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読書

2025年11月12日 (水)

『90歳、男のひとり暮らし』

 著者は阿刀田高。タイトルを知って、奥様は亡くなったのかと思った。かつて、奥様、阿刀田恵子さんの朗読を何度か聴いたことがある。巧みな朗読だった。

 本書の最後に、恵子さんが2年ほどの施設での暮らしの後、今年の5月に亡くなったと記されている。

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 男のひとり暮らしは女のそれより大変だと聞く。わたしは夫婦二人の暮らしだから、実感はわかない。妻は間違いなくわたしより長生きする、おそらく。男のひとり暮らしはないと楽観的に考えている。

 齢をとると寝付けないという。90歳の著者は、「源氏物語」の各巻を、桐壺、帚木、空蝉・・・と全五十四帖を思いうかべる。就眠儀式である。わたしも似たようなことをやっている。歌舞伎「三人吉三」の大川端の場、お譲吉三のせりふ、「月もおぼろに 白魚の 篝もかすむ春の空・・・」とか、「曽根崎心中」の「この世もなごり夜もなごり 死にに行く身をたとふれば・・・」とか。さして効果はないが。

 肩の力を抜いてシンプルに暮らす様子が描かれている。無理をせずだな。昨日できたことが今日はできない。嘆くなかれ。それが老い そういうものだ。達観である。

 老いのおそれの一つが病気である。

 奥歯が痛む。息切れがするようになった。呼吸器科をたずねると、心臓ではないかと診断され、循環器系に回された。狭心症と判明した。で、ステント手術を受けることになった。歯科医院に行っていたら心臓が疑われることはなかっただろう。手遅れになっていたかもしれない。 

 おそれのもう一つはボケであるが、著者はなさそうである。

 著者の著作を思い浮かべながら読んだ。著作のタイトルはわかるが、内容となるとさっぱり浮かんでこない。ま、そんなものだろう。

2025年9月30日 (火)

 『普天を我が手に』

 大正天皇が崩御し、昭和となった。昭和元年はわずか7日間しかない。その7日間で生まれた4人の子が組み紐のようになって昭和が描かれる。

普天を我が手に』の第一部を読み終えた。二週間ほどかかった。なにせ600ページ近くある大作。目が悪くなったわが身としては一日50ページほどしか読めない。時間がかかる。

 作者は奥田英朗。群像小説が得意な著者だから、昭和の数々の出来事を巧みに絡ませて、激動の時代を生きた人々を描いていくものと期待させる。奥田英朗の作品では最初に読んだ『最悪』が忘れられない。すごい作家があらわれたものだと思った。25年ほど前のこと。以後、奥田作品はすべて読んでいる。

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 主人公は、陸軍の竹田少佐。財閥の御曹司だが、軍の方針には批判的だから軍内では疎んじられている。金沢のヤクザの領袖・矢野辰一。全国の侠客、つまり右翼の代表に祭り上げられる。雑誌「群青」の編集長・森村タキ。女性解放を主張し、官憲からは睨まれている。そして、大連のジャズ楽団を率いる五十嵐譲二。興行師としてのし上がっていくが、怪しげな取引に巻き込まれる。

 2・26事件や満州事変などのおなじみの昭和の歴史を俯瞰しながら、この4人の動向を描いている。第一部は英米との戦争突入までが描かれる。昭和元年生まれの子供たちはまだ幼い。が、父親や母親の薫陶を受け、自我を育てていく。この4人の接点はまだない。いずれ、4つの糸はより合わせていくものと思われる。

 昭和史を描いたノンフィクションーや小説はずいぶん読んできた。だから新鮮でない部分もあるとはいえ、4人とその家族をうまく絡ませることで、秀逸なエンターテイメントとしている。なにより読みやすい。奥田英朗の才能を感じさせる名作である。

9月下旬に第二部が刊行された。続けて読もうとも思うのだが、ほかに読む本、雑誌も手つかずになっている。観るつもりの映画も先延ばしにした。ちょっと我慢してそれをやっつけてからにしよう。

 

 

2025年8月17日 (日)

