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言葉

2024年2月 7日 (水)

 忌憚のない意見

 一昨日の午後から雪になった。久しぶりに雪道を歩いた。

 老人のように、小股でゆっくり歩いた。たっぷり老人なのだが。

 傘に雪が積もった。

  雪の句が浮かんだ。自作ではなく其角の有名な句。

  わが雪と思へば軽し笠の上

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 話はかわって、昔のことを思い出した。

 社内会議の折、忌憚のない意見をお願いしますとの司会者からあいさつがあった。

 それほど鋭くはないけれど批判の意見を述べた。あとで、あれは言い過ぎだよと先輩から言われた。20代のころだ。

 「忌憚のない意見を言えといわれたので・・・」と答えたら、アハハはと笑われた。

  忌憚のない意見をと言われてもなんでも言ってというわけじゃない、忌憚のないとはタテマエ、儀礼のことばにすぎない。そんなことはわかっている。ならば使うよなと言いたかった。

  以後、しばしば忌憚のない、を聞く。ああ、本当のことを言うなよ、遠慮せよ、ということばと理解するようにしている。それにしても空疎な表現だ。

  悪いようにはしないとひとを説得することがある。

悪いようにしないと言って、良いようにしたためしはない。

 

2023年11月14日 (火)

虫押さえ

  深夜、ときどき「ラジル★ラジル」(NHKのインターネットラジオ番組)を聴いている。「深夜便」ではなく聞き逃しサービス。

 久保田万太郎の随筆に「虫押さえにビールを飲んだ」というくだりがあった。意味はわかる。腹の虫が鳴かないようにビールをひっかけたということだろう。昭和の初めのころの文章である。

 腹の虫がグーっと鳴かぬようにとの意味で「虫押さえ」をつかうことはちかごろではない。

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 国語辞典を引いてみるとふたつの意味が載っている。①子供が泣かぬようにと飲ませる薬。②腹の虫が鳴くのを抑えること。

 おもしろいことに、三省堂国語辞典はふたつを載せているが、新明解国語辞典は①の方しか載せていない。②の方はそれほど使われていないとのことで記載を見送ったのだろう。

 むかしは、腹の中には虫がいると信じられていたようで、腹の虫に関連したことばや表現がいくつもある。

 虫封じ、虫ふさぎ、虫養い、カンの虫、虫の知らせとか、腹の虫が治まらない、虫の居所がわるいなどを思い浮かべる。落語には「疝気の虫」がある。

「三尸(さんし)の虫」もある。庚申の日に眠ると、三尸が抜け出て天帝にその人の悪業を告げるという。だから庚申の日は眠つてはならないという信仰がある。庚申は60日に一度巡ってくる。逆に言うと、この日ばかりは夜更しが許されるとなってバカ騒ぎができる。

 はなしを戻して、虫押さえ。三省堂国語辞典(第7版)では 「虫押さえにめしあがってください」を用例としてあげている。こういう表現、いちども聞いたことも目にしたこともない。

 虫押さえにビールという表現はいい。宴席まで時間がある。小腹がすいた。ちょいと一杯のビール。ひとりゼロ次会。ひとりウエルカムドリンク。

2023年9月14日 (木)

「忖度」について考える

 忖度ということばがもてはやされるようになったのはいつ頃だったか、20年以上は経っているが、いまだにつかわれている。日常語として定着している。

 意味は、相手の気持ちを推し測ること。配慮と言い換えることもできるが、それでは足りない気もする。「政治的配慮」ならそれに近くなる。「惻隠の情」では時代がかっている。

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 斉藤美奈子の東京新聞のコラムが目についた。二度「忖度」をつかっている。いずれもかっこにつき。ジャニー喜多川に対するマスメディアの長年の忖度(黙認)。もうひとつは、維新の会に対する在阪テレビ局の過度な忖度(協力?)。忖度が幅広い意味でつかわれているってことだろう。斎藤美奈子のコラムの表題は「ヨイショの構図」となっている。暗黙のヨイショってことか。

 国語辞典をあらためて開いてみた。新明解第8版。

 自分なりに考えて、他人の気持ちをおしはかること。「相手の立場や気持ちを忖度する」[近年、特に立場が上の人の意向を推測し、盲目的にそれに沿うように行動することの意で用いられることがある。例、「政治家の意向を忖度し、情報を隠蔽する]]

 なんとまあ、妥当な語釈、用例だと感心する。新明解、えらい! (ヨイショ)

 忖度がはびこる組織は、いずれ衰退していく。

2023年6月 1日 (木)

罪悪感

 テレビなどで「罪悪感」という表現をしばしば耳にする。「ダイエット中の人でも罪悪感なしで食べられます」とか。 

 カロリーが高くても、気にせず食べることができる。このぐらいなら、ま、許容範囲のうち、あるいは自分へのご褒美ぐらいの気持ちでいられるということだろう。

 罪悪感という表現には違和感がある。道徳とか宗教規範にはずれる場合に用いられるのがふつうだが、カロリーの過多摂取程度のことで使うのはおかしい。単に、節制できないだけである。軽すぎる。

