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映画

2024年5月21日 (火)

「夜明けのすべて」

  職場にときどきヒステリックに声を荒らげる女性がいた。50年ほど前のことだ。当人に聞いてみると、生理が近づくとイライラが高じてしまうと語っていた。いまだとPMS(月経前症候群)という病名がついているが、当時は変な目で見られていた。

 そのPMSの女性を描いた「夜明けのすべて」をアートセンターで観てきた。監督は「ケイコ 目をすませて」の三宅唱

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 PMSの藤沢さん(上白石萌音)は病院に通いながら働いていたが、そこを辞め、プラネタリウムや顕微鏡を作っている会社に転職する。同僚の山添くん(松村北斗)は電車に乗れないなどパニック症候群を抱えていた。会社はふたりに温かかった。ゆったりした雰囲気がただよう明るい職場だった。だめ男を演じることが多い三石研とか渋川清彦が出てくると緩くなる。ぎすぎすした職場にはならない。

 で、なにかシリアスな事件が起きるかというと、起きない。ずっとホンワカである。二人は結ばれるかというと、そうでもない。未来はわからないが。やわらか雰囲気が漂っている。

 先だって観た「辰巳」とは大違いの映画だ。こっちのほうが断然おもしろい。お勧め。

2024年5月17日 (金)

「辰巳」

 銀座で飲み会があった。その前に、いつものように映画。渋谷のユーロスペースで「辰巳」を観た。

 映画祭仲間の評判はよい。バイオレンス映画なのに女性からの評価も高い。ならば観ておかなくっちゃ。ユーロスペースはミニシアターとして評価は高い。でも、シートは古くなって座り心地はわるい。

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 小路紘史監督作品を観るのは初めて。いきなりの暴力。女が簡単に殺される。遺体の始末はそっちのけで、殺された女の妹・葵の感情にスポットをあてる。葵は暴力的である。これに辰巳という男が加わって、暴力はさらに続いていく。

  ざっとこんな設定なのだが、残酷なシーンが多い。こういう映画、好きじゃない。嫌いな映画だ。暴力の先に叙情性があるかというと、さほど感じられない。なぜこんな映画が評価されるのか、温厚な老人にはわからない。

 ふと、ある考えが浮かんだ。コリアン・バイオレンス・シネマを追随した映画ではないかと。最近はあまり観ていないのでなんともいえないが、韓国映画には暴力シーンが多い。暴力を残忍に描いてきた。たとえばキム・ギドク監督。映画の評価は高かったが、暴力も容赦なく描いた。コリアン・シネマはこの手の暴力を描いていた。「辰巳」はそのコリアン・スタイルを意識し、追随した。

 そんなことを考えながら、銀座に向かった。飲み会は愉快だったが、酒が進み、一人ぶっ倒れた。泥酔。殴られたわけではないが立ち上がれなかった。

2024年5月15日 (水)

「猿の惑星 キングダム」

 SF映画のシリーズものでは「猿の惑星」が好きだ。「スターウォーズ」よりも好んで観ている。設定がシンプルなところがいい。

猿の惑星 キングダム」を観てきた。シリーズ10作目になるという。配給会社の意向なのか宣伝はあまりやっていない。だから、「猿の惑星」の最新作を観たと言うと、「猿の惑星」なんてやっているのとの反応が多い。知らないんだ。

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  人工のウイルスによって猿(エイプ)が言語能力を発達させ、いまや惑星(地球)を支配するようになっている。人間は片隅に追いやられている。

ノア(エイプの若者)は険しい崖を登り卵(たぶんワシの)を獲ってくる。成人になるための通過儀礼らしい。ところが祭りを前にして、村は仮面をかぶった猿の軍団におそわれ、家族はちりぢりになってしまう。ノアは単独、家族の救出に向かう。少年エイプの成長ストーリーでもある。

 ノヴァという若い女性が登場する。漸くの人間登場。このノヴァが謎めいている。猿の軍団によってエイプとノヴァはとらえられ、猿の王国に連行される。よくわからない部分もあるが、荒唐無稽なのは承知の上。観客はスリリングなアクションシーンを楽しめばよい。

 ノヴァ以外の人間はわずかしか登場しない。猿のように原始的に暮らす人間もいれば、現代的というかコンピュータを駆使している人間もわずかだが、登場する。この手の映画は、対立する集団(人間と猿とか)が共生する道を探るってことがテーマになるのだが、そのあたりは希薄である。

 ご存じかと思うが、ご存じない人もいるから説明しておくと、猿はモンキーとエイプに分けられる。モンキーはニホンザル、エイプはゴリラとかチンパンジーのたぐい。エイプは類人猿と訳してよい。猿の惑星の原題はプラネット・オブ・ジ・エイプスである

