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落語

2024年2月19日 (月)

「語る映画 奈々福・大福 浪曲二人会」

 映画を落語にして演じることはよくある。今回は浪曲で。玉川奈々福・玉川大福の二人会をアートセンター聴いてきた。二人は浪曲界の若手人気スターである。若手ではなくて中堅か。浪曲ブームを支えている。

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 今回の演目

 大福   男はつらいよ 寅次郎相合い傘 

 奈々福  平成狸合戦ポンポコ

 2時間近い映画を30分程度にぎゅっと縮める。どこをカットしてどうつなげるかという編集作業が出来の良しあしを決める。たくさんの登場人物を演じ分けなければならないからそれなりの技量もいる。聴き手の想像力(聴き手は映画を観ているとして)に依存するところはあるとしても、けっこう難しいし、また聴きどころでもある。

 寅さんシリーズは50作もある。「相合い傘」と聞いてもさて、どんなあ映画だったか思い出せない。リリー(浅丘ルリ子)がマドンナになる。しかし、リリーのものは何作かある。さて、どんなだったかと思うのだが、それはどうでもよい。聴き始めれば思い出す。メロンのアレだった。

 メロン騒動は寅さんシリーズの中でも屈指の名場面である。メロンの一切れをめぐって寅さんがいじける。渥美清のひがみと怒りの演技に誰もが大笑いした。この場面は何度観ても可笑しい。大福は、もちろん浪曲らしく大仰に演じた。

「平成狸合戦ポンポコ」は高畑勲監督作品。多摩丘陵の自然が都市化で失われていく姿を描いたアニメである。奈々福は笑いをとりながら絶叫調で演じた。ラストの盛り上げかたがすごかった。うまい切り取り(編集)だった。タヌキはわずかだがタヌキとして生き延び、化け方のうまいタヌキは人間に変身して生きている。

 奈々福はいつ聴いても声に張りがある。

 アフタートーク。

 大福の寅さんシリーズは15作あるのだそうだ。へーそんなにやっているのか。落語の立川志らくは、全作品を落語にしたとの話を聞いたことがある。それに追いつかなくてもよい。多いだけが能じゃない。全部やらなくてもいいから、厳選してブラッシュアップしたものをまた聴きたい。

 奈々福にはおなじ高畑監督の「かぐや姫の物語」をというリクエストが多いのだそうだ。あれはできないと語っている。あのスピード感とラストの映像はほかに置き換えるのは困難である。無理をしてやることもないと思う。 

 ついでのひとこと

 今回の曲師(三味線弾き)は若かった。曲師というと高齢者が多い。豊子師匠とか祐子師匠。今回は初々しいお嬢さん。合いの手もかわいい。三味線だけでなく、曲師の姿や掛け声も芸のうち。よかった。100歳を過ぎた祐子師匠も若々しいけど。

2024年1月20日 (土)

 文珍独演会

 桂文珍の独演会に行ってきた。二年ぶり。昨年はチケットを買っていたのだが、それを忘れて桂雀々のチケットを買ってしまった。どちらに行くか。妻に事情を話すと、文珍を聴きたいと言う。で、妻に文珍をやり、わたしは雀々を聴くことになった。その夜、妻に感想を訊くと、すごくおもしろかったとのこと。ふーん、やっぱりそうか。

 で、二年ぶりとなった。

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  今回の演目

 老婆の休日

 落語記念日

 星野屋

老婆の休日」は文珍お馴染みの噺。得意ネタである。初演から45年になるという。なんど聴いてもおもしろい。

  ギャグの一つを紹介しておくと・・・、 ある老婆。からだのどこを押しても痛い。肩を押しても腹を押しても痛い。ひとの肩を押しても痛い。この歳になり、ひとの痛みがわかるようになった。もうダメかと、病院に行くと、指の骨が折れているとの診断だった。

落語記念日」は新作。昨年の12月につくったばかりという。未来の話である。VRなどAIの技術が進んで落語が絶滅してしまった。落語を知らない世代に、扇子や手ぬぐいの使い方を説明するのだが、トンチンカンな展開となってしまう。これも笑わせるが、まだ発展途上にあるストーリーだとも言える。

