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世事・世の中

2025年1月20日 (月)

まちがっているかもしれない

 哲学に可謬主義という考えがある。簡単に言うと、あらゆる理論は誤っているかもしれない。間違っていないかどうか、検証しなければならなし、反論には、きちんと反証しなければならない。しごくまっとうな考えである。可謬主義は反証主義ともいう。

 絶対正しいということはありえない。ニュートンの万有引力もいつでもどこでも正しいわけではない。アインシュタインの相対性理論がその隙間をついた。

 この可謬主義を俗っぽく実社会に反映させてみると、誰もが間違う。間違っていないなら、きちんと反証しなければならないということである。

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 なぜこんなことをもちだしたかというと、昨年、ようやく結審した袴田事件である。

 検事総長のことばに違和感を抱いた。謝罪ではなかった。犯人は袴田被告に間違いはない。証拠には自信がある。検察が証拠をねつ造したという判断には不満がある。捜査に誤りがなかったけど、長く拘留され、裁判が長期に及んだことを考慮して上告をとりやめることにした。そんな趣旨だった。

 強引に犯人に仕立て上げたという疑いもあるが、それは置いといて、間違っていたとは口が裂けても言えないらしい。長くなったから、ま、このぐらいにしたいとるわ、といったところ。だから謝ることもなく、上告を断念した、無念であると。

 検事総長の発言からしばらく経ったが、こころのなかにこの発言がくすぶっているので、あらためてブログで書くことにした。

 みずからの組織は無謬である。無謬でなければならないから無謬であると言い張るっているのだ。謙虚さが欠落している。

 大河原化工機事件にもそんな匂いがする。検察の暴走だが口が裂けても間違っていたとは言えないらしい。これではふたたび同じような過ちを犯すのではないか。

 過ちは誰もが犯す。誰だって間違う。間違いと指摘されたら、謙虚に検証する。反証できなければ間違っていると答える。

 大仰に、正義を問うているわけではない。間違いはある。それに気づいたら素直にただすなり、謝ればよい。それだけだ。

2025年1月18日 (土)

どんど焼き

  麻生区では、どんど焼き(賽の神)が11日から25日にかけて15ケ所で行われている。どこよりも多いのではないか。昔は14日に行っていたが、いまは土日にやることが多くなった。同時開催だと消防団も忙しいから分散となる。

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そのひとつ、岡上の谷戸でのどんと焼きに行ってきた。写真は焼かれる前。正月のお飾り、お札、だるまなどが納められている。他と比べだるまが多い。かつては書初めの半紙もあったが、燃えて飛び散ると火災になるおそれがあるとのことで見かけなくなった。

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1月18日には、麻生不動のだるま市がある。関東三大だるま市のひとつ。盛大に行われる。焚き上げられるだるまは、去年、麻生不動で買ったものと思われる。

 隣の多摩区では26年ぶりにどんど焼きを復活させたとの記事を地域紙で見つけた。麻生区に負けてられないという機運が感じられる。けっこうなことだ。

  室生犀星に、こんな句がある.

 くろこげの餅見失ふどんどかな

2025年1月12日 (日)

地下水道

 リニア新幹線の工事が行われている。水だの泡だのが出たといったことで、工事が思うようには進んでいない。

 ひとごとと思っていたら、リニア新幹線はわが麻生区の下を、それもそれほど遠くないところを通っていると知った。地上からではわからない。

 都市の地下にはいくつもトンネルが掘られている。新百合ヶ丘と百合丘の間には大きな水道管が埋設されている。それを「川崎の水」という記録映画で知った。川崎の生活用水、工業用水として神奈川県の山間部から水が供給されているのを描いたものである。

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 写真にあるのがそれ(百合丘駅近くの駐輪場から撮った)。真ん中あたりの空き地に巨大な水道管(導水)が埋設されている。その上を津久井道(世田谷街道)と小田急線が走っている。津久井湖から長沢にある浄水場まで直径3メートル以上の水道管がつながっている。

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  もう一枚は、上の写真の反対側(浄水場方向)を写したもの。以前、水道局所有の土地と表示があった。なんのための用地かわからなかった。

  地下水道は戦後まもなく作られたものだが、それだけでは賄えず、現在では相模湖、宮ケ瀬湖、丹沢湖からも引かれている。

  見えないところに都市のインフラがあることをあらためて知った。

 ついでのひとこと

  新百合ヶ丘には横浜とつながる地下鉄が作られることになっている。完成までに10年といわれるが数年前も10年と言っていたから、いつになるかわからない。私が生きているうちに完成するのだろうか。ま、無理やろうな。

2025年1月 1日 (水)

あけましておめでとうございます

 なんだかわけのわからない世の中になってきている。数年前の常識がどこかに飛び散り、あらたな考えというか妙な理屈が支配するようになっている。新聞が凋落し、テレビも怪しくなり、スマホのXだのネット情報が世を席巻する時代になっている。年寄りはついていけない

