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文化・芸術

2023年1月31日 (火)

グランマ・モーゼス

 わが家の玄関には、グランマ・モーゼスの絵が掛かっている。

 10年以上前に、新宿にあるSOMPO美術館で買った。もちろん模写品。本物は、ゴッホの「ひまわり」のそばに展示されていた。

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 グランマ・モーゼスの名は50年以上前、大学時代に知った。アメリカ文化を紹介するテキストにその名があった。多くに人に愛された画家との紹介であったが、どんな絵を描いたのかはわからなかった。今ならネットでたちまち調べられるだろうが、当時はムリ、それ以上調べることはなかった。名前だけが記憶の奥に残った。

 それがよみがえった。「ひまわり」の横にグランマ・モーゼスの名前があった。ああ、これがモーゼス、こんな絵を描いていたのだと知った。素朴な、いなかの風景。しろうとっぽい絵であるが、なぜか人を惹きつけるものがあった。後日、ふたたび出かけ、模写絵を買った。家人の了解を得て。

 去年だったか、日本でも展覧会が開かれた。評判がどうだったかは知らないが、いくばくかのファンは増えたんじゃないかと思う。

 筆遣いのテクニックがどうのこうのと言う評論家もいるだろうが、そんなことはどうでもよい。眺めていて、飽きない。そこがいい。

 

2022年3月31日 (木)

「フェルメール展」

「フェルメール展」(新東京美術館)に行ってきた。

 例の、元々は白地の部分にキューピットが描かれていた「窓辺で手紙を読む女」である。

 修復前の白地のもの(模造の作品)と比べられるように展示されていた。どっちがいいのか素人にはわからない。もちろんキューピットがいいのだろうが、余白あるものもわるくない。

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 窓からの光を感じさせるフェルメールスタイルである。かすかに風も感じさせることに気づいた。

 フェルメールは数年前オランダに行ったとき何点か観た。国立アムステルダム美術館と王立マウリッツハイス美術館。「真珠の耳飾りの少女」がやはり印象に残っている。

 今回の展示会はドレスデンの絵画館が所蔵するものである。ドレスデンはドイツ東部にあって、先の大戦では徹底的に空爆、破壊された。美術館施設は残されたようである。

 フェルメール以外では17世紀のオランダ絵画が展示されているが、さして観るべきものはなかった。

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 上野は満開の桜。宴会はできないようになっているが、花見客であふれている。目がわるいので桜の美しさは感じられない。歳だからいたしかたない。花より団子だな。食欲はある。

2022年3月18日 (金)

「ジュリエッタとロミオ」

「ウエスト・サイド・ストーリー」の原型は、シェークスピアの「ロミオとジュリエット」である。

「ウエスト・サイド・ストーリー」を二度観したばかりであるが、続いてオペラ版の「ジュリエッタとロミオ」を観た。

 オペラを鑑賞するなんてのは久しぶり、何十年ぶりである。チケットをもらったからである。

 出演者はイタリアから招聘する予定であったが、入国制限措置により来日できなくなり、日本人に変更となった。そのためチケットキャンセルが出た。それがこちらに回ってきたということらしい。

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 会場はテアトロ・ジーリオ・ショウワ。本格的なオペラ上演できる施設である。舞台上にイタリア語、左右に日本語字幕がでる。最初はそれを追いかけていたが、よく見えないし、歌に集中できないのでやめた。だいたいのストーリーはわかっているから見なくてもよい。写真は開演前の会場。

 歌唱はすばらしい。じっくり聴くことができた。、

 ついでのひとこと

 原作はロミオとジュリエット。それをひっくりかえしてジュリエッタとロミオ。男と女の順を、女と男にした。なぜそうしたのか、理由はわからない。

 日本では女を先にする芝居が多い。お初徳兵衛、お若伊之助、梅川忠兵衛、お半長兵衛、お蔦主悦・・・。寛一お宮は例外。

2022年1月24日 (月)

 ミュージカル 昭和音大

 昭和音大のミュージカルコースの卒業公演に行ってきた。

 このミュージカル、卒業記念公演であるけれどレベルは高い。なかなかのものだ。

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  会場はテアトロ・ジーリオ・ショウワ。我が家からはすぐ。本格的なオペラやミュージカルができるコンサートホールである。オーケストラピットもある。収容人数は1000人を越す。

 チケットをとるのが遅かったのか、S席でもほとんど最後尾だった。出演者の家族や友だちが前方の席を閉めている。ま、致し方ない。娘や息子の晴れ舞台を特等席で観たいという親のことを思えば、それでよい。

 演目は「リーガリー・ブロンド」。ブロンドの女の子・エルは、大学卒業前にボーイフレンドに振られてしまう。ボーイフレンドのコナーはハーバード法科大学に入学する。彼女は必死に勉強して同じハーバードに合格するが、コナーには恋人がいた。

 いくつもの困難を乗り越えてコナーと結ばれるなら安っぽいハーレクインロマンになってしまうが、そうはならない。女性の自立とか難題に打ち勝つ強い女といった展開になる。

 歌って踊ってのミュージカルは大好きであるが、舞台より映画で観ることが多い。簡単にブロードウェイにはいけないし、人気のミュージカルの上演は少ない。プロの芸ではないけれどその一端でも楽しむことができるのはありがたい。なにより一所懸命さが伝わってくる。

