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江戸散策

2016年2月 4日 (木)

 冬のうなぎ

 

 浅草に行ってきた。

 あまり観光客が行かないところを地元の人に案内してもらった。穴場ね。

 まずは浅草文化観光センター。雷門の斜め前にある観光案内スポットで、穴場でもなんでもない。ところが、8階が展望フロアーになっていることはあまり知られていない。確かに人はほとんどいない。眺めがいい。アサヒビールのあの金色の雲のモニュメントがほぼ同じ高さに見える。仲見世通りを上から見るとジオラマのようである。

 伝法院には回遊式の庭園がある。地図を見ると確かにあるが、立ち入ることはできない。だから知らない人が多い。ただし一箇所だけ近づいて眺めることができる。ふーん、こんな場所があるんだ。そのほか、地元の人しかいかないような裏浅草というべき場所も案内してもらった。

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で、最後は三ノ輪(南千住)まで行って、うなぎ。以前行ったときは夏休みだったので、今回は再チャレンジになる。浅草寺でお参りをしたさい、きょうは尾花のうなぎにありつけますようにと祈願した。その甲斐があって、食することができた。

店は大広間のみで個室はない。予約もできない。そういう店である。

写真は「」というメニュー。長焼き三枚。筏のように盛り付けてあるからその名がついたのであろう。注文してからできあがるまで小一時間かかる。一人で食べてもいいが、普通はそんなことはしない。三人で食べた。ふんわりしてうまかった。

この筏、料金は18000円。高いと言えば高いが、ま、たまにはいいでしょう。

 

2015年8月20日 (木)

うなぎ、ライオン、招き猫

 

浅草在住の知人の案内で、浅草界隈を歩いた。

仲見世周辺はあいかわらず観光客であふれているが、隅田川河畔まで来ると人はまばらになる。橋を渡ると向島。さらに人は少なくなる。陽は傾き、雲に隠れる。炎天下を歩くかもしれないと覚悟していたけれど、散策日和となった。川風が心地よい。

細かな散策コースは省く。神社があった。三囲神社。みめぐりと読む。社に向かって左側にライオンの像が鎮座している。

R0012251このライオン像、三越池袋店にあったものを移設したということだ。この神社は三井家と関係がある。三井の井が三囲と似ている。井が口で囲まれている。それで縁ができたということらしい。

神社の境内にライオン像。あってもおかしくはないけれど、ミスマッチが面白い。

 

ここから言問団子の店にむかう。途中、弘福寺がある。ここは知っている、名前だけだが。小沢昭一の墓がある。素通りするわけにはいかない。寺の人に場所を問うと、お墓の前まで案内してくれた。ごく普通のお墓である。小澤家の墓とあるだけ。何の変哲もない。ちなみに小沢さんの俳号は変哲だった。脇の戒名を見ると、なんとか一哲居士とあった。

言問団子で一服のあと、桜橋を渡って、今戸に出る。ここに来たからには、今戸神社に行かないわけにはいかない。

R0012258今戸神社は招き猫の発祥地といわれる。大きな招き猫が社の中にいるが、ちかごろは縁結びの方が有名になっている。若い女性の参拝客が多い。絵馬に特徴がある。ふつう、絵馬は山型の五角形のものだが、ここのは丸い。二匹の招き猫が可愛らしい。

 

 

  さて、今回の散策の目的は鰻であった。今戸から延々と歩いて南千住に行く。ここには有名な鰻屋があるのだそうだ。店の名は尾花。ぜひ、ここの鰻を味わってもらいたいというのが案内をしてくれたSさんの気持ち。ところが、店は休みだった。夏休みでという張り紙がしてあった。

 ちょっとがっかり。枯れ尾花か。仕方がないので、バスで浅草に戻る。なにがなんでも鰻という胃袋になっているので、同じ鰻の小柳という店に入った。代替の鰻屋だが、この界隈ではここも有名ということだ。

 で、この店の味。旨かった。旨いかどうかは焼き方を見ただけでわかる。ふっくらと焼きあげている。満足でした。

 尾花は、いずれ行ってみよう。

2012年3月13日 (火)

どどいつ・四行詩の世界

以前、NHKが文芸選評(ラジオ第一放送)で「どどいつ」を続けていることは、えらい! と評価した。その「どどいつ」が今月(三月)で終わってしまうことになった。誉めて損をした気分である。

そのあとは「俳句・兼題」となる、俳句が文芸選評の半分を占めることになる。あとは、短歌と川柳である。

そりゃ、どどいつ人口は減っているだろうが、いきなり首を切ることもなかろう。ひどいではないか、絶滅危惧種を守れと叫びたいところである。

風迅洞先生がご存命(昨年逝去)なら、こんなことにはならなかったと思う。

現在の撰者のセンスが落ちたとはいわないけれど、首を傾げるような稚拙などどいつが入選することが多くなり、投稿が減ったのかもしれない。これは推測にすぎないが。

撰者が交代して以降、わたし自身はこの番組にそれほど熱心に耳を傾けなくなった。そんな視聴者が多くなったのかもしれない。

あれこれ言ってもしようがない。三月の入選作で印象に残ったものをひとつ記しておきたい。

折り込みの題は「ほ・ほ・え・む」である。

ホットドックを ほおばりながら 江戸の古地図に 無我夢中

ホットドックがいい。折り込みでなければ、おにぎりをかじるぐらいの発想しか出てこないが、ことばが規制されると思いも寄らない発想が生まれる。古地図を手にして江戸の旧跡を巡るシーンが浮かんでくる。芸術性はともかくとして、素直で、いいどどいつである。

