無料ブログはココログ

読書

2025年5月17日 (土)

『井上ひさし外伝』

 井上ひさしは、孤児院時代から映画を手あたり次第観ていた。高校時代は1000本は観たという。教師の許しを得て午後は早退して映画館にむかった。好きな映画は何度も観た。私も映画好きだが、井上ひさしにはかなわない。すごい。

井上ひさし外伝 映画の夢を追って』(植田紗加栄著)は、映画の面から描いた評伝である。それにしても井上の映画偏愛ぶりはクレイジーである。しかし、それが血や肉となって、小説や脚本づくりにつながった。

250507104825798

 生涯ベストテンなどが紹介されている。邦画のトップは「七人の侍」。黒沢明監督作品が五作も入っている。「天国と地獄」「生きる」「姿三四郎」「わが青春に悔なし」。黒沢愛である。

 ベストテンの中には今村昌平が二作、「豚と戦艦」「盗まれた欲情」が入っている。黒沢と今村。これは悪くない。わたしの好みと一致する。

 洋画では「ミラノの奇蹟」がトップ。以下、「昼下がりの情事」「シェーン」「第十七捕虜収容所」「虹を掴む男」・・・・。ミュージカルが2本、「巴里のアメリカ人」「雨に歌えば」が入っている。

 1位の「ミラノの奇蹟」は、私は観ていない。

 あらすじが紹介されている。孤児院で育った主人公のトトは、原っぱに住む乞食老人の世話で土管バラックに住むことになる。トトは、その原っぱに廃材を集めた掘っ立て小屋の集落をつくる。そこに、思いがけず石油が噴き出す。すると地主が私兵を使って住民を追い出そうとする。そのとき、天からトトの育ての親だったロロッタばあさんの霊が現れ、軍勢を追い払ってしまう。居住地は守られるのだが・・・。このあともあれこれあってという展開。ファンタジーである。

 スピルバーグの「E・T」のラストはこの映画をヒントにしているんだそうだ。

 あらすじで推察するに、井上ひさしの生い立ちとも重なる。こういうのが好みなんだろう。

 その他、寅さん、渥美清にも紙面を割いているが、下積み時代、浅草で出会っているから当然のことである。

 私のベスト映画を紹介したいところだが、別の機会にする。ただし日本映画のベストワンは同じく「七人の侍」である。

 好きなシーンは、ラストの有名なセリフの場面ではなく、勘兵衛のこのセリフ。

この飯、おろそかには食わんぞ

 ついでのひとこと

 井上に「汚点(シミ)」という自伝的短編小説がある。弟や母と別れての孤児院生活を綴ったものだ。それを思い出した。ただし、この小説に映画は出てこない。

 

2025年5月 9日 (金)

『人品』 藤沢周平の小説

 藤沢周平が亡くなって28年になる。そののち、いくつか評伝が出ており、1,2冊は読んだ。似たり寄ったりで面白くない。ファンとしてはものたりない。

  いくつも映画化された。山田洋次が監督したものはなかなかの出来で愉しめた。テレビドラマでは『用心棒日月抄』をベースにした「腕におぼえあり」がおもしろかった。主人王・又四郎より、仲間の細谷源太郎を演じた渡辺徹の演技が印象に残っている。はまり役だった。

250427115959798

 今年になり、後藤正治の『文品 藤沢周平への旅』が出た。並みの評伝なら読むつもりはないけど、後藤正治なら別だ。優れたノンフィクションライターである。文芸関係では茨木のり子の評伝を書いている。『清冽』。すぐれた作品だった。

 『文品』は評伝ではない。作品を、時代に沿って、少しの解説を加えて紹介したものである。

『橋ものがたり』とか『蝉しぐれ』はよく憶えているが、多くは記憶の奥底に沈んでしまっている。それを浮かび上がらせてくれる。ああ、そうだったよね、あの場面はよかったよねとか。まったく忘れてしまっている箇所もある。記憶とはそんなものだ。