『昭和的』

  昭和がブームということだ。懐かしさをともなって昭和歌謡が歌われる。

 が、違和感がある。昭和歌謡といえば、若い人が好きだと言うのは、松田聖子とかキャンデーズ、70年代以降の楽曲である。昭和は1926年に始まる。戦前、戦後復興期もあって、70年代は後半になる。1989年まで続いた。和暦なら昭和64年。神武以来最長の和暦だから、60数余年をひとくくりにするには無理がある。

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  関川夏央の『昭和的』を読んだ。居心地がよいというか、ソフトフォーカスのポートレートを眺めるような気分になる。著者は私より二つ下。イラストの南伸坊は同い歳。時代をを共有してきた。団塊の世代だ。

 タイトルの「昭和的」はぼんやりしている。内容は、昭和の人物評を並べた軽いエッセイである。とりあげられるのは山田風太郎とか畑中純(漫画家)とか渥美清とか無着成恭とか、エトセトラ。  

 プロ野球選手では、長嶋、王ではなく、村田兆治、門田博光。名選手だがメジャーではない。二人とも孤独死(村田は火災死)だった。村田兆治は引退後もすごかった。まさかりを振り下ろすような練習を欠かさなかった。50過ぎてもスピードボールを投げた。

 渥美清を描いた文章がいい。渥美寅さんの俳句がすばらしい。俳号は、風天。

 たいていのことは知っている。だから本書を読むと、懐かしさが広がる。同時代の共感がある。

 ついでのひとこと

 しばらくカラオケには行っていないけど、歌うのは昭和歌謡。持ち歌は、星屑の町とか怪傑ハリマオ。三橋美智也だ。街のサンドイッチマン、骨まで愛して なども。いかにも昭和だ。

 

2025年8月11日 (月)

『啓蒙の海賊たち』

 マダガスカルについては乏しい知識しかない。バオバブの木とかワオキツネザルとか。アフリカの一部だからアフリカ東部から人がいたが、ボルネオやマレー半島、あるいはインドとの交流があった。

  デビット・グレーバー『啓蒙の海賊たち』を読んだ。グレーバーは突拍子もないような言説で知られる文化人類学者である。『万物の黎明』などで知られるが5年前59歳で亡くなっている。異才の学者である。

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 カリブ海にいた海賊というか、はみだし連中が、マダガスカルにたどり着き、拠点を置くようになった。海賊は財産を奪うだけの存在ではない。交易でも稼いだ。情報を伝え。文化や物資を他国にも伝えた。彼らは金をもらって、護衛とか海の道先案内もした。

 本書ではマガスカルの歴史に多くの紙面を割いているが、一読しただけではその歴史はよくわからない。サブタイトルは「あるいは実存したリバタリアの物語」。

 海賊は既存の封建社会から逃げ出した、あるいははみだした連中である。自由を志向した。けっこう民主的で、略奪品はメンバーに平等に分けあうとか、船長は船員の合意(選挙)で選ばれるとか。それが海賊組織を維持する英知でもあった。マダガスカルでは女性が商人として活躍した。

 啓蒙主義はイギリスに起こり、フランスなどに伝えられたとされている。グレーバーは、それって海賊たちがもたらした思想にルーツがあるとの見解を示す。ジョン・ロックに影響を与えた。ダニエル・デフォーやモンテスキューにもその影がうかがえる。

 マダガスカルはこれまでの世界史には登場しなかった。辺境である。そこにスポットをあてて論及しているところが面白い。まだ書きたいこともあるが、うまくまとまらない。

 ついでのひとこと

 本書を読みながら、「倭寇」が略奪者という側面だけではなく、交易、情報提供者という側面があったことを思い浮かべた。宮本常一の言う「世間師」でもあった。

 

2025年8月 1日 (金)

『老人の美学』

 図書館の大活字本のコーナーで、筒井康隆の『老人の美学』を見つけた。ぱらぱらめくると、渡辺儀助が飛び込んできた。これは読んでおきたいと借りた。

 渡辺儀助とは映画「」の主人公である。原作も筒井康隆なのだが、本は読んでいない。おもしろい映画だった。独り住まいの儀助は、きちんと生活している。炊事洗濯はお手のもの。死ぬまでの生活設計はできている。それが錯乱する。敵が攻めてくるとおびえる。現実に妄想が侵入してきた。ま、ボケなんだろうが、その経過が興味深かった。

