力となるが、具体例をあげて易しく説明するとなると、さて、となる。

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チャッピー(チャットGPT)に、上手く説明する実例はあるかと訊いてみた。しばらくして、アナタは落語が好きなようなので、古典噺を挙げておくとの回答があった。なぜ落語好きを知っていたのか、以前そんなことを書いたかもしれない。それはともかく、チャッピーは、例として、芝浜 文七元結 死神を挙げた。なぜそうなのかの明確な回答はなかった。まずは自分で考えてみよということか。なぜの部分は聞き手に委ねる、想像する余地を残すということか。ちょっと違うような気もするが、ま、いい。

「文七元結」を考えてみる。主人公の左官の長兵衛は、借りた50両を身投げをしようとした見ず知らずの男にくれてしまう。50両なければ店に帰れない、死んで詫びるしかないと男は言う。長兵衛は困ってしまう。50両は娘のお久をカタに借りた金だ。返済できなければお久は吉原に身を沈めることになる。大切な金だ。それを見ず知らずの男にくれてしまう。なぜくれてしまうのか、そこがこの噺の最大の謎というか疑問である。なぜ・・・。

 腑に落ちない。明快に説明されないと観客は納得できない。納得できるようにもっていくのが噺家の技量である。娘より、目の前の人の命のほうが大切とするのだが、そういうに二者択一を長兵衛は迫られるわけで、無理やり金を男に押し付けて、その場を立ち去ってしまう。

 これがネガティブ・ケイパビリティと言われると、違うような気もする。選択を迫られ、その状態に耐えるというのならわかるのだが・・・。

 落語で思い出した。立川志の輔がマクラで語っていた。YES or NOと問われ、迷ったらORと答えよと語っていた。なるほど。二者択一には困ることがある。どっちでもない、あるいはどっちもである、だから、ORあるいはANDという返答もある。

 そういう宙ぶらりんの状態で、結論を急がず。どっちでもない、どっちもあるとするのが正解かもしれない。決めつけない、結論を急がない、ちょっと立ち止まって考えてみる。

 といったことで、もっと実例を挙げて説明しようとしたのだが、ちょっと疲れた。

 きょうはここまで。続きは日をあらためて。

2026年3月22日 (日)

「センチメンタル・バリュー」

 アートセンターで「センチメンタル・バリュー」を観てきた。ノルウェー映画。監督はヨアキム・トリアー。米アカデミー賞の国際長編映画賞を受賞した。話題作だがその割には客席は埋まってなかった。

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 ノーラは舞台女優として活躍している。妹のアグネスは結婚し、ひとりの息子がいる。ある日、長らく音信不通だった父親グスタフ(ステラン・スカルスガルド)が姿を現す。映画監督のグスタフはノーラに映画出演を依頼する。父のことをよく思っていないノーラはそれを断る。しばらくしてアメリカから人気女優レイチェルがやってきて、父の映画に出演することになる。

 最初は父親と娘の確執を描いたものと思っていたが。ことは単純ではなかった。ノーラとアグネス、そしてレイチュルがからむ。ノーラを中心にそれぞれの心模様が描かれる。もうひとつ押さえておきたいのは、撮影場所がかつて暮らした家になることだ、昔の想い出が蘇る。さらに撮影シーンも挿入されるので、あれ? っとなって、ちょっと混乱する。

 タイトルのセンチメンタル・バリューは。大切に思うことぐらいの意味。それぞれ大切にしている思いは異なる。微妙な心の模様をえがいているのだが、鈍感な老人にはあまり響いてこない。微妙なことはめんどくさいのだ。

2026年3月20日 (金)

「ブゴニア」もう一度

 ふたたび「ブコニア」を観てきた。

「ブコニア」の客は少ない。それほど話題にはならなかった。アカデミー賞も逃したし・・・。すごくおもしろい。無邪気に楽しめるのにね。

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 こまかなストーリーは書いたので省く。自転車で疾走するシーンが何度もある。大音響のサウンドが流れる。西部劇なら馬で疾走するようなシーンを想像すればよい。この雰囲気は映画館じゃないと味わえない。

 ユア・サーマンのキリっとした演技がよい。坊主頭もわるくない。日本なら誰がふさわしいか。女優ではないけど高市早苗首相が浮かんだ。責任ある積極演技をやってくれそう。と考えると、笑える。坊主頭もわるくない。