 藤沢周平はちょっとした描写が上手い。たとえば、陽が射す場面。わずかな文章で、登場人物のこころの動きや、ストーリーの雰囲気を表している。

 著者の文章を引用する。

 ラストのこの箇所、なんど読んでも涙腺が緩んでしまう。「なだれこむ朝の光の中に・・・・」「踊るように日の光が・・・・」。いずれもお蝶の心模様を伝えている。藤沢は<>の描写に長けた作家だった。p.140

 言い忘れた。私は、鶴岡にある「藤沢周平記念館」に二度訪れている。

 ついでのひとこと

 初音家左橋が朝ドラ「チョッちゃん」に出ていたと語っていた。30年以上も前のことだ。再放送を観てみた。たしかに出ていた。当たり前だが、若い。名前は真打になる前の金原亭小駒。ちょい役である。

 

2025年5月 3日 (土)

『ほんとうの会議 ネガティブ・ケイパビリティ実践法』

 ギャンブル依存の人は多い。軽度なら脱出できるが、深みにはまると逃げ出せなくなる。まず、負ける。負ければ貯金を下ろしたり借金をしたりする。それでも足りないとなると、家族の貯金や財布から金を抜く。子供の小遣いまで手を付ける。一気に取り戻せるとの甘い思いがある。さらにウソをついて借金。なんとしてでも賭け金を手に入れようとする。地獄である。ちかごろ話題のオンラインカジノ。あれにはギャンブル依存になるような仕掛けがされているとの説もある。無間地獄だな。

2504251728583072

 ギャンブル依存の治療には、オープン・ダイアローグが有効という。帚木蓬生の『ほんとうの会議』は、ギャンブル依存の治療を取りあげている。

 その手順が書いてある。12のステップ? どこかで聞いたような、あれと同じじゃないか。アルコール依存者たちの相互支援集会、AAである。 

 4/27の当ブログを読み返してもらいたい。AAはアルコホリックス・アノニマス。ギャンブル依存はGA、ギャンブラー・アノニマスである。手法はオープン・ダイアローグをベースにしている。患者同士の自由な話し合いである。AAもGAもおなじようなものと考えてよい。

 ネガティブ・ケイパビリティの考えが底辺にある。「性急に答えを求めず、不確実性に耐える能力」である。口で言うのは簡単だが、実践は簡単ではない。

 ひょいと思い出したのが、「べテルの家」である。あそこで行われていることが、ネガティブ・ケイパビリティではないか、と。

「べテルの家」とは北海道浦河にある精神障害を抱えた人たちの共同生活の場である。そこを描いた本に『治りませんように』がある。そのタイトルどおり、治らなくてもよい、ここにずっと居られればよい、症状に普通に耐えていけばよい。居住者はそんな思いでいる。統合失調症は治る精神の病気だが、完治までには時間がかかる。気長に日々を送ることが大切なのだ。

 タイトルにあるように後半で会議について記述している。最近の企業トラブルについても、ネガティブ・ケイパビリティの観点から論評している。

 まだ、紹介しきれていないが、とりあえず、ここまで。

2025年4月21日 (月)

『マット・スカダー わが探偵人生』

 探偵小説の主人公と言えば、シャーロック・ホームズとかフィリップ・マーロウがまず浮かぶ。以下、サム・スペードとか人気の探偵は多いが、わたしのイチ推しはマット・スカダーである。

 最初に読んだのは『八百万の死にざま』。アル中の探偵もの。すさまじいアルコール中毒の様子に胸を揺さぶられた。作者はローレンス・ブロック。シリーズは長編で18冊になっているという。

 マット(マッシュー)はアルコールから脱出し、今ではエレインと静かに暮らしている。84歳になる。

250412120116733

 昨年『マット・スカダー わが探偵人生』が出た。マッシューが自らの生い立ちを語るという構成になっている。父や母のこと。亡くなった弟のこと、学生時代のこと。マッシューファンなら知りたいことある。トリビアなことでも知識としておきたい。シャーロキアンと同じように。