シリーズ一作目での衝撃のラストシーンがなんといっても印象的だから、あれほどの驚きはない。とはいえ、現在の世界情勢と重ね合わせれば、面白さは増加する。

2024年5月 9日 (木)

「あまろっく」

 久しぶりに新宿に出かけた。時間があったので映画を観た。

 新宿ピカデリーで「あまろっく」。新百合ヶ丘では上映していないし、上映予定もなさそう。ここで観るしかない。

 自動券売機でチケットが発券されない。サービス係の若い女性に声をかけたら、上の者を呼びますのでしばらくお待ちくださいとの返事。その間、ちゃんとカード決済をしたのかと訊いてくる。年寄り扱い。私の操作が間違っているのではないかとの態度がうかがえる。失礼なやつだ。しばらくして上の者が来た。これも若い女性である。券売機の後ろに回って操作すると、チケットが出てきた。単にチケットが引っかかっていただけ。アホな券売機だが、サービス係りの態度もよろしくなかった。

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 ここのシネコンは、いつも思うのだが、上映スクリーンに行くまで時間がかかる。入り口が狭い。エレベーターも少ない。

 待ちスペースは広いのだが、座る場所、イスは極端に少ない。壁際に申し訳程度に置いてあるだけ。写真がそれ。顧客本位になっていない。

 で、映画。主演は江口のりこ中条あやみ。わきを固めるのが笑福亭鶴瓶。江口のりこの素っ気ない演技が気に入っている。

 尼崎が舞台。だからアマロック。鉄工所を営む鶴瓶の娘が江口。江口がリストラされ実家にもどると、鶴瓶はずいぶん歳の離れた20歳の中条と再婚するという。この設定にはちょっと無理がある。鶴瓶はジョギングの途中、急死する。中条は子供を宿していた。鉄工所はたちいかなくなる・・・。

 ま、どう考えても、ありえない設定である。鶴瓶のキャラはテレビで見るのと同じ。だから孫のような若い娘と結婚するなんて考えられない。ましてや、子をなすなんて。違和感はずっと残るが、ま、ゆるいコメディー。とやかく言うこともない。

 先月亡くなった佐川満男が鉄工所で働く男役で出ていた。これが遺作か。

 映画がおわり、外に出ると、雨。わずかだが、濡れた。

 

2024年4月27日 (土)

「美と殺戮のすべて」

オピオイドという薬がある。知らなかった。

 オピオイドを扱った映画「美と殺戮のすべて」のチラシにはこうある。要約。

 ケシから抽出した成分やその化合物から生成された医療用鎮痛剤である。鎮痛効果のほか多幸感や抗不安作用がある。アメリカでは、1995年、オピオイド系の鎮痛剤「オキシコンチン」が発売された。常習性が低く、安全ということだったが、主に疼痛治療に大量に処方されるようになった。2000年頃から依存症や過剰摂取による中毒死が急増した。アメリカでは過去20年間に50万人以上が死亡している。

 オピオイドは、モルヒネの一種とみなしてよいのか。

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 ドキュメンタリー映画である。アートセンターで観てきた。主にサブカルチャーを撮ってきた写真家ナン・ゴールデンの活動を描いている。前半は主に彼女の写真が映し出される。ゲイとかパンクというジャンル。

 後半は、主にオキシコンチンを製造販売するパーデュー・ファーマ社への抗議活動となる。経営者であるサックラー家は莫大な利益をあげており、世界の美術館に多額の寄付をしていた。

 2018年、オキシコンチンに反対するゴールデンらのグループはメトロポリタン美術館を訪れ、鎮痛剤の空の容器を投げ込んで、サックラーからの寄付を受け取るな、との抗議活動を行った。

 映画は、ナン・ゴールデンの活動記録である。なぜ彼女がこの活動をリードしていったかが描かれる。

 製薬会社は当初、彼女らの活動を無視していた。薬害が明らかにされ、抗議活動が広がっていくと、いくつもの美術館は寄付を断るようになった。さらに、多くの訴訟も起こされており、集団訴訟については、会社は有罪を認め、多額の和解金を支払うことになった。

 ということである。数年前の話であるが、まったく「オピオイド薬害」を知らなかった。

 日本ではどうかというと、承認されている。きちんと管理され、販売されているということで薬害の報告はないそうだ。だから、知られていない。そのせいか、観客も少なかった。

 ひとことつけ加えると、「美と殺戮のすべて」というタイトルから、映画の内容は連想できない。

2024年4月23日 (火)

