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読書

2024年8月 8日 (木)

『夜明けのすべて』

 映画「夜明けのすべて」を観たのは今年の5月。なにか起きそうで起きない展開がおもしろかった。映画は原作とはちょっと違っていて、原作にはないエピソードが加えられていると、知人が語っていた。詳しくは聞かなかったので、ちょっと気になっていた。

 映画「碁盤斬る」が落語の「柳田格之進」と違っているのと同じようなものだろう。「文七元結」の佐野槌の女将さんを登場させていた。

 で、原作『夜明けのすべて』を読んでみた。原作者の瀬尾まいこの作品が最近の国語教科書に載っていたことも読むことにした理由のひとつ。

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 映画と設定は同じ。ただし、PMS(月経前症候群)の藤沢さんと、同僚のパニック障害の山添くん、交互に二人の視点で描かれている。映画ではでは藤沢さんが主役だが、原作本では二人が主役である。以前紹介した『方舟を燃やす』も二人の視点で描かれていた。

 小さな会社(映画では学習用の望遠鏡などを製造販売している会社だが、原作では建築資材の卸売りの会社)が舞台。藤沢さんはPMSで同僚に迷惑をかけるので、転職した。後から入社した山添くんは電車にも乗れないようなパニック障害を抱えていた。共通して障害はあるものの仕事をやめるようなトラブルは起こしていない。会社はギスギスしておらず、ゆるやか。藤沢さんは山添くんにちょっとおせっかいだが、恋愛感情はない。山添くんも藤沢さんを避けるわけでもなく、淡々としている。 

 小さなエピソードというかトラブルは起きるもののずっと平穏である。二人の仲は縮まっていくようにみえるが、そうでもない。ただ、PMSもパニック障害も少しずつ緩和していく。

 この栗田金属という会社自体が癒しの空間になっている。社長も穏やかで利益追求なんてことを優先していない。誰かが休めば誰かがごく自然にカバーする。額に汗して頑張るなんてこともない。

 で、クライマックス。劇的な展開とはならない。穏やかな風が流れている。この先どうなるかといった予感はないわけではないけれど。どうでもよい。これでよいのだ。

 

2024年7月11日 (木)

『方舟を燃やす』

 角田光代の『方舟を燃やす』を読み終えた。

 主人公ふたりの半生を描いている。1967年に生まれた飛馬は鳥取の公立高校を出て東京の私立大学に入る。そして都庁・区役所に勤める。もう一人の不三子は1967年当時は中学生。高校を卒業し製菓会社に勤める。やがて結婚、二人の子を設ける。

 飛馬は小学生のときに母親を亡くしている。その死のきっかけをつくってしまったのではないかという重荷を背負っている。不三子は料理教室に通い、そこで玄米食とか無農薬低農薬野菜の信奉者になる。家族はその食事を受け入れない。面と向かって反対はしないが、弁当をだまって捨てている気配がある。不三子は自然食の延長で子に幼児用ワクチンを打つのを拒んでいた。

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 この物語のキーとなるのは、噂とかオカルトとか予言ブームである。コックリさん、ノストラダムスの大予言、口先女・・・。大きな事件が起きるとさまざまな偽情報がとびかう。多くの人はそれを信じないまでも懐疑的になったりする。飛馬も不三子もそうである。ふたりの暮らしが交互に描かれ、出会うことはない。終盤まで。

  途中、気になったのは「方舟を燃やす」というタイトルである。方舟はなにを象徴しているのだろうか。ノアの方舟? ノアが方舟を燃やしてしまう? それとも神が燃やす? いや、主人公自身が燃やしてしまうのか? などと連想が広がる。

  物語は、だれもが想像するような事件というか世相が描かれる。パンデミック、コロナ禍である。ずいぶん噂や偽情報が飛び交った。いまとなっては半分ぐらい忘れてしまっている。

 物語は、移ろう世相の中を生きていく二人を描いている。

2024年7月 5日 (金)

「光る君へ」

 大河ドラマ「光る君へ」は好評で視聴率もよい。当然のことながら『源氏物語』もブームになっている。

 2008年前後にも現在ほどではないけれどブームになったのをご記憶だろうか。『源氏物語』が書かれて1000年になるということで、関連本が出され、映画化もされた。

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 あのころ、源氏をざっと読んだ。さしておもしろくはなかった。というより難しかった。こちらの予備知識も不足していた。あれは入門書を読んでから現代語訳を読む。あるいは原文を横に置いて現代語訳を読むのがよいとわかった。

