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映画

2025年11月10日 (月)

「おーい!どんちゃん」

 映画祭の打ち上げがあった。盛り上がったのは、「お―い!どんちゃん」の話題。 映画祭最終日の上映後のトークに、沖田修一監督や俳優が駆けつけてくれた。

 この映画、赤ちゃんを預けられえた三人の若ものが子育てをするストーリーである。沖田監督が来てくれるかどうか危ぶまれていたが、わたしは「必ず来てくれる、沖田さんはこの映画祭が好きだから」と自信をもってしゃべっていた。そのとおりとなった。

 沖田監督の自主映画で、撮影は三年半ぐらいかかったという。赤ちゃんの「どんちゃん」は監督の実の子。子育て映画でもあり、幼児の成長記でもある。

 沖田映画は、どの映画もくすりとした笑いにあふれている。この静かなユーモアがたまらない。わたしは「南極料理人」以降、沖田映画のファンである。「どんちゃん」も三人のなにげないドジぶりが緩くて愉快なのだ。

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 写真はそのトークの様子。女性はどんちゃんを預けた女性である。5人も駆けつけてくれたのは、この映画に対する思い入れと、俳優たちの沖田監督への敬意、信頼からだろう。誰も沖田監督を、監督とは呼ばない。沖田さんである。この親しさが、沖田組を支えているのだろう。撮影が終わったらそれでおしまい、という関係ではない。

 愉快なトークで、われわれスタッフも一緒に楽しんだ。沖田監督の次回作がしんゆり映画祭で上映されることを願っている。

 つけくわえると、この映画、配信はない。DVDも出ていないはず。簡単に観ることはできない。小さな上映館を探すしかない。

2025年11月 8日 (土)

「盤上の向日葵」

 柚木裕子原作の「盤上の向日葵」をイオンシネマで観てきた。原作は読んでいない。

 山の伐採の折、白骨化した遺体が見つかるのが発端。遺体には将棋の駒がおかれていた。駒は名品で数が少ないものだった。それを手掛かりに捜査が始まる。

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 事件にかかわりがあるとされたのは、奨励会を経ずプロ棋士になった上条(坂口健太郎)。その生い立ちから将棋に関わっていく人生が明らかになっていく。父親からの虐待、養父のような男性から将棋を教わる。そして真剣師(かけ将棋)との出会い。

 真剣師・東明(渡辺謙)は小池重明を連想させる。破滅的な将棋指しだったが、ま、将棋ファンしか知らない存在である。

 画面が不鮮明だったのが気になった。映画館の設備のせいか。ひまわりも色あせている。刑事役など演技がぎこちない。うーん、ちょっとと思うが、渡辺謙や柄本明がでてくるとシーンが引き締まる。

 上条の出生の秘密が次第に明らかにされていく。ドラマティックではあるけれど、ちょっと大仰、やりすぎの感がある。

 将棋を指す指づかいが気になった。将棋指しはもっと華麗だ。人差し指と薬指で挟んで中指を添えて指す。ときにぴしゃりと。

「鬼殺し」という指し手が出てくるが、これは古臭い。将棋に夢中になった時期があるのでそこそこの知識はある。鬼殺しは易しい嵌め手である。プロは指さない。指せばAIの評価はぐんと下がるだろう。だから違和感がある。

  ちょっと悪口を書いたが、ひとつほめておきたい。エンドロールの桑田佳祐の歌がすばらしい。

2025年11月 4日 (火)

しんゆり映画祭

しんゆり映画祭」はぶじ終わった。

 ボランティアメンバーとして活躍したと言いたいところだが、実際はメンバーの足をひっぱらない程度だった。若い人たちが頑張ってくれた。パソコン能力は優れているし、気遣いもたいしたものだ。こちらはただ眺めているだけ。齢を感じる。そろそろ引退か。

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 ことし好評だった映画は「侍タイムスリッパー」、「二十四の瞳」、そして「悪い夏」。チケットは完売となった。「二十四の瞳」はほとんどが高齢者だった。80代も多かった。ふだん映画館にでかけることは少なくなった人が、懐かしさゆえに観にきてくれたのだろう。