「異人たち」

  山田太一の小説「異人たちとの夏」を映画化したイギリス映画「異人たち」を観てきた。

 大林宣彦が監督した映画が公開されたのは1988年。あれから30年以上経っている。いい映画だった。主人公は風間杜夫、父親役は片岡鶴太郎だった。

 今回の「異人たち」はアンドリュー・ヘイが監督をしている。どう脚色しているのか、興味がわく。

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 舞台はロンドン。アダムはひとり高層マンションで暮らす脚本家。12歳の時、両親を交通事故で亡くしている。同じマンション住まいのハリーが日本のウイスキーを持って、一緒に飲もうと彼の部屋を訪ねてくるが、いったんは断る。

 アダムはむかし両親と暮らしたころを懐かしく思い、郊外にある実家に出かける。そこで思いがけなく、生きていたころの両親と出会う。アダムを親しく歓迎してくれた。

 このあたりまでは原作にほぼ忠実だが、大きく違うのは、訪問者。訪ねてくるのは原作だと女性である。映画では名取裕子が演じていた。アダムはハリーと親密になっていく。つまり同性愛者ということになる。現代的と言えば現代的だが、ことさらLGBTを強調しているわけではないけれど、違和感がある。

 原作は、浅草の演芸場で父親に似た男をみつけ、その跡を追って住んでいるアパートを見つける。「異人たち」では細部は省略している。脚本家なのに仕事をしている様子は見受けられない。登場人物もきわめて少ない。世間との関係を絶っているようにも見受けられる。引きこもりの傾向があり、外に出るには勇気がいる。孤独感が漂う。ハリーとの関係はきわめてナチュラル。しかし両親にゲイであることを伝えると、激しく動揺する。ま、30年以上前なら、そうなんだろう。のちに息子の気持ちを受け入れることになるが。

 原作とはずいぶん違う。そこに戸惑う。父親(繰り返すが、映画では片岡鶴太郎が演じている)はいかにも日本的である。子煩悩で、キャッチボールをしようと誘ったりする。今半ですき焼きを食べるシーンを思い出す。

 映画が終わっても戸惑いが消えない。寂寥感が色濃い映画。ヘイ監督の意図もそのあたりにあるのか、

 映画の題名は、みんな異人、ストレンジャー・・・ひとりぼっち、みんな孤独なんだと語りかけている。

2024年4月19日 (金)

「コール・ジェーン」

 アメリカでは1973年に妊娠中絶は合法化された。ところが一昨年、連邦裁判所は中絶の可否は各州の判断に委ねるとの裁定を下した。トランプ政権時代に任命された判事が多数になったため、保守的というか守旧的な判断となった。この秋の大統領選、バイデン対トランプでは、争点のひとつになる。

 アートセンターで「コール・ジェーン 女性たちの秘密の電話」を観てきた。妊娠中絶の話である。

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 1968年、ジョイ(エリザベス・バンクス)は二人目の子を妊娠するが、心臓病があり、医師からは出産は危険と告げられる。ところが病院側は中絶手術を拒否する。どうしたらよいか。悩んだ末、ジョイはバス停の張り紙で中絶を請け負う団体「ジェーン」を知り、助けを求める。そこで、ぶじ中絶をするのだが、その団体(当然のことながら、非合法)から活動を手伝うよう促される。最初は拒んでいたが、次第にその活動にのめり込んでいく。中絶医は高い金(600ドル)を要求していた。中絶を望むがその金を払える女性は少ない。なんとか、低額できれば無慮でできないものかとジョイは考える。といったストーリーである。

  映画の後半はジェーンの活動が中心となる。団体のリーダーをシガニー・ウイバーが演じている。 彼女は力強い役柄が多い。

 中絶問題はさておき、60年代後半の雰囲気がよく出ている。自家用車もファッションも音楽も、時代をうまく映している。ラストあたりで、「アクエリアス」(ミュージカル、ヘアーのテーマ曲)がうっすらと静かに流れる。スローだから別の曲のように聞こえる。

2024年4月13日 (土)

 「キネ旬」 山田太一特集

 山田太一は昨年11月に亡くなった。「キネマ旬報」4月号が追悼特集を組んでいる。書店でぱらぱらめくると、ドラマの常連であった小倉一郎(小倉蒼蛙)などのインタビューが載っている。おもしろそうなので買った。「キネ旬」を買うのは久しぶりだ。

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 キネ旬を買わなくなった理由は、活字がひどく小さくて読みづらいと感じるようになったからだ。年寄りは読まなくていい、目のいい人だけ読んでねという態度を感じた。内容は若向きではなく、むしろ高齢者を対象としたものなのに、多くの情報を詰め込もうとするあまり活字を小さくした。映画ファンには高齢者が多いのに・・・。配慮が足りない。

 活字は新聞ぐらいの大きさにすべきだろう。年寄り映画ファンは待ち望んでいる。

 目を凝らしながら追悼特集を読んだ。インタビューはドラマの常連であった小倉一郎のほか、中井貴一、柳沢慎吾。彼らが山田シナリオに傾倒し、信頼していたことがよくわかる。インタビュー記事として優れている。