 ストーリーは光源氏の女性遍歴を描いたものに違いないが、後半になるとそのドンファン的生き方がひっくり返る。

 源氏は、父・桐壺帝の後添いである藤壺と密通し、子を生してしまう。時を経て、あらたに妻とした女三の宮を柏木(源氏の友人である頭の中将の息子)に寝取られてしまう。三の宮は懐妊する。かつて自分がやったように柏木にやられてしまう。因果応報である。

 華やかな女性遍歴は、日が陰るように事態はひっくりかえってしまう。シャイニング・プリンスは光を失っていく。このストーリー展開がおもしろい。卓越している。長く読み継がれてきた理由がそこにある。

 ところで、「光る君へ」、放送開始から半年になるが、まひろはいまだ『源氏物語』を書き始めていない。はやく書けよ、と言いたい。

2024年6月21日 (金)

『女の子たち風船爆弾をつくる』

 5月25日の当ブログで、風船爆弾をテーマとした山田朗さん(登戸研究所資料館所長)と作家の小林エリカさんの対談について書いた。

 その小林エリカさんの『女の子たち風船爆弾をつくる』を読んだ。

 ノンフィクションである。手法が他のノンフィクションとは違う。登場する少女たちは「わたし」あるいは「わたしたち」と表現されている。固有名詞がほとんど出てこない。わたしたちの満州国皇帝、中国国民政府の主席の男、イタリア王国元帥の男、わたしたちの海軍大将の男・・・などと表現されている。読者はそれがだれかを理解しているから固有名詞を特段使わなくてもよい。一般化するとか客観視する効果を狙っているとも言える。

  たとえば わたしは、わたしたちの国家「君が代」を、歌う。

 本書の語彙で、もっとも多いのは「わたし」と「わたしたち」である。数えたわけではないが。

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  前半は宝塚少女歌劇団の少女たちが描かれる。ヨーロッパ親善演奏旅行ではムッソリーニに出会っている。後半は風船爆弾づくりにかかわった女学生である。跡見、雙葉、麹町の女高生。

 風船の原料は和紙。こうぞからつくる。糊はこんにゃく芋。けっこう手が掛かっている。東京宝塚劇場で貼り合わせ、組み立てられる。人海戦術である。穴や隙間があると和紙と糊で補強しなければならない。今から思うと、こんなもので爆弾をつくらなければならないほど日本は苦境に陥っていた。今だから言えることだが、ダウン寸前のボクサーだった。

 写真は登戸研究所資料館にある10分の1のレプリカの風船。

  不合格品となった和紙は 戦後、赤線で働く女性たちに質の良い桜紙として売りさばかれたという。知らなかった。

 

2024年6月 2日 (日)

戦禍の臭い 『戦争語彙集』

 ロシアによるウクライナ侵攻はいまだ収束の兆しはない。もういい加減にしたらと言いたいのだが、それは部外者の見解であって当事者はそうはいかない。それはわかるが、第三者第三国は、関心も支援も薄れている。

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戦争語彙集』を読んだ。避難するウクライナの人たちが語ったことを証言集としてまとめたものである。タイトルから、戦時下に生まれた新語とか新表現を事典のようにしたものと思っていたが、そうではなかった。インタビューの断片集である。

意外性はさほどない。ブチャでの悲惨な映像を目にした者にとっては、そうだろうなあと、うなずくだけで、それ以上の感慨はでてこない。疲れかもしれない。

 それでも、印象に強く残るものもある。たとえば臭い。

「痛みの臭い、忘れられるもんじゃない」。「金属っぽい甘い血液の、何日も洗ってない体の臭い」

 映像や音声は記録に残る。痛みはわかるが、臭い、匂い、嗅覚といったものは表現しにくいから記録には残らない。

 バラの匂い、リンゴのにおいはわかる。しかし、痛みの臭いは・・・想像できない。

2024年5月29日 (水)

『歳月』

 目が悪くなったことは何度も書いた。映画の字幕も読みづらくなった。適当に読んでいる。困ったことだが、そのぶん、英語のヒアリング能力が上達したようだと、うそぶいている。

 細かい字の本は読まないようにしている。活字の大きい本がよい。さらにわかりやすいものがよい。

スタジオジブリのプロデューサー鈴木敏夫さんの『歳月』を読んだ。これは目に優しい。交遊録。軽いエッセイというかコラム集で、内容も易しくて優しい。

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 短いコラムだが、人物を的確に短い文章で描写している。

 たとえば、スティーブン・スピルバーク。ジブリ美術館に訪れた際、トトロぴょんぴょんが気に入って、その前に座り込んで動かなくなった。3時間も。

 ジブリパークが長久手につくられたきっかけも明らかにしている。ファンは当然知っているかもしれないけど、私は初めて知った。ヘェ、そうだったのか。鈴木敏夫さんは名古屋出身である。それと関係がある。