星野屋」は古典噺。旦那がお妾さんに別れ話を持ち出す。これが心中しようということになるのだが、そこは海千山千の二人。ばかし合いとなる。

 いつ聴いても文珍はおもしろい。笑わせるツボを心得ている。それだけではない。サービス精神にあふれているというか、観客を大切にしている。さすが、大看板である。

 

2024年1月16日 (火)

寒さの中「八起寄席」

 昨夜は「八起寄席」に行ってきた。相模大野のグリーンホール。駅からは10分ほど歩く。風が冷たく寒かった。

 新春の八起寄席は、四派(落語協会、芸術協会、立川流、円楽一門)の幹事勢揃いとなる。

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 今回の演目

 談修  堀の内

 文菊  錦の袈裟 

 兼好  権助芝居

 鯉橋  転宅

 談修の「堀の内」が短めだったので時間がある。時間調整で文菊は長めの噺になった。ぶつぶつ言いながら。「錦の袈裟」は長い噺ではないけれど、たっぷり丁寧に演じたと言うべきか。いつもより声の調子がよい。声は会場に響きわたった。テンポがいいし、どなり声も心地よい。

 兼好もいつもように明るい。落語に登場する権助の職業は決まっている。飯炊きである。急きょ田舎芝居に出ることになるという噺で、当然、ドタバタ劇になる。

 今回のトリは鯉橋。「転宅」は間抜けな泥棒の噺である。最後に形態模写を演じた。羽織をひっくり返して着る。座布団を抱えれば、たちまち大黒様や恵比寿様。それらしくなる。片手を挙げ、指先に扇子を持てば鶴になる。なるほど、うまいものだ。

 ことしも落語がつづく。被災地は大変だろうが、笑いも要る。笑えるうちが花。今週末も大看板の独演会を予定している。

 と書いて、ブログを更新しようとしたら、夕方6時まではメンテナンスで更新できないという。

 ふーん、そうか。ま、大したことを書くわけではない。イライラもしない。今日も冷えるし、風がつよい。

 

2024年1月14日 (日)

ザ・ニュースペーパー

 きのう、雪がちらつく中、「ザ・ニュースペーパー」のライブに行ってきた。町田市民ホールは満席だった。

 人気のコント集団だが、知らない人が多い。テレビに出ないから知名度は低い。積極的にテレビに出ないわけではない。炎上を避けたいテレビ局側が敬遠しているからだ。それほどキツい風刺をしているわけではないんだけどね。

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 登場時間が長いのは現総理。岸田さんである。扮装があまり似ていないのは特徴がないからか。菅さんや頭に白い輪っかをのせた安倍さんはけっこう似ている。今回は、小泉さんは登場しなかった。定番の「ある高貴な家族」は、当然のことながらアップデートシされていた。

 トランプさんやバイデンさんも登場する。トランプはでたらめな話をし、バイデンはやたら転倒する。

 と、ここまで書いて、ザ・ニュースペーパーを見たことがない人には何のことやらわからない(チラシを見ればおよそのことは想像できる)。わからなくてよい。ただの社会風刺のコントである。たわいもないギャグであり、ネタはたちまち古くなっていく。

 会場を見渡すと年寄りが多い。落語会と同じ。土曜日の午後なんだから、もう少し若い人が来ていると思ったのに・・・。

 ザ・ニュースペーパーが結成されて35年になるという。私が初めてザ・ニュースペーパーを見たのは結成間もないころになる。そうか、あのころ私は若かったなどと、凡庸な想いが浮かんでくる。

 ザ・ニュースペーパーが昔と変わらないかというと、そうでもない。風刺の棘が丸くなった。もっと毒を含んだほうがよいように思うが、さて、常連の皆さんはどうお思いだろうか。

 毒が総身に回り、麻痺しちゃってるのかもしれない。こちらだけではなく、批判されるキックバック政治家のほうにもね。

2024年1月10日 (水)

