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マネジメント

2014年7月 5日 (土)

 役員報酬一億円 

 

 十年ほど前だったか、サラリーマンの賃金推移を調べてみたことがある。簡単にいうと、五十代の賃金が上昇から横ばいに転じていたことがわかった。年功序列型の賃金体系が崩れていた。役職定年制とか、コンピテンスうんうんというよくわからない考えが導入され、五十代以降の賃金が抑制された。
 この抑制された人件費がどうなったかというと、大企業に限ってかもしれないが、経営トップ層の報酬に回った。かつて大企業の社長の報酬は新入社員の十数倍といわれたが、二十倍やそれ以上になった。失われた十年とか二十年とかいわれた時代にもかかわらず、である。
 理由は、欧米の経営者はもっと貰っているからそれに近づけるためとか、株主代表訴訟により無限責任を問われる可能性があるので、そのリスクに見合う報酬が必要だから、とも言われた。

 都合のいい言訳だったが、その後も役員報酬は増え続けた。

 

 上場企業で役員報酬が一億円を超すと公表することになっている。先ほどそれが新聞記事となっていた。

 一億を超す報酬を受け取っている人は359人となったそうだ。年々増え続けている。中には十億円を超す人もいる。すげえ! と感嘆するしかない。日産のゴーンさんは十億をわずかに下回るだけ。毎年何億ももらっているわけだから、その累積はいかほどか。すごい金持ちである。

 

高報酬の理由を、株主代表訴訟で無限責任を問われるリスクがあるからとしたが、これは方便にすぎない。代表訴訟で実際に何億も支払わされた例は極めて少ない。さらに保険がある。あまり知られていないが株主代表訴訟保険である。たとえ不祥事などで何億も支払わされる羽目になっても保険でカバーできる。たいていの会社はこの保険に入っている。保険料は個人負担だが、その分は報酬に加算しておけばよいのだから、個人の腹はいたまない。だからリスクうんぬんが報酬をあげる理由にはならない。

 

 トップが高報酬ならそれに次ぐ役員の報酬も増えている。企業で上位10パーセントの人の収入が総人件費で占める割合がどのぐらいで推移しているか、それは調べたことはないけれど、どなたか調査してもらいたいと思う。まちがいなく増えているはずだ。さらに税率も下がっている(累進課税の率がゆるやかになっている)から、金は金持ちに流れている。

 一方で、ワーキングプアだのブラック企業だの低収入所得者問題が社会問題となっているが、格差を埋める策はさして講じられていない。

 これでいいわけがない。いいわけがないけれど、儲けすぎ、貰いすぎを咎める声はいまだ小さい。

 

紀伊国屋文左衛門は吉原で散財し、そのお大尽ぶりは喝采を浴びた。貯めるだけが能ではない。寄付もいい。

金持ちには喜捨が似合う、と思うのだが・・・。

2013年6月20日 (木)

 アホノミクスを遊ぶ

 このところ、株が乱高下している。昨日は日経平均で260円ほどあがった。今日は230円ほど下落した。ちょっと面白い。一喜一憂している人も多いかと思う。

 株といえば、いっとき株式評価の仕事をしたことがある。買収や売却の際、株価を決める必要がある。上場企業なら問題はないが、非上場の場合株価をどう評価するかがポイントとなる。(担当したのは、非上場の中小企業ばかりだったから、買収といっても、ニュースになるような案件ではなかった)
 評価法は、純資産方式、類似上場企業法、ディスカウント・キャッシュフロー法などいろいろある。個別に説明すると長くなるのでしないけれど、結果として、どれが妥当かというと、純資産方式だった。利益とか将来性は、重視するとしても、評価にはカウントしない方がよい。なぜかといと、将来はわからない、為替などに左右され利益が大きくぶれることが多かったからである。
 純資産方式とは、純資産を精査(ディーデュリジェンス)して株価を決める方式である。精査とは不動産価額の洗い替えや不良資産・債権などのチェックである。

 上場企業の株価評価の際、PERとかPBRという指標がでてくるのはご存じであろう。精査をせずに単純に純資産から株価を評価する指標がPBR(株価純資産倍率)である。理屈からいうとこれが限りなく1に近づくはずである。ところが実際にはそうはならない。評価が高ければ(将来伸びると判断すれば)、1より高くなる。1以下ということはあり得ないのだが(1より下なら自社株買いをした方がいい)、現実には下まわる株式も多い。利益から見る指標がPER(株価収益率)であるが、PBRの方が現実的な指標と言いたい。