 それを強く感じたのは兵庫県の知事選である。まさかの結果。識者はそれらしい理屈をつけて解説している。理屈はわかるけど、それでいいのか。

 今年を最後に年賀状をやめることにした。その旨を年賀状に記した。目が悪くなり、細かなことができなくなるとともに面倒になったからだ。詳細は省くが、見つめるという動作が煩わしくなった。日常生活にはおおきな障りはないけれど、どこかで間違いをする。夜道は懐中電灯がないと歩けない。逆に日の光はひどくまぶしくなった。視界がうっとうしい。

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  近所の十二神社に初詣に出かけた。近場なら神経を遣わずに歩ける。ついでにコーヒーショップに回って、短時間だが雑誌を読んだ。

 世を考えると、ますますわからない。もう少しスマホに馴れたいとも思う。東日本大震災の直後、スマホにした。同世代の誰よりも早かったが、スマホテクニックは上達していない。

 世にあれこれ難問はあるけれど、年寄りが考えることでもない。ジタバタしない。

 あとは野となれ山となれ

2024年12月26日 (木)

 地場野菜 万福寺にんじん

  セレサモス(農協)の直売所の前を通ったら、万福寺にんじんが並んでいた。一本買った。家に帰り、長さを測ってみたら85センチあった。

 川崎北西部ではひっそりと栽培されている。専業農家での栽培はわずかで、ほとんどが家庭菜園である。だから売りに出されるのは少ない。幻のにんじんとなっている。

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 先だって、万福寺にんじん品評会が開かれた。かつて盛んに栽培され、この地域の代表的な野菜だったが、絶滅状態にある。なんとか栽培を続けようと、普及に乗り出したグループが品評会を開き、伝統継承に努めてきた。

 色は濃く、香りも高く、食べて旨いのだが、栽培が面倒なのだ。収穫まで5ヶ月以上かかる。虫害(アゲハにやられる)もある。掘るのも大変、簡単に抜けない。手間がかかるのだ。甘みもあって(糖度計で計ってみると11度以上あるものもあった)旨いのだが、労力の割には高くは売れない。わたしが買ったにんじんは200円程度である。

 栽培でもっとも大切なのは土づくりである。品評会に長年参加してわかったことは農業とは土づくりということだ。このあたりを説明すると長くなるのでやめておく。農業従事者には常識だろうが・・・。

 ということで、わが家では、お節料理には万福寺にんじんがならぶ。

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2024年12月24日 (火)

合理的配慮とパスワード

 合理的配慮とは、事業者が障碍者へのバリアをなくすようできるだけ配慮することを指す。今年から義務化された。ことばとしてそれほど浸透していない。わかりにくい。  

  映画館とか劇場で車椅子席を用意するとか、手すりをつけたりすることがあげられる。たいていの映画館ではそうした配慮がなされている。

 わたしは目が悪くなった。視力が落ち、視野が狭くなった。視力を失ったわけではないけれど健常ではない。多くの階段で手すりが設けられている。これはよい。ただし段差が分かりづらい。上りはよいが、下りでは段差がわかりづらい。ヘリというか角の部分に着色するなりテープが貼ったりしてあればよいのだが、そうなっていない箇所がある。つまずき、転倒するおそれがある。ほんのわずかな段差も危ない。写真の階段はわかりやすい。

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 カード決済でパスワードを入力する場合がある。パスワードの数字入力がしにくい機器がある。画面を暗くしているからだ、パスワードが他人に見えないようにする配慮はわかるのだが、入力する当人が見づらいのではなんにもならない。

  目が悪いので画面を明るくしてくれと言うと、たいていはできないという返事である。やりかたがわからないとの返事もある。クレームをつけたいところであるが、それはやめて、画面に目を近づけて、場合によってはライトを当ててかろうじて数字を読みとって入力することになる。

  相手は目が正常だから私の行動を不審に思う。見えないものは見えないと言い張りたいところだけれど、ぐっと我慢する。明るくする設定になっているだろうが、そうしない。合理的配慮に欠ける。

 若いころなら、障碍者への配慮など考えもしなかったけど、自分がそうなってみると、世の中の冷たさがわかる。

 

2024年12月20日 (金)

貸金庫にしまうもの

 三菱UFJ銀行の貸金庫で窃盗事件があった。女子行員の仕業で合い鍵をつかっての犯行だった。

 銀行の貸金庫を利用している。権利証とかいくつかの書類を入れている。めったに金庫を開けることはない。今回の事件では現金や金の延べ棒が盗られたというが、わたしの場合、宝石とか延べ棒の類は入れていない。もちろん現金も。それほどの金持ちではない。

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 貸金庫ルームへの入室は面倒で、利用カードと金庫の鍵がいる。さらに暗証番号も。盗むのは面倒と思うのだが、三菱UFJの場合、内部の犯行でチェック機能もできていなかったとのことだ。

 貸金庫を持っている理由は、もちろん盗難防止があるが、備忘の書き付けを入れておくためである。自宅の引き出しなどに入れておくと、どこにしまったかを忘れてしまうことがある。歳をとるとよくあることで、この対策である。

