文字は記憶力を衰えさせる
ゴリラ研究の大家である山極寿一さんとシジュカラの鳴き声研究で注目を浴びている鈴木敏貴さんとの対談集『動物たちは何をしゃべっているのか?』を読んだ。
シジュウカラは200以上のことば(鳴き声)を使い分けていて、複数の語を組み合わせる文法をまで使っている、といったことは以前少し触れたこともあるのでここではやめておく。別のことが思い浮かんだ。記憶力である。
瞬間的な記憶力はヒトよりゴリラの方が優れている。
たぶんヒトはそれなりの記憶力をもっていたのだろうが、衰えてしまった。原因は、文字である。文字を発明したことによって記憶力を衰えさせてしまった。
文字のない時代、漢字伝来以前は記憶力のすぐれたヒトはたくさんいた。古事記をまとめた稗田阿礼はすぐれた記憶力の持ち主といわれるが、当時、記憶力の優れた人はたくさんいたと思われる。アイヌは文字をもたなかったが、ユーカラを暗誦できる人はたくさんいた。文字がないから記憶に頼った。
文字を手にすることで、記憶力はそれほど必要でなくなってしまった。で、衰えた、と考えられる。
現代風に言えば、外付けのハードディスクなのだ。クラウドでもよいのだが。そこに記憶を文字として仕舞っておいて、いつでも引き出せるようにしておけば、脳に記憶や知識をたくさん保存しておかなくてもよい。かつて記憶を司った脳のフィールドはそれほど大きくなくてもよくなった。
従来型の知識や記憶は外付けのHDDにとっておく 前頭葉はちがった使い方をしてもよいということだ。
と、書いて、別の考えが浮かんだ。年をとると、外付けHDDのどこに保存したのか忘れてしまうことが多くなる。動物が仕舞い込んだエサの場所を忘れてしまうことがある。あれと同じ。近ごろはそれを感じる。
老いたトリは仲間に、エサの場所知らないかとしゃべりかけている(鳴き声を発している)こともあるのかもしれない。