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『敵』は、60そこそこのときに書いたものだ。老いはまだ先のこと。いずれそうなるかと漠然とした思いがあったのだろう。現在90歳。妻ともども老人ホームで優雅に暮らしている。敵におびえることもなく。

 本書の「美学」とは、自負、矜持ぐらいの意味だろう。ちょっとプライドをもってということ。著者が言いたいことはまともである。突拍子もないことは書かれていない。

 感謝の気持ちを周りに伝えるとか、清潔であるとかが大切。よぼよぼ、ぼろぼろ、よれよれは避ける。でも、けっこう難しい。

 わたしが心がけるようになったのは、眉毛のカット。頭髪とは反比例してむだに伸びてきた。白くなるのはいたしかたないが、雑草のように垂れる。このままだと村山富市状態になってしまう。

 で、時々、ハサミで切るようにした。うまくきれいにはいかない。左右はそろわない。テキトー。わたしのおしゃれはこの程度である。美学とはほど遠い。

 美学はともかくとして、大活字本は読みやすい。これからも利用したい。

 

2025年7月 2日 (水)

『それでも俺は、妻としたい』

 足立紳の映画(脚本)は注目して観ている。

 3年ほど前、「雑魚どもよ、大志を抱け」という映画があった。岐阜県の田舎の少年たちを描いたものである。それほど話題とはならなかったが、おもしろい映画だった。相米監督の血筋をきちんと受け継いでいると感じた。同じころ、スピルバーグの自伝的映画「フェイブルマンズ」があった。あれと重なるような印象も受けた。

 そのあと足立紳はテレビドラマの「ブギウギ」の脚本を書いている。こちらは話題になった。

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 ことし、映画を作った。題名は「それでも俺は、妻としたい」。同名の小説を映画化したものという。原作があるのを知らなかった。図書館にあった。奥付を見ると令和元年の発刊。けっこう前なんだ。映画を観る前にこれを読んでみた。

 内容は、売れないシナリオライターの話。豪太の年収は50万円程度。妻子がいる。妻のチカは派遣社員としてコールセンターで働いている。一人息子は保育園児。豪太は保育園の送り迎えや家事をしている。主夫である。実生活をベースにしているようだ。

 妻の尻に敷かれている。セックスがしたくてもなかなかやらせてもらえない。懇願しても、「うっせいわ」などと冷たい返事が返ってくる。まれにシナリオの仕事が舞い込むが、これが妻を巻き込んでの騒動となる。ユーモア小説である。

 チカの突き放すような啖呵が心地よい。自分が言われたらアタマにくるが、小説の中でのこと。ヒトゴトなら笑える。

ぱらぱらめくって、啖呵をピックアツプすると・・・

 「うるせえ。負け犬が吠えるな。死にやがれ」 

 「えじゃねえよ、聞こえてんだろ」 

 「だからどもってんだろ。知らねえよ、そんなの。自分で考えろ・・・」

 映画の主演は風間俊平。妻役はMEGUMI。原作のイメージとは違うキャスティング。たぶん、映画のシナリオは原作とは違っているのだろう。原作本はソフトロマンポルノっぽい部分もある。映画では薄められているのだろう。

2025年6月26日 (木)

五木寛之の講演

 五木寛之の話を聴いた。

 新聞通信調査会のシンポジウム。基調講演が五木さんの「新聞と私」。これを聴くために日比谷まで出かけた。

 92歳になる。とてもその歳とは思われない。矍鑠たるものである。

 6紙を購読しているという。じっくり1時間かけて読む。新聞とのつきあいは配達から始まった。学生時代、住み込みの仕事についた。業界紙を配送するする仕事で、これがきつかった。学業どころではなかった。やがて業界紙の記者兼編集者となった。その後、小説家となり、新聞にも連載小説を書くことになった。

