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2026年4月

2026年4月18日 (土)

「そして彼女たちは」

 少子化がとまらない。行政は、出産や子育てなど多岐にわたって手厚い支援をしているが、効果は薄い。出生率は低下したままである。このままでは限界集落どころか、限界国家になってしまうという声もある。

 どうしたらよいか、さまざまな手を打っているようだが、決定的な打開策は・・・ない。結婚してもしなくても、子どもはいらないと考えている若い人が多くなっているということか。子育てはたいへんだけど、喜びもある。そう思うが、若い人には通じないようだ。

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 ベルギー映画「そして彼女たちは」をアートセンターで観てきた。監督はダルデンヌ兄弟

 妊娠した少女とか子育てが大変という若い人たちを支援する施設を舞台にした物語である。妊娠したけれど恋人の男は出産を望んでいなかったり、親から結婚も出産もいやだと言われていたとか、ひとりでは育てられない女性たちを描いている。

 それぞれ事情がある。金銭的な問題も大きい。貧困。シングルマザーで働きながら子を養っていくのは難しい。夫婦共稼ぎでも思うような子育てはできない。ここでは支援施設のスタッフ、彼女たちの母親も登場する。思うようにはいかないもどかしさも描いている。

 若い人がこの映画の上っ面だけを観たら、やっぱり出産はムリと感じてしまうかもしれない。いや、救いもある。両親(赤ちゃんの祖父母)の支援があれば大丈夫と言う声も聞こえてくる。

2026年4月16日 (木)

「ハムネット」

 ハムネットと聞いたとき、ハムレットと関係があるのかとぼんやり思った。映画「ハムネット」を観てきた。監督はクロエ・ジャオ。「ノマドランド」で一躍有名になった。これは観ておくべきだろう。

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 イングランドの片田舎、アグネスは鷹をあやつったりして自然の中で暮らしている。薬草の知識もある。そのアグネスを皮手袋職人の息子ウィリアムスが見初める。たちまち結ばれ子を宿す。そして結婚。ウィリアムスは文章を書くのが好きで、単身、ロンドンに赴く。たまに帰ってくるだけ。二人にはさらに双子が生まれる。男の子と女の子。その男の子の名前がハムネットなのである。順調に成長していたのだが、11歳になったハムネットは流行り病で命を落としてしまう。ウィリアムスは死に際に間に合わなかった。アグネスは悲嘆にくれる。といったストーリーである。

 このあとどうなるか、某新聞の映画評は結末まで明かしてしまっている。そりゃないだろう。ネタバレの奥まで踏み込んでしまっている。

寸止めがマナーである。だから、ラストのことなど少し書きたいのだけど書くわけにはいかない。シェークスピア家族の、とりわけ妻を中心とした物語であるとだけ言っておく。シェークスピアの生誕地ストラドフォード・アポン・エイボンの緑あふれる風景が美しい。

 アグネス役のジェシー・バックリーはアカデミー主演女優賞に輝いた。クロエ・ジャオの監督の「ノマドランド」ではマクド―ランドが同賞を受賞している。監督の、演技の引き出し方がうまいんだろうな。

 ついでのひとこと

 シェークスピアは1564年に生まれ1616年に亡くなった。これは憶えやすい。ヒトゴロシイロイロ、でよい。同時期、日本は戦国時代から徳川幕府の時代である。家康の生涯はほぼシェークスピアと重なる。

2026年4月14日 (火)