ごはん」もほぼ満席だった。「侍タイムスリッパー」の安田淳一監督の作品。安田監督によるアフタートークが好評だった。苦労話も笑いに包まれた。

 トークの後、映画祭スタッフとの懇親会があった。9時スタートだったので、私はパスした。遅くまでは付き合えない。おおいに盛り上がったという。

 上映映画はボランティアスタッフの推薦したものが中心となる。どのような演出で上映するかもスタッフが決める。ゲストに誰に来てもらうか、事前の広報活動をどうするかなどである。詳細はホームページに紹介されている。

 とりあえず上映会は終わった。私の担当である記録班には、ビデオの編集や写真の整理などが残っている。まだ作業は続く。

 もう少し書きたいが今日はここまで。

2025年10月31日 (金)

「ファンファーレ! ふたつの音」

 炭坑、ブラスバンドというとイギリス映画「ブラス!」を思い出す。炭鉱閉鎖の中で、人たちの友情を描いたものだった。あれから30年ぐらい経つ。

ファンファーレ!」をアートセンターで観てきた。同じく、衰退する炭鉱の吹奏楽団を描いた映画である。こちらはフランスが舞台。

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 有名指揮者のティボは白血病になる。骨髄移植が必須となるが、ドナーになると思われた妹とは血縁関係がないことがわかる。ティボは養子だった。そして生き別れとなっていた実の弟が見つかる。移植には問題がないことが判明する。

 弟のジミーは炭鉱の食堂で働いていた。暮らしは楽ではないが、吹奏楽団でトロンボーンを弾くのを唯一の楽しみとしていた。二人の暮らしは差がありすぎていたため、、ジミーは兄を避けるようになるが、ティボはジミーやその仲間を応援した。

 ラベルのボレロを演奏するシーンがある。吹奏楽団の仲間はボレロを口ずさむ。これがラストシーンでも演奏される。ちょっと感動的に。

 アズナブールが流れるシーンがある。これは懐かしい。NHK‐BSの海外ニュース番組、フランス・ドゥ―の美人アナウンサーも出てくる。番組に出てインタビューを受ける。ちょっと笑ってしまった。これはBSを見てないとわからない。

 脇役の連中、楽団仲間がおもしろい。笑いを誘う。そのあたりもみどころ。

 

 炭鉱を舞台にした名作は多い。炭鉱が廃坑となるとか、労働争議が起きるとか。ジョン・フォードの「わが谷は緑なりき」。イングランド民謡などを効果的に使っていた。

 日本では、今村昌平の「にあんちゃん」。今年亡くなった吉行和子が保健婦役で出ていた。元気な演技が印象に残っている。

 

2025年10月25日 (土)

「ミシェル・ルグラン」

  ミシェル・ルグランを描いたドキュメンタリーをアートセンターで観てきた。「世界を変えた映画音楽家」とサブタイトルがついているけど、よけいだ。

 むかし、60年代には、しょっちゅう映画音楽はラジオから流れていた。映画音楽がヒットチャートの上位にランクされることも多かった。映画とテーマ曲は切り離せなかった。近ごろはそんなことはまずない。「国宝」が大ヒットしてもそのテーマ曲はラジオテレビでは流れることはない。時代が変わったと言えばそれまでだが。

 だから、ミシェル・ルグランといっても知らない人が多くなっている。ニーノ・ロータ、エンリコ・モリコーネとならぶヨーロッパ映画音楽の巨匠である。

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 ヌーベルバークが押し寄せると、いくつかの曲の依頼が来る。ゴダールの「女と男のいる歩道」が最初のヒット曲。ジャズ。テンポのいい、耳に心地よい曲だった。でも、多くの人はどんな曲か知らないだろうな。「シェルブールの雨傘」ならみんな知っている。映画も曲も大ヒットした。セリフもすべて歌というミュージカル映画だった。監督はジャック・ドゥミ。二人は仲が良かった。「ロシュホールの恋人たち」「ロバと王女」などコンビを組んだ。

 アメリカでは「華麗なる賭け」のテーマ曲「風のささやき」が大ヒットとなった。スティーブ・マックイーンがかっこよかった。この曲が映画を盛り上げた。

 映画のシーンとともに曲は私のこころに刻まれている。

 最後のコンサートのシーンが印象的。支えられて舞台にあがるが、ピアノの指づかいは若いころと変わらない。そして指揮。曲の最後で指揮棒を手から落とす。これが最後だというサインだった。