 ブロック紙や地方紙に連載した「親鸞」が印象に残っているのだそうだ。東日本大震災があった時期と重なる。河北新報などが発行できなくなったが、被災地では「親鸞」が読みたいという声があり、新聞社はなんとか輪転機を回すよう力を注いだ。わずかな紙面だったが、連載は読者のもとに届けられた。支援はモノだけではなかった。

 現在は、現在もというべきか、日刊ゲンダイの連載「流されゆく日々」を続けている。日刊ゲンダイはサラリーマン向きの夕刊紙。「夕刊フジ」は休刊となったが、こちらは健在。何十年にわたっての連載している。ギネス級だが、実際、長期連載でギネス認定されているのだそうだ。原稿のストックなし。毎晩書いて新聞社に送るのがルーティーンになっている。

 はあ、すごい。わたしが働いた年数より長い。

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 写真は講演の折、ホワイトボードに書いたもの。直筆。父親から聴いていたことばだそうだ。

  「君看よ双眼の色、語らざるは愁い無きに似たり」

 その二つの眼の色を見なさい。なにも言わなければ憂いがないように見えるでしょう。語らないのではなく、語れない、それほど深い憂いがあるのです。じっと耐えていくと・・・・。そんな意味である。

 ということはさておいて。久しぶりに「日刊ゲンダイ」を読んでみたくなった。あの、色っぽく、下品で、毒々しい紙面を。ただし、電車の中では読めない。エロじじい! という双眼の視線が気になる。まだ買ってない。

2025年6月20日 (金)

『去年、本能寺で』

「トップガン マーヴェリック」を観たのは3年ほど前だ。戦闘パイロットを養成する内容だが、実際の爆撃シーンもある。これが面白い。とあるならず者国家がウラン濃縮をしようとしているのでそのプラントを爆撃するシーンがある。プラントは地下深くにあるので通常のミサイルでは届かない。で、第一の戦闘機で穴をあける。第二弾でその穴の中にミサイルをぶち込んでプラントを破壊する。

 荒唐無稽のストーリーだが、いま、イランでそれが実行されるかもしれない事態となっている。第一弾をバンカーバスターという。フィクションが現実となりつつある。

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 話はかわって、円城搭の『去年、本能寺で』を読んだ。一瞬、降りてきた妄想を膨らませてフィクションに仕立て上げた小説である。「去年、マリエンバードで」という映画がむかしあった。それと関連があるかと思ったがまったくなかった。

「トップガン」は想定した事態に対応する兵器開発をベースにしているから、半分現実的である。こっちの小説は妄想、奇想天外な短編小説集である。

  AIとかネット用語がでてくる。リカレントニューラルネットワークとかパーセブトロンとか、わけがわからない。目くらましである。たとえば、坂上田村麻呂は黒人という設定。タムラマロはアテルイと対峙する。ま、どうでもよいが、そういうことである。

 信長は本能寺のあと、光秀や秀吉を振り返る。もちろん死後の信長の霊というかバーチャルな存在である。秀吉の朝鮮出兵をバカなと吐き捨てる。光秀はどうか。あるときは才知を発揮するが小心者であると。

 歴史をそんなふうに妄想する。ま、風変りな歴史小説である。

 ついでのひとこと

 光秀は、本能寺の変の前の連歌会で、「ときは今 あめが下知る 五月かな」と詠んだ。これをめぐって、謀反の決意を表したとする解釈がある。解釈は面白いが、さて・・・。

 ときは、なのか、それとも土岐なのか。朱鷺としてみてはどうか。妄想は飛ばせる。

2025年5月17日 (土)

『井上ひさし外伝』

 井上ひさしは、孤児院時代から映画を手あたり次第観ていた。高校時代は1000本は観たという。教師の許しを得て午後は早退して映画館にむかった。好きな映画は何度も観た。私も映画好きだが、井上ひさしにはかなわない。すごい。

井上ひさし外伝 映画の夢を追って』(植田紗加栄著)は、映画の面から描いた評伝である。それにしても井上の映画偏愛ぶりはクレイジーである。しかし、それが血や肉となって、小説や脚本づくりにつながった。