初春の「生田寄席」は馬石

 今年最初の落語は生田寄席。隅田川馬石の独演会である。生田寄席は今回で50回になるという。長く続いている。

 寒い日だったが、暖房をいつもより効かせているせいか快適だった。

 開口一番は地元在住の噺家、柳亭市若が務めた。

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 今回の演目

 市若  まんじゅう怖い

 馬石  あわび熨斗

 馬石  井戸の茶碗

 いずれもおなじみの古典噺だが、市若はオチを変えていた。自分の体型(去年よりさらに太った。歌武蔵より体重があるのではないか)を気にしたオチだった。

 馬石は、以前聴いたときと比べさらにパワーアップたような気がした。「あわび熨斗」はにぎやかだった。これほどにぎやかな「あわび熨斗」を聴いたことがない。「井戸の茶碗」も大きな声を張り上げて賑やかに演じた。力が入っていた。熱演。さぞや疲れたことだろう。

 ところで、この噺に出てくる井戸茶碗をご存じだろうか。朝鮮、李朝時代の陶器の名品。落語は知っていても実物をご覧になった方はほとんどいないのではないか。私は、実物を見たことがある。上野の東京国立博物館で見た。国宝の展示会があるというのでわざわざ出掛けた。もともと織田有楽斉が所有していたもので、どんぶり鉢のような大きな茶碗だった。どことなく萩焼きに似ていた。ふーん。よくはわからないけど、落語通の連中には自慢できる。写真も撮っておいたがどこかにいってしまった。

 結構な寄席だったが、市若の太りぐあいが気になった。

2023年12月18日 (月)

「正蔵・喬太郎ガチンコ二人会」

 鶴川落語、12月は林家正蔵柳家喬太郎二人会である。今回で11回となる。配られたリーフレットにこれまでの演目が載っている。全部は聴いていないが、もっとも印象に残っているには第2回(9年前)のものである。

 後半、正蔵が「松山鏡」をやった。これをしくじった。鏡を知らない男の噺なのだが、おもわず鏡としゃべってしまった。それに気づいた正蔵(観客も気づいた)は、「えっ、カガミと言っちゃいましたね」とそこからやり直したが、しどろもどろになってオチまで演じた。肩をおとして高座を降りる姿が可愛らしかった。

 つづいて喬太郎は高座にあがった。マクラでこのしくじりをネタにするんじゃないかと思ったら、いきなり「寝床」に入った。店の旦那が下手な義太夫の会を開くのだが、だれも聴きたくないという噺である。みんな欠席の理由を次々とあげていく。ここで、喬太郎は「正蔵はどうした?」と訊く。アドリブである。「正蔵は高座をしくじって楽屋で立ち上がれなくなっています」と欠席の理由を述べる。会場は大爆笑となった。抜群の即興芸だ。感心した。記憶に残るに二人会となった。

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 で、今回の演目。

 正 蔵  鼓ヶ滝

 喬太郎  野ざらし

 喬太郎  えーとここは

 正 蔵  ねずみ

「えーとここは」以外はおなじみの古典噺。喬太郎の「えーとここは」は新作。タイトルは後で知った。会社員の部長と部下が商店街のカフェに入って、ここは元なんだっけというやりとりをする。わからない。オムライスの店じゃなかったと議論になる。ふわとろの卵のオムレツか、しっかりした卵焼きでくるんだオムレツか。言い合いとなる。つづいてこのカフェはそば屋ではなかったかと議論がとぶ。コシのあるソバか立ち食いソバか。ケンカ腰で言い合う。たたわいもない会話、昭和男と平成男の世代間対立をおもしろおかしく演じる。喬太郎独特のイルージョン落語である。笑いはいっぱい。にぎやかな噺であった。

 さて、二人とも60を過ぎた。からだもガタがきている。正座ができない。正蔵はお尻にマクラをかって座る。喬太郎は釈台、あぐらで座る。

 写真は今回のチラシであるが。ずいぶん昔の写真である。正蔵は短髪だから目立たないが、今は年齢相応の顔になっている。喬太郎は髪の毛は真っ白。大ベテランの風貌である。でも、声は若い。