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 自分へのご褒美ってもの、月に一度程度なら理解できるが、連日のご褒美は、怠慢にしかすぎない。

 大量のゴミを発生させたり、不法投棄するなど、SDGsに大きく反するなら、罪悪感はぜひ抱いてもらいたい。

 別腹ってのも、おかしい。 

 酒は? 2合までなら、健康長寿の内。

2023年5月29日 (月)

国語辞典から消えたことば

 三省堂国語辞典(三国)の編纂者であった見坊豪紀さんとおしゃべりの折り、「今度、アレを入れることにしました」と笑い顔で言われたのを覚えている。ずいぶん前のことである。

 アレとはABCD。三国の改訂で新語として載せるというのだ。女子学生の隠語、Aはキス、Bはペッティング、Cはセックス、Dは妊娠の意味である。どれほどはやっているかわからないけど、新語に許容的な三国はこれを載せた。ちょっと話題になったが、それほど騒がれることもなかった。次の改訂で削られた。消えたことばとなった。

 国語辞典は改訂されるたびに新しいことばが載る。時代に合わせて新語や新たな意味が生まれる。それを載せる。一方で、削られることばもある。ページを大幅に増やすことはできないから削る。泣く泣く削るものもあれば、まったく使われなくなっているから載せる必要はないとあっさり捨てるものもある。その判断基準は、編纂者に委ねられる。だから同じ小型の国語辞典でも採録する語や語釈は違ってくる。たとえば三国は新語や新たな語釈を積極的に採り入れる。おなじ三省堂の『新明解国語辞典』は独自の語釈に力を入れてきた。

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三省堂国語辞典から消えたことば辞典』は、三国から削られたことばをリストアップしたものである。

 削る基準は、ほとんど使用されることがなくなったとか、制度や法律が変わったとか、もともと掲載に値しないことばだったとかさまざまだが、背景には、時代の変化、言語生活の多様化といったものがある。

 本書を眺めれば、何年か前の世相が浮かび上がってくる。とりわけ昭和を映すことばがなくなっているのに気づく。こんなことばを載せていたのかと驚くものもあれば、まったく知らなかったことばもある。

 ただし、使われなくなったかといって、国語辞典から消していいかどうかという疑問も浮かんでくる。使われなくなったからといって消してしまうと、のちに辞書を引いた人が不便になることもある。

 たとえば、ユーゴスラビア。第7版で消えた。ユーゴスラビア連邦は崩壊し、6つ(あるいは7つ)の国に分裂した。現在は、旧ユーゴスラビア(旧ユーゴ)という言い方で残っており、しばしば新聞などで見かける。

 あっさり辞典から消し去っていいとは思わない。辞書編纂者は悩むところだろう。

 ついでのひとこと

 逆に、もともと載せなくてもよかったのではないかという項目もある。薮井竹庵

 落語の、たとえば紺屋高尾などに登場するヤブ医者である。落語以外で使われることはない。へー。こんなのも載せていたのかと驚く。

2022年11月29日 (火)

ほっこりについて考える

 ちょっと前、「ほっこり」について触れた。その続き。

 ほっこりを心温まるという意味で耳にしたのは10年ほど前か。もっと前かもしれない。意味はわかる。それ以降、しばしば聞き、見かけるようになった。なんでも京都あたりの方言でむかしからつかわれてきたとの説を聞いたことがある。

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 スマホに内蔵されている国語辞典(明鏡)を見てみると、①ほかほかと温かいさま ②ほくほくした味 ③心にぬくもりを感じるさま。(*語釈は多少簡略にした)つの意味を載せている。

 新明解国語辞典(第八版)を引くと「まるくふくらんだ様子」とある。それだけ。

 三省堂国語辞典はふたつの意味を載せている。①熱い(温かい)と②心温まる。これは十年近く前に出た第七版と同様である。(その前がどうなっているかは不明。もっと前だと、ほっこり自体の項目がない)

 こうみると「新明解」は遅れているといえよう。言語生活の実体を映していない。

 ほっこりの「ほ」はやまとことばでは、温かいもの熱いものを意味することが多い。ほのお、ほむら、ほてる、ほくほくなどを思いうかべる。ほたるの光は実際には熱いわけではないが炎を連想させる。「ほ」には温かいとか明るいというイメージがついてまわるということである。

 で、思い出した。「ほの字」。惚れているの意味だが、ちかごろは聞かなくなった。いずれ死語となるか。

2022年11月17日 (木)

完パケ

 完パケということばがある。劇場などで終演後、客席から観客がひとりもいなくなった状態を言う。映画祭のボランティアで初めて知った。

 終演後、前方から、忘れ物はないか、とどまっている人はいないかを確認しながら最後列まで歩く。観客がいないと確認できたら「完パケ!」と叫んで、他のスタッフに伝える。意味はおよそ分かる。完全にハケる、ということだろう。