 もうすこし踊りのシーンがあったらなというのが率直な感想。でも、よかったよ。

2019年9月 8日 (日)

赤坂でジャズ 卒寿に乾杯

  イヤイヤをする腰を引きずって、赤坂まで出かけた。

 ジャズである。ジャズライブは久しぶり。赤坂スイング・オールスターズ。ピアノ、クラリネット、ベース、ドラムス、ギター、そしてボーカルという構成。昨年と同じメンバーである。

 このライブ、演者も観客も高齢である。とくにピアノの秋満義孝さんは今年で90になる。卒寿だ。年寄りだけど演奏は若々しい。アップテンポの曲もまったく歳を感じさせない。

 先だってクラリネットの北村英二さんがテレビに出ていた。こちらも90歳だった。

 Dsc_1050-1 客席は、寄席よりも平均年齢は高い。私など若い方だろう。

 ジャズは、戦後、進駐軍とともに急速に広がった。そのあたりに聴いた人がジャズファンであり、当時ラジオで流れたジャズのスタンダードナンバーがナツメロになっている。

 クラリネットは花岡詠二さん。トップクラスの演奏家である。静かに明るい演奏が心地よい。この人はおしゃべりもうまい。

 演奏曲目は懐かしいものばかり。アマポーラ、ナイト&デイ、朝日のようにさわやかに、踊り明かそう、黒い瞳、エル・クンバンチェロ・・・ジャズだけでなく、ラテンなども入れている。

 久しぶりに聴いたのが、太陽は燃えている。かつて大ヒットした。エンゲルベルト・フンパーディングが歌った。このややこしい名前がすんなり出てくるところは我ながらすごいと思うのだが、それははるか昔のこと。ものおぼえがすっかりダメになっているのを十分承知している。

 洋楽のナツメロばかりのライブ。来年も秋満さんの元気な演奏が聴きたいものだ。

 腰の痛みもすこし和らいだ。

2019年6月19日 (水)

歌舞伎を観てきた。 梅川忠兵衛

   歌舞伎は一年半ぶりになる。
 友人から声掛けがあった。歌舞伎座のチケットが抽選で半額になるという割引企画があるという。それに乗った。みごと当選した。18000円の半額。
 Dsc_0870-1 歌舞伎座の料金は高い。落語の数倍する。落語は扇子と手ぬぐいだけで演じるが、歌舞伎はそうはいかない。化粧も衣装もたっぷり、お囃子方も大人数である。経費が積み重なるから、料金が高くなる。割高なのは致し方ない。
 今回は昼の部、「三番叟」は幸四郎と松也が舞う。「石切梶原」は吉右衛門。「封印切」では仁左衛門と孝太郎、そして愛之助。
 お目当ては「封印切」。「恋飛脚大和往来」の一幕。その原作は近松の「冥土の飛脚」である。遊女梅川と飛脚問屋の忠兵衛の悲恋を描いたもの。遊女に入れ込んだ男が身請けのために他人の金に手をつけてしまうという現代でもありがちなおバカな話。「曾根崎心中」と比べるとどうかと思うが、それを悲しくも美しく描くのが歌舞伎である。
 仁左衛門(忠兵衛)愛之助(八右衛門)の掛け合いが見どころ。八右衛門の挑発に、忠兵衛は切餅(小判)の封を切ってしまう。みごとなやりとりだった。
 歌舞伎を観るたび感じるのだが、三味線、笛、声(義太夫とか長唄)などのお囃子方のリズムが、迫力があってすばらしいことだ。歌舞伎は、役者の姿(踊りや顔)よりも、せりふやお囃子の響きを楽しむ芸能という気がする。
 目より耳、ね。

2019年4月30日 (火)

「土佐源氏」を観てきた。  

 坂本長利によるひとり芝居「土佐源氏」を観てきた。
 観る機会があればと思っていたところ、今年の「しんゆり芸術祭アルテリッカ」のプログラムに組まれていたのを知り、チケットを買った。会場は川崎市アートセンターの小劇場。
 民俗学者・宮本常一の『忘れられた日本人』の中の「土佐源氏」を舞台劇(ひとり芝居)にしたものだ。内容は、博労だった男の色ざんげである。
 坂本長利は89歳。上演回数は1200回を超すというから、すごい。
 それだけやっているから、磨き上げた劇になっていることは言うまでもない。細部まで心配りができている。
 客席には佐藤忠男さんがいた。しんゆり映画祭では代表を務めていただいた映画評論家である。佐藤さんは88歳。坂本長利さんと一歳違い。お元気で何よりだ。
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「土佐源氏」に、裏バージョンがあるのをご存じだろうか。博労が女性とまぐわう場面を詳細に書いたものだ。いまで言うと官能小説である。
 二三年前に読んだ。このあたり、芝居には出てこない。当然だけど。