噺家は声が命。その声で長く馬鹿噺を演じてもらいたい。

2023年12月12日 (火)

「松浦の太鼓」 大高源吾

 先月、歌舞伎「マハーバーラタ戦記」を観たことについては記した。あれは歌舞伎座の昼の部であって、夜の部に「松浦の太鼓」が掛かっているのをチラシで知った。

 赤穂浪士ものである。大高源吾が登場する。講談で聴いたことがある。「忠臣蔵」では枝葉のことだろうが、歌舞伎にもなっていることは知らなかった。 

 討ち入りの前日、俳諧師の宝井棋角は両国橋で俳諧の仲間である大高源吾と出会う。源吾は笹売りに身をやつしていた。そこで句を交わす。

 棋角が「年の瀬や水の流れと人の身は」と記すと、源吾は「あした待たるるその宝船」と返す。有名な場面である。

 なんのことだか、分からない。ちょいと解説をすると、討ち入りの前日の13日は大掃除の日である。すす払いをする。笹売りは、翌日からは売り物を変え、新年用の宝船の絵を売ることになる。討ち入りについては口が裂けても言えないから、下句であいまいに返した。

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 ここから歌舞伎と講談は筋書きが違ってくる。歌舞伎バージョンでは、大名の松浦鎮信が登場する。棋角は句会が開かれる松浦邸を訪れる。松浦邸は両国の吉良屋敷の隣にある。松浦の殿様は、仇討ちを期待していたが、いっこうにやらない赤穂の連中にいらだっていた。棋角が、例の句を松浦侯に見せると、その意を察するという物語である。

 講談では、棋角と源吾が再会することにウエイトを置いている。討ち入りの直前、源吾は吉良邸の隣の屋敷を訪れ、いまから騒がしくなるが黙認してもらいたいと話す。その屋敷には其角がいて再び出会うといった展開となる。

 歌舞伎でも落語でも講談でも、義士ものは人気がある。なぜ人気なのか、それは義士ものが別れを描いているからだと神田愛山が語ったという。その話は伯山から聞いた。

 討ち入りをすれば、打ち首になるか切腹である。家族や友人にはもう会えない。討ち入りの前日か当日が別れの日となる。討ち入りについては口が裂けても言えない。ただ会って暇乞いをする。永久の別れとなるが、それは察するしかない。美しく映る。

 義士銘々伝の多くは別れを描いている。

 忠臣蔵は、本筋より枝葉である外伝(それぞれの義士の別れ)のほうが面白い。

 まもなく12月14日である。

2023年11月10日 (金)

歌舞伎「マハーバーラタ戦記」

 歌舞伎座に出かけた。

 名古屋の友人から、チケットが一枚あまったとの電話があり、ただちに行く行く!との返事をした。出し物は「マハーバーラタ戦記」。インドの古代叙事詩を歌舞伎に仕立てたものだ。主演は尾上菊之助。座席がいい。ニ列目、花道のすぐそば。

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 豪華絢爛たる衣装で神々たちが語り合うシーンから始まる。人間界では争いが続いており、なんとかしなければならない。太陽神はおだやかに平定しようとするが、対立する帝釈天は力を以て人間界を支配すべきだと主張する。

 地上の人間界の場面となるとインドとは離れ、室町時代を思わせる舞台となる。王位継承をめぐっての争いが繰り広げられる。対立軸が交錯して物語は展開する。

 この演目、ダブル花道になっている。花道での場面が多い。前の方の座席だと、からだを曲げ、さらに首を左右に振って見なければならない。首の運動にはなるけれど、首が痛くなる。

 さらに、すっぽん(花道にある迫り出し)から登場するシーンも多い。座席はすっぽんのすぐ脇。菊五郎や菊之助が迫り上がってくると目が合うほど。さらに、大きな像を下から見上げるように首をあげなければならない。いい座席なのだが、首が疲れるのが難点。

