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映画

2026年3月 8日 (日)

「みんな、おしゃべり」 

 日本にクルド人がどれほどいるか、知らない。埼玉の川口あたりに多く住んでいて、近隣住民とのトラブルがあるというニュースを耳にしたことがある。最近は聞かないからトラブルはなくなったということか。外国からの移住について不法滞在だの就労だの法的な問題があることも承知しているが、私にとっては身近な問題ではない。コンビニや飲食店ではたくさんの外国人(多くはアジア人)が働いている、と感じる程度である。

みんな、おしゃべり」を観てきた。クルド人グループとろう者グループのトラブルを描いた映画である。監督の河合健はCODA(親がろう者)だそうだ。

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 夏海にはろう(デフ)の父親と弟がいる。クルド人一家が近くに引っ越してきて、些細なことで父親とトラブルとなる。ことばが通じない。夏海は手話ができる。クルド人一家で唯一日本語ができるヒワ青年が間に入って通訳する。だが、通訳はうまくいかない。正直すぎる通訳だと火に油を注ぐこともあって、両者の溝を埋めることはできない。といった設定。あれこれあって、やがてわかりあえるようになるという着地は最初から想定できる。

 市は多民族が良く暮らす街にしようと活動しているが、トンチンカンな対応しかできていない。夏海の弟の駿が通う学校も教育熱心な割には子供の気持ちをつかめていない。で、駿クンは授業についていけないでいる。マイノリティーに対する配慮が足りない。これが現実なんだろう。と、あれこれ考えてみるのだが、どうしたらよいのかわからない。飲食店で働くミャンマーやベトナムからの留学生や研修生にはより優しく接するようにしている。

 この映画字幕が多い。多いのは親切のようにみえるが、目が悪い私にとっては迷惑というか、煩わしい部分もある。第一、字幕が小さくて、読みづらい。これならUDキャストを借りればよかったと思うほど。私は視力マイノリティーになりつつある。

 ちょいと付け加えると、クルド人といっても出身国はさまざま、トルコ、シリア、イラン、イラクなど。言語も違う。映画の中でも、俺たちはクルド人であってトルコ人じゃない、というセリフが出てくる。そう、そういう理解も必要だよね。

2026年3月 4日 (水)

「木挽町の仇討ち」

 ここ数年で読んだ直木賞受賞小説では『木挽町の仇討ち』が群を抜いて面白かった。

 冒頭の章がいい。木戸芸者の啖呵のキレが心地よい。ここだけでも傑出している。それが映画化された。さっそく観てきた。

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 冒頭は木挽町の森田座。仮名手本忠臣蔵の十一段目(討ち入りの場)がはねて客が出ていくと、前の広場で、赤い打掛けを脱ぎ捨てた白装束の侍が、親の仇と、仇討ちを朗々と宣する。原作とは違うプロローグである。それはさておいて、みごと仇の首を討ち取る。

 それから一年半後、美濃遠山藩の加瀬総一郎(柄本佑)が森田座に現れ、伊納菊之助(長尾謙杜)の仇討ちの顛末を教えてほしいと聞きまわる。

 仇討ちに至る経過が、少しずつ解き明かされていく。敵役となる作兵衛(北村一輝)はなぜ菊之助の父親を斬って逃亡したのかなど経過を説明するのは面倒である。簡単に言うと、仇討ちは芝居仕立てだった。念には念を入れた演出により冒頭の仇討ちの場面となる。

 脇役人がよい。渡辺謙、高橋和也、滝藤賢一・・・。とりわけ仇役の北村一輝の演技が光る。ということで、原作をうまく脚色した監督の源孝志の技量を褒めたい。

 

2026年2月28日 (土)

「黒の牛」

  このところミニシアター向きの小作品を多く観ている。シネコンは子供向きのアニメや若者向きの漫画や小説を原作にしたものが多い。で、敬遠することになる。今回も地味な映画「黒の牛」をアートセンターで観てきた。ド派手な「ブゴニア」をもう一度観ようとも思ったのだが、踏みとどまった。