 めったに貸金庫に行くことはないと書いたが、貸金庫のカード、これは夫婦一枚ずつもっている。合い鍵は一つ。その合い鍵がどこにしまっているか、先だってまで妻しか知らなかった。正確にはわたしが忘れてしまっていたわけで。このたびの事件で合い鍵の場所を妻に訊いた。ボケ爺などとイヤミを言われるかとおもったが、そうでもなくちゃんと教えてくれた。

 あまり大きな声では言えないが、また、その場所を忘れて妻に訊くことになるかもしれない。

 で、鍵のありかを書いた備忘ノートを作る必要があるが、それを忘れてしまうおそれがある。できればそれを貸金庫にしまっておきたいのだが、こればかりはそうもいかない。

2024年12月12日 (木)

 ふとした病

 中山美穂が亡くなった。突然の死。死因は不慮の事故という。不慮って言われてもよくわからない。他殺でも自殺でも病死でもなかったってことなんだろう。

 で、浮かんだのは「ふとした病」。立川談志は、ふとした病という表現を気に入っていた。ふわっと静かにこの世から消える。なんだがよくわからないところがよい。談志自身もふと消えたかったのかもしれない。

 ちかごろは聞かなくなったことばにサドンデスがある。突然の死のことだが、スポール用語として使われてきた。

 ゴルフのプレーオフでの決着をそう呼んだ。サッカーでも延長戦の決着に使われた。ゴールが決まった瞬間、残り時間は考慮せずゲームセットとなる。Jリーグでは、いまはこの方式はとっていない。だから死語。

 わたしの父方の伯母はふとした病のように亡くなった。山仕事に出かけたところ、疲れたと言って切り株に座って休んでいた。しばらくして、伯母は切り株に座ったままで亡くなっていたという。むかしはそんな風に死ぬこともあった。

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 はなしはかわって、汐留で開催中のベル・エポック展に行ってきた。15日で終わりとなる。それほど混雑していなかった。一区画だけが写真撮影ができるようになっていた。別に撮らなくてもよかったが、せっかくなのでいくつか撮った。写真はそのひとつ。

 

2024年12月 8日 (日)

有楽町のにぎわい

 有楽町に出かけた。高校時代のクラス会である。

 その前に、銀座の教文館に立ち寄った。この書店が気に入っている。落語関係の本をひろくそろえている。客が少ないこともよい。先だって亡くなった谷川俊太郎の書籍をコーナー展示していた。一冊買って会場に向かった。

 途中、人だかりというか行列ができている。ONITSUKA TIGERとある。人気のシューズショップ。へー、こんなに並ぶんだ。客は外国人が多い。人気ブランドになっているとは聞いていたが、そのほどがわかる。オニヅカではなくてオニツカね。

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 有楽町駅前も人だかりだった。別海町の物産展。別海には一度だけ行ったことがある。人口よりも牛の数が多いと聞いことがある。ホタテ焼きに行列ができていた。別海町は海にも面している。

 アナウンスは、ベツカイと発音していた。ベッカイじゃないのか。どっちがふつうなんだろうか。ベツカイは言いにくい。

 宝くじ売場にも行列ができていた。交番前の売場の行列はよくテレビでも放映される。駅前の方はそうでもないけれど、こちらも人が多い。どちらも有楽町である。どっちで買っても同じ。なかなか当たるものではない。

 で、高校時代のクラス会。年一回、名古屋と東京で行われる。名古屋はいつも10月末。昨年は他の行事があったので欠席したが、ことしは出席した。どちらも参加したのは私を含めて7人。バカ話ができて楽しい。この一年で2人が亡くなった。80近くなれば欠けるのは自然なことだろうが、友人が亡くなるのは寂しい。

 来年の日取りも決めて帰途についた。今日は冷えるとテレビが伝えていたが、それほどでもなかった。

 

 

2024年12月 6日 (金)

かかとで祈る

 寒くなると、かかとがひび割れるようになった。

 老化で肌に潤いを与える機能が衰えてきている。乾燥と寒さがそれを加速させてひび割れを生じさせる。放置すると裂け目が広がり痛みをともなう。血がにじんでくる。

 メンソレータムかニベアを擦り込む。指先で擦り込むのだが、塗りにくいところがある。両足のかかとをこすり合わせると、まんべんなく塗れる。

 かかとだけでなく足裏全体をこすり合わせれば、南無阿弥陀仏と祈っているようでもある。

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  金子光晴に「落下傘」という有名な詩がある。落下傘で降下するとき、足をこすり合わせで神に祈る。手が使えないからね。

 どこへたどりつくのかわからない。たよりない。この足の下にあるのは・・・わたしの祖国。ゆれる日の丸、「神様、どうぞ。まちがひなく、ふるさとの楽土につきますやうに」

 ユーモアもあっていい詩だ。

 ところで、ニベア。日本だけの商品かとおもっていたら、ヨーロッパでは至るところで売っている。ドラッグストアーだけでなく、高速道路の売店、どこでも売っている。インターナショナルな保湿クリームなのだ。ドイツのスキンケア会社が発祥らしい。

 かかとの方は、ニベアのおかげで、スベスベ。というのは大げさだが、ひび割れはいくぶん治まっている。

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