 唄もうまかった。エンドロールでは自身が歌う「風のささやき」が流れる。

「風のささやき」は、たしか今もテレビコマーシャルでも使われている。エールフランスのCM

 

2025年10月21日 (火)

「おーい、応為」

 葛飾北斎を描いた映画いくつもある。「HOKUSAI」。晩年の北斎を演じたのは田中泯だった。本年度の文化功労者である。新藤兼人監督の「北斎漫画」では緒方拳が演じた。娘のお栄役は田中裕子だった。お栄を主人公にしたアニメ映画もあった。タイトルはちょっと忘れた。

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おーい、応為」を観てきた。北斎は永瀬正敏、娘お栄(応為)は長澤まさみが演じている。監督は大森立嗣。じっくり腰を据えて撮った映画が多い。「おーい、応為」もおそらく淡々とした内容になっているのではないかと想像する。

 お栄は夫のもとを飛び出し、北斎のもとに帰る。出戻りである。勝ち気な撥ね返り娘。北斎は筆を執ったり、何かを食べていたりする。食事のシーンが多い。そして引っ越しをする。そういう日常が描かれる。お栄はつっぱりながらも、父に寄り添い、母や妹にも気を配る。これといった事件は起きない。淡々とした暮らしが繰り返される。このあたりは大森流である。

 映像が美しい。それ以上に音楽がいい。大友良英である。トランペットが妙に映画に馴染んでいる。さすが大友良英だと感心する。

 絵については、一つ二つだけ書きとどめておく。応為の吉原、ちょんちょん格子の明かりと影を描いた絵を映し出している。この絵は傑作である。北斎の、富士の向こうに龍が昇っていく絵が最後に登場する。これもすばらしい。

 最後に、ひとこと付け加える。長澤まさみのしなやかな姿が美しい。

2025年10月16日 (木)

フレイムユニオン 最強殺し屋伝説国岡〔私闘編〕

 久しぶりに新宿シネマートで映画を観た。阪元裕吾監督の「フレイムユニオン 最強殺し屋伝説国岡〔私闘編〕」である。阪元監督と言えば「ベイビーわりきゅーれ」でおなじみ。熱烈なファンもいる。上映館は少ないけど、ロングランとなっている。

 コミック誌の劇画を映画化したような荒唐無稽なアクションものである。

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 真中と国岡は殺し屋だが、へたれであってウーバーのバイトで糊口をしのいでいる。それが父親と対決することになる。父親は名うての殺し屋。手ごわい相手だ。猛特訓で技を磨き、そして決闘となる。

 ほら、ばかばかしいでしょ。この映画ではもうひとり監督がいる。アクション監督である。決闘シーンでは坂元監督をさしおいて乱闘を仕切った、と思われる。

 親と子はどういう関係にあるのか、といっためんどくさい内容はない。

 アクションは迫力がある。けっこう笑わせるセリフもある。「殺し屋でない人間が拳銃を持つと、銃刀法違反で逮捕されるぞ」など。

 記録映画を撮っているような映像となっている。その斬新さも見どころである。

 

2025年10月14日 (火)

「ザ・ザ・コルダのフェニキア計画」

 ウェス・アンダーソン監督の「ザ・ザ・コルダのフェニキア計画」をアートセンターで観てきた。

 ウェス・アンダーソンと言えば、一風変わったというか、奇妙なおもちゃのような映画を作ってきた。「グランド・ブタペスト・ホテル」が印象に残っている。安っぽい張りぼてのようなロープウェイが登場したり、リアリズムからほど遠い美術をわざわざ使っていた。これがなぜか記憶に刻まれている。

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 今回も、飛行機の機内のシーンがあるのだが、設備はひどく安っぽい。これに爆弾が仕掛けられて爆発、飛行機はトウモロコシ畑に不時着する。素人のいい加減な舞台装置で、低予算を通り越して、笑える。これがアンダ―ソンの世界。

 ストーリーは荒唐無稽。1950年代。大富豪のザ・ザ・コルダ(べネチオ・テル・トロ)は大規模プロジェクトに挑んでいたが、敵も多い。6度の暗殺未遂をくぐりぬけていた。不時着したが無事だった。この旅には娘のリーズルが同行していた。リーズルは修道女であるが、彼女を後継ぎと考えていた。で、これからがよくわからない。変な人物が登場したり、さらに命を狙われたり、大変なのだが、それほどシリアスとは感じられない。だって、喜劇なんだものと観客は冷静である。死んだとしても、ま、そういう人生もあるよねと思わせるだけだから。