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 生涯ベストテンなどが紹介されている。邦画のトップは「七人の侍」。黒沢明監督作品が五作も入っている。「天国と地獄」「生きる」「姿三四郎」「わが青春に悔なし」。黒沢愛である。

 ベストテンの中には今村昌平が二作、「豚と戦艦」「盗まれた欲情」が入っている。黒沢と今村。これは悪くない。わたしの好みと一致する。

 洋画では「ミラノの奇蹟」がトップ。以下、「昼下がりの情事」「シェーン」「第十七捕虜収容所」「虹を掴む男」・・・・。ミュージカルが2本、「巴里のアメリカ人」「雨に歌えば」が入っている。

 1位の「ミラノの奇蹟」は、私は観ていない。

 あらすじが紹介されている。孤児院で育った主人公のトトは、原っぱに住む乞食老人の世話で土管バラックに住むことになる。トトは、その原っぱに廃材を集めた掘っ立て小屋の集落をつくる。そこに、思いがけず石油が噴き出す。すると地主が私兵を使って住民を追い出そうとする。そのとき、天からトトの育ての親だったロロッタばあさんの霊が現れ、軍勢を追い払ってしまう。居住地は守られるのだが・・・。このあともあれこれあってという展開。ファンタジーである。

 スピルバーグの「E・T」のラストはこの映画をヒントにしているんだそうだ。

 あらすじで推察するに、井上ひさしの生い立ちとも重なる。こういうのが好みなんだろう。

 その他、寅さん、渥美清にも紙面を割いているが、下積み時代、浅草で出会っているから当然のことである。

 私のベスト映画を紹介したいところだが、別の機会にする。ただし日本映画のベストワンは同じく「七人の侍」である。

 好きなシーンは、ラストの有名なセリフの場面ではなく、勘兵衛のこのセリフ。

この飯、おろそかには食わんぞ

 ついでのひとこと

 井上に「汚点(シミ)」という自伝的短編小説がある。弟や母と別れての孤児院生活を綴ったものだ。それを思い出した。ただし、この小説に映画は出てこない。

 

2025年5月 9日 (金)

『人品』 藤沢周平の小説

 藤沢周平が亡くなって28年になる。そののち、いくつか評伝が出ており、1,2冊は読んだ。似たり寄ったりで面白くない。ファンとしてはものたりない。

  いくつも映画化された。山田洋次が監督したものはなかなかの出来で愉しめた。テレビドラマでは『用心棒日月抄』をベースにした「腕におぼえあり」がおもしろかった。主人王・又四郎より、仲間の細谷源太郎を演じた渡辺徹の演技が印象に残っている。はまり役だった。

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 今年になり、後藤正治の『文品 藤沢周平への旅』が出た。並みの評伝なら読むつもりはないけど、後藤正治なら別だ。優れたノンフィクションライターである。文芸関係では茨木のり子の評伝を書いている。『清冽』。すぐれた作品だった。

 『文品』は評伝ではない。作品を、時代に沿って、少しの解説を加えて紹介したものである。

『橋ものがたり』とか『蝉しぐれ』はよく憶えているが、多くは記憶の奥底に沈んでしまっている。それを浮かび上がらせてくれる。ああ、そうだったよね、あの場面はよかったよねとか。まったく忘れてしまっている箇所もある。記憶とはそんなものだ。

 藤沢周平はちょっとした描写が上手い。たとえば、陽が射す場面。わずかな文章で、登場人物のこころの動きや、ストーリーの雰囲気を表している。

 著者の文章を引用する。

 ラストのこの箇所、なんど読んでも涙腺が緩んでしまう。「なだれこむ朝の光の中に・・・・」「踊るように日の光が・・・・」。いずれもお蝶の心模様を伝えている。藤沢は<>の描写に長けた作家だった。p.140

 言い忘れた。私は、鶴岡にある「藤沢周平記念館」に二度訪れている。

 ついでのひとこと

 初音家左橋が朝ドラ「チョッちゃん」に出ていたと語っていた。30年以上も前のことだ。再放送を観てみた。たしかに出ていた。当たり前だが、若い。名前は真打になる前の金原亭小駒。ちょい役である。

 

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