 父親もアルコール依存症だった。地下鉄の連結部から転倒して亡くなった。本書の帯を引用すると。

「父と母、幼い弟の死、警官時代の相棒との逸話。はじめて犯罪者を射殺した日。復讐者との因縁。そして少女を死なせてしまったあの日――。記憶を探りながら諦観を交えて静かに語る最後のマット・スカダー。」

 本の紹介ならこれで十分だろう。制服の警官となり、私服の刑事に昇進する。結婚し二人の子をもうけたが、次第に家庭を顧みないようになった。そして、例の事件。犯人を射殺したが、はずれた弾の一つが石に跳ね返り、少女の眼を貫いた。即死だった。警察を辞め、しだいに酒におぼれるようになった。その辺りまでを振り返っている。

 探偵になってからの記述はほとんどない。

 といった内容。一気に読むにはもったいない。少しずつゆっくり読んだ。心に染みる表現にあふれている。

スタガーシリーズを一冊でも読んだことのある人は、ぜひ読んでもらいたい。まったく読んだことのない人にもお薦め。ここから過去のシリーズを手にしてもよい。

 書きたいことはまだあるけど、きょうはここでやめておく。

2025年4月 3日 (木)

極楽だの不老長寿だの

 菊池寛に「極楽」という短編がある。こんなあらすじ。

 あの世に旅立ったおかんは、南無阿弥陀仏と唱えながら極楽浄土をめざす。無事極楽にたどりついて、先に亡くなった夫と再会する。そこは苦しみも痛みもない世界だった。夫との日々は平穏だったが、なにかものたりない。このままずっとここにいるのか、退屈さを感じるようになる。で、地獄はどうかと夫に問うと。ここより退屈はしないだろうと答えて黙ってしまう。夫と地獄の話をするときだけが退屈しのぎとなる。

 菊池寛は、世の皮肉さ、人間の至らなさ、弱さを描いたものがいくつもある。「忠直卿行状記」「入れ札」あるいは「藤十郎の恋」などが知られているが、この「極楽」も、意表をつく名作である。夏目漱石などよりおもしろい。気に入っている。

250403084811319

 永遠の命を得た人を描いた物語がある。ジョナサン・スイフトの「ガリバー旅行記」の第二章にストラルドブルグという老いたまま死ぬこともできない人間が登場する。

 ガリバーは、上陸した島でストラルドブルグという不死の人間が住んでいると聞く。死ななければなんでもできると羨ましく思い、ぜひ会いたいと島の人に申し出るのだが、会わない方がよいと諭される。かれらは愚痴ばかりで、なにも前向きなことはしないと軽蔑されている。かれらに会ってみると、貪欲で嫉妬深い、若者は放蕩で、年寄りは惚けている。ガリバーは、思い描いた不老長寿とはほど遠いことを知ることになる。

 不老長寿というけれど、何の苦労もないあの世はつまらない。菊池寛もジョナサンも言いたいのだろう。

 ついでのひとこと

 ジョナサン・スイフトの著作に「奴婢訓」がある。数年前に改訂版が岩波文庫からでたけれど、さして話題にはならなかった。人間のずるさを皮肉った傑作である。愉快でクツクツと笑える。お薦め。

2025年3月26日 (水)

『どうかしてました』

 わたしの好きな書評家が二人いる。斎藤美奈子豊﨑由美。その一人、豊﨑(以下、トヨザキと書く)が書いた『どうかしてました』を読んだ。書評集ではない。幼いころの思い出などを絡めた身辺雑記。おバカさんぶりとブックガイドを重ね合わせて笑わせる。

250319163656421

 トヨザキは小さなころから落ち着きがない。変な興味がある。ピラニアに指を噛まれたいとか・・・。おしゃべりでもある。注意欠如多動症の傾向がある。こういう人物はつきあうと楽しい。うるさく感じるときもあるが、黙っとれ! とツッコミを入れるのも愉快である。

