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落語

2024年9月 5日 (木)

生田寄席 文菊

 今回の生田寄席は、古今亭文菊。人気の噺家である。いつもは常連客が多いが、新規の客(たぶん追っかけ)が多かった。そのため満席。屋外、ガラス窓越しの席まで用意することになった。

 茶坊主のように登場し、若旦那風の雰囲気、いつもながらの風情である。

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 今回の演目

 あくび指南

 水屋の富

 いずれもおなじみの演目である。「あくび指南」はあくびの稽古をするという実にばかばかしい噺である。それをどの噺家よりも丁寧に、たっぷり演じた。だから、ばかばかしさが増す。笑える。

水屋の富」は、天秤棒を担いで水を売ろ男の噺。なけなしの金をはたいて富くじを買ったところ一等が当たる。もらった800両は盗まれてはいけないと床下に隠すが、盗まれるんじゃないかと夜も眠れなくなる。金を取られる夢をみむだけで寝不足になってしまう。さて・・・。

 いくつものエピソードを織り込んで丁寧に演じる。声の響きもよい。江戸っ子らしい啖呵も心地よい。

 ばかばかしいお笑いがさらに可笑しくなる。大谷のホームランはスカッとさせてくれるが、文菊の噺はうっとおしい気分を解き放ってくれる。心のコリをほぐしてくれる。

 よいひとときだった。

 暑さも和らいだ。芭蕉の句が浮かんだ。

 あかあかと 日はつれなくも 秋の風

2024年8月30日 (金)

 喬太郎・白酒・一之輔三人会

 久しぶりの落語会、夜席、柳家喬太郎・桃月庵白酒・春風亭一之輔三人会に行ってきた。目が悪くなったので、夜の外出は避けるようにしている。今回は近所の麻生市民センターだから、どこに段差があるとかすべりやすいとかわかっている。転んだりするようなことはなかろう。念のため、懐中電灯も持って。

 一之輔が「笑点」メンバーになったこともあるのか、1000人収容できる大ホールは満席となった。

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 今回の演目

 白酒   青菜 

 一之輔  蛙茶番

 喬太郎  孫、帰る

「青菜」は夏らしいおなじみの演目。柳陰(ヤナギカゲ)という冷やして飲む酒が登場する。焼酎を味醂で割ったもの。白酒らしい悪口のギャグを挟みながらテンポよく最後のオチ。ふつう「弁慶にしておけ」となるのだが、これを、一瞬、間をおいて「べんけい」とやった。なるほど、こういうやり方もあるのかと感心した。

 一之輔は縦横無尽。詳細は省くが、マクラで観客を鎮める中村獅童のエピソードなどを織り込む。「蛙茶番」は素人芝居の話。ふんどしを締め忘れた舞台番の半ちゃんは、舞台の上で着物の裾をマクってしまう。堂々と。

 トリの喬太郎はいつものように見台。ひざがわるので正座ができない。演目は「孫、帰る」。ずいぶん昔、聴いたことがある。喬太郎の創作落語。CDを持っている。

 おおよその筋は変わっていないが、ギャグは今どきになっている。重松清の小説を彷彿させる。死んだ孫のケンイチが登場する。オチは「覆水盆に返らず」をもじって「複数盆に帰らず」。と書いただけでは、さっぱりわからないと思うが、説明するのは面倒くさい。途中でケンイチが死んでいることがわかる。そのあたりが見せ場。

 はねて、外はあいかわらず降り続いている。台風が近づいている。明日も明後日も雨か。31日には、野外でイベントがあるんだけど、ムリだろうな。

2024年7月29日 (月)

「国本武春の丹波浪曲道中記」

 国本武春という浪曲師がいた。浪曲界の風雲児といわれた。

 浪曲がうまいのは当然として、新たな浪曲スタイルをつくり人気を博した。10年後20年後の浪曲界をリードしていくものと思われた。しかし、2015年、突然亡くなった。55歳。いかにも若い死であった。

 私はそれほどライブを聴いていない。もっと劇場に行けばよかったと残念に思っている。いまはたまにCDを聞くぐらい。ユーチューブも観ている。武春のうなりは気持ちがよい。

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 渋谷のユーロスペースで、「浪曲で生きる映画祭」が開催された。二日間にわたって浪曲ドキュメンタリーを上映するイベントである。

 そのなかに「国本武春の丹波浪曲道中記」がある。炎天下、それを観るため渋谷に出かけた。

 2008年、丹波に招かれ公演をした。道中、武春の浪曲に対する情熱を饒舌に語る。武春節、炸裂である。本番の演目は丹波にゆかりのある「おさん茂兵衛」。

  浪曲はふつう演者と曲師(三味線)で演じられるが、武春は弾き語りの要領でやる。三味線の腕もすごい。ロックなどをアレンジして浪曲をうなる。今回の演目はそれほどうならない。ロックというよりブルースである。これが心地よいのだ。武春は気持ちよく歌い、観客も気持ちよく聴く。すばらしいライブになっていた。つくづく惜しい浪曲師を失くしてしまったものだ。今はCDかDVDを聴くしかない。