 こうした評価から見て日本の株価はひどく低かった。日経平均が8000円を割るなんてことは理屈から言えばありえない。リーマンショック以前の半分である。不当に評価されていたと言ってよい。ということは、なにかをきっかけに回復することは当然あったということである。
 総選挙を機に一気に株価が上昇した。それをアベノミクスだのと騒いでいたが、なにかやったわけではない。アベノミクスだろうが、アホノミクスだろうが、あるいはジェジェノミクスだろうがなんでもよかった。後出しジャンケンのようでいやなのだが、12000円ぐらいにはなると周りには語っていた。予想が当たったのではない。PBRとかPERを考えれば当然のことである。
 で、この乱高下、どうなるかであるが、ワカリマセン。上がるかもしれないし、下がるかもしれない。株価は「美人投票」のようなもので、理屈通りにはいかない。巨大投機筋の思惑によってどうにでもなる。
 どうにでもなるとは、こちらにとっては振り回されるだけのことだ。だけども止めろとは言わない。株は賭けである。賭けは楽しい。手すさび程度に遊ぶのはいい。手すさび程度とはどのくらいかと訊かれた。まあ、手持ち資産の1割ぐらいかなとテキトウに答えた。株で人生を棒に振るとか、大損して窮屈な生活を強いられるなんてのはバカらしい。

  ということで、出口近くで、アホノミクスを遊ぶのがよいのではないでしょうか。

  前にも書いたが、賭けの唯一の必勝法は勝ち逃げである。

2011年12月17日 (土)

サラリーマン根性とはイエス・バット

 

 「浮世のことは笑うしかない」とは山本夏彦翁のことばである。わが放心流もそれをなぞって浮世のことは笑ってすまそうと思っている。しかし辛抱がたりない。世事についてなにかと言いたくなる。たまには、浮世のことに屁をひりかけてやりたくなる。たまにはである。

 オリンパスの不祥事をめぐって第三者委員会が調査の報告をした。6日のことである。報告書は隠ぺいが続いてきた背景に「悪い意味でのサラリーマン根性」云々と表現していた。違和感がある。

サラリーマンに対して失礼ではないか。「悪い意味での」と断っているが、この委員会はサラリーマンを侮辱していることはまちがいない。

新明解国語辞典(第七版)で「運用」(使い方)として次のように解説している。

「サラリーマン根性」などの形で、定期的な収入を得て安定した生活をすることを第一として仕事に情熱や意欲を持とうとしない、サラリーマンの陥りがちな人生態度を、非難や皮肉の気持ちを込めて言うことがある。

情熱や意欲を持とうとしないけど、不正行為に加担するとまでは書いてない。オリンパスの例では、取締役だけでなく、財務担当者が直接関与していないと経理処理はできない。社員も不正行為に加担していたのである。

「トップがワンマン体制を敷き、異論を唱えるのがはばかられる雰囲気が醸成されていた」とある。確かにトップに異を唱えるのは難しい。しかし、やりようはある。

 サラリーマンならノーと言うことはできないだろう。それは認める。だとすれば「はい、わかりました」とか「承知しました」と答える。で、やらない。ぐずぐず引き延ばす手はある。しかし現実にはそうもいかないだろう。

 次の方法。「はい、わかりました。いい方法はないか、早速、公認会計士(あるいは弁護士)と相談してみます」と答える。その後「難しいということでした。コンプライアンスの点から絶対ダメだとも言われました。さらりと特損処理をしたらどうかということでした」などと答えればよい。

経営陣はコンプライアンスということばに弱い。コンプライアンスはサラリーマンの守り神である。いわば逆黄門さまの印籠である。これを使うのがベストな選択なのだ。

 相談先に証券会社を選んではならない。証券会社を悪く言うわけではないが、一部には飛ばしだの損失隠しなど得意な証券会社もある。悪い意味での株屋の伝統を引きずっている証券会社(投資顧問会社を含む)もある。

*悪い意味での株屋、という表現を使ってみた。近頃、株屋なんていう呼び方を聞かなくなったけど、どうしてなんだろう。

*減損会計が施行される頃、あれはどのぐらい前だったか、オリンパスの関係者はどんな動きをしたのだろうか。詳細を知りたい。 

 大王製紙もしかりである。トップから借入要求があれば、「はい、わかりました。取締役会規則があるので、いま、返事することはできませんが、直ちに臨時取締役会を開催し、融資について付議し、承認が取れるよう手続きいたします」と答えるのだ。相手は嫌な顔をするかもしれないが、「何事もコンプライアンス、法令に則りやりませんと、ご本体(大王製紙やオーナー)にご迷惑をおかけすることになりますので、ご了承のほどお願い申し上げます」とやればよい。