 駆け出しのころ。川本三郎にお世話になったと書いている。川本が面倒をみた理由は、おもしろい子だったからだそうだ。なるほど、そういう気持ち、よくわかる。

 トヨザキは風呂が嫌い。簡単にシャワーで済ませる。耳あかは取る。ほじるのが好き。これをビンに詰めておく。ま、あれこれあるが、奇人といえる。

 本書の多くは、わが身のおバカさんぶりをマクラにして、本の紹介へとつなげ、また身辺談にもどるといった構成になっている。

おもしろエッセイなのだが、こと書評となるとするどい。マメである。しっかり読み込んでいる。

 紹介された面白そうな本は、メモをした。どれほど読めるかはわからないけど、とりあえず、佐藤亜紀(一冊も読んでない)を読んでみようと思っている。

2025年2月26日 (水)

『生きるための読書』

  冒頭の一行、「八十代も半ばになると、老人として生きていくことに飽きてくる。

  よくわからない。淡々と生きて、この世から消えていく。そうなるのだろうが、それも面白くないということか。

  本屋の店頭で津野海太郎の『生きるための読書』をパラパラめくった。「もうじき死ぬ人」という章がある。いい歳だから、飽きてくるとなるのか。

250218112758981

 本書はラストメッセージと読み取ってもよい。続けて、6人の研究者の名が並んでいる。伊藤亜紗、斎藤幸平、森田真生、小川さやか、千葉雅也、藤原辰史。気鋭の研究者である。その著作を紹介している。人選はなかなかのものだ。とりわけ、小川さやか藤原辰史は私の好みだ。著作は読むようにしている。小川さやかのタンザニア人の生き方(サバイバル処世術)の解説は説得力がある。興味をひく。以前、当ブログでも紹介したことがある。斎藤辰史の『給食の歴史』や『トラクターの世界史』はお薦めである。ということで、本書もお薦め。

  以上が前半。後半は鶴見俊輔の思想が中心となる。鶴見的アナキズムの思想を解説している。

 老いたと言いながら著者の思考は老いていない。若々しい。ところが、本書の手直しをしている最中、思いもかけない災難に遭う。自宅の階段で転倒してしまったのだ。したたか頭を打ち、死にはしなかったが、3か月入院することになる。そしてリハビリ。後遺症もある。

 私より9歳上だから完治することはないだろう。しかし、老人として生きていくことに飽きるなんてことは言ってられない。スーパー老人になってもらいたい。

 

2025年2月18日 (火)

『編集を愛して』

  きのうの続き。

  松田哲夫と私は同い歳。言うまでもないが後期高齢者。いま、パーキンソン病を患っている。老人ホームでくらしている。本書のサブタイトルに「アンソロジストの優雅な日々」とある。現役時代は優雅だった、ということか。

 松田は学生時代、筑摩書房でアルバイトをした。その延長で入社する。

250203161900073

 松田が編集者として手腕を発揮するのは。アンソロジーである。『ちくま文学の森』『ちくま哲学の森』は大ヒットとなった。出版界に松田の名を知らしめた。

『ちくま文学の森』の編者は、安野光雅、井上ひさし、池内紀、森毅の四人。「哲学の森」鶴見駿輔が加わる。

 その編集会議の様子を伝えている。談論風発、放談会といった趣き。編者たちもこの会合を楽しみにしていた。とりわけ鶴見の博覧強記ぶりに他メンバーは驚かされた、愉快な会合だった様子が伝わってくる。こういう会議に出席していた松田がうらやましい。このアンソロジーはいまも読み継がれているという。

 のちに松田は、筑摩ではないけど『中学生までに読んでおきたい日本文学』などの編者にもなっている。

 編集者は原稿依頼だけで作家と付き合うわけでない。執筆以外のまじわりがある。

 赤瀬川原平、南伸坊、藤森照信らの路上観察学会の創立に立ち会う。老人力もその付き合いの中から生まれた。野坂昭如のアドリブ倶楽部(ラグビーチーム)のメンバーにもなった。