 もひとつ。この話、ひとり語りだから、落語に仕立てることができるんじゃなかろうか。

『忘れられた日本人』はときどき本棚から引き出して読むことがある。「梶田富五郎翁」の章がいちばん気に入っている。

2018年12月 4日 (火)

説経節 「小栗判官」

 

 説経節を聴いたのは、成城の静かな住宅街にある猪股邸

 猪股邸は数寄屋造りの邸宅で、世田谷区に寄贈されたあと、()世田谷トラストまちづくりが維持・運営にあたっている。木造建築の文化財で、庭も広く美しい。

 写真は猪股邸。今は紅葉。見学だけなら無料。

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 そこの一室で開かれた。暖房なしなので、座っていると底冷えがする。

 説経節は三味線の弾き語りで、義太夫と似ている。そのあたりの違いはよくわからない。演者も減っているということで、絶滅危惧芸能である。めったに聴く機会はない。

 演者は説経節政大夫さん。演目は「小栗判官」の中から「夢占いの段」と「矢取りの段」。

 「小栗判官」はことしの正月、歌舞伎で観た。当ブログでも書いた(1/26)。およそのストーリーは知っている。

 毒殺された小栗判官は仲間の援助と閻魔大王の情けで地上に戻るが、目も耳も不自由、足腰もたたない姿であった。御利益を求めて土車で熊野に向かう。願は叶元の姿に戻って、父母や妻の照手姫に再会するという物語である。並行して照手姫のサイドストーリーもある。

 小栗判官」は説経節の代表演目であり、世に広く受け入れられてきたのは、「再生と再会」というテーマにある。あの世からのよみがえり、そして父母や妻との巡りあい。それが人々の心に響いた。

  よみがえってから1年後に父母に再会するが、父はそれが小栗とは信じられない。本当の息子なら、かつて教えた矢取りの秘術を知っているはず。ならば父の矢を受けてみよと試す。

 三本の矢を右手左手で取り、もう一本は口でくわえて取るという秘技。荒唐無稽fだが、試練を乗り越えるというエピソードはクライマックスにふさわしい。

 ということで、寒さを忘れ、聴き入った。

 

浪曲(浪花節)は、演奏(三味線)と唸り(語り)は別々の人が演じる。それが説経節との違いだが、浪花節でも「小栗判官」はやれるんじゃないかな。

2018年2月 6日 (火)

 ビデオ録画ふたつ

 

 先日観た歌舞伎「世界花小栗判官」がテレビ(NHKーBSプレミアム)で放映された。

 早すぎる。こんなことならわざわざ観劇しなかったと思うが、致し方ない。ま、ライブとテレビでは違うからね。最近は映画でもすぐにDVDになる。テレビ放映も一年たたないうちにやることもある。

 午前零時からの放送だったのでビデオ録画した。すこしだけ再生した。観たばかりだからおよそのことは覚えている。暴れ馬が出てきて、それを小栗判官が乗りこなすあたりはおもしろい。写真はこのシーンである。

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  続きはひまなときに観るとして、歌舞伎についてひとこと。

 すこし肩すかしを食らったよう感じたのは小栗の境遇についてあまり触れられていない点である。小栗は死から蘇る。目は見えず足腰もたたずという境遇である。それが熊野で蘇る。ちまたには体の不自由な人がいっぱいいた。盲人、五体満足でない人、不治の病に冒された人、ざまざまな弱者がいた。小栗はそうした人に支えられ熊野までたどり着いた。

説教節「小栗判官」を聴いた人たちは小栗に共感を寄せた。わが身を小栗に重ね合わせた。そのあたり、歌舞伎では薄まってしまっている。

 

 もうひとつビデオ録画したものを観た。「デトロイト暴動」を採り上げたドキュメンタリー。現在、ロードショー公開されている「デトロイト」の元ネタとなるものだ。

 これを観ると、映画は事件を忠実に再現したものだとわかる。テレビのドキュメンタリーは現在もいまだに黒人差別はなくならない現状を描いている。

 テレビの方は再放送がるかどうかはわからないが、映画はいまやっている。極度な緊張状態になるとヒトは凶暴になる。抑えきれない攻撃性を露わにする。そういう社会、人間を描いている。

2018年1月26日 (金)

 歌舞伎「世界花小栗判官」

 

 歌舞伎に行ってきた。国立劇場、演目は「世界花小栗判官」。明日が楽日になる。花道の近くの席が取れたので、じっくり役者を眺めることができた。

「小栗判官」どのぐらい歌舞伎で演じられているか知らないが、何年か前、もっと前か、スーパー歌舞伎「オグリ!があった。あれは話題になった。

 

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  小栗判官は説教節として語り続けられてきた。いったんは地獄堕ちた小栗がよみがえり、熊野で五体満足な姿に戻るというストーリーである。死と再生をテーマにしたものだが、カブキでは照手姫との恋が中心に描かれる。

 小栗判官を尾上菊之介、敵役の風間八郎を尾上菊五郎、お槇を中村時蔵、照手姫を尾上右近といった俳優陣。

 華やかな舞台であった。たまには歌舞伎もいい。

最後に手ぬぐい撒きがあった。タイミングよく手元に投げられた。

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写真がそれ。初春から縁起がよい。