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 墨絵を映画にしたような内容。山の民が里に下り、ひとり暮らし始める。ある日、男は牛を見つけ連れて帰る。牛は田を耕す。村人から感謝されるが、ある日、牛は死んでしまう。男はまた独りの暮らしとなる。ストーリーだけを追うとそんな具合。時代設定は、明治の初めあたり、

 なんでも禅宗の修業過程を描いた「十牛図」という絵があるそうで、それをベースにしたという。要するに禅的ってこと。男が石垣の前で静かに瞑想するようなシーンがある。それが石仏のように見えた。静的なことはいいのだが、多少退屈でもあった。

 十牛図にあわせて、十の章に分かれている。映画は九章で終わる。エンドロールとなるが、十章目はそのあとで、短くコピーが入る。ちょっと笑える。見逃さないように。

2026年2月24日 (火)

「グッドワン」

 映画紹介のチラシに「17歳の少女の親離れをさわやかに描くトレッキング映画」とある。タイトルは「グッドワン」。アートセンターで観てきた。

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 17歳の少女サムは、父親とその友人3人で、三日間のトレッキングをする。ただそれだけ。大トラブルに巻き込まれるわけではない。多感でナイーブな年齢のサムは、トレッキング中に大人っていいかげんだなあと感じる。すこし苛立つ。で、どんな行動をとるのか、というストーリー。

 ひたすら歩く。がけをのぼったり、水浴びをしたり。静かな映画である。月を眺めるシーンがある。地球照という表現がでてくる。初めて聞く。あとで調べてみると、月の欠けている部分に地球で反射した日の光が当たって照らされる現象とのこと。なにか意味があったようだが、わすれてしまった。地球照ということばだけ頭に残った。

 渓流や岩肌の映像が多い。これが美しい。平らな岩の上に石が積まれている場所がある。単なる石遊びなんだろうが、賽の河原で石を積む東洋的な光景を思い浮かべる。アメリカの渓流にも石を重ねて積む風習があるのかどうかは知らない。ちょっと印象に残った。

2026年2月20日 (金)

「クライム101」

クライム101」。ロスを舞台にした犯罪ミステリーである。この手の映画を観るのは久しぶり。前に何を観たのか記憶にない。前評判がよいので観る気になった。

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 ルート101号沿いで宝石店襲撃事件が連続して起きている。手際よく盗んで犯行の手がかりを残さない。犯人はデービス(クリス・ヘムズワース)。そろそろこのしのぎも潮時と考えている。これを追うのが市警の刑事ルー(マーク・ラファロ)。ぼさぼさ髪でうだつのあがらないタイプ。コロンボを連想する。

  オーソドックスな対立軸であるが、追う者と追われる者の周辺事情もしっかり描いている。緊迫した場面では、ハリウッドおなじみの打楽器を駆使したBGMが流れる。これは常套手段。でも、迫力がある。

 会話の切れがよい。日本語吹替バージョンもあって、どっちを観ようか迷ったが時間の都合で原語バージョンにした。

 プレスリーやスティーブ・マックイーンの名が出てくる。好きな映画は「ブリッド」とか「華麗なる賭け」とか。そのあたりは年配者向きの映画になっている。

 もうひとり宝石店を襲う強盗犯がいる。半ぐれのような若者。犯行は荒っぽく、オートバイで逃げまわったりする。これが最後に絡み、三つ巴となる。

2026年2月16日 (月)

「ブゴニア」 ランティモスの世界

「ブゴニア」

 ヨルゴス・ランティモス監督の最新作である。これは見逃せない。「聖なる鹿殺し」以来、ゲテモノの肉を好むようにランティモスを観てきた。風変わりでグロテスク。世の常識をあざ笑うような作風は愉快である。主演はもちろんエマ・ストーン

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 養蜂を営むテディ(ジェシー・プレモンス)は、ミツバチが女王蜂を捨て逃げてしまう行動をいぶかしく思っていた。この異常事態を、地球人類を滅亡させようとするエイリアンによるものと考え、従弟のドンとともに、エイリアンであるミシェル(エマ・ストーン)を誘拐する、ミシェルは製薬会社のCEO。テディらは彼女を坊主頭にしてしまう。髪の毛が宇宙船と交信するアンテナだと思い込んでいたから。異常である。