 書きたいことはまだまだある。「ちくま文庫」もそれだが、切りがないので止めておく。ひとこと加えると、本書は読んで心地よい。ちくまファンにはなつかしくもある。

 ついでひとこと

「中学までに読んでおきたい日本文学」の「お金物語」に森鴎外の「高瀬舟」がリストされている。安楽死をテーマにした名作だが、それを「お金物語」に分類したのはひとつの見識である。

 喜助は流刑となるが、お上から二百文を渡される、喜助にとっては初めて手にするまとまった金である。現在の価値なら1万円に満たない。ありがたいことだと感謝している。お金の価値、金銭感覚の面からこの短編を味わってみるのもよい。

2025年2月17日 (月)

筑摩書房と私

  若いころから筑摩書房の本や雑誌を好んで読んできた。学生時代は「展望」と「言語生活」。「展望」は毎月購読していたわけではないが、岩波の「世界」などより好みだった。臼井吉見の「安曇野」が連載中だった。「言語生活」は専門とは関係なかったが、趣味として読んでいた。連載の「ことばのくずかご」のファンだった。のちに三省堂国語辞典の編者である見坊豪紀と知り合うきっかけとなった。

250216151201855

 社会人となってからは、松田道雄が編纂した『私のアンソロジー』が愛読書となった。松田道雄といっても知らない人が多くなっている。小児科医で育児の権威だった。著作の『私は二歳』は大ベストセラーとなった。

『私のアンソロジー』は箱入り。といっても豪華本ではない。全7冊。いくつかのテーマで括られ、松田道雄の幅広い読書ぶりに驚くとともに、深い教養に感服した。読んだ後も、折を見てパラパラ開いていた。私の思考の基礎をかためるのに格好の書物だった。50年以上も前のことだ。

 こういう本を出す筑摩書房には格段の敬意を払っていた。

その後も、筑摩はアンソロジーでヒットシリーズを出すことになり、「アンソロジーのちくま」と呼ばれるようになる。

  ところが、後年、筑摩は倒産してしまう。いい本を出すことと経営はなかなか両立しないということか。「言語生活」は休刊となる。「ことばのくずかご」は新生の筑摩のPR誌に引き継がれることになった。そのあたりの経緯は記憶もぼやけている。

 と、筑摩のことを書き始めたのは、長く筑摩に勤めた松田哲夫の『編集を愛して』を読んだからである。

 目が疲れた。松田哲夫の本については次回に回す。

2025年2月 9日 (日)

『癲狂院日乗』

  車谷長吉が亡くなって10年がたつ。

  車谷長吉の本を好んで読んできた。ゆっくりした流れの中を漂っているような気分になる。中身は、率直。露悪的であったりする。恨み辛みも平然と書いているところがおもしろい。

癲狂院日乗』を読んだ。昨年出版されたものだ。「日乗」とあるように日記である。公開を前提として書かれたものだが、書かれては困る人いる。とりわけ嘆き悲しむのは叔母。著者が亡くなり十年がたち、その叔母も亡くなったので出版に踏み切ったと、連れ合いの高橋順子があとがきに記している。差しさわりのある編集者なども一部を記号にしている。

250129110845793

 平成10年4月から始まっている。強迫神経症に悩まされている。妻とは仲がよい。「順子ちゃんがいないので淋しい」と書いたりしている。ほぼ1年にわたっての日記である。

 面白いのは伊藤整文学賞を辞退した経緯。ただ伊藤整が嫌いだっただけ。賞金の壱百萬を棒に振る。意地っ張りなのだ。

 この年、『赤目四十八瀧心中未遂』で直木賞を受賞する。こちらは素直に、というか喜んで受ける。そして直木賞バブルとでも言うべき日乗が続く。

 作家は犬、編輯者に追い立てられたり、餌をあたえたり、食わせてもらったり、出版社の飼い犬なのだと嘆く。笑える。

「日乗」というと永井荷風の『断腸亭日乗』がある。あれより断然、おもしろい。車谷を知らない人にも奨めたい。

より以前の記事一覧