 武春亡き後、浪曲は衰退してしまうと危惧したのだが、それは杞憂だった。奈々福、大福らの若手台頭により盛り返している。けっこうなことだ。

 武春死後も、Eテレでは、うなりやベベンを長く放映していたのを思い出す。

 

2024年7月21日 (日)

鶴川寄席  扇辰・兼好二人会

  梅雨明けすると暑く晴れた日が続く。炎天下を歩くのは避けるようにしているが、外出となるとそうもいかない。直射日光を浴びる腕がじりじりする。5分も歩かないのに汗が噴き出す。

  鶴川寄席に行ってきた。会場のポプリホールは駅のそば。わずかしか歩かないけど、炎天の厳しさを感じる。

 今回は入船亭扇辰三遊亭兼好の二人会。いずれも人気の噺家である。

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 演目

  扇辰  蕎麦の隠居

  兼好  応挙の幽霊

  兼好  一分茶番

  扇辰  匙加減

  馴染みのない演目が多い。これは、扇辰さんの演目が他の人があまりやらないものが多いからかもしれない。

 扇辰さんの「蕎麦の隠居」。そのまえにチラシの写真をご覧いただきたい。扇辰の辰という字が変。辰の上に一本余計な横棒がある。デザイン的には違和感はないが、字としては間違っている。扇一辰になってしまう。扇辰さんはこれにクレーム、苦情を言った。で、本題に入った。蕎麦屋に毎日やってくる客(隠居)が苦情を言うという噺である。いちいち小うるさい。とはいえカスハラほどではない。

 以前「TBS落語研究会」だったか、テレビで聴いたことがある。もちろん扇辰さん。他の人では聴いたことがない。

 トリの「匙加減」は、医者が品川の茶屋で働くお浪に惚れて身請けをする噺である。身請けしたが証文はもらっていなかった。店の強欲おやじはちゃんと身請け金を払えと医者に迫る。もちろん払わない。奉行所に訴えて、お裁きとなる。登場するのはもちろん大岡越前。どのように裁くかといったストーリー。あまり聴かない噺だが、一度だけ聴いたことがある。たぶん同じ扇辰さんだったような気がする。

 人があまりやらないような噺を持ちネタとするのが扇辰師匠である。

 兼好さんは、いつものように明るくにぎやかである。テンポも心地よい。マクラの話題もおもしろい。今回は新札ネタ。新札に描かれた人物画は気むずかしい顔をしている。笑っていたっていいじゃないか。そんな話だった。

一分茶番」は素人芝居の噺。これも「落語研究会」で聴いたような子がする。兼好さんだったかどうかは忘れた。

 登場するのは権助。権助と言えば飯炊きである。その飯炊き権助がしろうと芝居に引っ張りだされる。演目は忠臣蔵の七段目。とうぜんまともな芝居にはならない。どたばたとなる。爆笑もの。こういう噺なら兼好さんである。兼好さんに人情ものは似合わない。

 ということで、暑さを忘れる落語会だった。でも、そとに出ると、まだまだ暑い。汗が噴き出す。まずはビールだな。

2024年7月17日 (水)

 「八起寄席」 小間物屋政談

 NHKラジオの「小痴楽の楽屋ぞめき」を聴いている。おしゃべり落語番組である。ディープな話題になることもある。今週の「碁盤斬り 柳田格之進」の話はおもしろかった。

碁盤を斬るというオチにつながる最後の場面を噺家がどう演じているかの比較である。志ん生、馬生、志ん朝、一之輔、馬石などの音声を流す。オチがきまっている古典噺でもそれぞれの工夫がある。噺家の料簡というか解釈のこころざしがうかがえた。聴き逃しサービス「ラジル・ラジル」で週末まで聴くことができる。ぜひ、ネットで聴いてもらいたい。

 映画の「碁盤斬る」も工夫がみられる。なるほどと、私は感心して観た。ところが、ラジオに出ていた小痴楽以下三人の噺家は、まだ観ていないとしゃべっていた。

そりゃ、まずいよ。噺家なら、すぐ観に行け!