 テディは、地球から手を引けとミシェルに迫る。ミシェルは何のことかさっぱりわからないが、しだいに彼らの意図を理解し、はげしく反論する。ミシェルの弁舌はさわやかで、会話はかみ合わないが、しだいに優位になっていく。

 荒唐無稽なストーリーだが、この映画、韓国映画のリメイクだそうだ。そんな映画は知らなかった。

 事態は思いがけない方向に進んでいく。大音響のBGMは迫力があり、画面に引き込まれる。タランティーノが喜びそうだ。登場人物はほぼ3人と警察官だけ。それだけにわかりやすい

 想像を絶する結末にあぜんとする。自民党の大勝ちと知ったときのあぜんとは似てなくもないけど、ま、これがランティモスなんだと納得する。

 ラスト近くに「花はどこにいった」がフルコーラスで流れる。若い人はこの歌を知らないかもしれないけど、中年以上なら誰でも知っている名曲である。

 愉快な映画だった。名作だ。でも、こんな映画は大嫌いという人もいるだろう。

 時間をおいて、もう一度観てみよう。

 ついでのひとこと

 ブゴニアの意味がわからない。調べてみた。

死んだ牛からミツバチが生まれるとする信仰がもともとの意味。牛を犠牲してミツバチのコロニーの成長を助ける。そこから、冒頭のミツバチの話と結びつく。

2026年2月12日 (木)

「ヤンヤン 夏の想い出」

 エドワード・ヤンが2000年に監督した「ヤンヤン 夏の想い出」をアートセンターで観てきた。昨年は「冬冬の夏休み」を観たが、こっちはホウ・シャオ・シエンの監督作品で、題名は似ているが、作風は違う。

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 ヤンヤンは8歳。その叔父さんの結婚式のシーンから始まる。トラブルが起きる。新郎の元恋人が披露宴に乱入してドタバタとなる。ヤンヤンの父親NJはこれも元恋人と再会する。こちらは騒ぎとはならない。結婚式の後、祖母が脳卒中で倒れ、意識不明となる。三谷幸喜風の始まりだが、ドタバタコメディとはならない。父親がおちついていて冷静。静かな展開となる。

  NJが共同経営する会社は岐路に立たされている。日本のゲームデザインの会社と契約しようとするのだが、どこを契約先にするか、選ぶ先が難しい。社内の意見も分かれる。妻は新興宗教にのめりこみ、家庭を離れてしまう。

 ヤンヤンの登場機会は少ない。カメラをもらい。人の後頭部を写す。前面からだけだと人物がわからないというのが理由。ちょっと変わっている。

 台湾人NJと日本人と会話するシーンがある。日本語でも中国語でもない。英語。そうなるのかと、映画の本筋とは関係ないけど、妙なところで感心した。日本人役はイッセー尾形である。

 ヤンヤンの姉は若者につきまとわれたり、NJの元恋人も未練たっぷりというシーンが続く。そしておばあちゃんは亡くなる。

 なんとなくだらだらした展開と感じたのは尿意のせい。上映時間は長く、3時間近い。2時間ぐらいにカットしてくれたらなあと思う。

 

2026年2月 6日 (金)

「クスノキの番人」

 イオンシネマで、東野圭吾原作の「クスノキの番人」を観てきた。

 ガラガラ。いくらウィークデーの午後とはいえ観客は少なすぎる。早々に打ち切りか。

 おとな向きのアニメ映画。原作はファンタジーだから、それをアニメにするのはわるくはない。入り口で小冊子をもらった。写真がそれ。

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 レイト(玲斗)は就いたばかりの職場を解雇されてしまう。寝れ衣だった。さらに事件を起こし逮捕されてしまうが、亡くなった母の姉のチフネ(千舟)の尽力で釈放される。チフネからある神社のクスノキの番人になるよう勧められる。そのクスノキには霊力があって、祈念すれば願いがかなうという大木だった。そのクスノキに、祈念に訪れる男や女がいた。レイトはそれらの人と交流を深めていく。