 ストーリーを追うと、ばからしくなる。珍演技や舞台装置を楽しめばよい。そういう映画なのだ。いくつもの賞に輝いている。

 先だって観た「ワン・バトル・アフター・アナザー」も父と娘の話だった。父と娘のコンビは映画になりやすいのだろうか。

 そういえば週末から公開となる「おーい、応為」も北斎と娘の話だ。

2025年10月 8日 (水)

「ワン・バトル・アフター・アナザー」

  久しぶりに、ハリウッド・アクション映画を観た。「ワン・バトル・アフター・アナザー」。デカプリオ主演。ショーン・ペンも出ている。監督はポール・トーマス・アンダーセン

 ハリウッドのアクションものは展開が目まぐるしい。省略が多く、ストーリーを追うのに精いっぱいとなる。のんびりは観てられないものが多い。年寄り向きではない。ならば、観なきゃいいと思われるかもしれないが、そういうものでもない。

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 冒頭、不法移民の収容所。ボブ(デカプリオ)は「フレンチ75」の一員として施設を襲って収容者を解放する。治安当局もだまってはいない。ロックジョー(ショーン・ペン)は組織を追い詰め、壊滅状態にする。それから16年後、ボブは娘のウィラとともにひそかに暮らしているのだが、ロックジョーはそのありかをつきとめる。ここから逃走劇がふたたび始まる。ロックジョーとウィラの母親との関係もあるのだが、それは省く。肝心なことだが。

 ロックジョーの背後には白人至上主義者組織がある。彼はその組織への加入を望んでいる。だから、ロックジョーはこの追跡には執拗である。

 といったことがあって、ウィラは捕まったりするのだが、ボブはからだがなまっており、十分な活躍はできないでいる。娘に対する愛情は人一倍なのだが。

 後半の、カーチェイスの場面が面白い。起伏にとんだ道をにげる。ちょっとした英知で生き延びる。ああ、そういう展開もあるのかと感心する。

 そして色濃いのは、家族の絆というか父親と娘の結びつきである。言ってみれば、ハリウッド・コードの定番なのだ。詳しく書くと、ネタバレになってしまうのでやめておく。 こう書いてみてもよくわからないと思うけど、なんだかんだあっても、家族の絆がテーマになってしまうのがハリウッド映画なのだ。

  つけくわえると、ショーン・ペンは奇怪な役回りである。それが持ち味だから、いつもそうなる。ファンの期待を裏切らない。

2025年9月26日 (金)

「宝島」

 3時間11分。長い。尿意が気になる。もつかしら。そんな不安を抱いて大友啓史監督の「宝島」を観に行った。客足はよい。「国宝」を最初に観た時より客席は埋まっている。

 戦後の、占領下の沖縄が舞台である。1952年だったか、米軍基地の倉庫から物資を盗み出す少年グループがいた。盗品は安く売り、貧しい人にはただで配っていた、リーダーはオン(永山瑛太)。仲間は、弟のレイ(窪田正孝)、友人のグスク(妻夫木聡)、そして恋人のヤマコ(広瀬すず)。ある日、忍び込んだものの米兵に見つかってしまう。からくも逃げのびたが、オンは行方をくらましてしまう。

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 ここまでがプロローグ。以後、オンの行方を追いながら、三人が生きていく姿を描いている。グスクは警察官、ヤマコは教師となり、レイはヤクザ。ともに反米闘争に身を置く。

 戦後の沖縄の混乱ぶりを迫力ある映像で映し出している。金をかけている。住民らも、つまりエキストラの数もハンパではない。反基地闘争、米兵の犯罪への抗議行動、とりわけゴザ騒動、そして本土復帰運動が描かれる。

 戦争が終わったからと言っても平和になったわけじゃないとグスクは叫ぶ。このセリフが、沖縄のこの時代を象徴している。

 という流れで、20年ぶりにレイが姿を現す。まあ、こうなるだろうとは予測できる。映画は多少類型的であると感じるけど、戦後の沖縄をうまく描いている。それと、やっぱり長い。途中、カットしてもよい部分があるんじゃないか。

 エンドマークで場内が明るくなると、一目散でトイレに駆け込んだ、映画の余韻に浸るような余裕はなかった。

 

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