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  はなしは変わって、八起寄席(相模大野)に行ってきた。

 今回の演者と演目

 立川志の大   初音の鼓

 古今亭文菊   お菊の皿

 林家八楽    紙切り

 三遊亭楽麻呂 小間物屋政談

 個別のコメントは省いて、トリの「小間物屋政談」について。

長講噺。30分に収めるのは難しい(やれないことはないけど)から、通常の寄席ではなかなか聴けない。独演会とか聴講の会で聴いたことがある。

 工夫が凝らされたしゃれた小説のような噺で、オチがおもしろい。なるほど、そうまとめたのかと感心する。

 取り違いの話。死んだはずの小間物屋が長屋に帰ってきて、みんな驚く。女房はすでに再婚してしまっていたのだ。とんでもないと亭主は怒って、奉行所に訴える。裁くのはもちろん南町奉行・大岡越前。結果、八方丸く収まる裁きをする。めでたしめでたし、といったストーリー。

 小間物屋が死んだと勘違いされたのは、箱根の山で追いはぎに遭って大店の旦那に手持ちの着物を与えたことによる。旦那は急死してしまい。身元は不明。着物と持っていた紙切れにより小間物屋が死んだものとされてしまったのだ。

 短編小説のような噺で、こんな小説を読んだことがあるような、ないようなそんな気分になる。

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2024年6月 6日 (木)

生田寄席 古今亭寿輔

 生田寄席に行ってきた。今回は古今亭寿輔。あのラメ入りの派手な衣装の師匠である。

 今回も明るい鶯色の着物で高座に上がる。しゃべらないうちに、くすくす笑いが起きる。

 いつものように自虐ネタ。私のようなどうでもいいような噺家を聴きに来ていただいて・・・そんなに笑わないでください。お嬢さん。まだ何もしゃべってません。と、客いじりが始まる。

 きょうのマクラは長い。と思っていたら、まだ何をやろうか、浮かんできませんので、どうでもいい話をつづけさせていただきます、との言い訳。

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 途中で、テトロンの羽織を脱いで、女性客に着てみませんかと渡す。テトロンのいいところは夏暑くて冬寒い。撮っていいですよ、というのが、この写真である。

 途中、小噺のような短い噺「英会話」を挟んで、またマクラに戻る。刑務所を慰問したときのエピソードや女性落語家の話。結局、中入りなしでラストまで演じた。

 自虐ネタと客いじり(笑いすぎる客をいじる)に終始した。

 ま、たまには、こんな落語会があってもよいか。

2024年5月19日 (日)

扇遊・鯉昇二人会

  鶴川落語、今回は入船亭扇遊瀧川鯉昇の二人会。二人とも70を過ぎた。味わいあふれるベテラン噺家である。出身も同じ静岡県。熱海と浜松。所属団体は違うが、仲が良い。誰だったか忘れたが、二人で飲んでいるのを見かけたことがあると語っていた。

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 今回の演目

  鯉昇  千早ふる

  扇遊  不動坊

  扇遊  青菜

  鯉昇  お神酒徳利

  おなじみの古典噺である。ただし「お神酒徳利」をやる人は少なくなくなったように思うが、どうだろうか。

  長い噺である。暮れの大掃除、家宝のお神酒徳利の行方が分からなくなる。二番番頭が盗まれてはいけないと水瓶の底に隠していたのだ。ところが当の本人はそれを忘れていた。あとで気づくのだが、女房の入れ知恵で、ただちに見つけないようにする。そろばん占いで徳利のありかを告げる。とうぜんのことだが、、徳利は見つかる。主人は大喜びする。 

 二番番頭の占いは当たる、大したものだと評判になる。これを聞きつけた鴻池の支配人が、主の娘のためにぜひ大阪まで来てくれないか懇願する。で、大阪に向かうのだが、途中の神奈川宿で盗難事件を占うことになる。

 ここまでが前半。このあたりで終えてしまうパターンもあるが、鯉昇さんは最後まできちんと演じた。難しい噺だし、演じきるにはネルギーがいる。とくに頭がしっかりしていないとムリ。高齢になると避けたい噺である。鯉昇さんは、それを乗り越えて、さらっとやってしまう。大したものだ。たぶんきちんとさらっていたにちがいない。もちろんそれは見せない。

 10年ほど前か、鯉昇さんの「お神酒徳利」を聴いたことがある。それと変わらない。風貌もむかしと変わらない。ずっと老けて見える。が、頭脳は若い。私は陶然として聴いていた。

2024年5月 1日 (水)

雲助・左橋二人会

 連休の合間、眼科に行ってきた。眼底の検査をするので瞳孔を開く目薬をつける。これをやるとまぶしくなって視野がぼやける。活字が読みづらい。パソコンの文字も拡大して目を凝らさないと読めない。で、昨日、書くつもりのブログを日延べした。

 二日続けてアルテリッカ演芸座に行ってきた。

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 五街道雲助初音家左橋二人会。雲助は、昨年、人間国宝となった。左橋は川崎ではおなじみの本寸法の噺家である。二人とも先代金原亭馬生の弟子。