『歴史のなかの奇妙な仕事』

 40年ほど前、知人から聞いた話。高いビルの建設現場からトイレにたまった糞尿を運び下ろす仕事がある。それを請け負った男はずいぶん儲け、ビルを建てたという。

 ふーん、そうなのか。今はどうなっているのか、エレベーターでそれほど労力をかけない仕組みになっていると思うが、臭気さえいとわなければそこそこのビジネスとなる。

歴史のなかの奇妙な仕事』を読んだ。中世から近代にかけてヨーロッパで存在したいくつもの「奇妙な仕事」を紹介している。ややこしい内容ではない、ライトブックである。

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 まずは、糞尿もの、汲み取り屋である。単なる汲み取りではない。尿は衣類を染める染料として、あるいは歯を白くしたり、口臭予防にも使われた。尿で口洗浄はあたりまえのようだった。ほんまかいな。皮なめしにもフン尿や動物の内臓が用いられた。さぞや臭かったと思う。

 瀉血(血を抜く治療法)にヒルが利用された。元気なヒルに血を吸わせるために、生きたヒルを獲る仕事もがあった。沼に足を浸してヒルを捕まえる。ただし、吸っているうちにヒルをはがすとヒルは傷んで死んでしまうのでタップリ血をすわせて満腹するのを待たねばならなかった。これも、ほんまかよ。

 睾丸を除去する仕事があった。去勢士。清朝では宦官が有名だが、イタリアでは、天使のような声を求めて(金儲けなのだが)子供を去勢する親がいた。カストラーレと言う。去勢された子は声楽の学校で厳しく教育されて歌手となった。

 といった奇怪な仕事をいくつも紹介している。

 ひるがえって、現在の日本ではどんな奇妙な仕事があるのか。疑似家族派遣業。これは映画「レンタル・ファミリー」でとりあげられているが、じっさいに存在する商売である。

 最近では退職代行業がある。仕事を辞めたいと直接言えないのでそれを代行する。そのぐらい自分でやれよと言いたいところだが、言えない。で、代行する業者が介入する。

 あやしく、やばい奇妙な仕事なら、世の中にはたくさんある。

2026年4月11日 (土)

「しあわせな選択」

 韓国映画はこのところおとなしい、ように映る。勢いがないというわけではないが、目を見張るようなものがない。なんとなくであって、根拠があるわけではない。

 パク・チャヌク監督、イ・ビョンホン主演の「しあわせな選択」を観てきた。海外での評価は高い。

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 製紙会社に25年勤めてきたマンス(イ・ビョンホン)は人員整理に遭ってしまう。自動化、AI化により余剰人員ができ、その対象となってしまったわけだ。マイホームを建て、家族としあわせに暮らしていた生活が一挙に危機を迎える。他の製紙会社の中途採用の面接を受けるがうまくいかない。生涯「パルプマン」を目指していたのに・・・。

 同じように製紙会社に中途採用を狙う同世代の男たちがいた。こいつらがいなければ再就職ができると考えたマンスは、彼らを消そうとする。

 といったストーリー。ここからの展開がよくわからない。ぼんやりしていたのか、うまくアタマに入ってこない。現実なのか非現実なのか、わからなくなったのだ。ブタの内臓などがでてきたり、ドタバタ劇でおもしろくもあるのだが・・・。もう一度観てみないとわからないのかもしれない。

 ラストはおもしろい。おもしろいのだが、これは幻想と考えてよいのか、まだ疑問は続く。

 エンドロールに、原作ドナルド・ウエストレイクの「斧」とあった。そうか、ウエストレイクか。「斧」は読んだことがないけれどウエストレイクならむかし何冊か読んだ。ユーモア・ミステリーである。笑いながら観ればよいという映画なんだろう。

2026年4月 9日 (木)

「ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ」

 パンクロックとは縁がなかった。うるさいだけの音楽と思ってきた。そのパンクロックを描いた映画「ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ」を観てきた。

 脚本・宮藤官九郎、音楽・大友良英、監督・田口トモロヲとくれば、内容はどうであれ、これは観ておきたい。見逃してはならないと映画館に向かった。

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 1978年。写真家を目指すユーイチ(峯田和伸)はセックス・ピストルズの音楽に衝撃を受け、ライブハウスに出かけるようになる。聴き、そしてカメラを向ける。パンクバンドグループのリーダーのモモや音楽誌を発行するサチなどと知り合う。カメラを向けるうちに、彼らの手助けをするようになる。