映画「君たちはどい生きるか」の前宣伝がチラシ一枚だったいきさつも。

 本の題は茨城のり子の詩集から採ったという。なるほどね。

 鈴木さんの人柄の良さが感じられる。穏やか。それが、ジブリがうまくいっていることと大いに関係がある。

 

2024年5月25日 (土)

『彼女たちの戦争』

 登戸研究所資料館主催の「女の子たち風船爆弾をつくる」というイベントが明治大学生田校舎あった。作家の小林エリカさんと山田朗さん(明治大学平和教育登戸研究所館長)の対談である。

 生田は新百合ヶ丘から近い。登戸研究所資料館にはこれまで何度か行っている。ドキュメンタリー映画「陸軍登戸研究所」も二度観ている。しんゆり映画祭でも昨年、地元映画として上映した。部外者にしては登戸研究所のことをよく知っているつもりだ。

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 小林エリカさんの著作では『彼女たちの戦争 嵐の中のささやきよ!』を読んでいる。戦争に翻弄された女たちを紹介したコンパクトな評伝集。28の章で構成されおり、第1章がマルゴーとアンネ・フランク姉妹、最後の章が風船爆弾をつくった少女たちとなっている。登戸研究所は風船爆弾開発にかかわっている。

 今回の対談は、動員により風船爆弾を組み立てた女学生たちの話である。「女の子たち風船爆弾をつくる」というのは小林さんの最新の小説(ノンフィクションノベル)のタイトルになっている。

 風船爆弾の風船部分は和紙とこんにゃく糊で作られている。動員された女学生たちは風船に組み立てた。場所は有楽町の東京宝塚劇場。なぜ宝塚劇場だったか、以前何かで読んだ記憶があるが、天井の高い建物だったから選ばれた。

 風船爆弾は気流に乗ってアメリカ大陸まで届いた。おもちゃのような風船だが、この爆弾で数名が犠牲になっている。

 対談は面白かった。ノンフィクションノベルにはいくつもの工夫が凝らされているようで、興味が増す。読みたくなる。『彼女たちの戦争』に紹介されていたアンナ・アフマートヴァの詩も読んでみたい。目が悪いのに、読みたい本が増えていく。

 

2024年5月 7日 (火)

『存在のすべてを』

 4月21日の「取材と構想」の続き。

塩田武士の『存在のすべてを』をようやく読み終えた。

 厚木と横浜で二つの児童誘拐事件が起きる。身代金要求に対応する警察の動きがドキュメンタリータッチでリアルに描かれる。厚木の児童は無事見つかった。もう一人は行方不明のまま。しかし3年後に何事もなく家に戻った。犯人は逮捕されなかった。 

 それから30年、当時取材していた新聞記者・門田は、元刑事の通夜に行く。そして再び事件を追うことになる。この記者が主人公かとおもったら、後半は画廊に勤める女性の視点で描かれるようになる。新進気鋭の写実画家が、誘拐されて行方不明となっていた児童だったことが週刊誌で報道される。

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「取材と構想」という視点を頭に入れながら読んだ。読者は、なぜ児童は3年間行方不明だったのか、犯人は誰なのか、などの疑問を抱きながら読み進める。誘拐された児童の家庭環境がしだいに明らかになっていく。そして3年間どうしていたのかも明らかになる。

日本の絵画界の実情、ヒエラルキー構造、画家と画廊(画商)の関係などについて丁寧に説明している。著者は写実画についてかなり突っ込んだ取材をしているのがわかる。*絵画界(画壇とかヒエラルキー)については黒川博行の小説でも読んだ記憶がある

写実画とは、写真より精密に書かれたスーパー・リアリズムの絵である。写実画を展示する千葉のホキ美術館(小説ではトキ美術館になっている)がちらりと紹介されている。

 この小説、犯人探しよりも、親と子、家族のありようがテーマになっている。だから犯人の行方については最低限しか触れられていない。それでよいと思う。

 ついでのひとこと

 黒川博行の『悪逆』が「吉川英治文学賞」につづいて「大人の推理小説賞」も受賞した。過払い金やカルト宗教で不当に稼いだワルを殺害して金を奪った犯人を追いかける刑事を描いたものだ。犯人は捕まりませんようにと願いながら読んだ。一級のミステリーである。こちらもおすすめ。

 

2024年4月21日 (日)