 今回の演目

 雲助  お菊の皿

 左橋  竹の水仙

 左橋  宮戸川

 雲助  淀五郎

 いずれもおなじみの噺である。

淀五郎」は歌舞伎ものである。塩冶判官役に抜擢された淀五郎だが、切腹の場面でしくじることになる。由良助役の座頭の團蔵は淀五郎に近づかない。なぜか。淀五郎の演技にダメ出しをしていたのだ。淀五郎はそれがわからない。苦悩する淀五郎はどうやって苦境を脱するのか、そんな噺である。

 歌舞伎ものを演じるにはかなりの技量がいる。声出しが肝心。それをうまくやれる噺家は少ない。柳亭市馬ほか数人しか思い浮かばない。もちろん雲助も入っている。

 雲助はたっぷりゆったり演じた。さすがの芸。人間国宝に値する。観客も引き込まれるように聴いていた。

 雲助の「淀五郎:」は以前聴いたことがある。今日の出来はそれよりうんとよかった。心地よい気分に浸った。

 眼の方は、今朝になってほぼ回復した。といっても、点眼前に戻っただけのことだが。

2024年4月29日 (月)

異芸競演お好み寄席 

 世間はゴールデンウィーク。観光地はさぞや賑わうだろうから、わざわざ出かける気にはならない。近場がいい。円安だのと気にすることもない。

新百合ヶ丘では、例年ゴールデンウィーク期間中、文化の街にふさわしく、芸能、芸術のイベントがいくつも開かれる。

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アルテリッカ演芸座」と称した寄席演芸を観に行った。落語、浪曲、講談、ものまね、活弁と盛りだくさんだった。「異芸競演」である。

 目玉は、101歳の曲師・玉川祐子と人間国宝・神田松鯉(浪曲)になる。

 裕子師匠は昨年も登場した。人気浪曲師である玉川太福の今回の演目は「男はつらいよ 第1作」。このところ、太福は「男はつらいよ」シリーズをうなっている。今回は、90分の映画をぎゅっと10分ぐらいに縮めているので、深いストーリーにはなっていない。ま、こんなものだろうが、聴きどころは裕子師匠の三味線。掛け声も若々しい。年齢を感じさせない。

 ものまねは江戸家まねき猫。動物ものまねだが、やったのはニワトリだけ。ニワトリだけで客席を引き付ける。大したものだ。まねき猫は三代目の猫八(お笑い三人組でおなじみ。若い人は知らないだろうが)の後添えの娘になる。ということは現在の猫八の叔母にあたる。

ニワトリのものまねのやり方を教わった。なるほどそうやればよいのかと思ったが。ひと前ではできない。

トリは、松鯉師匠。おなじみの義士外伝から「天野八頭司兵衛 雪江茶入れ」。以前聴いたことがある。外伝でも有名な噺らしい。いまさら言うこともないが、さすがの芸である。聴衆を引き付ける。

この寄席のプロヂュースは一玄亭米多朗。軽く「動物園」をやった。こまかなことは省く。今回の寄席、落語の影は薄かった。

2024年3月24日 (日)

鶴川落語 毒吐き二人会

 桃月庵白酒春風亭一之輔の二人会に行ってきた。チラシに今回で11回目とあるが、一回コロナで中止となっているので実質10回目となる。

 白酒が、寄席では「看板のピン」をやっているはずだとマクラで語っていた。バクチもの。世の話題が一平賭博で沸いているからね。

 林家やま彦の粗忽エピソード(3/8の当ブログ参照。やま彦は今や落語界ナンバーワンの粗忽キャラになっている)から「粗忽長屋」に入った。

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 今回の演目

 白酒  粗忽長屋

 一之輔 うどん屋

 一之輔 反対俥

 白酒  花見の仇討

 このところ寒い。ということで、一之輔は「うどん屋」。屋台のうどん屋に酔っぱらいがからむ噺である。小三治を踏襲している。

反対俥」には病弱な俥曵きとやたら元気な俥曵きが登場する。元気な男が俥を曳く場面は飛んだり跳ねたりで体力がいる。若くなくてはできない。一之輔の「反対俥」にはこの元気男は登場しない。客と俥曵きが入れ替わるというオチにしていた。なるほど、これなら高齢の噺家でもできる。

 チラシにはこれまでの二人の演目が載っている。すべて聴いているわけではないけれど、なにをやったかという記憶が薄い。それはともかくとして、同じ演目がないか探してみると「短命」が重なっていた。一之輔は二年連続で「百川」をやっていた。こういうチラシ、出してもらいたくないと愚痴を言っていたが、二年連続でも構わない。得意ネタだし、おもしろいからね。

 二人は、今や実力・人気ともトップクラスの噺家である。それを鶴川くんだりで聴けるのは愉快である。花粉は舞っているが気分は良い。

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