 つまりのらりくらりである。

 のらりくらりやるうちに、自身のやっていることがとんでもないことだと自覚するはずだ。

 それでも、自覚しないのなら、最後の手段として、内部告発という手がある。匿名で、事実を漏らすのだ。それがサラリーマン根性である。隠ぺいや不正に加担するのは、サラリーマン根性とは別のものだ。

 それで左遷されたり干されたらどうするのかとお思いの方もいらっしゃると思う。

いいではないか。そうなったら、あきらめるしかない。むろん、不正に加担するという悪魔の選択もある。倫理観の線引きをどこに置くかという個人的な問題であるけれど、やめておきな、と言いたい。不正が発覚せず何事もなくサラリーマン人生を終えるということもあるかもしれない。しかし、罪悪感は残る。精神によくない。やめておいたほうがよい。

そんなことをしなくたって出世するヤツは出世する。イエス、バットでうまく立ちまわるのが、サラリーマン根性である。

2011年11月23日 (水)

ドラッカーと連れション

きょうは勤労感謝の日。新嘗祭である。宮中祭祀のもっとも重要な行事で、一般に五穀豊穣を神に感謝する日とされる。しかし、それなら神嘗祭はどうなるのか。本来は神嘗祭が五穀豊穣を祝う日で、新嘗祭は別の祭祀であったように思うのだが、よくはわからない。

それはともかく、コーヒーショップに出かけた。となりの女の子(大学生ぐらいか)が本を読んでいた。ドラッカーなんとかというタイトル。ベストセラーになった『もしドラ』ではなく、もっと易しい入門書のようである。活字もでかい。

このところドラッカーブームというような状況を呈している。雑誌では特集が組まれ、解説書も多く出ている。ドラッカー自身の著作はあまり目立たないけど、やさしい入門書が書店には並んでいる。

5年ほど前、『現代の経営』(上下)を読み返した。読み返したと言っても、つまみ読み程度だが、感じたことは、「ドラッカーがマネジメントの原点をつくった。何百冊、何千冊のマネジメントや経営書が出ているが、ドラッカーの域をでていない。ドラッカーを読み込めばそれで十分。ドラッカー理論は色あせていない」ということでる。

ドラッカーには一度だけ会ったことがある。二十年ほど前か。ホテル・ニューオータニでドラッカーの講演会があった。開演前、トイレに行った。用をたしていると横に大きな男が並んだ。雲を突くようなという表現があるがああいう感じ。外人さんであった。

そのとき気付いた。「えっ、ド、ドラッカーじゃん。本物だ。おれは今、ドラッカーと連れションをしてるんだ」

講演の内容はまったく憶えてない。連れションだけが記憶に残った。

ちかごろ、酒席でドラッカーの話題が出ると、このことを自慢げにしゃべるようになった。

「ぼくねえ、ドラッカーと連れションをしたことがあるんだ・・・・。日本広しといえども、ドラッカーと連れションをしたのは、僕ぐらいじゃないかな」

べつにすごいことではない。たまたま便所で遭遇しただけなんだけどね。

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余計なひとこと

十年ほど前か、ドラッカーの『断絶の時代』の新版だか増補本がでるということで書評を頼まれたことがあった。気楽にオーケーをしたのだが、送られてきた本は分厚かった。そうだ、『断絶の時代』はベストセラーになったが、難しい本で、しかも日本語訳がこなれていなくて、途中で読むのをやめてしまったことを思い出した。読み切るのはつらい。面倒だ。

日本語版のあとがきに「私が予測したことはほとんど実現した。唯一予想だにしなかったのは日本がこれほど急速に少子高齢化社会になったことだ。大変ではあるが、日本人はこの難局をしっかり乗り越えていくだろう」といった趣旨のことが書かれていた。これ、いただき、という感じで、本文はろくすっぽ読まずに、この部分を中心で書評をまとめた。

いい加減だな、おれって。

別件

訃報がとびこんできた。談志師匠が亡くなった。談志が死んだ。ダンシガシンダ。

立川談志を最後に見たのは、昨年十二月末、柳亭市馬の落語会であった。特別ゲストとして登場した。落語ではなくジョークを、例のかすれ声で披露した。どんなジョークだったか、忘れてしまった。

会場の九段会館もその三ヶ月後、震災で天井が落ちた。取り壊しとなる。