 山田太一へのインタビューも再録している。これがまた素晴らしい。何カ所かにマーカーをひいた。 

 あらためて気づいたのだが、わたしはテレビドラマをそれほど観ていない。当時、家に帰るのが遅かった。仕事もあったが酒のつきあいだった。ビデオはなかったし、連続ものでもとびとびに観るだけだった。のちにDVDが出ても買わないし、ビデオショップにでかけることもなかった。それでも、ときどき観る山田ドラマはおもしろかった。

 今月下旬、イギリス映画「異人たち」が公開になる。山田太一原作の「異人たちとの夏」をリメイクしたもの。あれはいい映画だった。監督は大林宜彦。主演は風間杜夫、父親役は片岡鶴太郎だった。挿入曲の「私のお父さん」が印象に残る。

 

2024年4月 5日 (金)

「12日の殺人」

  アートセンターで「12日の殺人」を観てきた。フランスのグルノーブルが舞台である。グルノーブルいえば 先だって観た「落下の解剖学」の舞台と同じ。あれは冬だったが、こちらは秋10月である。

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  深夜、若い女性がガソリンを浴びせられライターで火をつけられる。翌日、死体で発見される。警察は二人の刑事を中心に捜査にあたる。被害者の交友関係から何人もの男を取り調べるが、いずれも犯人とするような決定的な証拠はない。未解決となり、三年が経過する。

  捜査にあたっていた刑事は判事に呼び出され再捜査を促される。粘り強く調べなおし、被害者の墓参りをする男を拘束する。これで一見落着かと思われたが・・。

  思わせぶりな映画。自転車用のトラックを走るシーンが何度も映し出される。一般の道路ではなく自転車専用のトラック。オリの中でハムスターがホイールを回しているのに似ている。誰なのか。あとでわかるのだが、自転車に乗るのは刑事。何を意味しているのか。刑事の捜査が、汗をかきながらただ回っているだけということか。

  すっきりしない。すっきりしない現実をテーマにしていると言われれば、そのとおりだが・・・。

  ネタバレに踏み込むのは避けるが、冒頭の字幕が伏線となっている。で、観客は腑に落ちないような感情を抱くことになる。

  でも、そういう映画があってもよいという感情も半分ある。

 ついでのひとこと

  小林製薬のテレビCMがピタリと止まった。ま、そうなるだろうな。続けていると非難が集中する。たくさんしていたから、一つ二つはわかるが、五つ上げろと言われると難しい。「命の母」も小林製薬である。ビミョーなネーミングだな。

  週刊誌では、小林製薬のトップを「猛毒会長」とか「強欲会長」と表している。

 前回の当ブログで、ドラゴンズを開幕3連敗と書いてしまった。間違い。ただしくは2連敗。その後、ジャイアンツに連勝。

2024年4月 1日 (月)

「オッペンハイマー」

  今年度アカデミー賞をいくつも受賞した「オッペンハイマー」を観てきた。

 監督はクリストファー・ノーラン。ちょっと癖の強い、一筋縄では理解できないような映画をつくる監督というイメージが強い。

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 大学で教鞭をとる物理学者のオッペンハイマーは原爆製造を目指すマンハッタン計画に誘われ、そのプロジェクトのリーダーとなる。ニューメキシコの砂漠に巨大な研究所をつくり、多くの科学者を集めて開発に取りかかった。映画は時系列には描かれない。研究途上や過去、戦後のこと、あるいは家庭や愛人のことなど織り交ぜて、しかも短いカットで描かれる。スピーディーかつ、めまぐるしい。観ている方はついていくのにやっとだ。これがノーラン風。後半になり、やや、落ち着く。

 で、原爆実験に成功したのはご存じの通りで、オッペンハイマーは讃えられるのだが、映画はそれで終わらない。戦後、原爆開発の機密がソ連に漏れていたという疑惑が持ち上がり、オッペンハイマーもそれに巻き込まれる。研究員の中に共産党シンパがいて、機密を漏洩していたことが明らかになるのはずっと先のことであるが、水爆開発に反対したたこともあり、研究機構から閉め出される。そして、聴聞会の諮問を受けることになる。

 なぜ原発をヒロシマナガサキに落としたのか。すでにナチスドイツは滅び、日本も敗戦目前だったのに。敵対するソ連への対抗措置だったという見解が支配的になっている。といったことはさておき、映画的に観ると、原爆実験のプロセスが丁寧に描かれている。映像もよい。斬新。音響効果もすばらしい。単なる伝記映画ではない。

 映画を観るなら。多少の予備知識(Wikipedia程度)があった方がいいかもしれない。でも、前作「テネット」よりうんとわかりやすい。

 

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