 過激な音楽を志向するモモらはメジャーになることを望んではいない。商業主義に巻き込まれたくない。かといってマイナーでいいかというとそうでもない。インディーを志向していた。自分たちしかできない音楽、手作り(DIYのような)で、自分たちで売る音楽である。

 ユーイチは、バンド仲間のプロデューサー兼雑用係、そして運転手として動き回ることになる。

 テンポよく進む。パンクを知らなくても楽しめるのは脚本のクドカンの手腕だろう。各所でユーイチが撮った写真が散りばめられる。ドキュメンタリー映画のようでもある。

 ということで、パンクを知らなくても楽しめる。中村獅童が奇妙な踊りを披露する。笑えるシーン。なぜか記憶に残る。

 ついでのひとこと

 パンクはともかくとして、ロックで好きだったのはRCサクセションである。忌野清志郎の歌と歌詞は気に入っていた。イマジンの日本語訳などすばらしいと思う。

2026年4月 7日 (火)

 一花独演会

 晴れたり雨が降ったり、暖かくなったり肌寒くなったり、日ごと目まぐるしい。そうこうするうちに花は散り、けやきはたちまち芽吹き、若葉となった。

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 春風亭一花独演会に行ってきた。アートセンター、先だって白酒独演会が開かれた同じ場所だ、どのぐらい客席は埋まるのかと思っていたら、満席となった。話題の噺家になったからだろう。この秋、抜擢で真打になることが決まった。昨年はNHK落語新人賞で優勝した。注目株である。

 前座時代から何回か聴いている。師匠一朝の開口一番を務めていた。生田寄席では私は一緒に写真に写ったこともある。女性らしい端正な芸風で、好感がもてた。それが独演会ができるまで成長した。精進のたまものだろう。

 今回の演目

  のめる(二人ぐせ)

  権助提灯

  子別れ

 いずれもおなじみの古典噺。細部まで丁寧にわかりやすく演じた。このあたりは女性らしい。さらに歯切れもよいし、堂々としている。男にも負けないというと語弊があるかもしれないが、威勢もよい。

 けっこうば独演会でした。このまままっすぐ成長してもらいたい。

2026年4月 5日 (日)

「死の天使 ヨーゼフ・メンゲレ」

 ヨーゼフ・メンゲレという人物についてはまったく知らなかった。ナチスドイツ時代、アウシュヴィッツ収容所の医師で、不要な人物を選別してガス室に送り込んだり、優生学の観点から人体実験をしたりして「死の天使」と呼ばれた。敗戦後、南アメリカに渡り、逃亡生活を続けた。ヒュージティブ(逃亡者)である。アイヒマンは捕らえられイスラエルで処刑されたことは知られているが。メンゲレのことは、日本では知られていない。 

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 アート・センターで「死の天使 ヨーゼフ・メンゲレ」を観てきた。

 アルゼンチン、ブラジルなどにナチスの残党は逃げた。モサドの執拗な捜索は何十年にもわたって続けられた。

 映像はモノクロ。かなり古い50年代か60年代のフィルムノワールのような映画になっている。一部、アウシュヴィッツ時代の回想シーンなどは古びたカラー映像になっている。この対比、これもひとつの趣向である。

 おもに、ヨーゼフ家族を中心に描かれる。息子との確執。ヨーゼフはアウシュヴィッツ時代を反省しない。ただ業務を果たしただけ、優生学の探究をしただけと主張する。息子はあきれる。

 ハンナ・アーレントの「凡庸な悪」という評価を思い浮かべるが、それ以上のことはわからない。

 結末については言わないほうがよいだろう。ユダヤ人の、つまりイスラエルの執拗な追及を感じる。墓をあばいてでも探しだそうとする。観てないと、なんのことかわからないだろうが・・・