 ふつうの歌舞伎の出し物とちがって、インド風の踊りのシーンがある。これが「RRR」なのだ。ご存じだろうが「RRR」は昨年ヒットしたインド映画。激しいダンスシーンがある。それを真似ての踊りである。あれよりゆっくり踊る。ちょっと笑える。ゆっくりだが、それでもけっこう疲れるはずだ。

 長い。実質3時間半ぐらい。幕間は二度あるけれど、首振りだから観ているだけで疲れる。

 印象に残ったのは帝釈天役の彦三郎の声。響きがよい。

 名古屋の友人はしょっちゅう歌舞伎鑑賞に来ている。名古屋にも御園座があるじゃないかと聞くと、だめ、地方にはいい役者がこない、来ても一人か二人。やっぱり東京じゃないとの返事。そういうものか。 

2023年10月 3日 (火)

遊雀・萬橘二人会

 鶴川落語に行ってきた。今回は、芸歴35年となる三遊亭遊雀と芸歴20年の三遊亭萬橘の二人会。関係ないけど、サザンンは45周年だそうだ。

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 遊雀はいつもにぎやかである。ゆとりも感じさせる。萬橘は今もっとも脂の乗った噺家で、同じ噺家仲間からの評価も高い。落語ファンの評価ではなく、噺家や玄人すじの評価が高いってことが重要なんだ。

 今回配られたパンフレットに二人のトークが載っている。萬橘は林家たけ平と演芸場を作ったんだそうだ。これはすごい。どの程度のものか知らないけれど落語にかける情熱を感じさせる。全力投球、全身噺家への道を突き進んでいるように感じる。

 今回の演目

 遊雀  蛙茶番

 魔橘  二十四孝

 萬橘  ろくろ首

 遊雀  たちきり

 いずれもおなじみの古典噺である。「蛙茶番」は爆笑系の噺。緋縮緬のふんどしをつけて舞台に上がるのだが、そのふんどしをつけ忘れてしまう。これを遊雀はふんだんにくすぐりを入れて演じる。熱演である。ばかばかしいほど可笑しい。

 萬橘の「二十四孝」は改作というか怪作。いつものように工夫を凝らして笑いをとる。

 前半で力を使い果たしたのか、中入り後はややペースダウン。「たちきり」は古典噺のなかでは、もっともしっとりした噺。人情ものというか悲恋もの。笑いはいっさいない。遊雀はこういう噺もできる。笑いの落差がすごい。

 いちばん前の席だったので、術後の目でもしっかり見えた。

 目が悪くなった身には最前列はありがたい。落語は耳だけでなく目で味わう芸である。

2023年9月26日 (火)

八起寄席 文菊 圓雀

 古今亭文菊を聴きにいった。相模大野の「八起寄席」。

 8月末に聴いた「猫の災難」とびぬけてよかった。軽い噺であるけれど、文菊の手になると、どことなくおかしみが滲み出てきて一級の滑稽噺になっていた。さすがである。

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 で、今回の演目。

 立川うぃん 片棒

 古今亭文菊 鹿政談

 三遊亭圓雀 佐野山

 うぃんはとばして文菊さんの「鹿政談」。鹿を殺めた罪でお裁きを受ける豆腐屋の噺である。奉行は豆腐屋を助けようと、鹿ではなく犬ではなかったかと裁こうとする。奉行をけれんたっぷりに、歌舞伎のように演じるのが文菊風。ばかばかしく、笑いたっぷりの噺に仕立てていた。

 圓雀さんは相撲通である。すもうの浴衣は100枚以上持っているという。相撲好きの噺家はたくさんいるが、そのなかでもトップクラスである。で、演目も「佐野山」。

 引退間近い相撲取り佐野山に花を持たそうとする横綱谷風の情け相撲の噺である。相撲好きらしいエピソードをたっぷり織り込んでの熱演であった。

 それにしても9月の大相撲はどんぐり場所であった。熱海富士の活躍で盛り上がったけど、水を差したのは優勝決定戦。 つまらなかった。がっかりした。

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