 二度観ると、けっとう細部まで気を遣った演出になっていることがわかる。前回書いたんだけど、タランティーノ風のシナリオ設定を感じる。

 ストーリーは荒唐無稽。SFというかファンタジー。人類はみんな死んじゃう、というのは妄想か。「花はどこにいった」が流れる。フルコーラスで。若い人に「花はどこにいった」を知っているか、歌ったことはと訊いてみた。ほとんどの人が知らないと言う。昭和のフォークソングはどこかに行ってしまったようだ。どこかの戦場に。

 

 

2026年3月18日 (水)

八起寄席

 マジックと手品はどう違うか。

 手品の品は口が三つ。口数が多い。だから、しゃべりながらするのが手品。マジックはしゃべらない。なるほど。今回の落語会で聞いた。あてにならない説だが、座興としてはおもしろい。

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 八起寄席に行ってきた。今回の演者と演目

 三遊亭好二郎  万病円

 古今亭文菊   夢の酒

 マジック    如月 琉

 立川志の八   長屋の花見

 マジックと手品の違いを語ったのは、如月琉である。その説によれば、如月は手品だが、渡されたチラシにはマジックとあった。おしゃべりをしながら笑いをとる芸風。手品である。ところが、チラシにはマジック。どっちなのか。ま、文句をいうほどのことではない。観客を沸かせればよい。軽いネタをやり、最後にアッ!と言わせるおなじみの進行である。

 落語は、好次郎、文菊をとばして、トリの志の八ちょんまげ姿で登場。ちょんまげ姿は初めて見た。以前聴いたときはちょんまげでなかった。月代をきちんと剃って髷を結う。本格的な町人風情である。江戸の風を吹かせようというわけだ。

戻って文菊。演目の「夢の酒」は夢をめぐる古典噺である。オチは「冷やでもよかった」となる。それで、あまり関係ないけど古典噺の「らくだ」を思い出した。最後までやると、オチは「冷やでもよいからもう一杯」となる。似ているようでずいぶん違う。このあたり説明がいるけれど、面倒。ウィッキで調べてもらいたい。

 花粉が舞う中を帰路についた。八起寄席は次回からグリーンホールに戻る。相模大野駅から歩く距離も短くなる。

2026年3月16日 (月)

長生きすれば楽に死ねる

 わたしの両親は、いずれも満85歳で亡くなった。あと6年で追いつく。

 そこまで生きられるか、それ以上長生きするかわからないけど、わたしにとって85がひとつのマイルストーン(中間目標地点)だと思っている。介護不要の自立した老人でありたい。

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 阿刀田高さんは91になった。新潮社のPR誌「」三月号にエッセイが載っている。「91歳、男のつれづれ」。『90歳、男のひとり暮らし』が話題を呼んだ。その後の近況エッセイである。  

 友人の医師から「長生きすれば楽に死ねる」と言われたそうだ。なるほど、長生きすると、痛みも苦しみも薄れる、ような気がする。

長く痛むのは御免蒙る。朝起きたら、死んでいた、ぐらいならサイコーだ。といったことを考えていると、90ぐらいまでは元気に生きようという気になる。

 話は変わる。この雑誌。うすっぺらいが内容は濃い。心地よい連載が多い。なぜ心地よいのか、わかった。執筆者に同世代かそれ以上の高齢者が多いのだ。

 80歳以上を3月号の目次を眺めながら挙げると、筒井康隆、船橋洋一、阿刀田高、下重暁子、椎名誠。90過ぎた人もいる。

 今月号で中村うさぎの連載が終わる。これはちょっと残念。

 ついでのひとこと

 写真は玉縄桜。3月に満開になる。ソメイヨシノよりうんと長く咲く。

2026年3月14日 (土)

「ナースコール」

 本厚木のKIKIまで出かけて「ナースコール」を観てきた。いずれ新百合のアートセンターでやるかもしれないけど、フリーな時間ができた。早く観たい映画だった。

 KIKIはミニシアターだが3つスクリーンある。上映本数が多い。ミニシネコンである。

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 スイスの大病院が舞台。フロリアはここでは働く看護師。出勤すると、同僚の一人が病気で休んでいた。若い看護学生を指導しながら病棟をきりもみすることになる。点滴、病状チエック、投薬、そして下の世話もある。切実なナースコールもあれば文句を言うだけのコールもある。映画はてきぱきと動き回るフロリアの姿を描く。患者は不安を抱えている。彼女は懸命に患者に対応する。病床に空きはない。てんてこ舞い。人出不足がひしひしと伝わってくる。