 幼稚園の送迎車で園児が取り残されるという事件がしばしば報道される。閉じこめられて熱中症で幼児が亡くなるという事件があったにもかかわらず、同様な事故が起きている。

 園児が下車したあと、運転手は最後尾まで行って確認すればよいのだが、そのちょっとした手間を省いてしまうから事故が起きる。運転手は園児がいなくなったあと、完パケ! と同僚なりに伝えればいいのにと思うのだが。

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 写真は。区役所の庭にあるカリンの木。実をつけている。そのままで食べることはない。焼酎漬けにしたりする。匂いがよいから芳香剤にもなる。むかし、車の後部座席に置いておいたことがある。

  この実を揚げて黒砂糖にまぶすとカリン糖になる、ということはない。

2022年10月23日 (日)

老人語  ご無礼します

老人語」は新明解国語辞典だけのことばで、他の辞書ではおそらく載っていないと思う。

 その語釈(第八版)。「すでに多くの人の常用語彙の中には無いが、高年の人には用いられており、まだ死語・古語の扱いには出来ない語。例、安気・気散じ・湯殿・よしなになど

 安気、湯殿はつかうが、気散じはつかわない。よしなには滅多にはつかわないけど、まったくということはない。私は老人だ。使用語彙にある。

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 この辞書の初版はどうなっていたか。気になった。今からちょうど50年前にでた新明解(初版)を書棚から引っぱりだした。

 表現は多少違っているが、語釈はほとんど同じ。例は、日に増し・平(ヒラ)に、ゆきかた・よしなに・余人(ヨニン)

 50年たってもあまり変わっていないようにみえる。

 老人語は、常用語と死語・古語の間をまださまよっている。

 一方、若者ことばはつぎつぎと生まれている。どうなっていくのだろうか。

 たとえば、さりげないとか、なにげないさりげになにげにが常用となり、さりげない・なにげないが隅に押しやられつつある。50年後には老人語になっているかもしれない。

 ちかごろ、ご無礼しますというあいさつを聞かなくなった。お先に失礼しますと言うのが普通だ。ご無礼も老人語である。

 

2022年9月24日 (土)

 まんまんなか

 NHK-BSの朝ドラが「本日も晴天なり」になった。「芋たこなんきん」の後番組ね。

 ナレーションは青木一雄アナウンサー。歯を磨きながらぼんやり聞いていると青木アナは「まんまんなか」としゃべっていた。ちかごろ、まんまんなかと聞くことはほとんどない。「どまんなか」である。どまんなかは上方のことば。これに駆逐され、まんまんなかは言語生活の片隅に追いやられてしまった。調べてみると、このドラマ、1981年、40年ほど前の放送である。このころ、NHKはアナウンサーのことばとして、どまんなかを認めていなかったものと思われる。

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 その後、NHKのアナウンサーはくだけた表現を使うようになった。

「ここからは」は「こっからは」と発音する。「この中」は「こん中」である。促音(つまる音)、撥音(はねる音)の多用が目立つようになった。

 ただし、雨の中を雨ん中とするような使い方は昔からあった。歌謡曲。春日八郎は「あんときゃ どしゃぶり 雨ん中・・・」と歌っていた。

 ここんとこ、日本列島は雨ん中。そういうこってす。

 ついでのひとこと

 霊感商法ということばが近ごろよみがえった。

で、思いついた。「霊感商法にひっかからない霊験あらたかな壷」を売り出したらどうだろうか、100円ショップで。

2022年5月26日 (木)

大丈夫ニッポン

 セルフのコーヒーショップ。アイスティーを注文した客に「レモンはおつけしますか」と問うと、客は「大丈夫です」と答える。

 ごくありふれた風景となっているが、大丈夫という使い方、わたしは違和感を抱く。

 大丈夫は、「けがはありません、大丈夫です」とか、「大丈夫、間違いなく受かるよ」などとつかわれる。それが、問題はないとか、間に合ってますとか、要りません、不要といった意味で用いられることが多くなった。

「一万円からで大丈夫ですか」「はい、大丈夫です」というぐあい。大丈夫であふれている。

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 ただしこの意味を載せているのは「三省堂国語辞典」(第八版)ぐらいである。その前の第七版 2014)でも「俗語」として不要の用例を載せている。第八版ではその「俗」がとれた。もう一般的な普通の使い方がされているということだ。(21世紀になって、さしつかえないという意味で大丈夫が広がっていったと注釈をつけている)

他の辞書、例えば「新明解国語辞典」(第八版 2020)では、心配ない、良い結果になることを受けあう程度にとどめている。

 というような大丈夫の意味の広がりを若い人に説明してもキョトンとするだけだろう。そんな説明は大丈夫(不要 ブーヤオ)なのだ。

 極まりないひとこと

NHKの番組。ナレーターが「複雑極まる」と語っていた。「複雑極まりない」とするのがふつうと思うのだが・・・。

ちょっと考えると、極まるも、極まりないも同じような意味になる。ないは無いなのか、それとも「いたいけない」と同じように「いたいけ」が「無い」わけではないと理解すべきか、よくわからない。

「三省堂国語辞典」を引くと、意味は同じだが、極まりないの方がより強調した表現になるとしている。

どっちでもいいけど、複雑極まりないの方が耳に馴染む。

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