そんな物語なのだが、祈念とか受念、あるいは預念、たぶん漢字だとこう書くのだろうが、これがよくわからない。ファンタジーだから、ま、そういうものかと受け入れるしかない。

 あとで、もらった小冊子を読んでみた。表題は「クスノキの裏技」。独立した短編小説か、原作の一部なのかわからない。何も書いてない。これにより、レイトが玲斗だとかチフネが千舟だと知った。祈念とか預念は、ああ、そうかとわかるが、映画だけではわからない。それで、この付録のような小冊子を配ったのだろうか。

 こんな表現がある。「受念するには、祈りながら預念者のことを頭に思い浮かべる必要がある。」

 よくわからんが、祈祷とかそういう世界を描いた映画とおもえばよいのか。祈念、預念、受念のつながり・・・

2026年2月 2日 (月)

「ただやるべきことを」

 韓国の造船業は、コンテナ船やLNG運搬船が好調で、活気を呈している。中国に続いて世界第二位の売上高。日本より上である。

 10年ほど前は、逆に造船不況でリストラや事業撤退の嵐が吹き荒れていた。「ただやるべきことを」は、そのころの造船会社を舞台にした韓国映画である。

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 ジョニ(チャン・ソンボム)は造船会社の若手社員である。人事チームに移動し、命ぜられたのはリストラ名簿の作成である。人事考課や年次などをエクセルに入れて、論理が通るような人選をする。恣意はない。それを組合側に提示するのだが、思うようにはいかない。あれこれ横やりが入る。上層部の役員からは、この人物は残すべきだなどといった意見も出てくる。それではロジックは崩れてしまう。悩ましい。深夜までの仕事が続く。一方、プライベートでは恋人がいる。ジョニには理解がある。彼女は妊娠する。それを機にまずは同居することになる。

 こう書くと、労使交渉は荒れると想像するのだが、思いがけずそういうシーンは少ない。リストラは仕方がないが、組合の連中は自分がその対象にならないようにと願うばかりである。ジョニなりに意見はあるとしても、それを抑え、上司にも同僚にも落ち着いて応対する。

 映画全体が静かである。現場は操業しておらず騒音も聞こえてこない。ジョニはもの静かで、声を荒らげるようなこともない。

 韓国映画といえば感情をむき出しにして怒鳴りあうのが定番だけど、この映画「ただやるべきこと」はそれがない。こういう韓国映画は珍しい。

 

2026年1月29日 (木)

「おくびょう鳥が歌うほうへ」

 寒い日が続いている。アメリカも大寒波だという。

 地球温暖化などどこかへ行ってしまったようだ。その分、反動で、今年の夏は猛暑、酷暑になるんじゃないかとの予感がする。

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  アートセンターで「おくびょう鳥の歌うほうへ」を観てきた。主演はシアーシャ・ローナン。「レディ・バード」や「わたしの若草物語」の演技が印象に残っている。

 ロンドンの大学院で生物学を学ぶロナは学業にも人間関係にもあれこれ悩んでいた。それを紛らわすため酒におぼれた。アルコール依存症。酒を断ち切ろうと治療もうけるが、うまくいかない。また酒を手にしてしまう。

 ロナは久しぶりに故郷のスコットランドの島に帰ってくる。そこでは父と母が暮らしているが、父は双極性障害を病んでおり、母は信仰に意識を向けていた。ロナにとって島は安らぎの場であるはずだったが、よみがえる過去に悩まされることになる。酒でのしくじり、恋人とのわかれ、父親の乱行などなど。

 風の音、波の響き、そしてカモメの鳴き声が聞こえてくる。この映画のテーマは自然のサウンドである。波の響きがたえず足元から伝わってくる。「アラン島」という映画を思い浮べた。アイルランドの島を描いたドキュメンタリー。波がうなる響きが主役のような映画だった。

 ストーリーはあってなきようなもの。ロナのこころに過去が蘇る。ロナはどのように再生していくのか。

タイトルの「おくびょう鳥」はロナが生態を調査するウズラクイナのことである。臆病でほとんど姿を見せることはない。たまに鳴き声を聞くことがある程度。

 ラストで、この鳴き声がかすかに聞こえる。お聞き逃しなきよう。

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