 映し出されるのはフロリアの姿がほとんど。これといったストーリーはない。一日を描くドキュメンタリーのよう。 

 後半、フロリアは患者のわがままな態度に切れる。とんでもない行動にでる・・・。

 ラストシーンには、えっ! と驚く。幻覚か。観客が想像する余地を残す。伏線はある。ご苦労さまでした、ありがとうの死者の声が、わたしには聞こえてくる、

 これは観てないとわからないから、ネタバレにはならないだろう。

 ついでのひとこと

 この映画を観た人とおしゃべりがしたい。そんな気になる。ケアとケアされる側との関係は、とか。ケアすることにより癒されることがある、とか。あるいは、家庭のことなども。ま、ぜひ観ていただきたい。

 

2026年3月12日 (木)

「レンタル・ファミリー」

 結婚式で新郎と新婦側の親族の数が極端に違う場合、バランスをとるため偽の親族を派遣するビジネスがあると聞いたことがある。「レンタル・ファミリー」はまさにそれ、偽の人材を派遣する会社を舞台にした映画である。

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 フィリップ(ブレンダン・フレイザー)はアメリカで俳優業をしていたが、それほど売れず、日本にやってきていた。日本でも大した仕事はなく、そのレンタル会社で働いている。結婚式では新郎となる。偽装。新婦は同性愛であったため、身内をごまかして式をあげる。あるいは、お受験。面接試験に父親だと偽り出席する。冷や汗ものだが、そこは俳優だからうまく振舞う。

 高齢の俳優には家族の依頼で新聞記者として面談する。もう辞めたいと思っているが、依頼人の息子に慕われたりして関係を続けていく。俳優役は柄本明。外出はさせないように言われているが、島原まで二人でドロンして大騒動となる。

 いびつな家族は、ほとんどの家族はいびつなんだが、そのいびつさを不都合に感じたとき、レンタルファミリーのようなビジネスが成り立つ。ここで登場する家族はもちろんいびつだが、ちょっとした隙間を埋めるものがあれば、いびつさが解消される姿を描いている。

 監督はアメリカに拠点を置くHIKARI。淡々とした演出がよい。それと社長役の平岳大の演技も印象に残る。

2026年3月10日 (火)

『修羅場の王』

 先の総選挙で中道改革連合は大敗した。公明党をのぞくと、かつての民主党である。民主党は政権をとると、大きな試練に立ち向かう。2011年には東日本大震災の原発事故では未曽有の対応に追われた。その前のリーマンショックでは大型倒産があり、政権は振り回された。普天間問題もあった。ついてない政党である。

 日本航空の破綻処理に追われたのは2009から10年にかけて。今ではなにごともなかったように語られたりするが、ひとつ間違えば日本経済はガタガタになっていた。

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修羅場の王』は日本航空の破綻と破産管財人(代表は瀬戸英雄)を描いたノンフィクションである。けっこう分厚い本(400ページ)なのだが、割とすらすら読んだ。緊迫のドキュメントは引き込まれる。

 日本航空は過剰債務(過剰路線、過剰機材、過剰人員)で、赤字をたれ流し続け、資金繰りに追われ、窮地に陥っていた。このままでは倒産となる。政府主導で瀬戸らが送り込まれた。瀬戸グループの活躍ぶりが描かれるのだが、政府では国交大臣、副大臣が日本航空の倒産回避に走り回った。とりわけ副大臣だった辻元清美は、日本航空の取引先は2万社もの中小企業があり、日航がつぶれれば日本経済はズタズタになってしまう、なんとしても倒産は避けなければならないと、関係省庁を説得した。それは知らなかった。

 読みながら思い出したのが「三方一両損」。大岡裁きを描いた古典噺である。三方が痛みを分け合うことでみな納得するような結論にもっていく。メガバンクは債権放棄、株は紙くずに、社員やOBは年金カットや人員削減、政府は投資銀行による資金注入などなど、痛みを分け合った。