取材と構想 塩田武士

 先週、塩田武士の講演会に東銀座まで行ってきた。

 テーマは「取材と構想」。塩田武士は人気の小説家である。いつくもの賞をとっているが、わたしが読んだのは『罪の声』だけ。グリコ・森永事件に着想を得た小説である。

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 今回の「取材と構想」はそのタイトルのとおり、事件や歴史的事実を調査・取材したり、インタビューする、それと同時にどう小説に組み立てていくか、その手の内を明かすものである。

 文献を厳密に調べたり、事件に関わりのある人物と面談したりするのは当然のことだろうが、塩田さんは元新聞記者だから、そのあたりは心得ている。

 構想は、作家によって違ってくるが、基本的な枠組みは変わらない。取材したものの取捨選択。配列、つまり起承転結をどうするかである。

 書き出しをどうするか、どのエピソードを持ってくるか。ミステリーなら伏線をしっかり敷き、それをどう回収するのか。映画の脚本と同じで、橋本忍を描いた『鬼の筆』と重なる。

 塩田さんの話には説得力があった。内容は省くが、なるほどと感心した。で、講演会のあと、ただちに本屋に飛び込んで、最新作『存在のすべてを』を買った。

 1991年、厚木と横浜で二つの児童誘拐事件が発生する。警察の動きがドキュメンタリータッチで描かれる。さらわれた一人は無事、もう一人は行方知れず。犯人は捕まらなかった。それが序章。

 それから30年後の2021年、当時捜査にあたった刑事の通夜の場面となる。新聞記者の門田は再び事件を掘り起こすことになる。

 設定は『罪の声』と似ている。あれは昔の30年ぐらい前のカセットテープを見つけるのが発端だった。

 おもしろい。昔なら二日もあれば読めただろうが、いまはそうはいかない。目が悪くなり、30分もすると、目がかすみ、まぶたに疲労感がひろがる。巻を措かずとはならない。ゆっくり読めばよい。で、まだ半分にも達していない。

 写実画家が登場する。写実画とは写真より精密な絵である。千葉にあるホキ美術館を思い出す。この小説にも出てくる。誘拐され行方不明だった児童が写実画家になっている。さて・・・

 本書が出てから半年が経っている。読んだ人もいるだろうし、これから読む人もいるだろう。読む途中だからいくら書いてもネタバレにはならないだろうが、こ令嬢書くのはやめておく。いくつか散りばめられた伏線がどのように回収されるのか、あるいは収束するのか、じっと目を閉じ、あれこれ夢想している。

 読み終えるのに、あと一週間はかかる。ゴールデンウィーク前には読み終えたい。

2024年4月 9日 (火)

『中井久夫の人と仕事』

 精神科医が書くエッセイ(難しい専門書ではない)を多く読んできた。中井久夫もそのひとり。でも、一人に集中してというわけではないから、それほどは読んでいない。ぽつりぽつりとである。

 最相葉月の『中井久夫の人と仕事』は、中井久夫の著作集(全11巻)の解説をあらためて一冊の本にしたものだ。中井久夫の生涯を描いたものともいえるし、思索をたどったものともいえる。中井久夫の業績を知るにふさわしい著作である。

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 中井久夫の文章を読むと、なんだかいいなあとか温もりのようなものを感じる。続けて集中して読むのはもったいないような気がして、ときどき読むようになった。途中で本を閉じることもある。それがぽつりぽつりである。

 精神科医の中沢は、優しい。患者の気持ちに沿って診療する。治療とも思えないような診察である。精神科医はそれでよい。無理に薬とか注射で治るような病ではない。うつだのといっても幅広い。患者によって治療法はさまざまであって、ウイルスに感染したといった病とは違う。うつは病気と考えない方がよいのかも知れない.

精神病治療に電気ショックを与えたりする治療がある。鉄格子のある病棟に閉じこめたり拘束服を着せたりすることもまだ行われている。中沢の考えはそれとはまったく異なる。

以前、当コラムで『治りませんように』を紹介したことがある。襟裳岬にちかい浦河町にある「べてるの家」を取材したものだ。べてるの家には統合失調症などの精神障害を患う人が共同で暮らしている。精神科医やソーシャルワーカー、家族らが彼らの支え、事業を営んでいる。ゆるい日常である。治ることにしがみつかず、適当に自分自身と折り合いをつけながら暮らしている。中井久夫の考えと似ている。

統合失調症は的確な治療法は患者によって違う、患者自身が考えながら治療を受けることが大切だと考えた方がよい。

 中井の治療法についてはさらに詳しく触れたいけど、やめておく。中井久夫の著作をぜひ読んでもらいたい。

 最後にひとつだけ引用。

中井は常々、「精神には自然回復力がある」といい、「本来統合失調症は、治りにくい病気ではなく、回復を妨害する要因が多い病気である」と語ってきた。

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