2026年4月 3日 (金)

志賀の都の山桜

 旅行の続きである。賀の都の桜のはなし。

 ひとは別れの話は好きである。小説や芝居でも別れのシーンがあるものに惹かれる。たとえば忠臣蔵。そこからスピンアウトした「義士銘々伝」は講談、浪曲、歌舞伎などの定番となってい。討入りの前日、親族、友人らに暇乞いをする。もちろん翌日の討入りを明かすわけにはいかない。それとなく今生の別れを伝える。「赤垣源蔵 徳利の別れ」「南部坂雪の別れ」が代表である。

「平家物語」でもいくつもの別れの場面がある。もっとも美しい別れは、平忠度と藤原俊成の別れの場面だろう。

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  京を落ち、一の谷に向かう忠度(タダノリ)は、数騎の侍とともにとってかえし俊成の屋敷にたどり着く。和歌の師である俊成に巻物を手渡す。百首ほどの自作の和歌で、勅撰集をまとめられると聞いたので、よきものがあれば載せてほしいと願った。そして西に落ちていった。今生の別れである。のちに俊成はその巻物から一首だけ「千載集」に載せた。ただし、忠度は朝敵になるので名を出すのははばかられる。詠み人知らずとした。その和歌がこれ。

 さざなみや志賀の都は荒れにしを 昔ながらの山桜かな

 舞台は大津だろう。むかし、五年ほど都が移されたことがある。今はさびれてしまっているが、山桜だけが昔のように咲いている、といった意。

 大津のちかくに長等山(ナガラヤマ)がある、昔ながらは長等山の掛けことばになっているのを付け加えておこう。

 その後、忠度は一の谷で戦死する。その箙(エビラ)には紙が結ばれていた。和歌である。

 ゆきくれて木のしたかげを宿とせば 花や今宵の主ならまし

 平家物語の忠度のくだりは名シーンである。

 明治時代の文部省唱歌に「青葉の笛」がある。この二番に忠度のエピソードが歌われている。

   更くる夜半に門を敲き 

   わが師に宅せし言の葉あわれ 

   今わの際まで持ちし箙に

   残れるは「花や今宵」の歌

 ネットで「青葉の笛」を引くと、倍賞千恵子の歌唱がトップになっている。

2026年4月 1日 (水)

「金子文子」

 厚木のKIKIで「金子文子」を観てきた。サブタイトルは「何が私をこうさせたか」。どうでもいいようなタイトルである。監督は浜野佐知。ピンク映画をたくさん撮ってきたが、最近は非ピンクということだ。わたしは今まで観たことがない。今回の「金子文子」が初めて。浜野監督はわたしと同い年。80近くなっても頑張っている。

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 1926年、金子と朴烈は皇太子を殺害する計画を立てたとして裁判にかけられる。判決は死刑。のちに恩赦で無期懲役刑になる。女子刑務所に収監。刑務所側は反省させ、減刑の手がかりにしようと転向文を書かせようとするが、金子は断固、拒否する。命乞いなどまっぴら御免という態度を貫く。教誨師も優しく説得しようとするが、彼女の意志は固い。

 獄中で、自伝を書く。詠んだ短歌も披露される。金子は共産主義者でも無政府主義者でもないと語る。しいていえば虚無主義だと。権威を認めないと言うことか。

 ほとんどは刑務所内でのシーン。しゃべりは明瞭だから、舞台劇を観ているような印象を受ける。

 戦前の、もっと前の大正のはじめ、自立した人間、女がいたということだ。心の奥底はともかくとして、すさまじいエネルギーの持ち主である。

 浜野監督も強靭な心をもった女性のようだ。金子文子を主人公にしたわけが伝わってくる。

 高崎映画祭では、3月下旬、浜野佐知監督特集をやっていた。高崎まで行く気力はなかった。いずれ都内でもやる。別の作品を観る機会はあるだろう。

 

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