 日本航空の倒産が比較的平穏に済んだのは、会社更生法とつなぎ融資がうまくいったからである。そのあたりはちょっと難しいのだが、会社更生法と公的殺金の注入という手法を組み合わせて裁判所の了解をとりつけた。更生法の場合、小口債権を除いて支払いは停止となる。それでは飛行機が飛ばせなくなる恐れがある。飛ばせるための支払いは小口債権と同様にするという方便である。そのあたりが克明に描かれている。再建の肝であった。

 当時、私は、日本航空の倒産(更生法)などそれほど重大な事件とは思ってなかった。マスコミもそれほど騒ぎ立てなかった。大きなトラブルなくソフトランディングできたからである。日航機は何事もなく飛んでいた。

 本書を読むと、薄氷を渡るような顛末だった。関係者の奮闘ぶりがよくわかる。目立たないが、良質のドキュメンタリーである。ぜひ、ご一読を。

2026年3月 8日 (日)

「みんな、おしゃべり」 

 日本にクルド人がどれほどいるか、知らない。埼玉の川口あたりに多く住んでいて、近隣住民とのトラブルがあるというニュースを耳にしたことがある。最近は聞かないからトラブルはなくなったということか。外国からの移住について不法滞在だの就労だの法的な問題があることも承知しているが、私にとっては身近な問題ではない。コンビニや飲食店ではたくさんの外国人(多くはアジア人)が働いている、と感じる程度である。

みんな、おしゃべり」を観てきた。クルド人グループとろう者グループのトラブルを描いた映画である。監督の河合健はCODA(親がろう者)だそうだ。

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 夏海にはろう(デフ)の父親と弟がいる。クルド人一家が近くに引っ越してきて、些細なことで父親とトラブルとなる。ことばが通じない。夏海は手話ができる。クルド人一家で唯一日本語ができるヒワ青年が間に入って通訳する。だが、通訳はうまくいかない。正直すぎる通訳だと火に油を注ぐこともあって、両者の溝を埋めることはできない。といった設定。あれこれあって、やがてわかりあえるようになるという着地は最初から想定できる。

 市は多民族が良く暮らす街にしようと活動しているが、トンチンカンな対応しかできていない。夏海の弟の駿が通う学校も教育熱心な割には子供の気持ちをつかめていない。で、駿クンは授業についていけないでいる。マイノリティーに対する配慮が足りない。これが現実なんだろう。と、あれこれ考えてみるのだが、どうしたらよいのかわからない。飲食店で働くミャンマーやベトナムからの留学生や研修生にはより優しく接するようにしている。

 この映画字幕が多い。多いのは親切のようにみえるが、目が悪い私にとっては迷惑というか、煩わしい部分もある。第一、字幕が小さくて、読みづらい。これならUDキャストを借りればよかったと思うほど。私は視力マイノリティーになりつつある。

 ちょいと付け加えると、クルド人といっても出身国はさまざま、トルコ、シリア、イラン、イラクなど。言語も違う。映画の中でも、俺たちはクルド人であってトルコ人じゃない、というセリフが出てくる。そう、そういう理解も必要だよね。

2026年3月 6日 (金)

志ん輔独演会

 花粉が舞う中、生田寄席に行ってきた。今回は古今亭志ん輔独演会。

 年末、志ん輔は自転車で転んで骨折したという。股間節を。たいへんじゃないか。手術とリハビリでなんとか痛みもなく歩けるようになったというが、高座に上がるのは一苦労である。生田寄席の階段はきつい。72歳だもんね。

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 マクラはそんなはなし。今回の演目

  宮戸川

  宗珉の滝

  二番煎じ

宮戸川」は正確に言うと、「宮戸川(上)」である。後半は演じられることが少ない。時間が長くなることもあるが、ちょっと残酷な場面があるので、やらない。この落語のおもしろいところは、前半、霊岸島の叔父夫婦が登場する場面である。のみ込みの早いオヤジはなんでも察してしまう癖がある。おばさんはとぼけキャラで昔を懐かしんだりする。ばかばかしい夫婦のやり取りは笑いを誘う。志ん輔は楽しそうにたっぷりやった。