読売新聞は「五行詩」のコーナーを設けている。ならば四行詩(どどいつは、七・七・七・五の四行)があってもよい。

恨み、未練、情愛、心意気、敗北感、やせ我慢といったものは、どどいつにふさわしい。花鳥風月とか侘び寂びとは違った世界のほうが面白い、と思う。

2011年11月27日 (日)

古文書は難しいけど面白い

きょうは、古文書講座に出かけた。毎日曜日、川崎市公文書館で開かれる講座である。4回シリーズ、今回がその一回目である。レベルは初級。よちよち歩きのレベルである。

数年前から江戸時代の勉強をしている。昨今の江戸ブームに乗っかって、江戸時代ものの読書やセミナー受講を続けてきた。その中で、古文書を読み解くという内容のものもある。これがけっこう面白いのだ。一枚の文書に書かれている内容、その背景、あるいは不明な部分などの解説を聞くと、その奥深い世界に引きずり込まれてく。これまで学んできた歴史とか読書が実に底の浅いものだとわかった。簡単にいうと、歴史とは年表という側面がある。時系列に右から左、あるいは左から右をと流れていくだという認識があるが、あれは間違っている。間違っているというのは大げさだが、歴史とは年表ではない。歴史とは地層である。そう思うようになった。

歴史とはミルフィーユである。ミルフィーユのように重なった地層の上にわれわれは立っている。そういう考えに古文書を通じて感じるようになった。

乍恐以書付奉申上候(恐れながら書付をもって申上げ奉り候)などという文書をしばしば目にするのだが、そこに込められた願いがわかると、たちまち江戸の風景や匂いが立ち上ってくるのである。といっても何のことだかピンとこないかもしれない。いずれそのあたりを解説したいと思うのだが・・・。

しかし古文書は難しい。ろくすっぽ勉強しないこともあるし、勉強しても憶えた先から忘れていく。三歩進んで二歩さがるならよいが、三歩下がるのである。ザルである。ニワトリ頭である。

遅々として進まず、である。でも、周りもその程度のザルばかりの劣等生だから、安心してトロトロお勉強をしている。

ど素人であるが、入門書で参考になるものを紹介しておこう。恐れながらである。

柏書房から出ている油井宏子の著作が面白い。『古文書はこんなに面白い』は寺子屋の規則を解説したもの。寺子屋の様子が浮かんでくる。

今年出た『絵で学ぶ古文書講座 漂流民と異国船との出会い』はさらにエキサイティング。江戸末期、漂流民がアメリカの捕鯨船によって助けられ、無事帰還するまでの記録(絵入り)を解説したものである。

こういう資料(古文書)があるなんて知らなかった。よけいな説明はヤボ。まずは手にとって読んでいただきたい。

2011年11月24日 (木)

関東一本締め

昨日の続き

連れションといえば、関東の連れ小便ということばがある。仲良く並んでおしっこをするのだが、なぜ関東なのか。よくわからない。秀吉と家康がならんで小便をしたという故事からきたという説もあるが、それがことばの由来とすると、いかにもこじつけ感がぬぐえない。

秀吉と家康が並んでしたのは小田原攻めのときである。後北条が立てこもる小田原城を取り囲んだ。孤立無援、頼みの伊達正宗も動かないことがわかると、もはやこれまでとギブアップ。早雲を祖とする北条家は五代で途絶えることになった。小田原城がまもなく陥落すると思われる頃、秀吉と家康が連れションをした。そのときのやりとり。

「家康殿、貴侯に関東をまかせようと思うが、いかがであろうか」

「光栄に存じあげます。しかと承知つかまつりました」

このとき、家康の関東入りがきまったという。本当にそうだろうか、よくわかりません。

関東の連れ小便以外に、関東のつくことばがある。「関東一本締め」。

手打ちは三本締めが一般的である。三三七拍子を三回繰り返す。一本締めは三三七拍子を一回だけ行う。これに対し、関東一本締めは、ヨーオ、シャンと、手拍子一回だけとなる。

関東一本締めは、小田原北条を発祥とする説がある。北条家では出城の頭を月に一回集め、評定(会議)を開いた。河越城とか江戸城とか津久井城から集まった責任者で評定をした。たっぷり話し合った。腹蔵なく議論し、合議制で意見を取りまとめた。小田原評定は長くてまとまらない会議を意味するが、合議性だから長引くのはいたしかたないのだ。しかし、納得いくまで議論できる。そこに不満は残らない。

このようなこともあり、小田原北条では一件の下剋上もなかった。合議制の評定が相互理解と絆を生んだのである。

ときどき、宴会の中締めをやらされることがある。小田原評定の一件を織り込んで、シャンと一本で締めることにしている。