宗珉の滝」は珍しい。一度ぐらいしか聴いたことがない。それが、志ん輔だったような気がする。腰元彫りの宋三郎は師匠・宗珉から破門されるが、精進の結果。みごと滝を描いた鍔を掘って、破門が解け、二代目宗珉となる噺である。志ん輔、得意の演目である。

 トリは、おなじみの「二番煎じ」である。寒い季節に演じられる。今年は二度か三度聴いている。番小屋で酒を呑み交わすことになる。そこに見回りの侍がやってきて・・・という噺である。旨そうに酒を呑み、しし鍋をつつく。このあたりがいかにも愉快な宴席となりる。名人芸である。

 いい噺が聴けた落語会だった。

 ついでのひとこと

 昭和のオヤジは、カタログギフトなど好きじゃない。めんどくさい。居酒屋でいっぱい。これがよい。

 

2026年3月 4日 (水)

「木挽町の仇討ち」

 ここ数年で読んだ直木賞受賞小説では『木挽町の仇討ち』が群を抜いて面白かった。

 冒頭の章がいい。木戸芸者の啖呵のキレが心地よい。ここだけでも傑出している。それが映画化された。さっそく観てきた。

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 冒頭は木挽町の森田座。仮名手本忠臣蔵の十一段目(討ち入りの場)がはねて客が出ていくと、前の広場で、赤い打掛けを脱ぎ捨てた白装束の侍が、親の仇と、仇討ちを朗々と宣する。原作とは違うプロローグである。それはさておいて、みごと仇の首を討ち取る。

 それから一年半後、美濃遠山藩の加瀬総一郎(柄本佑)が森田座に現れ、伊納菊之助(長尾謙杜)の仇討ちの顛末を教えてほしいと聞きまわる。

 仇討ちに至る経過が、少しずつ解き明かされていく。敵役となる作兵衛(北村一輝)はなぜ菊之助の父親を斬って逃亡したのかなど経過を説明するのは面倒である。簡単に言うと、仇討ちは芝居仕立てだった。念には念を入れた演出により冒頭の仇討ちの場面となる。

 脇役人がよい。渡辺謙、高橋和也、滝藤賢一・・・。とりわけ仇役の北村一輝の演技が光る。ということで、原作をうまく脚色した監督の源孝志の技量を褒めたい。

 

2026年3月 2日 (月)

しんゆり寄席 ゲストは萬橘

 久しぶりの「しんゆり寄席」。3週間ほど前、チケットを買いにいったら、席はほとんど埋まっていた。残りは3席。後方の壁際の席しか空いてなかった。これはゲストの萬橘人気のせいかと思ったが、そうではなかった。いや、半分は当たっているけど・・・。

 地元の川崎信用金庫が40席まとめ買いしていた。お客様サービスである。だからか。40席はタダ。一般客にもサービスがあって袋入りのアラレ菓子が配られた。

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 今回の演者と演目

  初音家左橋   不動坊

  一玄亭米多朗  粗忽長屋

  三遊亭萬橘   火事息子

 いずれもおなじみの古典噺である。萬橘は今月初め、鶴川落語で聴いている。遊雀との二人会。鶴川では派手に動いたが、今回は少しおとなしい。

 マクラは自虐ネタ。娘たちから無視されているのを笑いに包む。一之輔の笑点ネタと同じである。

火事息子」は、臥煙(火消し)になりたいという息子を勘当してしまう。近隣で大火があったが延焼は免れた。活躍した臥煙はその息子だった。全身彫り物をしていた。

 前半は家の蔵の目塗りのシーンである。火が回らないよう泥を塗る。高い場所は苦手という番頭、生意気な丁稚、おかしなやりとりが続く。萬橘はばかばかしいギャグを交えて客を笑わせる。

 番頭は壁の釘に帯をひっかけることで両手が自由に使えるようになる。目塗りがはかどる。両手はブラブラ。ここで会場は爆笑となった。

 左橋がやった「不動坊」のマネをしたのだ。アドリブで。「不動坊火焔の幽霊だ・・・」。聴いたばかりの噺だから客席の誰もが分かっている。で、大笑いとなった。

 落語はよかったのだが、花粉が大量に舞っている。洟とくしゃみ。むかしより軽くなったとはいえ、まだまだ症状はでる。信金が配ったティシュもありがたく使わせていただいた。

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